布施弁天界隈の自然と歴史情報

関東三弁天の一つである柏市布施弁天界隈の城跡、神社、仏閣等の歴史的遺産の紹介とあけぼの山近辺の花情報の提供

館山自動車道で春の房総路へ

2008-02-18 | 歴史
先日、昨年開通した館山自動車道に乗りたくて、早春の房総路に行ってきました。多分、この時期は、水仙や菜の花は、終わりに近づいているので、梅や桜を見たくて出かけてみることにしました。
館山自動車道は、途中、まだ対面通行のところもあるが、大体が2車線で山の中を通り、快適な運転ができます。柏から目的地のひとつである館山城までは、2時間もかからないで着きました。
この館山城があるところは、約70メートルの小高い丘の上にあるので、ひょっとすると早咲きの桜が咲いているかもしれないと思って行ってみたのですが。
孔雀園の廻りには、白梅と紅梅が満開でとても綺麗でしたが、いかんせん数が少ない。更に、坂道を頂上目指し登っていく。途中には紅梅は咲いていたが、桜の花は見あたらない。日本庭園・茶室までに行くと,そめいよしのの桜の老木があったが、蕾は堅く閉じたままだ。これで、桜の花はあきらめた。
頂上の広場に着くと、館山城が、優雅に私たちを迎えてくれた。早速、居合わせたお城のボランティアさんに記念写真を2枚撮って貰う。この日の天候は良く、晴れ渡り、真っ青な青空であったが、なにせ、風が強く寒かったので、外での散策はほどほどにしてお城の中に入る。
入ってみて初めてわかったのですが、この城は、昔、武士が住んでいた城ではないようです。昭和57年に館山市の博物館分館として建築されたものです。そう、南総里見八犬伝の資料館になっておりました。滝沢馬琴の八犬伝ファンにはこたえられないでしょう。
三層四階建ての鉄筋コンクリート造りの各階の展示物を大雑把に見終わると、楽しみにしていた、模擬天守閣に登る。ここからの四方の眺めは見事で、素晴らしい。東京湾の向こうには、日本一の山、富士山も見られるし、眼下には館山市の市街がまさに一望出来る。
本来、里見氏が、ここ根古屋山(城山)に城を築城したのは、9代当主義康で、天正16年(1591年)頃で、根古屋城ともいわれていたらしい。そして、天正19年(1591年)、それまでの里見氏の居城であった岡本城からここ館山城へ移ったようである。ところが、慶長19年(1614年)に10代里見忠義は、徳川幕府により、伯耆国(鳥取県)3万石に転封されてしまう。この館山城はその年の9月に取り壊されてしまうのです。また、鳥取の倉吉に行った忠義が、元和8年(1622年)29歳の若さで病死し、里見氏十代170年の歴史は幕を閉じてしまうのです。なお、江戸時代の後期には旗本の稲葉氏が1万石を与えら、お城ではなく陣屋を構えたそうですが、稲葉氏も5代で明治維新を迎えることになる。
実に悲しい運命の里見氏ですね。滝沢馬琴は、これをもとに八犬伝を書いたのではないかともいわれています。
さて、このお城は、先にも書いたように館山市の博物館の分館です。本館は、麓にありますので、この博物館の利用案内を下記に紹介してみます。建物の中に入らなければ、散策はもちろん無料。
利用時間  午前9時から午後4時30分
休   日  ●月曜日(月曜日が休日の場合はその翌日)及び休日の翌日
        ●年末年始(12月26日~1月4日)
問い合せ   ●館山市教育委員会生涯学習課博物館グループ
         TEL: 0470-23-5212
なお、博物館の入場料金は、高校生以上の大人が300円で、2つの施設を1枚の共通券で見ることができます。残念ながら、梅は見れたが桜は見れなかったので、更なる春を求め、今度は市内のイチゴ狩りを目指したのでした。
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