さんぽ道から

散歩中の雑感・モノローグを書いてみました

親父と、その後ということでしょうか?

2016-10-15 06:04:52 | 抜き書き

<父は、昔からずっとぼくの反面教師だった。子供のころのぼくの反抗心は、父に対してだけ発揮された。父が無口だったので、ぼくはいやというほど口数が多くなった。父が文句をいわなかったので、いきおいぼくは文句屋になった。父が髪をクールカットにしていたから、ぼくは、ハイスクール時代はいつも肩の下まであるような長髪をなびかせていた。父が肉体労働者だったから、ぼくは弁護士になった。父が貧乏だから、ぼくは金持ちになるつもりだった。といっても、父の思うようなやり方はしたくない。父は「金を受けとれ」といった。その短い言葉で、道路標識のごとく明確に、ぼくの行くべき道を示したのだ。・・・・・父とはちがうやり方で。自分の人生を父のように生きてたまるか。>ウィリアム・ラシュナー「敵意ある証人」下P184より

<しかし、ぼくは物心ついてからずっと、自分が望んだものがあたえられたためしがないという事実に反撥し続けてきた。金持ちの父親を持つことはできなかったし、法律事務所は雇ってくれなかったし、世間をあっといわせるような訴訟がころげこんでくることも一度だってなかった。ぼくは、あまりにも長いあいだ、だれかに自分の取り分をあたえてもらえるのを待ち続けた。待つのは、もうたくさんだ。ジミー・ムーアはこういった。アメリカは、何かをあたえてくれる国ではなくて、何かをつかみとる国だ、と。だから、ぼくもいま、なにかをなにかをつかみとろうというのだ。>同じく「敵意ある証人」下巻のP185より

読み切り小説と思って読んでいた「敵意ある証人」だったが、ここにきて、自分は、親父を意識して生きてきたのか? 何かを待ち続けた人生だったのか? それとも能動的に選択してきた人生だったのか?のを考えさせられてしまった。

親父を意識する場合、比較は、学力・職位・年収とかの外見面と 心情や考え方とかの内面とに分けるだろうから、

比較結果は、

・親父は同&同だった

・親父の考え方は気に食わなかったので同&異だった

・子供の時より今の生活は楽なので異&同だ

・「敵意ある証人」のように異&異だった の四つのどれだったにあたるでしょう。

父親は母同様に学校も職位も年収も地味だったので外見面では同で、父は社会主義の信奉者で意見を異にしていましたので異でしょう・・・
皆さんも同じでは?

何かをつかみとる気概で、攻めの姿勢で生きてきたのだろうか?の反省は、yesでもnoでもあったような・・・

攻めの姿勢では、昔軍隊を定年除隊してから、少年らと部品庫の作業員になり、70を過ぎてから部品課長に昇格し、昇格後再婚した米国男性を思い出します。何でも遅すぎることはないと教えてくれたものでした。攻めとは、この 何でも遅くないと 思うことなのでしょうね。ちょっと難しいかなー
コメント