坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

マクロモード

2006年08月06日 | 坊主の家計簿
 8月6日

 雑費    100円ショプ10点    1050円
 食類    ポンジュース         178円
       ところてん           68円
       山芋             151円
       オクラのおかか和え半額     69円
       きぬこし豆腐          78円
  
 合計            1594円
 8月累計         27847円

 と云う事でauに。ちなみに全部タダだった。あったり前か。
 で、帰りに携帯カメラをバンバン使う予定なので保護フィルムを100円ショップで買う。ついでにα-リポ酸+CoQ10のサプリメントと、カルニチン+CoQ10などのサプリメントを買う。
 ちなみに私は身長(チン長は秘密)172センチで、体重が65ぐらい。体脂肪は一年程前に電気屋で計ったら16ぐらいだったし、これ(http://www.soukai.com/main/himando/)でも肥満率は0なんだが、だな。なんせ、以前はもっと痩せていたので気になる。しかも、立ってると気にはならないんだが、座るとお腹の肉が掴めるので、「貯金、貯金」と言って遊んで居るのだが、最近、夏場なので平気で腹を出している女人の腹を観ると、「ああ、スリムってエエもんやな」と、もう少しだけしぼろうと少しだけ決意。まあ、ウエストキープしとかんと、またジーパン系を買い直さんとアカンし。
 
 と、結構、神経質で完璧主義だったりする。

 しかし、今日はクソ暑かった。。。ほぼ全員と
 「今日は暑いなぁ~」
 「いや、ほんまクソ暑いっすね~」
 と挨拶を交わす。
 こういう挨拶が好きである。お互いの気持ちを確かめあう。その他の
 「今日は37度ぐらいまで上がるらしいっすよ」とか、
 「兄ちゃんも、このクソ暑いのに大変やな」
 も好きだが、もっと基本の『お互いの気持ちを確かめあう』事が好きだ。

 今日は広島原爆の日。残念ながら忙しかったのでそういう会話は出来なかった。
 でも、これから8月15日までの間には恐らくそういう話も出て来るだろう。
 「兄ちゃん、戦争はあかんで」
 「いや、ほんまでっせ」
 と。

 別に非戦デモをする事だけが非戦運動ではない。
 戦争反対のメッセージソングを歌う事だけが戦争反対の意思表示ではない。
 
 数年前に、某バーに行ったら「平和を望むのなら、このリボンを結んで下さい」というようなものがあった。
 私は平和は望むがリボンは結ばなかった。それどころか「お前等、このリボンで首くくれ」とは云わなかったが、かなりボロクソに批判した。カルト宗教か、っちゅうねん。。。

 『行動』が好きな人が居る。例えば先に書いた様な
 「兄ちゃん、戦争はあかんで」
 「いや、ほんまでっせ」
 と云う会話で気持ちを確かめあう事も私は立派な行動だと考えるのだが、そうは思えない人が多く居る。
 不思議な話だ。
 「兄ちゃん、日本がこんな状態やのに、なにをお参りなんかしてまんねん。まだ若いねんから戦争に行ってこなあきまへんで」
 「そうや、オバちゃん。ホンマやで。俺、明日志願兵の募集に行ってくるわ」
 と云う話ではないのだが。
 または
 「兄ちゃん、戦争はあかんで」
 「オバちゃん、何を云ってまんねん。戦争してあの国を解放せんと、あの国で人権を奪われている人達はどないしまんねん。オバちゃん、自分の国さえ良かったらそれでエエっちゅうのはおかしいでっせ」
 という話でも当然ない。

 ささやかな日常の会話。ほんの挨拶程度。でも、その中で
 「戦争ってイヤやな」
 「ほんまやな」
 と、互いの気持ちを確かめあう事も立派な非戦行動だし、それは肩肘はった集会やデモや、「平和の為にリボンをくくりましょう」等でなく、『日常』だからこそ『力』があると私は思う。

 当然、それだけではあきたらずに例えば非戦デモに行くも良しだし、集会に参加する事も構わない。
 ただ、例えばデモや、集会や、その他諸々の方法だけが非戦『行動』であり、日常のささやかな挨拶に意味がないとするのはおかしい。神経質で完璧主義者の私は徹底批判する。
 それは先にリボンの話が出たバーでも感じた事である。何か特殊、あるいはホワイトバンド的なありようこそが素晴らしく、
その他には意味を見出せない「何もしないヤツ等」的なありようは単なる優等生的である。解りやすく云うと
 「じゃあ、オマエは何をしてるねん。何か行動したのか?」
 と云うあれだ。

 これが私は大真面目に怖い。昔散々言って来た気もするが怖い。
 上に上に登ろうとする。そういう在り方。
 差別化、と言ってもいいのかも知れない。差別化する事によって『違う』という事、いや、『違う』ではないな、「俺はお前等と違う」と言う、厳密に云うと「俺はお前等より上だ」か。

 当然、私も上を目指す。神経質で完全主義者の私は当然上を目指す。
 なので、「俺はお前等と違う」「俺はお前等より上だ」を否定する。
 当然、私もそう思ってしまう。しかし、そういう『私』を否定する。否定する事によって『私自身』を回復する。

 包み込む。
 祓い清めて上を上を目指すのでなく、包み込まれる。

 新しい携帯電話のカメラにはマクロモードと云うのが付いて居る。
 小さい、小さいものを接写出来るらしい。

 星を見つめ、青空を見つめ
 「綺麗だね」って
 雑草を踏みにじって言う。
 虫けらを踏み殺して言う。