英の放電日記

将棋、スポーツ、テレビ等、日々感じること。発信というより放電に近い戯言。

庭で我慢してほしい

2017-06-28 20:44:59 | 日記
藤井君の29連勝について書くつもりだったのですが、心に引っ掛かる事柄があり、そちらを先に書きます。
(実は、心に引っ掛かる事柄は多数あります。「小池都知事の八方美人的態度」「甘い女流棋士編入制度」「豊田議員について」などなど)



 ここ最近、運転していて、路上が気になって仕方がありません。正確には“以前から”なのですが、少し前の件で、更に敏感になってしまいました。(これまでにも、犬、猫、狸、イタチ、猪の現場には何度も遭遇)
 少し前の件の現場は、1週間に2回は往復するので、そのたびにやるせない感情が湧き起こります。
 ≪道端に何かある≫と察知し、それが木の枝やゴミの類だとホッとします。(ホッとするだけでなく、拾えばいいのですが……稀に拾います)
 その何かが、小動物の場合、感知が遅れがちになります。≪あっ≫と思った時には通過するようなタイミングになります。


 先週の土曜日、週2回のルート……山間部ではなく街の周辺部の道路で、ゴミみたいなものが2つ。
 通り過ぎる直前に、2つのうち1つが飛び立ちました。小鳥だった。
 で、もう一つの物体ですが、小さい塊から羽のようなものが見えました。
≪もしかすると……いや、ゴミが踏まれ具合によってそう見えただけかもしれない≫
と、思うようにした。
 運転中に考え事をするのはよくないが、例の件の状況が脳裏に浮かぶ。あの時も、連れ合いがいたなあ…
 が、往路なので、先方に行って用件を済ますのが先と思うようにして、そのまま目的地に向かう。
≪道路の中央部なので、更に車に踏みつけられてしまうのでは…≫
という思いがモヤモヤと。

 帰路、ドキドキしながらその地点に差し掛かると……
≪あ、あった……あってしまった。ゴミであってくれ≫
 ……通過時に小鳥であることを確認、………。

≪ああ…≫
 と思いながら、通り過ぎ、200mほど通過した地点で停車。
≪ええぃ!≫
 と心の中で声を発し、Uターンして確認。
(ここから先は、読まない方が良いかもしれません)


 おそらく、往路の際の状態とほぼ同じ。
 頭部がぺしゃんこにつぶれ、腹部から尾にかけては原形を留めていた。
 不謹慎かもしれないが、≪全部、ぺしゃんこになっていなくてよかった≫
 スズメと同じかやや小さい。羽の色は黒と白。

 ためらいはあったが、放置してさらに踏みつけられるのは忍びない。レジ袋を手袋代わりにして、死体を収容する。頭部は地面にこびりついており、指に力を入れないと剥がれなかった。

 家に帰り、家人に気づかれないよう、庭に埋めた(庭という程、広くないです)。



 話はこれで終わらなかった。
 今日、同じルートを走行中。大虫地区から峠に差し掛かる地点で、黒っぽい塊を発見。
≪濡れ雑巾?≫
 通過時に横目で確認すると(できれば見たくない)、流線形をしていた。
≪スズメと鳩の中間くらいの大きさ……、鳥のように見えた≫

 通過後にそう思ったが、峠に入ってしまっていたので、Uターンもなかなかできない。
≪それを言い訳にしてやり過ごそうか≫
と思ったが、先週のことが頭によぎる。モヤモヤして運転するのも嫌だし、鳥で、この後、更に轢かれ続けるのは避けたい。
 道が少し広くなった地点で、切り返してUターン。

 戻ってみると、やはり野鳥だった。
 野鳥に関する知識は皆無に等しいが、ムクドリではないだろうか?
 激しく損傷してはいないが、ピクリともしない。近くに血液らしきものも少し……。生命の息吹は感じなかった。
 レジ袋越しに拾い上げ、山べたの草むらに置いた。カラスなどに突かれるかもしれないが、放置して轢かれるよりはましだろう。
 土曜日と同じように庭に埋めてあげればよかったが、配達の矢先なので、躊躇ってしまった。


 その3分後、峠を越えた山里の道端に、小さな物体を発見。
≪さすがに、“立て続け”の遭遇はないだろう≫
と思ったが、小鳥のようだ。
 100m過ぎた地点で引き返し、確認。
 雀だった。
 潰れてはいなかったが、内臓と血液が少々……


 先ほどのムクドリに対する後悔もあり、レジ袋に収納。
 家に帰り、土曜日の鳥の隣に埋めた。



 わざわざ記事にしなくてもいいのでは?…という気もしました。
 ≪優しいでしょう、私≫とアピールするのが目的ではありません。(いえ、そう思って欲しいという気持ちも、かなりあります)
 野鳥や猫や犬、狸、イタチ、猪などが、車に撥ねられ命を落とすのは、悲しいです。頻発し過ぎです。
 人に対する注意はもちろんですが、小動物にも注意してくださいね。



【追記】
 先日の獣医さんは、「法律で野生動物を飼うことは禁じられている」と述べていた
 ≪自然・野生にみだりに介入してはならない≫という視点からの法なのだろう。理屈はわかるが……

 そもそも、「開発」や「交通」という名目で自然を破壊しているのに、部分的に「環境・自然・野生保護」の観点で規制するのはおかしいのではないか?
 野生動物を車で撥ねること自体、故意ではないにしろ、個体レベルであるが、大きな介入である。
 そんな介入を受けてしまった時点で、自然・野生とはかけ離れた状態になってしまっている。それなのに、安楽死しかないというのは、人間の勝手な理屈ではないのだろうか?
コメント
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