
<私が師から教わり、ドゥボイスに教えるのは、目標は何か、目標を達成するもっとも効果的な手段とはなんなのかとつねに自問することである。ほかは問題ではない。これは医療でも科学でも学究でも、業界における物差しになる。警護の分野もなんら変わらないビジネスであり、物差しはいっしょなのだ。エイブ・ファロウは折にふれて語っていた。落胆、傷心、怨念、昂揚、沽券・・・・・いずれも関わりがない。>ジェフリー・ディーヴァー「限界点」上 P101~102より
この一節は 私こと 連邦機関の警護官(日本でいうSP)が 師と仰ぐ先輩 エイブ・ファロウから教わった戒めを部下のドゥボイスに教えるところです。要は、落胆、傷心、怨念、昂揚、沽券などに惑わされずに 目標を見失わないように 目標に邁進しなさい 常にそれを自問しなさい といっています。
改めて言われてみると その通りですが、常に自問できますか?
常に自問とは 公私の別に心がけ 私心に惑わされないように己を律することでしょうか?
財務省の森友文書改ざんは 国会答弁を簡潔に終えるためだった?
神戸市の教育委員が中3生徒へのいじめ聞き取り資料を校長に隠ぺいしろと指示していたのは事務量の軽減のためだった?
両ケースとも効率化を図った対応ですが、このように目標を取り違えると 大変なことになるという事例でしょう。
常に自問できる目標を定めることも要用ということでしょう(ね)
そしてそれは周囲に公表することで 取り違えはかなり減るということでしょう。