布施弁天界隈の自然と歴史情報

関東三弁天の一つである柏市布施弁天界隈の城跡、神社、仏閣等の歴史的遺産の紹介とあけぼの山近辺の花情報の提供

茅葺屋根の旧手賀教会堂のお化粧直し

2008-02-16 | 歴史
昨年の今頃、本ブログで初めて旧手賀教会堂を紹介しましたが、その旧教会堂の茅葺屋根差し茅改修工事が、どうやら予定より早く2月8日に無事に終了し、2月9日(土)より、見学が再開されたようです。当初の工事期間は、平成20年1月16日(水)から2月15日(金)までで、この期間中は、敷地内での見学はできなかったのですが、これから暖かくなる時期に、早めに終りよかったです。でも、今年は屋根の南側半分だけの改修で、また、来年は北側半分を改修するようですね。しかし、見学は、毎週水曜日と土曜日の午前9時から午後3時まで大丈夫になりました。問い合せは、文化課文化財担当(℡04-7191-7414)へ。
この旧旧手賀教会堂は、旧沼南地域の手賀沼が臨める手賀442という小高いところににひっそりと建っております。どっから見ても、ぱっと見ただけでは、単なる茅葺き屋根の古い民家にしかみえません。屋根の上に十字架が立っているわけでもないし、ステンドガラスや洋風のいかにも教会風な建物でもありません。古い民家を移築して教会として使っただけだからです。しかも、現在は教会として使われておりません。新しく建てた教会は別のところにあります。外見から教会らしいと思われるのは、写真のゴシック様式の半円アーチをかたちどった窓ぐらいですね。
この建物の場所を特定するのは、柏市の指定文化財(史跡)の立看板があるので、多分すぐ分かると思いますが、念のため、この建物の前には車を停めるスペースはありません。道路は大変狭いです。また、建物の反対側にはお墓があり、仏教とキリスト教が入り混じったなんとも奇妙な墓地となっております。
さて、この旧教会堂は、首都圏に残っている古いほうの教会堂と言われておりますので、その由緒を市の文化課のホームページより引用・紹介します。
正式名称を日本ハリストス手賀教会(手賀使徒伊望正教会 )といい、ギリシャ正教の教会です。現存する首都圏内の教会堂としては最古のものです。明治6年、信教の自由が交付されるとともに、ニコライ大司教により日本ハリストス正教会の布教活動が北海道函館より始まりました。 千葉県には明治8年法典(船橋市)、同10年大森・船穂(印西市)、布佐(我孫子市)にそれぞれ教会が設置されました。
大森教会での布教を知った手賀、布瀬地区の人々は、明治12年に教会を創立し活動をはじめ、同16年に教会堂を設置しました。 これが現在の旧手賀教会堂で、明治30年頃聖堂部分が増築されたといわれています。ここまでが、引用です。
そして、その後の諸般の事情で、手賀教会堂は、この建物をそのままにして、昭和40年代に他所といっても同じ手賀区域に移転します。現在のこの旧建物は柏市の所有らしい。移転先の新手賀教会堂には、茨城県笠間市出身の明治期の女流作家として高い評価を受ける山下りんの描いたイコン画といわれものが3点、掲げられておりますが、通常は拝観できません。聖画は日本ハリストス正教会でイコンと呼ばれるもので、主全能者(キリスト)、至聖生神女(マリア)、機密の晩餐の3点で、これらは、柏市指定文化財(有形文化財)となっております。
なぜ、この地区に、決して都会といえないこのような地域に、明治の古い時代からギリシャ正教が布教されたかを知りたくて、以前ちょっと調べ、それを昨年の今頃のブログに載せてありますので、ご関心のある方から、ご意見を賜りたいと存じます。よろしくお願いいたします。
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