布施弁天界隈の自然と歴史情報

関東三弁天の一つである柏市布施弁天界隈の城跡、神社、仏閣等の歴史的遺産の紹介とあけぼの山近辺の花情報の提供

過去の布施弁天との決別、新しい布施弁天の行き先は?

2008-02-25 | 歴史
現在、柏市内にある関東三弁天の一つと言われている布施弁天に境内拡幅工事が行われていることは、私も何回かこのブログ紹介していますし、多くの方は自分の目で見て、ご存知のことかと思います。しかし、この布施弁天の境内拡幅の意味が、檀家でない私にはよくわかりませんでした。境内の一部が崩れそうだったので、それを補強しているだけかと、単純に思っていました。
しかし、日曜日(2月24日)にたまたま訪ねたところ、そんなもんではないと言うことを大変強く感じることがありました。志賀直哉の「雪の遠足」でも出てくる眼薬の池は、もう完全に土砂の下で、もう、2度と見ることは出来ないでしょう。まあ、それはそれでよく、どうのこうのいうつもりはありません。が、昨日行ったら、例の崖下にあった龍穴の紅い鳥居が、写真のように道路を隔てた隣の山(弁天古墳がある山)に打ち捨てられてあり、その元あった場所にはなにも残っておりませんでした。
これは自分にはかなりショックでした。弁天信仰に若干なりとも関係があると過去において説明されていたものがなくなるということは、正直、この目で見ても信じ難かった。ご住職と檀家さんたちが、これまでの紅龍の森という神秘性より、確実に人が呼べる布施弁天様にしたいという意志がいかに強かったと言うことなのでしょうね。外野の自分が、これを、どうのこうのと言える権利はないでしょう。願わくは、2月3日の布施弁天の福豆まきで、氏子のGさんが挨拶の中で言った本土寺に負けないような「あじさいともみじ」のお寺にするんだという意気込みに期待する以外ありません。
なお、もう一つ不思議なことがあります。それは、トマトハウスの前にあった弁天様の駐車場は、一部が駐車場として昨日の段階で砂利で整備されていましたが、弁天古墳に沿ったところは、土砂が盛られておりました。それは、それで構わないのですが、隣との畑の間に約2mくらいの道路が造られているのです。柏市の公衆便所のところから、どうやら、トマトハウスの前の市道に繋がるように造ってあります。これは、なにを意味するかわからないのですが、確かに以前聞いたところによると、この弁天古墳の森に沿って赤道(昔の国道?)があったと言われています。ですから、その付け替え工事なのかもしれませんね。これが出来れば、市の公衆便所がある日本庭園の隣の駐車場に車をおいて、弁天茶屋の方を廻らないで、トマトハウスに行けるとしたら、これは若干便利になりますね。トマトハウス内の駐車場は狭く、車をそんなにおけない。また、うしろの臨時駐車場は土で雨の時の駐車は遠慮したいですよね。
いずれにしても、布施弁天は、2008年の1200年祭を前にしたこの時期、いや1200年際を契機として、大きく変わろうとしているのは確かのようです。これまでのイメージを一新することが、吉とでるかどうかは、少なくとも10年くらいたたないと誰もわからないかもしれませんね。
コメント
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