8月29日
食類 うに穴子飯 200円
たまご 198円
発泡酒 175円
するめ 168円
うどん玉 18円
つけ麺2 262円
野菜ジュース2 510円
レンタル アドルフの画集 180円
学費 公文 4200円
合計 5949円
8月累計 135168円
シャキッとせんかい、シャキッと。
という感じなのだが、急にシャキッと出来るわけなんやん。と、言い訳しつつ公文後にお買い物。
ドンキホーテに行ったらエースコックの『池袋大勝軒元祖つけめん』というジャンクなものを発見。思わず2個買う。んが、しばらくカレー三昧なので今日は食べてないが。。。メシ作るのが面倒な時に食べよ。
レンタル屋でDVDを2枚借りる。うち1枚は前の不良DVDのお詫びのサービス券があったので無料。意味はないが『三丁目の夕日』を借りる。
『ALWAYS 三丁目の夕日』
美しき過去。記憶を改ざんせよ!
と云う映画。
『アドルフの画集』
きっついなぁ。。。映画としても非常によく出来ていると思う。人間の弱さ、孤独さ、プライドの高さ、等が若きヒットラーを筆頭に「これでもか」っちゅうくらいに描き出されていて、もう、イヤになる。なんちゅうんやろ、最初にダイバダッタの事を御経で読んだ時に、「これは俺やんけ。。。」と感じたのと同じく、もう、映画の中のヒットラーが自分に観えてイヤになってくる。
特にプライドの高さ。史実と同じく若きヒットラーはタバコも酒も飲まない。
で、映画の中で主人公のマックスと公園を散歩してる時にカゴに入れられた鳥を見て「かわいそうだ」と云う。あれが史実かどうかは知らないが確かナチスは動物愛護だったはずやし。ようするに『優れた人間』か。
多分、今の日本に照らし合わせるのなら、別に『神国日本の純血』などとっくに崩壊しているし、再構築も無理だろう。『天皇の赤子』も不可能だろう。例の愛国心教育も当然『日の丸、君が代の強制』という部分ではうっとうしいが、それ程危惧していない。まあ、『根っこ探し』なんだろうが、『根っこ』を強制されるのはうっとうしいだけやし、『愛国心教育』の前にあった議論、すなわち学級崩壊や、モラルの低下の方がうっとうしいし、「議論の結果が愛国心教育け?」と結構笑える。純粋に愛国心を持ち出すなら日米安保は破棄されないとおかしな話だし。国家からの強制はうっとうしいが、それ以外の例えば大阪なら自分達自主的で「河内音頭を学びましょう」とかなら可愛い話だ。『強制』がうっとうしいだけの話だ。
ん?話が。。。
『三丁目の夕日』は先にも書いたが記憶改ざんだ。だが、ある種評価出来る部分もある。別に『進歩』だけが素晴らしいわけではない。っちゅうか、三丁目の夕日の舞台になった時代こそが『進歩』が合い言葉の様になったんだろうし、それは映画の中でも東京タワーが出来上がって行く様子が描かれていたのでも表現されている。しかし、私があの映画で感じた事のひとつは「貧しくたって生きてたじゃん」だ。
確かにあの時代と、『人口が減って来る』と云う今の時代とは全く違う。あんな牧歌的な風景になり得る事などありえない。『三丁目の夕日』の時代や、あるいは『アジア・アフリカの子ども達』でもなんでもイイ。そういう『希望』だな。そういう『希望』など今後あるとは思えない。あの時代の価値観でいうなら絶望しかない。
ヒットラーはユダヤ人を叩いた。日本では『嫌韓流』などもあるらしいが、あんなもんがネット上以外で力を持つとは思えない。そんなものが大手を振っていけるのなら小泉は総理になった最初の年から8月15日に『公式参拝』してる、っちゅうねん。
んが『優れた人』幻想は、ずっと残って居る。別にヒットラーが編み出したわけでもないし。前の日本軍部が編み出したわけでもない。恐らく、ずっと以前から、私の身の体質にまで入り込んだ『優れた人』幻想。端的にいうなら差別。
別に被差別に対する差別や、女性差別等だけの話ではない。『被差別内差別』もあり、また、解同が物取り主義を自己批判してたが、女性解放も『女性だけの解放』に成っている場合も多々感じる。それはエゴ以外のなにものでもないし。
っちゅうか、この辺が私の『優れた人』幻想だな。例えば『論理』『宗教』等でもって『優れた人』に成ろうとする。
映画の中のヒットラーなら『芸術』だな。
そんな迷いの中に居る。それだけの事やな。
夕日というのは好きだ。
以前に配達の仕事をしてた時に、クーラーのない車でクソ暑い中をずっと走ってた。時間に追われていたのでクラクションや罵声を浴びせながら配達する。夕暮れは来る。夕暮れ時、気力、体力がヘトヘトになりながら最後の配達を終えて会社への帰り道。みょうにゆったりした帰り道。「先に行ってええよ」と帰り道。
「シャキッとせんかい、シャキッと」って私は行き道、急ぎ道。っちゅうか、まあ、生きんとあかんし、メシ食わんとあかんし。
吉凶禍福に迷ってるもんが、同じ迷ってるもんを否定できん。批判はするが否定できん。
迷うものエエもんやな。っちゅうか、『迷ってる自覚』か。
そういや、池袋大勝軒は麺が大盛りらしい。あれはきっと「腹一杯食べてや」っちゅう貧乏時代のもんなんだろう。
うどんは、讃岐では「弘法大師が貧しい人達の為に中国から持ち帰った」と云う事になっているらしい。
エエ話やな、夕日やで、夕日。だからいまだに讃岐うどんは『一杯100円』とか云うわけわからん値段で売っとる店が多いんか。あれは当然『商売』やねんやろうけど、一杯100円ってやな、ボランティア価格でっせ。どっからも補助金もカンパも受けとってないねんし、あくまで『一杯100円』で売ったろ、っちゅう根性はええなぁ。
谷川米穀店、このあいだは行かれへんかったけど、今度は行くから待ってろよ。
食類 うに穴子飯 200円
たまご 198円
発泡酒 175円
するめ 168円
うどん玉 18円
つけ麺2 262円
野菜ジュース2 510円
レンタル アドルフの画集 180円
学費 公文 4200円
合計 5949円
8月累計 135168円
シャキッとせんかい、シャキッと。
という感じなのだが、急にシャキッと出来るわけなんやん。と、言い訳しつつ公文後にお買い物。
ドンキホーテに行ったらエースコックの『池袋大勝軒元祖つけめん』というジャンクなものを発見。思わず2個買う。んが、しばらくカレー三昧なので今日は食べてないが。。。メシ作るのが面倒な時に食べよ。
レンタル屋でDVDを2枚借りる。うち1枚は前の不良DVDのお詫びのサービス券があったので無料。意味はないが『三丁目の夕日』を借りる。
『ALWAYS 三丁目の夕日』
美しき過去。記憶を改ざんせよ!
と云う映画。
『アドルフの画集』
きっついなぁ。。。映画としても非常によく出来ていると思う。人間の弱さ、孤独さ、プライドの高さ、等が若きヒットラーを筆頭に「これでもか」っちゅうくらいに描き出されていて、もう、イヤになる。なんちゅうんやろ、最初にダイバダッタの事を御経で読んだ時に、「これは俺やんけ。。。」と感じたのと同じく、もう、映画の中のヒットラーが自分に観えてイヤになってくる。
特にプライドの高さ。史実と同じく若きヒットラーはタバコも酒も飲まない。
で、映画の中で主人公のマックスと公園を散歩してる時にカゴに入れられた鳥を見て「かわいそうだ」と云う。あれが史実かどうかは知らないが確かナチスは動物愛護だったはずやし。ようするに『優れた人間』か。
多分、今の日本に照らし合わせるのなら、別に『神国日本の純血』などとっくに崩壊しているし、再構築も無理だろう。『天皇の赤子』も不可能だろう。例の愛国心教育も当然『日の丸、君が代の強制』という部分ではうっとうしいが、それ程危惧していない。まあ、『根っこ探し』なんだろうが、『根っこ』を強制されるのはうっとうしいだけやし、『愛国心教育』の前にあった議論、すなわち学級崩壊や、モラルの低下の方がうっとうしいし、「議論の結果が愛国心教育け?」と結構笑える。純粋に愛国心を持ち出すなら日米安保は破棄されないとおかしな話だし。国家からの強制はうっとうしいが、それ以外の例えば大阪なら自分達自主的で「河内音頭を学びましょう」とかなら可愛い話だ。『強制』がうっとうしいだけの話だ。
ん?話が。。。
『三丁目の夕日』は先にも書いたが記憶改ざんだ。だが、ある種評価出来る部分もある。別に『進歩』だけが素晴らしいわけではない。っちゅうか、三丁目の夕日の舞台になった時代こそが『進歩』が合い言葉の様になったんだろうし、それは映画の中でも東京タワーが出来上がって行く様子が描かれていたのでも表現されている。しかし、私があの映画で感じた事のひとつは「貧しくたって生きてたじゃん」だ。
確かにあの時代と、『人口が減って来る』と云う今の時代とは全く違う。あんな牧歌的な風景になり得る事などありえない。『三丁目の夕日』の時代や、あるいは『アジア・アフリカの子ども達』でもなんでもイイ。そういう『希望』だな。そういう『希望』など今後あるとは思えない。あの時代の価値観でいうなら絶望しかない。
ヒットラーはユダヤ人を叩いた。日本では『嫌韓流』などもあるらしいが、あんなもんがネット上以外で力を持つとは思えない。そんなものが大手を振っていけるのなら小泉は総理になった最初の年から8月15日に『公式参拝』してる、っちゅうねん。
んが『優れた人』幻想は、ずっと残って居る。別にヒットラーが編み出したわけでもないし。前の日本軍部が編み出したわけでもない。恐らく、ずっと以前から、私の身の体質にまで入り込んだ『優れた人』幻想。端的にいうなら差別。
別に被差別に対する差別や、女性差別等だけの話ではない。『被差別内差別』もあり、また、解同が物取り主義を自己批判してたが、女性解放も『女性だけの解放』に成っている場合も多々感じる。それはエゴ以外のなにものでもないし。
っちゅうか、この辺が私の『優れた人』幻想だな。例えば『論理』『宗教』等でもって『優れた人』に成ろうとする。
映画の中のヒットラーなら『芸術』だな。
そんな迷いの中に居る。それだけの事やな。
夕日というのは好きだ。
以前に配達の仕事をしてた時に、クーラーのない車でクソ暑い中をずっと走ってた。時間に追われていたのでクラクションや罵声を浴びせながら配達する。夕暮れは来る。夕暮れ時、気力、体力がヘトヘトになりながら最後の配達を終えて会社への帰り道。みょうにゆったりした帰り道。「先に行ってええよ」と帰り道。
「シャキッとせんかい、シャキッと」って私は行き道、急ぎ道。っちゅうか、まあ、生きんとあかんし、メシ食わんとあかんし。
吉凶禍福に迷ってるもんが、同じ迷ってるもんを否定できん。批判はするが否定できん。
迷うものエエもんやな。っちゅうか、『迷ってる自覚』か。
そういや、池袋大勝軒は麺が大盛りらしい。あれはきっと「腹一杯食べてや」っちゅう貧乏時代のもんなんだろう。
うどんは、讃岐では「弘法大師が貧しい人達の為に中国から持ち帰った」と云う事になっているらしい。
エエ話やな、夕日やで、夕日。だからいまだに讃岐うどんは『一杯100円』とか云うわけわからん値段で売っとる店が多いんか。あれは当然『商売』やねんやろうけど、一杯100円ってやな、ボランティア価格でっせ。どっからも補助金もカンパも受けとってないねんし、あくまで『一杯100円』で売ったろ、っちゅう根性はええなぁ。
谷川米穀店、このあいだは行かれへんかったけど、今度は行くから待ってろよ。