英の放電日記

将棋、スポーツ、テレビ等、日々感じること。発信というより放電に近い戯言。

『小さな巨人』 第1話~第8話までの感想

2017-06-06 20:43:21 | ドラマ・映画
 ドラマの造りが『半沢直樹』や『下町ロケット』と似ているなあと思ったら、プロデューサーが伊與田英徳氏と飯田和孝氏のコンビだった(『下町ロケット』だけ伊與田英徳氏と川嶋龍太郎氏のコンビ)。
 さらに、両作で脚本を担当していた八津弘幸氏が脚本協力(『下町ロケット』八津氏の他に稲葉一広氏も脚本)。『半沢直樹』『下町ロケット』の演出を担当していた福澤克雄氏、棚澤孝義氏、田中健太氏のうち、福澤克雄氏が監修、田中健太氏も演出を担当している。

 そんなわけで、「1話のうち最初に難題が持ち上がり、へこたれずにかき分けて解決にこぎつけたかと思ったところで、どんでん返しで突き落とし、次回へつなげる」という構成は、『半沢直樹』『下町ロケット』を彷彿させる………しかし、全く“似て非なるもの”であった。
(原作は丑尾健太郎なく、TBS独自の製作で、脚本は丑尾健太郎氏、成瀬活雄氏)

 出世の階段を踏み外してしまった主人公が、絶対的な階級社会の警察組織の中で、奮闘し証拠をつかみ、正義を貫く姿には共感できるが、前二作のほどの熱さも感じられない。それに、後出しジャンケン的などんでん返しが多い。
 また、謳い文句の「敵は味方の振りをする」という登場人物の疑心暗鬼的な人間関係の微妙なアヤも、裏切りありきの大味なストーリーだ。

 特に、見せ場であるはずの、対峙(対決)シーンがコントにしか思えない

 例えば、第7話
「適当な証拠だけで疑うことなど許されない。100%の証拠でも足りない。200%の覚悟というモノが必要だ!」
「では、それがあれば、動いてくださるのですね…………その覚悟を、必ず持って参ります」
                  ・
                  ・
                  ・
「あらゆる可能性を考えた結果、この仮説以外に有り得ないんです」
「それでも仮説は仮説に過ぎん。アリバイがないというだけで、富永専務がやったという証拠にはならない」
「その仮説を立証するために、富永専務本人を任意で引っ張る許可をいただきたいんです。
 富永専務は嘘をついています。一課長もそれはお分かりのはずです。
 確かに100%となる証拠はありません。ですが、200%の覚悟はありますっ!
 あとは、一課長御自身の覚悟です」

「よしっ………“200%の覚悟”があるとは、よく言った。
 知ってると思うが、200という数字は100の2倍だぞ、分かっているか?」
「分かっています」
「では、その200だという根拠は!」
「…………私の勘です」(真顔で)
バーン(静かな効果音)……ぱ~ら~ら~らら、ぱ~ん♪♪

「わかった。おまえの200%の勘とやらに、今回だけは懸けてやる。
 富永拓三を任意同行で引っ張るっ!」


「100%の証拠」は支持するが、「200%の覚悟」は精神論でしかなく、その根拠が「勘」とは!……
………よく吹き出さないで、真顔で演技できるものである。感心。
(第8話では、“300%、クロだ!”という台詞も飛び出した)


 香坂(長谷川博己)たちが、捜査一課に捜査の詰めで出し抜かれるシーンが頻出するが、“こいつら、馬鹿なんじゃないか?”と思ってしまうことも多い。  
 


 それに、何と言っても、香川照之の大袈裟な芝居にはついていけない。
 時々豹変する岡田将生の悪人顔は笑える。
 安田顕も一部と二部で変わり過ぎだろ。
 佐々木希、駿河太郎、春風亭昇太の演技力には疑問符。


 今となってはどうでもいい疑問だが、第一部で小野田(香川照之)と中田社長(桂文枝)が密会(ニアミス)した状況は、どう解釈すればいいのだろうか?
コメント (2)
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