布施弁天界隈の自然と歴史情報

関東三弁天の一つである柏市布施弁天界隈の城跡、神社、仏閣等の歴史的遺産の紹介とあけぼの山近辺の花情報の提供

雪の中の布施弁天の福豆まきに参加

2008-02-04 | 歴史
雪が一日降りしきり、今日3日、布施弁天の福豆まきがするかどうか心配でしたが、するというので、午後3時ころ行ってみました。弁天茶屋の脇で日本庭園寄りの方の駐車場は、既にいっぱい。隙間を見つけ、ようやく止める。
階段を昇って境内に着くと、もうそこには、福豆まきに参加する人が三々五々集まっていました。多くの人は、長靴にフード付きのコート、そして手袋の完全武装。手には、紙袋やビニール袋まで持参している人も結構おります。
この出で立ちを見て、さすが、この雪の中、福豆まきの景品目当てに来た人は、心構えが違うと感じました。なんとしても、テレビや自転車等の景品を取ろういう意気込みに満ちあふれているのです。私は、怪我したくない思いの方がさきだっており、無理するつもりはありません。
本堂での、福豆をまく年男たちと住職が祈祷している間、福豆まきの舞台となる段上では、東海寺檀家の弁天茶屋のご主人である後藤さんが、福豆まきの注意点を述べます。傘はささない。メガネや履き物を無くさないように。そして、怪我をしないようにとの注意です。
また、1200年祭を、今年の10月12日~14日に行う予定だとの説明もありました。更に、工事により広くなった境内の裏手には、約100本のもみじと紫陽花も植えるとの報告も有りました。
しかし、定刻の3時30分になっても、本堂のご祈祷は続き、3時40分頃にそれがようやく終ったのです。この待つ時間の長かったこと。年男たちや弁才天に扮した女性等の記念写真の撮影後、ようやく全員が舞台にのぼりいよいよ福豆まき。もう、3時50分近くになっていました。まず、住職が段上で参集者の無病息災を祈願。
さあー、一斉の福豆と景品のばらまきの開始です。この頃には、子供が約70人以上、大人が約200人以上も集まっていたと思います。でも、これは、例年の3分の1位かな。
だから、福豆は拾いたい放題。多くの人は景品に群がり、拾おうとしない。私は、下に落ちている福豆拾いに専念。小さな福豆を50ケ以上は拾いました。この豆袋の裏には、祝日本一流通経済大学付属柏高校のシールが結構はられていたり、レイソルのや、すごぐちっちゃい金の御守が入っていた福豆もありました。
1回目の福豆まきには、本多柏市長等が来たらしい。2回目の時の主賓は、桜田衆議院議員や星野我孫子市長でした。でも、今回はなぜか、七福神の扮装は誰もしておりません。1人の女性だけが弁才天の扮装をしていただけで、もう、七福神の豆まきとはいえないですね。だから、豆まきのポスターも弁才天の扮装をした女性しか写さず、福豆まきというタイトルにしたということを初めて知りました。
さて、蒔かれる景品というと、スナック菓子、インスタントラーメン、コンソメ、手提げ袋等がどんどん投げ込まれます。私は、軍手を2つとりました。そしたら、この軍手の中に、三角クジみたいのがあり、その中に番号と品物の名前が書いてありました。私のは、5個入りのテッシュ1箱と電気のたこ焼き機器の名前が書いてありました。テレビや自転車ではないが、初めて2つの景品が取れ、大満足です。この景品をもらうには、住所、氏名等を書いてから、取り替え所で交換しなければなりません。それが、結構時間がかかるのです。私の景品番号も190台がありましたので、随分と、景品を蒔いたことがわかります。
しかし、長靴より動きやすいと思って運動靴を履いてきたのが間違い。靴はびしょびしょで、つま先が冷たい。この景品をもらう時間が凄く長く感じました。つま先は冷たいが、景品をもらえ、心はウキウキ、実に変な気分でした。こんな雪の中の福豆まきの参加は、生まれて初めての経験で、多分、こんなことは2度とないでしょうね。
なお、弁天骨董市は2月2日はやっていたが、3日はさすがに開かれておらず、多分中止したんでしょうね。雪の布施弁天、情緒があって、実にいいもんでしたよ。
コメント
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