坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

出港

2006年08月16日 | 坊主の家計簿
 8月16日

 雑費      フェリー          3200円
         コーヒー           120円
         野菜ジュース2本       210円
         ビール2本(祭見学)     400円
         夏用綿パン         1590円
 ガソリン代   2.88L            414円
 うどん屋1   醤油うどん          115円
         磯辺揚げ            80円
 うどん屋2   かけうどん          150円
         きつね揚げ           80円
 うどん屋3   冷やし肉ぶっかけ       350円 
         おでん大根           80円
 ラーメン屋   チャンポン          530円(多分。。。)
 焼き鳥屋    焼き鳥ビール        1910円(多分。。。)
 宿代      今治ビジネスホテル     5250円
         ビール            350円

 
 合計             14829円
 8月累計           73052円

 ダルい。。。ドド疲れ。紀伊水道台風の影響で大荒れ。
 もっと荒れた帰り道。
 
 いや、22時過ぎに(8月18日)に和歌山港に着いてやな、滅多に通らん方の道で帰ってたら警察に捕まった。
 こっちとらもベテラン原付ドライバー。標識がややこしかったのだ。で、原付通行禁止の高架道路を渡ってしまい、登る直前に「あちゃ!」と思ったのだが、なんせそのほんの少し前には、軽車両通行禁止の標識しか出てなかったので「この高架道路は渡れるんや」と安心して後方確認して渡ろうと思ったら突然新たに現れた『原付通行禁止』の標識。
 なんじゃかんじゃで2時間以上ねばって、徹底論戦をしてたんだがダメ。何やら交通標識は公安委員会の管轄らしく、警官に文句いうてもダメらしい。なんじゃかんじゃで2時間半以上か。。。
 警官曰く「粘れば粘る程私たちは頑なになって行くのですよ」
 まあ、そらそうだ。最初一台だったパトカーが救援を呼んで2台になり、途中何度も連絡があったみたいだし、私を許してくれるわけがない。しかし、私も気が収まらんので「なぜあそこに標識があるのか?」「直前に気づいて方向転換など不可能だ。あくまでも危険回避の行動だ」だったのだが、まあ、無理だった。
 運転してた方の年配の警官が「いや、こんな違反で2時間以上粘られたのは30年の経験で初めてですよ」との事。私も何度か交通違反したがこれだけ粘ったのは初めてや、っちゅうねん。。。
 まあ、抗議してる間にだんだん疲れてきたのと、感情が治まって来たので、感謝の御礼をして分かれたのだが。まあ、よく付き合ってくれたものだ。結構色々な(多分クレーム)の連絡もあったみたいやし、っちゅうか、それがまた私の闘争本能に火をつけたのだし。また、30分ぐらい経過した時に「近所迷惑に成りますからパトカーの中で」や、他の救援のパトカーを呼んで、いわゆるよくありがちな警察のやり方も私の感情に火をつけて2時間以上になったのだが。
 まあ、色々おもろい議論もあったけど、辞め。

 と云う事で、帰宅して荷物を下ろしてシャワー浴び終わったら4時過ぎ。
 んが、明日から学習会なので家計簿つけとかな。。。

 と云う事で、8月16日は朝2時起きだった。5時ぐらい発の徳島行きのフェリーに乗りたかったので。
 フェリーで若干仮眠。のち、海岸線を通って今治を目指す。快適ツーリング。

 今治はお盆休みだった。。。
 恐らくメインだろうアーケード付きの商店街はほぼ全滅。飲屋街もほぼ全滅。
 雨の準備でユニクロのドライなんとかシャツを買いにユニクロに行ったら時期のせいか売ってなかったのだが、夏用の綿パンンが売ってたので購入。カッパの下に着る事になるんだし、やっぱりこれもドライなんとかという麻混の方が楽やし。
 
 で、焼き鳥屋。空いてた店が満席だったので、先に『焼き豚玉子飯』を食べようと思ってうろつくが空いてる店が見つからなかった。なので美味そうなラーメン屋でチャンポンを喰う。『麺は残してもスープは残さないで下さい』との壁書き。まあ、若干臭かった(エエ感じの)けど、昔ながらのラーメン、っちゅう感じ。チャンポンだが。。。
 のち、焼き鳥屋。一件だけで判断するのはおかしいが、確かに『美味くて安かった』けど、大阪にだってこれくらいの店はある。けど、当然『美味くて安い』ので満足。
 
 ビジネスホテルへの帰り道に「海でも観て帰ろ』と港を歩いてたら盆踊りの音。
 気持ちよかったので盆踊りを見ながら、盆踊りの人達(漁業組合?町内会?)が売ってたビールを分けて貰う。潮風に吹かれて、すぐ近くでやってる盆踊りの音を聴きながら夜の海を見てたら気持ちよかった。

頑張れ高気圧

2006年08月15日 | 坊主の家計簿
 8月15日
 
 雑費    100円ショップ     735円
       タバコ5箱       1500円
 食類    焼そば麺          18円
       豚肉           224円
       キムチ           88円
 外食    茶粥ニラ炒め鰯フライ   400円

 合計            1465円
 8月累計         58223円

 台風ってなんやねん、おい。
 確か2年前に高知行った時も台風やったやんけ。。。

 んが、旅行準備完了。
 100円ショップでゴムバンド等を購入。これで荷物の扱いが去年より楽になった。
 ついでに日焼け防止用の手首のサポーター購入。長袖シャツと手袋の隙間が日焼けして痛いのだ。んが、台風やと、クソボケ。台風で焼き鳥屋と焼き豚玉子飯の店が閉まったらどうするねん。
 ついでに2日目の宿は『その日に漁に行った魚を喰わせる』事を名物にした宿やねんけど、台風やったら漁に出られへんやんけ。

 あ、小泉靖国参拝。まあ、予想通りなんだろうが。
 民主党、いったれ。次回も投票したる。

つるつるの青年将校

2006年08月14日 | 坊主の家計簿
 8月14日

 雑費    エビオス錠          1780円
       発泡酒             175円
       大麦若葉青汁30P        880円
       ペットコーヒー          98円
       かまぼこ             68円
       薄揚げ               1円
 外食    唐揚げ定食           750円

 合計               3752円
 8月累計            56758円

 15。。。
 ああ、なんて甘美な響きなんだ。よってもう一度
 15。。。
 よっしゃ!明日行ったら(葬儀が入らなければ)明後日の今頃は今治で『焼き豚玉子飯→焼き鳥』後のビジネスホテルじゃ!
 と、云う事で今日も大盛り中華定食屋へ。今治が待ちきれずにどうしても熱々肉汁ほとばしる唐揚げが食べたくなったのだ。
 ついでに、昨日、今日と、中華定食屋に置いてある週刊誌を読む。靖国特集やな。
 テレビでも今日はなんか戦争&靖国ものが多かった。っちゅうか、公文筆ペン練習とか雑用かましながらなのでちゃんと観れてないのだが、チャンネルだけは戦争&靖国もの。

 真宗仏教には『お盆』はない。理由は単純明解で、例えば『いわゆるお盆』なら戻って来る霊魂がない。もし仮に戻って来たならば葬儀の御布施を返さんとあかん話だ。
 また、『仏説盂蘭盆会経』のお盆でも同じ。餓鬼道に先祖が落ちているはずがない。とは云え、今現在餓鬼道なり地獄に堕ちている人達と「共に助かって行こう」や、あるいは『お盆』と云う機会を通じて諸々沢山の人達の願いによって今の私たちが生かされていると云う確認の場にはなる。爺ちゃん婆ちゃん達に想いを馳せる事は大事だ。

 さっきまでやってた筑紫のニュース23のスタジオセットで鳥居があった。
 こら、筑紫。テメーには朝日ジャーナル時代から色々恩義もあるけどやな、テメーの人の言う事を聞いてないみたいな相づちと、今日の鳥居のセットはあかんぞ。
 鳥居とは神道にとっては大事な宗教のものではないか。そんな結界を意味する神道にとっては大事なものをスタジオのセットに使って靖国問題を論じるとは、ちと宗教をなめとらんか?私は仏教徒なので神道とは全く別の宗教を信じているが、それでも、っちゅうか、それが故に神道を信じる人達を別に否定しない。批判はするが否定は出来ない。神社は私にとっては宗教施設ではない。なので私にとって宗教施設ではないので強制されて「手を合わせろ!」等と云われたら別だが、それ以外は私にとっての宗教施設でないだけであって、他の人達にとっては大事な宗教施設なんだろうし、それぐらいの敬意ははらう。まあ、柏手は打たんが。
 なので、鳥居をスタジオのセットにする事はおかしい。現場で誰も反対しなかったのだろうか?

 日本人の宗教意識。
 結局『靖国神社』の問題で問われているのはそういう事だと私は感じる。
 例えば仏教徒にとって靖国神社など関係ない。あれはあくまで『国家神道』の時代であったにせよ、今現在は『神社』なんだし。当然、遺族感情として「勝手に祀られてもらっては困る」と云うのも当然ありだ。違う宗教なんだし。
 なんか、その辺の日本人の宗教意識の曖昧さが非常に問われている気がしてならない。

 19時からNHKで『どうして人は戦争をするの?』と云う番組をやってた。まあ、正式には『いま考える2006夏(1)』らしい。

 「どうして人は戦争をするの?」
 それは戦争が好きだからだ。


   私は高速道路が好きです
   私はスモッグで汚れた風が好きです
   私は魚の死んでる海が好きです
   私はごみでいっぱいの町が好きです
   殺人、詐欺、自動車事故が好き
   そして 何より好きなのは
   多数の人が
   涙を流す
   血を流す
   戦争が大好きです
   餓えと
   寒さの中で
   戦って死んでいく姿を見ると
   背中がぞくぞくするほど
   楽しくなります
   毎日毎日
   大人が
   子供が
   生まれたばかりの赤ん坊が
   次から次へと
   死んでいるかと思うと
   心がゆったりします
   歴史を歴史と感じ
   過去を過去として思う
   無感情な
   時の流れに、自分自身に
   たまらなく喜びを感じます
   こんな私を助けて下さい
   誰か助けて下さい
   たった一粒でもいいのです
   こんな私に
   涙というものを与えてください
   たった一瞬でもいいのです
   こんな私に
   尊さというものを与えて下さい
   私の名前は
   人間といいます
  (関本理恵『一番好きなもの』)

 
 いや、「あんたの名前は関本理恵やろ」と突っ込みを入れたくなるのだが、っちゅうか、やはり『私の名前は 人間といいます』と云うのは逃げだし。
 そういう部分でいうならば、先に私が書いた『日本人の宗教意識』も逃げだな。やはり『私自身の宗教意識』にするべきであった。
 とは云え、この詩は大好きな詩である。
 仏教では『苦集滅道』と云うのを大事にする。っちゅうか、根幹なんだが。。。
 自分がどういう存在であるのかを見つめる事無く問題の解決などあり得ない。
 親鸞なら
 
  浄土真宗に帰すれども
  真実の心はありがたし
  虚仮不実のわが身にて
  清浄の心もさらになし

 であり、
   悪性さらにやめがたし
  こころは蛇蝎のごとくなり
  修善も雑毒なるゆえに
  虚仮の行とぞなづけたる
 
 などの、激しい自分自身を直視する視点であっただろう。

 数年前より『青年将校』が怖い。まあ、私が勝手に『青年将校』と呼んでいるだけであって、私自身も『青年』気分が抜けきらないので『青年将校』と呼んでいるのだが。
 つるつる。心の綺麗な所しか見ない。いや、正しくは『見れない』のかも知れない。
 いわゆる解りやすいボランティア活動に積極的に参加して、アジア・アフリカなどの発展途上国が好きだったりする。沖縄・アイヌ民族が好きだったりする。アジア・インド系のシャツを着て『とば』をアテに泡盛を飲む。好きな音楽はソウルフラワーユニオンだったりする。被差別、在日、沖縄、アイヌ、障害者等と云うキーワードに敏感に反応する。あるいは『寄せ場』、大阪なら釜ヶ崎とかに出入りしてボランティア活動したり、飲みに行ったりする。
 俺やんけ。。。
 なのだが、よって批判する。
 それで『罪』を逃れようとする。「俺はやってる」と慢心する。
 それは他との比較。
 「俺はお参りだけしてる坊主と違う!」という事。
 で、戦争、差別を自分の問題にしない。

 【「ものをあわれみ、かなしみ、はぐくむ」精神は「たすけとぐることきわめてありがたし」であり、間にあわぬということです。それは『たすける』身としての成就を求めているけれども、『たすけられるべき自信』の成就を忘れているということでありましょう。
  いわゆるヒューマニズムの陥し穴がそこにあると申せましょう。】(藤元正樹『ただ念仏のみぞ』123ページより)

 
 つるつるの『青年将校』。当然靖国神社総理公式参拝に反対する。
 しかし、直感だが、次の戦争準備を始めているのも『青年将校』の気がしてならない。
 『ネオ優生思想』と、私は感じる。やっぱし、ある種、っちゅうか、戦後民主主義の中で『善』である事をしてるわけだし、なら当然「私が責められる必要はない」になるんだし。それは慚愧の忘却でしかない。
 しかし、私は決して非戦、反差別を辞めようとは思わない。辞めたら慚愧も出来ないし。両方とも仏道を歩む中での事ではないのか?
 「みんなと一緒に生きたい!」と願う道を歩むが故に「全くそんな事を願っていない自分自身」を見出す事が出来るのだし。

家族写真

2006年08月13日 | 坊主の家計簿
 8月13日

 外食    酢豚定食        750円
 雑費    レンタルDVD      100円

 合計            850円
 8月累計        53856円

 14、15と。。。
 と云う事で、近所の大盛り中華定食屋で定番の酢豚定食。ここにくると殆どの確立で酢豚定食を食べている。まあ、それだけ満足させてもらえる定食なのであまり他に興味が向かない。海老天定食もエエが、やはり酢豚定食である。
 で、『14、15と。。。』なので、帰り道にあるレンタル屋に。
 バイクの後ろに荷物を満載したジャケットの映画があった。旅行前でもあるし、興味がそそられて手に取る。
 『モーターサイクルダイアリーズ』、チェ・ゲバラの映画だったのね。。。なにやら続編(?)もあるみたいなのでチェック(http://www.at-e.co.jp/details/atvc135.html)。

 映画の最後にはチェ・ゲバラを『変えた人達』が、要するに旅先でチェ・ゲバラが出会った南米の人達がスチール写真で出て来る。

 別にこの映画を観て私は南米にもキューバにも行こうと思わない。今度16日から旅行に行くが、基本的に私が『旅』してるのは『ここ』だし。

『無名の人の存在感』

2006年08月12日 | 坊主の家計簿
 8月12日

 外食   餃子中華丼            609円
 本    森達也『放送禁止歌』       680円
 食類   そば焼酎            1598円
      寄せ豆腐             105円
      水茄子ヌカ漬け          200円
      菜の花からしあえ         128円
      豚肉               299円
      発泡酒              175円

 合計             3794円
 8月累計          53006円

 仕事が終わって、3時のおやつっちゅうか、遅めの昼飯。なんか無性に王将の餃子が食べたかったので王将へ。毎度かわらずの王将餃子の味。
 で、諸々買いものしつつ、今日はサボリモードに決定。帰りに本屋に寄ったら『放送禁止歌』が売ってたのでゲット。面白かったので一気読み。
 三上寛の『夢は夜ひらく』が放送禁止だったとは知らなかった。。。
  ♪子供を背負った泥棒よ
   キャベツひとつ盗むのに
   涙はいらないぜ
 が、「犯罪を誘発する」とかで放送禁止になったのだろうか?
 っちゅうか、まあ、
  ♪四畳半のアパートで
   それでも毎日やるものは
   ヌード写真に飛び散った
   カルピスふくことよ
 辺りが問題だったのだろう。

 頭脳警察の『世界革命戦争宣言』は放送禁止だったとは知ってたが、当然放送禁止だし、確かこれは幻のファーストに収録されていた曲だったので聴いた事は無かったのだが、
  ♪君達にブラック・パンサーを殺しゲットーを戦争で押しつぶす権利があるなら
   我々にもニクソン 佐藤 キーシンガー ドゴールを殺し
   ペンタゴン 防衛庁 警視庁
   君達の家々を爆弾で破壊する権利がある
 と云う平和な歌詞だとは知らなかった。
 これは無茶苦茶『平和』な歌詞である。何故なら、それこそが当時の言葉でなら『権力』が望んでいた事であり、正々堂々と弾圧出来るわけだし。旗をつけた竿で武力闘争をするならば、『権力』だって表立って弾圧出来ない。あくまでも市民の抗議行動だし。しかし、『爆弾』なら話は別だろう。で、当然武力なら『権力』の方が持ってるわけだし。しかも、こつこつとピース缶で爆弾なんぞ造らなくても公然とした兵器がある。射程距離がたかが5キロ程の命中率が悪いロケットなんぞは戊辰戦争でもどれだけ通用した事か。平和な時代だったんだ、と、再確認する。
 と、戦後民主主義の『よゐこ』だった全共闘にイヤミ。
 で、改めて共産党の政治路線は正解だったと感じる。しかし、だったら政権とるような勢いを取らんか。社民党が民主党と協力するなんぞという話も聞いたが、共産党は何をしとるねん。共産、社民の両党が中心になって左派政党をなぜ作らん。
 
 あ、話が。。。

 『放送禁止歌』は優れたドキュメント本だ。
 マスコミ内部でもあまり知られていなかったらしい(森達也自身も知らなかったらしい)『放送禁止歌』がとっくに消滅してて、また、あくまでも外部からの圧力、例えば解同からの圧力でなく『自主規制』でしかなかった事を調べ上げて行く仕事は素晴らしい。

 で、感想なんだが、森達也が「今の方がキツくなってる」みたいな事を確か書いてあったと思うのだが。
 多分森達也とは違った視点なんだろうが、私も感じる。
 『自主規制』
 罪は作らない、失敗しない。
 この辺は森達也の視点と同じなんだろうが、人間は機械ではない。森達也なら「善悪の二元論で解決出来ない部分にこそ『優しさ』と云う事があるのではないか?」みたいな云い方になるんだろうが。

 本を読んでて気になった部分は沢山あるのだが、二つだけ引用
  【複数の意見の折衷案からなるドキュメントなど、本来ありえない。なぜならドキュメントは「単独の視点」であり、「個的な世界観」を表出することにその存在理由があるのだから】(同書84ページ)
  【「他人の意見への同調でなく、自分の頭で考えること」
   解放同盟の西島藤彦は、インタビューの後半では願うように何度もそう口にした。】(同書101ページより)

 結局『責任不在』。

 で、もう一丁
 【・・・・・確かに糾弾はあった。僕もようやった。怖い思いをさせた事は事実やろうね。それは認めるよ。だけどな森さん、勝手な言い分と思われるかもしれんけど、メディアは誰一人として糾弾には反駁せえへんのよ。信念をもっているなら、僕らに反論すればええやないか。でも、反論なんて一回もなかったよ。みんなあっさり謝ってしまうんですよ。僕も糾弾の現場に居合わせたことは何度もあるけど、やってるうちにつくづく情けなくなってくるよ。誰一人として応戦して来えへんのやから。表現を職業に選んだ人たちが、どうしてこの肝腎なときに沈黙してしまうんやって・・・・・、言えた義理やないことはわかってます。でも言えた義理やないけど、僕はつくづく思ったよ」】(解同、太田氏のコメント。同書219ページより)

 やはり自己責任の復権を感じる。連帯責任は全体主義だし、この本で暴かれるような『放送禁止歌』と云う共同幻想でしかないタブーの責任の所在がハッキリしない為に『鵺のようなファシズム』が横行していく。そしてそれらを横行さすのは『権力』と云うアホなものの責任にして気がすんでる人達には生涯気づくわけもない事だと勝手に思うが、っちゅうか、間違いなく気づかないだろうが、『自己責任』を奪って行く人達だと私は確信する。つまり『心優しき人権派のヒューマニズム意識溢れる方々』ではないのか?
 自分が生きている人生での過失を「いいのよ、いいのよ、あなただけが悪いわけではないのよ。あなたをこういう風にした社会が悪いのよ」と云うあれだ。何故かPTAのオバはん口調になってしまうのは個人的経験なので勘弁してもらいたい。

 個人が奪われて行く。例えば『女だから』『男だから』という風潮は消えて行くだろう。全くのナンセンスだし。あるいは、「あいつは民だから」や、「あいつは朝鮮人だし」もそうだろう。全くのナンセンスだし、明確な社会認識された『差別』と云う言葉でもって問題視されている。
 しかし、当然、そんなものは姿を変質させて生き残る。

 昨日、某ブログに対してのコメントを書こうと思って散々迷って結局このブログにチラッと書いて、上手く書けなかったので削除したが、大阪の戸次公正と云う大谷派坊主が書いた『無名の人の存在感』(季刊『浄土』 1989年冬・6~7合併号)と云う文章をやはり思い出す。説明は下手なので感じたままに書くが、この文章は本当に温かくて仕方がない。大真面目に「人間ってエエもんやな~」と初めて感じれる事が出来た文章でもある。

 『無名の人』。そういう『無名の人』に対してスポットライトを当てれる人間は尊敬されたりする。『無名の人』を助ける事が出来る人は尊敬されたりする。
 で、ここからを問題視したいのだが、では、そういう『無名の人』を助ける事もスポットライトを当てる事が出来ない『無名の人』、つまりそれぞれの様々な人生を生きておられる方々、つまり私であったり、私がお参り先で出会う人であったり、王将で餃子を焼いて呉れたオッさんであったり、そういう様々な『無名の人』はどうなる?そういう『無名の人』に対して「何もしない人」等と、一体どういう思想方法でもって、どういう宗教をもっておられるのか?
 
 そこに私は『全体主義からの発想方法』と、『あくまでも個人に立った発想方法』の違いを観る。
 確か、大谷派の廣瀬杲氏が「親鸞はどこまでいっても権力の側に立とうとしなかった人です」とかと書いてあった(南御堂での講義)と記憶しているのだが、ん?「親鸞はどこまでいっても権力の側に立てなかった人」だったかな?
 それは、『無名の人の存在感』という事だと私は感じる。

 ちなみに私は以前に若干有名だった時代がある。ようするにマスコミに取り上げられた。
 当然、通ってたフリースクールだったり、『聖カミソリ』という初めてやった飲み屋だったり『坊主バー』と云う2番目にやった飲み屋を通じてだが。そういう『余里径倶楽部の』『聖カミソリの』『坊主バーの』でなく、『無名の人の存在感』。それで思いっきり楽になれた。
 なので、そういう『無名の人の存在感』を否定する思想・宗教には真っ向から批判する。当然、そういう私自身も批判する。


 ♪人が生きとるネー 
  人がそこで生きとるネー
  人がおるんヨネー
  人がそこにおるんヨネー
  (吉田拓郎『唇をかみしめて』より)

パンクス

2006年08月11日 | 坊主の家計簿
 8月11日

 雑費   缶コーヒー     120円
      石鹸3×2     414円
 食類   モロヘイヤ     120円
      発泡酒2      350円
      ミンチ肉      110円
      もやし        49円
      キムチ        88円

 合計           1409円
 8月累計        49212円

 仕事後、本堂で雑用。初盆の法要に向けて。
 終わって、「う~ん。。。買い物に行こうか、明日にしよか。。。」と迷いながら家事してたら結構ええ時間になったので、また今度やな。
 雪駄の新しいのをこの間下ろしたので『おニュー』が無くなったので買っとかなあかんのと、エビオス錠もこの辺で買うのと街中で買うのとでは200円~300円違うし。夏服のバーゲンも狙いたいし。どうせ最近は定番もの、もしくはアジア&インド系のあっさりしたのしか買わないのでこの時期に買って置いた方が安いのだ。
 
 &、やはり飲みに行っておいた方がイイ。飲みに行かずにいきなり今治に行くのは危険だ。なんせ今治は『焼き鳥』と『焼豚玉子飯』が名物と云う危険な街だ。私がハマる事間違いなしの街だ。よってこのまま飲みに行かないと、どこの街にもある怪しい一角に必ずある怪しい連中が溜る怪しい店に潜り込んで飲んだ呉れる事が眼に見えている。2年前に高知でジャズ店を2件ハシゴして、次の日に二日酔いで旅先で地獄を見る過ちを繰り返してはならない。っちゅうか、別にエエのだが、旅のよき想い出なんだが、一応バイク旅行だし。

 と云う事で、今日は街に出るのを辞めて早く寝る準備の為に夕方から酒飲んでます。予定就寝時間は21時なり。ん?22時にするか。セリーグの首位攻防も地上波ではやってないし。
 思うのだが、NHKが中継しようが、他の民放が中継しようが、やはり阪神はサンテレビでは必ずやるべきではないのか?サンテレビほど阪神タイガースを愛してる放送局はないぞ。
 と、書き垂れつつラジオで阪神戦を聞きながら書き込む。
 桧山、よっしゃ!

 
 ちょこっと気になる日記(8月10日)を昨日寝る前に読んだ。
 だいたい私は前の日の深夜に読めなかった時以外は、自分の所の掲示板なりブログなりを先に書いてから歯磨きしながらよそのブログなり掲示板を読む。で、他の諸々のニュースや、その他身の回りに起った出来事なども含めての所感を書いている。まあ、『気になる事』は朝起きても気になってるし。

 で、若干、上記リンクを読んで問われた事を考えながら書いてみる。
 例えば私が上記リンクの文章に対して、「だから女はダメなんだ。当然全ての女がダメというわけではない。しかし、底に流れる精神はこんなものなのではないかと言ったらいいすぎだろうか?」
 と、書くと当然問題だと私は感じる。それは『一人一人』を無視した非常に横暴な思考方法だ。単なる差別であると私は感じる。
 しかし、当然『社会認識』という事もある。『男としてどういう風に育てられて来たのか?』それは一つの解体の手がかりにはなるのかも知れないが、でも、その発想自体が横暴ではないのか?『時代』『社会』だけでなく、『個々』として違う。
 
 当然、自分自身の体験から「私はこういう風に社会に影響されて来たので『男』としての息苦しさを感じます」のなら構わない。
 メンズリブでも個人からの出発なんだろうし。その上で、では、私が影響された文化はどういうものだったのか?と云う話なんだし。でも、それが例えば同時代の全ての男性に通じるわけがない。共感、同感を呼ぶ事は出来ても、全てに通じるわけがない。
 個々から始まるからこそ力になるのではないのか?それは個人の解体作業でもあるが、個々である。

 しかし、だからこそ、『個人』と云う存在を無視する横暴な精神はやはり『許せない』
 と、『許せない』とやはりなってしまう。
 『許せない』とは他人事ではないのか?確かに気は済む。
 『やられたらやり返せ』は気が済む。でも、気分だけスッキリして何ら問題の解決にはなっていない。

 親鸞ならどうするのだろうか?
 と、ふと、酔っぱらった頭で考える。当然、書物をひもとく気力はない。諸々、『親鸞』『真宗』と云う名で聞いて来た事を思い起こす。
 「オマエも、同じやんけ。差別された事をかさに来て、差別しかえしてるだけやんけ」
 と、酔った頭に響く。
 『許せない』と云う事で、相手を斬り裁く。諸々の学んで来た事でもってエリート意識をかさにきて、斬り裁く。

 「悲しいね」と、恩師の声が聞こえる。

 【『我々は不善法を行じたことにより、長いこと近親を滅ぼすことをしてきたのだ。それならば、我々は善法を行じようではないか。では、どのような善を行じたらよいのだろうか。そう、我々は殺生を禁じよう。我々はこの善法を受持することにしよう。』 】(転輪聖王獅子吼経より)

 【吾々は、かならず卑屈なる言葉と怯懦なる行爲によって、祖先を辱しめ、人間を冒涜してはならなぬ。そうして人の世の冷たさが、何んなに冷たいか、人間を勦る事が何であるかをよく知ってゐる吾々は、心から人生の熱と光を願求禮讃するものである。】(宣言より)

 【「かれは、われを罵った。かれはわれを害した。かれは、われにうち勝った。かれは、われから強奪した。」という思いをいだく人には、怨みはついに息むことがない。
 「かれは、われを罵った。かれはわれを害した。かれは、われにうち勝った。かれは、われから強奪した。」という思いをいだかない人には、ついに怨みが息む。
 実にこの世においては、怨みに報いるに怨みを以てしたならば、ついに怨みの息むことがない。怨みをすててこそ息む。これは永遠の真理である。
 「われらは、ここにあって死ぬはずのものである」と覚悟をしよう。ーーーこのことわりを他の人々は知っていない。しかし、このことわりを知る人々があれば、争いはしずまる。】 (ダンマパダより)

 私が生きてる中で様々な罪を犯す。当然、差別だってするだろう。また、社会構造的な差別だってある。また、されるだろう。
 罪は罪である。私が犯した罪は告発してもらいたいし、私がされた罪は告発したい。

 糾弾とは個人との出会いではないのか?

 私は『在家』出の『役僧』である。よって、
 「オマエは在家出だからダメなんだ。」なんて云われたくない。「オマエはオマエだからダメなんだ」と云われたい。
 「オマエは役僧だからダメなんだ。」なんて云われたくない。「オマエはオマエだからダメなんだ」と云われたい。
 同じく
 「オマエは高校中退だからダメなんだ。」でなく、「オマエはオマエだからダメなんだ」と云われたい。
 「オマエは両親が離婚してるからダメなんだ」でなく、「オマエはオマエだからダメなんだ」と云われたい。
 私の人生は私のものである。どんな私でも私である。

マフラーは腹巻きだ

2006年08月10日 | 坊主の家計簿
 8月10日

 雑費    タバコ           300円
 銭湯    だんじり湯         370円
       マッサージ機       1000円
 外食    回転寿司          577円
 
 合計            2247円
 8月累計         47803円

 11、12、13、14、15。バンザーイ!バンザーイ!
 ♪もういくつ寝ると、夏休み~

 と云う事で、ド疲れモードなので原チャリ孫一に乗って『岸和田だんじり湯』へ。
 入り口の結構大画面テレビでだんじりのビデオが流れていると云う、非常に観光客用みたいなんだが、近所の中学生が結構真面目に観てたり、帰り際のオバちゃんが「お、○○町や」と、観光客向けでもなんでもなく非常に地域に根ざした銭湯(一応温泉らしい)。
 っちゅうか、春木が観光地であるわけもないか。。。しかし、すぐ近くに『岸和田だんじりラーメン』もあることやし、さすがは岸和田の中でもいわゆる『岸和田だんじり』の南海岸和田駅の近辺の浜町よりもよりホットな春木や。今年は春木のだんじりを見に行こ。
 
 で、ド疲れモードなのでマッサージ機三昧。15分200円を2回。15分300円も2回。合計1000円で1時間のマッサージ機三昧。
 だいたいやな、この辺の今年の気温はおかしいぞ。37度ってなんやねん。連日それぐらいの気温をたたき出しやがってやな、正気とは思えんぞ。んが、何故かここ数年よりも私個人の汗の量は減って居て、例年なら首からかけている『輪袈裟』と云うのの首の部分が汗で濡れるのだが、今年は全然平気。
 んが、内蔵系に来てて、お腹の調子が悪い。
 そういう時は腹巻きなんだが、腹巻きを持ってないし、近所で売ってなかったりする。なのでタオルを巻いてみたが少し短くて無理。上から腰用のバンドを巻くと、まあ、腹巻き代わりにはなるのだが、キツい、っちゅうねん。
 「なんかないかな?」と、諸々迷っていたんだが、みっけ。
 マフラーである。マフラーなら長いので十分腹に巻き付ける事が出来る。しかも夏場には居場所のないマフラーだ。夏場の活用方法でっせ。
 試しに、冬にビール買ったらおまけで付いて来たフリースのマフラーを腹に巻いてみる。キツくない。しかも多少の弾力性もあるので非常にエエ感じである。

 そういや、このフリースのマフラーは『マフラー』として使われた事が一度もない。別の気に入ったマフラーが数点あるし。なので、主に折り畳んで昼寝する時に眼の上に置いて『簡易アイマスク』としてしか使われた事がないのだが、しかし今回は腹巻きとして新たな価値を私に見出され、これからの夏は活躍してくれる事であろう。
 そういや、他のマフラー達が春になるとさっさと洗濯してなおされたにも関わらず、こいつはずっと放ったらかしたマンマだし。結構、地味に手荒い扱いをされながらも頑張ってくれてるやんけ。感謝、感謝。
 しかし、マフラーとしては生涯使われる事がないだろうが。ついでに腹巻き買ったら、また『アイマスクみたいなもん』としてしか使われないだろうが。
 と云う事で、新たな使い道も発見したし、旅行にも持って行こ。

 と云う事で、夏場に「ビールばっかり飲んでて、お腹が冷えてしゃーないわ。でも、腹巻きってバカボンのパパみたいやん。なんかイヤ」と云う人、そういう時はマフラーを引っ張りだして来てお試しあれ。なに、単なる長い布やねんし。

 そういや、今度行く四国・香川には、大阪と違って腰の強いうどんがある。で、その腰の強いうどんを使ったSMクラブがあるらしい。まあ、あれもきっと『単なる弾力性のある長いもの』としての発想だろう。で、身近にあった『弾力性のある長いもの』としての『うどん』だったのだろう。香川県人は『ゴム飛び』じゃなくて『うどん飛び』らしいし。
 まあ、大阪のガキがビー玉の代わりにタコ焼きを転がしてると云う独特の文化を持って居るのと同じなんだろう。『パイ投げ』じゃなく『お好み焼き投げ』と同じなんだろう。でも、『お好み焼き投げ』は熱いねん。まあ、罰ゲームやからしゃーないんかも解らんが、早く大阪にも『パイ投げ』が来る事を望む。

「今日はこれくらいにしといたるわ。」(池乃めだか)

2006年08月09日 | 坊主の家計簿
 8月9日
 
 雑費    自転車の鍵            800円
       滑り止め軍手           128円
       ガソリン             393円
 外食    豚汁オムレツポテトサラダ飯    558円
       ミニSD512&カードリーダー  6721円
 食類    万願寺とうがらし         104円
       発泡酒              175円
       豪州牛肉             222円
 合計             9101円
 8月累計          45556円

 携帯電話用のSDカードとパソコンに読み取る用のカードリーダー購入。ついでに実験も成功。
 しかし、パソコンとかiPodとかで感覚が麻痺して512MBのミニSDを買ったんやけど(まあ、ポイントもあったし)、どれだけ写真撮れ、っちゅうねん。。。

 と云う事で、昨日の疲れを見事に今日に引き継いでいます。
 でも、昨日、「しんどかったし、当番休もうかな。。。」と思ってたんやけど、でも、坊主バーに行って正解やったな。かなり面白かった。
 一人の兄ちゃんが、「普段はこんな事を別に考えているわけじゃないねんけどな」と云いながらも結構、レゲエ→ヒップホップ→被差別などの話をしてたし。
 そういう『場』はやっぱし大切にしなあかん。

 けど、体がお疲れ。

 しかーし!少しだけ気合いを入れて、蚊に刺されながら孫一を洗う。
 &先日買ったおしぼり10枚と、仕事柄結構貰えるタオルの中で自分で使う分(柄物は誰かに押し付ける)を使用準備。
 洗って、洗って、糸くずを取り、また洗って、洗って糸くずを取る。干す時も普段以上に気合いを入れてパシパシして糸くずを飛ばす。
 まあ、今日はこれくらいにしといたるわ。

そば

2006年08月08日 | 坊主の家計簿
 8月8日

 雑費    タバコ          300円
 食類    中華そば         189円
       塩ラーメン        304円
 飲み代   坊主バー(当番料金)  1450円
  
 合計            2243円
 8月累計         36455円

 葬儀の控え室で住職が「森達也の放送禁止歌)読んだ?」との事。
 数日前に「亀田は体力もあるねんし西成に帰って土方したらええねん。」とコメントの返事で書こうと思って
 「ん?『土方』って問題あったかな?」と、ちらっと検索した時にたまたま検索で引っかかって気にはなっていたのだが(まあ、そのへんの文章は長くなるので削除した)、改めて勧められて気になる。
 &、最近書きなぐっている部分とかなり共通する部分もあるみたいなのでチェック&メモ。

 と云う事で、忙しい一日。葬儀終了後、当然メシ喰わず腹を空かせて車を走らせていたら『新日鉄堺そば』との看板。
 う~ん。。。多分『ひきぐるみ』だろう。『更科』ではないだろう。黒みがかったそばだろう。
 しかし、あまり美味そうではないな。『南海難波駅そば』も不味そうだが、『新日鉄堺そば』も不味いだろう、きっと。これが例えば『善光寺そば』とか、『貴船神社そば』なら美味そうだが、『新日鉄堺そば』は美味そうではないな。。。

 と、思いつつ、お参りがひと段落してかなり遅めの昼飯の『中華そば』
 今日は夕方遅めのお参りが2件あったので、時間潰しにテレビを観てたら『広島と長崎で二度被爆』のお爺ちゃんの特集をやってた。で、何やらそのお爺ちゃんのドキュメント映画の中には、色んな国の若者の意見も諸々入ってた。当然、そのお爺ちゃんの体験を知った事に対するコメント。
 ある中国の娘さんのコメント。
 「第二次世界大戦の上では公平な事だったと思います。日本だって中国で虐殺したんだし」
 撃て。中国に核ミサイルを撃て。日本は原材料も技術も装備も揃っている。つまり数週間あれば核ミサイルを造れる国家である。中国のあの娘さんめがけて撃て。撃って戦争の悲惨さを教え込んでやれ。
 日本が中国に侵略して虐殺したのは間違いない。その事を別に誤摩化す気は私はない。でもそれはあくまでも『戦争の悲惨さ』の問題であって、『原爆投下が公平な事であった』等と云う戦争肯定論には真っ向から反対する。だいたい中国なんぞアメリカに負けず劣らずの帝国主義国家じゃないか。まあ、『中華思想』なんだろうが。日本は別に『中華そば』ではないぞ!

 と、下らん事を思いつつ、夕方のお参りを済ませて、結構フラフラだったのだが、約束だったので坊主バーへ。
 以下、削除。

 
 中心と周縁。
 上座のそばで蕎麦を喰うよりも、平座でマンモス西と一緒に饂飩を喰え。


 あ、写真は、おニュウ携帯初写真。画像サイズを小さめにした事もあってか、結構きれいやな。

埋め立て地

2006年08月07日 | 坊主の家計簿
 8月7日

 雑費   散髪           2000円
      孫一メンテ        2400円
      おしぼり10枚       475円
      タバコ           300円
 食類   豆乳            208円
      発泡酒           175円
      天然水4本         276円
      海鮮鍋つゆ          50円
      カモ鍋つゆ          59円
      麺つゆ            98円
      かけそばでっせ        59円
      ゴーヤ            75円
      カップ麺2個        190円

 合計           6365円
 8月累計        34212円

 しゃて、旅行の宿の予約も済ませたし、後は、、、っちゅうか、まだ仕事やっちゅうねん。
 
 少し早いが明日葬儀なので散髪。
 原チャリ孫一のライトがちょうど旅行前に切れてくれたので、オイル交換も含めてバイク屋へ。
 夕方前のエエ感じ。
 ハンカチに使ってるおしぼりも買って、夕日の方へ。
 と云っても今日は公文の課題をしないといけない日だったので、近所の埋め立て地へ。海側は夕日で、山側にはお月様。結構ええ感じ。
 埋め立て地。海を埋め立てる。『海』と云う場所に住んでいる多くの『一つ一つ』の生きものを無視して埋め立てる。

 さっき、タバコが切れたので23時ギリギリでタバコを買いに行った。何やらタバコの自動販売機も2008年(?)からは未成年に売らない様な認証システムを取るらしい。きっと、男ならタバコの自動販売機の前にチンポを出すのだろう。で、「コノチンポハリッパナセイジンノチンポデス」と認証システムによって認められて初めてタバコを買う事が出来るのだろう。女ならマンコをだして同じく「コノマンコハリッパナセイジンノマンコデス」と認められて初めてタバコを買う事が出来るようになるのだろう。
 
 世の中がどんどん綺麗になって行く。穢れた夜の世界の青年は排除され、あるいは更生の対象になる。『心傷ついた可哀想な人』と勝手に烙印を押される。
 「ボランティアをしなければなりません」と全体主義者が叫ぶ。その声に同調しない人は「何もしない人」「自分勝手な人」の烙印を押される。
 ブルドーザーで、誰かの環境にとって都合の良いようにどんどん埋め立てられて行く。
 その都合に同調出来る人にとってはそれは『解放』だろう。きっと『良い事』だろう。

 野良犬を最近みない。
 そのうちに深夜にたむろしてる青年も居なくなるんだろう。
 健康的で健全な世の中で
 とても気持ち悪い世の中。
 自殺者10万人突破間違いなし。

マクロモード

2006年08月06日 | 坊主の家計簿
 8月6日

 雑費    100円ショプ10点    1050円
 食類    ポンジュース         178円
       ところてん           68円
       山芋             151円
       オクラのおかか和え半額     69円
       きぬこし豆腐          78円
  
 合計            1594円
 8月累計         27847円

 と云う事でauに。ちなみに全部タダだった。あったり前か。
 で、帰りに携帯カメラをバンバン使う予定なので保護フィルムを100円ショップで買う。ついでにα-リポ酸+CoQ10のサプリメントと、カルニチン+CoQ10などのサプリメントを買う。
 ちなみに私は身長(チン長は秘密)172センチで、体重が65ぐらい。体脂肪は一年程前に電気屋で計ったら16ぐらいだったし、これ(http://www.soukai.com/main/himando/)でも肥満率は0なんだが、だな。なんせ、以前はもっと痩せていたので気になる。しかも、立ってると気にはならないんだが、座るとお腹の肉が掴めるので、「貯金、貯金」と言って遊んで居るのだが、最近、夏場なので平気で腹を出している女人の腹を観ると、「ああ、スリムってエエもんやな」と、もう少しだけしぼろうと少しだけ決意。まあ、ウエストキープしとかんと、またジーパン系を買い直さんとアカンし。
 
 と、結構、神経質で完璧主義だったりする。

 しかし、今日はクソ暑かった。。。ほぼ全員と
 「今日は暑いなぁ~」
 「いや、ほんまクソ暑いっすね~」
 と挨拶を交わす。
 こういう挨拶が好きである。お互いの気持ちを確かめあう。その他の
 「今日は37度ぐらいまで上がるらしいっすよ」とか、
 「兄ちゃんも、このクソ暑いのに大変やな」
 も好きだが、もっと基本の『お互いの気持ちを確かめあう』事が好きだ。

 今日は広島原爆の日。残念ながら忙しかったのでそういう会話は出来なかった。
 でも、これから8月15日までの間には恐らくそういう話も出て来るだろう。
 「兄ちゃん、戦争はあかんで」
 「いや、ほんまでっせ」
 と。

 別に非戦デモをする事だけが非戦運動ではない。
 戦争反対のメッセージソングを歌う事だけが戦争反対の意思表示ではない。
 
 数年前に、某バーに行ったら「平和を望むのなら、このリボンを結んで下さい」というようなものがあった。
 私は平和は望むがリボンは結ばなかった。それどころか「お前等、このリボンで首くくれ」とは云わなかったが、かなりボロクソに批判した。カルト宗教か、っちゅうねん。。。

 『行動』が好きな人が居る。例えば先に書いた様な
 「兄ちゃん、戦争はあかんで」
 「いや、ほんまでっせ」
 と云う会話で気持ちを確かめあう事も私は立派な行動だと考えるのだが、そうは思えない人が多く居る。
 不思議な話だ。
 「兄ちゃん、日本がこんな状態やのに、なにをお参りなんかしてまんねん。まだ若いねんから戦争に行ってこなあきまへんで」
 「そうや、オバちゃん。ホンマやで。俺、明日志願兵の募集に行ってくるわ」
 と云う話ではないのだが。
 または
 「兄ちゃん、戦争はあかんで」
 「オバちゃん、何を云ってまんねん。戦争してあの国を解放せんと、あの国で人権を奪われている人達はどないしまんねん。オバちゃん、自分の国さえ良かったらそれでエエっちゅうのはおかしいでっせ」
 という話でも当然ない。

 ささやかな日常の会話。ほんの挨拶程度。でも、その中で
 「戦争ってイヤやな」
 「ほんまやな」
 と、互いの気持ちを確かめあう事も立派な非戦行動だし、それは肩肘はった集会やデモや、「平和の為にリボンをくくりましょう」等でなく、『日常』だからこそ『力』があると私は思う。

 当然、それだけではあきたらずに例えば非戦デモに行くも良しだし、集会に参加する事も構わない。
 ただ、例えばデモや、集会や、その他諸々の方法だけが非戦『行動』であり、日常のささやかな挨拶に意味がないとするのはおかしい。神経質で完璧主義者の私は徹底批判する。
 それは先にリボンの話が出たバーでも感じた事である。何か特殊、あるいはホワイトバンド的なありようこそが素晴らしく、
その他には意味を見出せない「何もしないヤツ等」的なありようは単なる優等生的である。解りやすく云うと
 「じゃあ、オマエは何をしてるねん。何か行動したのか?」
 と云うあれだ。

 これが私は大真面目に怖い。昔散々言って来た気もするが怖い。
 上に上に登ろうとする。そういう在り方。
 差別化、と言ってもいいのかも知れない。差別化する事によって『違う』という事、いや、『違う』ではないな、「俺はお前等と違う」と言う、厳密に云うと「俺はお前等より上だ」か。

 当然、私も上を目指す。神経質で完全主義者の私は当然上を目指す。
 なので、「俺はお前等と違う」「俺はお前等より上だ」を否定する。
 当然、私もそう思ってしまう。しかし、そういう『私』を否定する。否定する事によって『私自身』を回復する。

 包み込む。
 祓い清めて上を上を目指すのでなく、包み込まれる。

 新しい携帯電話のカメラにはマクロモードと云うのが付いて居る。
 小さい、小さいものを接写出来るらしい。

 星を見つめ、青空を見つめ
 「綺麗だね」って
 雑草を踏みにじって言う。
 虫けらを踏み殺して言う。

上座と平座

2006年08月05日 | 坊主の家計簿
 8月5日

 雑費   タバコ          300円
 晩飯   野菜炒め鳥甘酢飯     484円

 合計           784円
 8月累計       26253円

 お仕事忙し終わって電気屋へ。
 auに変更にあたって気になっている部分(Macだし。。。)を数点店員に聞いて変更してもらう。
 「40分程お待ち下さい」との事。店内をうろつく。
 「ん?えらい遅いやんけ。。。」と携帯コーナーの受付に行くと何やらトラブルがあったらしい。もう少しかかりそうなので一度家に帰る。この段階でもはや7時前。
 もう一度出掛けるが、んが、まだ。8時過ぎ。何やらauのシステム障害らしい。そら、まあ、しゃーないわな。そんな事もあるやろ。んが、店員、っちゅうか多分バイトのネーちゃんがやたらと「9時まで」と云う。当然21時の方の9時だ。
 「9時に何かあるんですか?」と私。
 「9時になるとauのサービスセンター(?)が終わるんですよ」
 若干キレる。若干しかキレなかったのは腹が減ってて&仕事が忙しくってキレる体力も気力もなかったし、まして昨日も今日の夕方も仕事の帰りに寄ったわけだし、つまり坊さんルックのまんまで店に行ったので、まあ、あんまりキレるのも良く無い。まして地元だし。
 よって「そんなもん徹夜せえ」と云う言葉を噛み殺して
 「それはおかしい」とだけ静かに云うとバイトのネーちゃんも
 「そうですよね、おかしいですよね」と、また電話する。
 「電話代わってもらえますか?」と何度か頼んだのだが、それは無理らしい。まあ、このバイトのネーちゃんには昨日、今日と結構ややこしい質問(Macだし)をした恩義があるので強く出れないし。
 しかし、客が携帯の変更している最中のトラブルであり、つまり私は携帯電話が使えない状態である。当然仕事でも使う番号であり非常に困る。それは関西全域のトラブルらしいので他の被害者もいるはずである。そういう状況下であるにも関わらず、恐らく定時であろう9時に普段通りに仕事を終わろうとするauになど信用はない。
 腹が減ったので、近所の食堂へ。とりあえず腹が減り過ぎて脳味噌も動かんし、怒りっぽくなっている事だけは確かだったし。
 腹を満たして9時前にもう一度店に戻る。ネーちゃんは相変わらず電話でauのセンターと連絡を取っている。
 飯喰って落ち着いたので、とりあえず解約する事を告げる。「ツーカーに戻せませんか?」と。またまたネーちゃん電話で聞く。無理らしい。だったら11月から携帯番号そのままで他社に移る事が出来るので、2年契約の『マイ割』を契約破棄する事と、その違約金は払わない事の交渉に。
 気を効かしたネーちゃんは「では、マイ割料金のままで11月まで行けるかどうか交渉してみます」との事。まあ、みすみす客が逃げるのを避けようとするネーちゃんの根性は見上げたものだ。さすがは元ヤンキー(ぽかった)だ。
 んが、当然無理。
 結局、通常料金でしばらくauを使う事になるだろう。しかし、auと云う会社は全くダメだ、と云う事が体感出来たので11月にはさっさとドコモがソフトバンクに移るが。
 だいたい、最初に「電話を代わって」と私が言った時に、電話の向こうで「相手はどういうヤツや?」みたいな会話があった事がその後のネーちゃんの「大人しそうな真面目な人ですが」(坊主や、っちゅうねん)の受け答えで解ったので、まあ、電話は代わって貰えなかったが、その後の指示の「ACアダプター(確か900円ちょい)を無料にさせて頂きます」ぐらいで誤摩化そうとした事や、「9時まで」発言で、信用などありゃしない。
 私は別に『携帯中毒』でもなければ明日の日曜日に旅行に出掛けるわけでもない。明日の朝に寺で「すんません。。。今日、ちょっと携帯にトラブルがあって一日使えないんです。定期的に電話しますので、ごめんなさい。。。」で多分なんとかなる。他の私用電話なんぞは用事があればまたかかって来るだろう。
 しかし、緊急をようする事や、また『携帯中毒』の人にとってはかなり痛手であろう。私だって結構痛いし。そういう自分達の仕事に誇りとプライドを持つ事無く『信用』も関係ないauという会社に未来はない。11月にはauからバンバン客が逃げて行って来年そうそうには潰れるだろう。

 人間は決して完璧なものではない。会社だってそうだ。しかし、『会社』と云うものは『商売』というものは信用で成り立って居る。
 それを一番見事に示したのが私は松下電器であると思う。
 松下はあのヒーターの事件によって、名をあげた。多分、あれは経済学とやらの見本になる対処方法だったと思う。それは最近のパロマの時に、「パロマと松下の危機管理の違い」みたいな感じで取り上げられた事でも解る。松下は、あの事件をきっかけに「最後の一台まで徹底回収します」と全てのCMをヒーター事件の御詫び&回収に徹底した。またウチにまでDMを送って来た。そこでかかった費用は莫大なものかもしれないが、しかし、それ以上の広告価値があったと私は観る。様々な形でマスコミにも取り上げられ、パロマでも『善い例』として引き合いに出される。その広告価値たるやもの凄いものがあると私は観る。

 しゃて、亀田報道だが、やはりあれだけの視聴率を稼いだ亀田は捨てれないらしい。また、ジャッジだけの問題にする方向もみられる。でも亀田がどれだけのファイトマネーを貰ったんだ?しかも試合後のコメントもそのまんまだし。
 大切な事は『ボクシング』と云う競技が『プロレス』になってしまったと云う事なんだろうし、ジムの会長(もの凄い怖い顔)が亀田批判を払拭する為にどんなマッチメークを組もうが「ふぁ~ぁ」という話であって、それがまた見事な亀田のノックアウト勝ちならますます『プロレス』らしくて非常にイイのだが。。。

 で、今回の亀田パッシングで高遠菜穂子パッシングを思い出したのは別に私だけではないと勝手に思う。
 【2006/08/03 (木) 「国民不名誉賞」を創設してあの猿どもにくれてやれ。】(http://www.diary.ne.jp/user/31174/)
 ちなみに私も日本人ではあるが、別に亀田のボクシングの試合は日本国の税金を使って行なわれたのではないので、別に『日本人』としてベネズエラ国民や、亀田の相手選手などに謝罪する義務もなにもない。あれは亀田等が勝手にやった事だし。ついでに、例えば酒場等で飲んでる時にベネズエラのヤツが「オマエは亀田の事に対して日本国民として謝罪しないのか?」と云われたら、多分そいつが謝罪するまで追い込む。そんなもんは知っちゃこっちゃねえ。
 また、勝谷氏に影響されたのかベネズエラ大使館に謝罪のメールなどを送っている人達も結構いるらしい(http://sports.nifty.com/cs/headline/details/bt-ym-20060804i517/1.htm)。2000件っちゅうのはすんごいな。

 あ、話が。。。
 私は高遠菜穂子達の事件の時に確か掲示板の方で『左翼が死滅する時』みたいな事を書いた。恐らく今でもなんだろうが、いわゆる『左翼的』な人達の多くは今回の亀田達の様に押し切ったのではないのか?私は解りやすく揶揄して書くのが好きなので「彼女達みたいな素晴らしい行動をした人達が、何故、何もしない人達から批判されなければならないんですか?」とか、正義の行動なら何でも許されると『信じ込んでいる』人達。
 当然、あの時でも邦人救出の義務はある、故にその後に私からみたらわけわからん高遠事件の後にイラク入りして殺された人でも救出しなければならない。それは「どんな人でも」と云う条件だからである。しかし、あの時もそうだったし、恐らく今現在の方が解りやすくなって来ていると感じるのだが、やはり「高遠さんは素晴らしい」と。で、あの時に私が怒り想像していたように結局高遠氏はあの事件をきっかけに金を稼いでいる。で、変わらず左翼的な人達は持ち上げ「素晴らしい人」と。
 
 特に最近、非常に感じるのだが、左翼パッシングが強くなって来ている。それは「あいつらカルトと同じやで」とある人が云ってた事が端的だろう。ほぼ、20年くらい前なら右翼が思われていた事と同じ様な状況にあるのでは?と、ふと感じる事が多々ある。
 私はやはり左翼に肩入れしたくなる。多分、仏教徒でありながら思想は左寄りだろうし。故に死滅して貰っては困るのだ。ちゃんと生き残って貰わないと困るのだ。その部分で徹底批判しないと高遠以降、非常に危ない。個人史的感覚で言えば、阪神大震災で『助け合う事』が盛り上がり、オウム事件で『敵(異者)を作り出す事』で盛り上がり、高遠事件で『正義に溺れる味を知った』みたいな感覚がある。

 私は非常に冷血な人間である。今日もバイトのネーちゃんが一生懸命電話して呉れているにも関わらず「au辞めます」みたいな事を平気で言って来たし。血も涙もない人間である。そういう冷血な部分で私は酔う。「俺は冷静に観てるぜ」みたいな感じ。
 また、世の中を斜に構えて見るクセもある。昔からよく云われるように「沸騰したヤカンが熱いかどうかは、手を突っ込んでみな解らん」というあれである。
 でも、手を突っ込んでヤケドしたら二度と突っ込みたくないし、手を突っ込もうとしてる人がいたら「それは危ないで」ぐらいは言う。
 と、非常に偉そう。

 一昨日、ウンコしようと思ってトイレに入る時に「活字、活字」と放って置いた『真宗8月号』をトイレに持ち込んで読んでた。
 【さらに今一つ、私たち自身、自らの主体的意識において、例えば暦を捨てた経験があろうか、そうではあるまい。生まれた時からそのようなものが無かったに過ぎないのではないのか。】(真宗2006年8月号4ページ『樹心佛地』より)
 この誰が書いたか解らんが、この文章が刺さる。
 私には私なりの様々な正義があり、その中で当然自分を『善』とする。偽悪的になる事も『善』でしかない。文中では『生まれた時から』であるが、今現在でもイイのではないのか?
 『暦』の代わりに私は何を『暦』にしているのだろうか?

 危機管理。
 【仏教の歴史というのは、一面から言うと、釈尊にそむいてきた歴史です。あるいは親鸞聖人にそむいてきた歴史だと言っていいと思うのです。そむいたものが、そのそむいたという懺悔を通して、本来の命を回復する。】(訓覇信雄『死して生きる』12ページより)

 よし、今日、あのバイトのネーちゃんには9時半過ぎて電気屋最後の客となって帰り際に「ありがとう。お疲れ様」と言って来たが、やっぱり明日、携帯ちゃんと使えるようになってたら謝って元の契約内容に戻してもらお。やっぱし、偉そうやったな。言い訳としては幾らでも言えるし、書いたけど、やっぱしあかんな。

格差社会

2006年08月04日 | 坊主の家計簿
 8月4日
 
 食類    モロヘイヤ     120円

 合計         120円
 8月累計     25469円

 夏を乗り切るにはやっぱしネバネバもんでっせ。
 &夏休みの旅行計画。

 携帯電話を買い替えようと、急に思い立って携帯ショップへ(っちゅうか、電気屋なんだが)。
 デジカメが欲しくなったんだが、最近の携帯電話はカメラ機能もエエ感じになって来てるし、また、多分デジカメを持ち歩くという面倒な事は私はしないと思うし。
 今はツーカー。一番安いと思ってたら、auがあんなに安くなってるとは。。。ツーカーより『MY割』っちゅうのを使ったら安いやんけ。。。
 と、auに変更。どうせならツーカーが頭を下げにくるくらいまで断固として立ち退きに反対しようと思ってたんだが、auの方が安いし、安易に変更決定。
 と云う事で、携帯ショップで聞いて来た情報プラス、ネットで情報集め。で、クソ疲れた。。。一日終わり。
 
 結局『1円携帯』に決定。ちなみにW41CAと云うやつ。カメラ機能が一番充実してるみたいだし。記号だけなら迷ってたW43Tの方がエエみたいやけど、内容ならW41CAの方がエエみたいやし。んで、他の機種も考えたのだが、別に携帯でテレビ観たないし、音楽もiPodがあるし、ついでにauの音楽ソフトはMac対応してないし。Macは除け者やし。。。

 
 盆栽がある。
 片や、都市計画を無視している雑草がある。

 私は雑草の方に『いのち』を感じる。それは私が盆栽みたいなもんだからだろう。
 盆栽みたいに規定される。窮屈で窮屈で仕方がない。パチリ、パチリと自分で枝を切る。周囲の声に影響されて枝を切る。
 片や、都市計画も人間の意向も無視して育っている雑草。

 飼い犬が居る。
 片や、最近都市部では見かけなくなって来た野良犬が居る。

 飼い犬は野良犬を許せないのか?

 雑草に『いのち』を見る私はホームレスという生き方を認める。認めるが、本人自身が「仕事が欲しい」とか、「部屋に住みたい」のなら話は別だ。

 『2度殺される』と云う言葉が最近頭をよぎる。
 仕事がなく部屋を出て行かざるを得なくなり1度殺される。
 「あの人はホームレスだから」と2度殺される。

 ホームレスという状態が悪いわけではない。そういう生き方があっても別に構わない。本人さえそれでよければホームレス状態は決して穢れではない。

 何を言いたいかというとやな、『ホームレス=不幸』のレッテルはよくない。同時に穢れでもなんでもない。穢れだから祓わなければならないと云う事は全くない。
 それは同じく他の『穢れ』を押し付けられた諸々の状態、生まれ育ちにも通じる。
 「なんとか彼らを私達と同じようにしなければ」というのは違うのではないのか?更生しかり。

 『腐った人間』『腐らされた人間』等と云う。当然それは主観にしか過ぎない。しかし、本人が当然助けを求めて来たら別の話だ。
 だが、
 「なんとか彼らを私達と同じようにしなければ」や
 『腐った人間』『腐らされた人間』をなんとかしようとする事は結局穢れを祓いたいだけなのではないのか?

 家族の復権がささやかれる。
 確かに家族の復権は大事である。真宗なら「同一に念仏して別の道なきがゆえに、遠く通ずるに、それ四海の内みな兄弟とするなり」という家族の復権が大事である。
 決して穢れを祓う為ではない。穢れを祓う為にボランティアをするのでなく、
 「どんな人でも決して見捨てない」
 と云う『親心』(無茶苦茶問題がある表現だが。。。)のもとに一緒に生きて行こうとするのと、『穢れた状態』を祓い清めようするのとは全然違うと私は感じる。

 『環境』を清める。
 『病』を清める。

 よってauはMac対応のソフトを作るべきなんだぁ~あぁ~あぁ。。。

決められたレール

2006年08月03日 | 坊主の家計簿
 8月3日

 外食   鰯天ぷら蕎麦     326円
 食類   豆腐         100円
      ところてん       80円
      タマゴ        158円
      しょうが       100円
      絹揚げ         99円
      ししとう       100円

 合計           963円
 8月累計       25349円

 忙し、忙し、毎月3日。
 っちゅう事で、夕方のお参りを済ませて「ボー」としてます。
 んが、真奈美たんはモズクがキライだったのか。。。「テメー!鹿児島だろうが!」と云ってもしゃーないわな。
 と、テレビの日。

 この間、飲みに行ったらヒマだったのでマスターとダベる。途中、店に女の子から電話。まあ、珍しくない。あの店は『電話相談室』みたいな部分もあるし。しかし、結構酔っぱらってた私はヒマだったので電話内容に聞き耳を立てる。向こうが喋っている事は聞こえないが、マスターの返答でだいたい想像つくし。
 で、恋愛相談。ヒマでしかも酔っぱらって居る私は勝手に想像して「そういう場合はやな、こうしたらエエんや」とか、「う~ん。。。その相手の男の心情はやな。。。」とか煩い客。

 彼氏と数年一緒に住んでた女の子。彼氏の方から「しばらく距離を置きたい」との事。でもその日は久しぶりのデートだった。でも、一緒に住んでた部屋に行って、一緒に晩ご飯を作って食べて、で、彼氏が「疲れたから帰って」みたいな感じ。
 想像も含めてヒマだった私は諸々想像しつつ勝手に喋ってたんだが、マスターがポツリと一言。
 「でも、相手の男は寺の息子やねん。。。」
 一気に評決。「そら、見合いの話が来てまんねんで」

 亀田一家のガキどもを見てて、その裏に子ども時代の虐待を観る。偏見だが、あの親父やし。
 「自分の夢を子どもに託したかった」
 って、そんなに綺麗事では済まない感じを勝手に受ける。
 常に「親父は凄いぜ!」と云う。
 「親父のボクシングが世界に通用する事を証明したかった」と云う。その言葉に嘘はないと思う。あのガキどもは本気で親父を尊敬しているみたいだし。

 これはコメントの方に書いたのだろうか?酔っぱらって書いてるのでどっちに書いたかイマイチ憶えていないのだが、子どもは狼少年にもなれる可能性を持って居る。さすがに大人になってから狼少年になる事は不可能だろうが、でも、基本は環境の中に生きている。その場合に非常に強い影響力を持つのは、やはり身近にいる強者達。

 「逆らうとどうなるんだろうか?」

 「私は寺に生まれ育ちました。で、私はこのまま決められたレールを歩んで行くんだ、と思ってました。でも、決められたレールなんてなかったんだ。」
 とは、坊主道場時代のある人が弁論大会で語った言葉。
 当然、それは『そういう風に思い込まされていた環境を作り出していた人達』との衝突を招く。でも、それが人生っちゅうもんやと私は感じる。

 亀田一家に対して、「今の時代にあれだけ親の云う事を聞く子ども達が居てるだろうか?」みたいな感動してる人も結構聞くが、なんじゃ?軍国少年を作りたいのか?

山伏弁円

2006年08月02日 | 坊主の家計簿
 8月2日

 雑費   回数券           3700円
      洗濯洗剤           198円
      タバコ            300円
 食類   鯖きずし           100円
      ウニ穴子飯          200円
      おくらおかか和え       112円
 飲み代  イタリア居酒屋       2000円
      ドグラマグラ        1400円

 合計             8010円
 8月累計          24386円

 腹が。。。さっき終電で帰って来て、本来ならもっと早い時間に帰って来て晩ご飯にする予定だったウニ穴子飯の4分の1ぐらいを冷やし茶漬けにして喰ったら、一気に腹が。。。残りは明日電子レンジであっためて食べよ。

 と云う事で本日は教団問題の学習会→坊主と飲み→久々のドグラマグラ。

 【聖道の諸教に行証があるならば、吉水の法然の教団、念仏の僧伽を、国権をもって弾圧しようということはないわけです。国の権力をかりて弾圧したということは、聖道の諸教にはこれを自ら行証をもって制する力がなくなっているということになるかと思います。】(蓬茨祖運選集12巻285ページより)

 今日もチラホラ話しに出てたのだが、なして坊主は自分がやっている『仕事』に自信を持てない人が居るのか?
 例えば明日も私は月参りだが、当然自分がやっている事に対する限界は感じる。しかし、その『限界』は逆に云うと自信の裏返しでもある。私は私がやっている『仕事』に誇りを持って居る。持って居るが故に限界も感じる。別に投げ出してなんか居ない。どっかの家に上がり込んで、その家で(多くは)一対一で話せる機会なんて非常に貴重な体験だし。
 だいたい月参りに自信がないねんやったら金返せよな。イヤイヤやってるねんやったら金返せよな。

 で、私は『ヨソ者』だった。『ヨソ者』から教団に入って坊主の仕事をしている。
 大真面目に「大谷派って凄いぜ!」と誇りに感じる。限界は現時点あるにしても。

 よって、大真面目に大谷派教団も、後鳥羽上皇の女官を念仏に帰依さすような魅力をもっと出していけばいいわけであって、例えば今なら、大峰山の行者のそいあいの女人を念仏に帰依さすような魅力を打ち出していけばええわけであってだな。
 ついでにかなり神話化されているんだろうけど&かなりややこしい事情なのかも知れないが、山伏弁円の話もあるわけでやな。。。
 
 と、昨日の続きを若干書いて寝よ。

 あ、帰り道で『ハッピー』の幸子はんに会ったけど、店辞めたらしいねんな。。。知らんかった。

 現在のニフティ検索1位は『亀田 八百長』なり(笑)
 ホンマはそっちの方、つまりカルトは他を責めるが身内は責めない。とか、あるいはこの間の奈良の放火少年が親父に会った時にいきなり頭を下げた、と云う様な『怖さ』を書きたかったんだが、また今度。
 ただ、不平、不満、愚痴、文句、批判が出来るのは非常に『健康的』な事であって、例えば飼いならされた闘犬が飼い主だけには服従するような『怖さ』。

 で、今日も学習会でチラッと出てた問題やけど、『よゐこ』。批判出来ないよゐこ。「いや、それは違う」と云えないよゐこ。「あなたと私は違うんだもの」で引き蘢るよゐこ。
 と、批判仏教が好きな私は感じる。『違い』を徹底的に確かめる為に『私は私。あなたはあなただったんだ』と、それぞれの『個』と同時に『そこに共に生かされている』と云える様な大地の発見なくして、僧伽もクソもないやろ。だいたい自己批判なんぞ甘ったれたもんにしかならんねんし。故に「それは違う。間違って居る。」と云って呉れるのが僧伽やと非常に他人に甘えています。

 あ、歯磨きしな。