<解剖報告書は、すぐそこ、彼女の目の前にあった。ハイジが残したメモのように、それは強烈な爆弾を秘めている。書類は時として大声で語る。だが、必ずしも、その意味するところを正確に伝えるとは限らない。真実を言語で表わすには、限りがあるからだ。この書類は科学的な見せかけにもかかわらず、ほのめかしや事実もどき、独断的な解釈に満ちている。>ペリー・オショーネシー富永和子訳「女弁護士ニナ・ライリー殺害容疑」P83より
身の回りにはいろいろ大切な書類がある。客観的であるべき資料の場合には、読み手に先入見を与えるような言葉は取り除かねばならない、また、真実を言語で表わすには限りがあるので正確さに欠けることも考えねばならない、との一節です。
言葉には限りがある は なるほどです。
気を付けなくてはなりません。
トランプさんは、己のロシア疑惑に関して、CNNを偽りニュースと、断言しているようですが、偽りと言って批判をかわしているのでしょうか。
フィクション、ノンフィクション、教本など、どんな本でも、自分は、前から読む場合は、大体1ページ1分の割合で読んでいます。いつも1時間読む場合は60ページぐらい。読むスピードが同じなのは、遅いのは、知人は、心のどこかで音読しているからだ といっていたが、そうでしょうね。音読癖が身について、ニュースを読むときも、この癖が出ていて、言葉を、黙読と音読を繰り返しいるようです。
でも、言葉しか情報がない場合は、時々、この癖もいいのではと、昨今、思うようになりました。
黙読、音読とで、言葉の背景も、時に分かるような気がするからです。
そして他の資料、言葉も読みたくなって、偽りなどとなかなか断言できなくなるからでしょう・・・