Sotto voce (^-^)

楽しみを待つ事は、それ自体が楽しみ。
そんなカンジの日々を綴ります♪
Non vedo l'ora!

関ヶ原

2014-06-03 05:48:27 | おでかけ
とゆうわけで
せきがはら~せきがはら~
名古屋から約1時間です。

天気は快晴
てゆうか、カンカン照りです
出張ついでの軽装のため、日傘も帽子もなし
日焼け必至ですね




「野上行宮(のがみあんぐう)跡」
大海人皇子が行宮を興して本営とした(といわれる)場所だそうですo(^o^)oワクワク





今では特に何があるワケでもないけど。
中山道から小高い丘に上がったトコロ。
日本書紀に出てくるところの「不破道」ですよね~
大海人皇子、ここから戦場にご出勤
大友皇子の首実検もこの地で行われたとかっ
いやーっ
人気のない場所だけにちょっとビビったりして


「桃配山」
戦国ファンにもお馴染み、家康が最初に陣を構えた場所ですね~




この桃配山、誰かが桃を配った由来からのネーミングなワケですが
誰が配ったのかとゆうと
それが大海人皇子なのですよ、ふっふっふっ
大海人皇子もきっと高祖劉邦あたりのパフォーマンスのパクリだったのでしょうケド


ちなみに当時の兵士ってこんなカンジ
飛鳥資料館に行ったときに撮ったもの
大海人皇子はご自分を高祖になぞらえていたので
兵士たちもこれに赤い布的な?ものを結んでいたのかも

桃配山は中山道から関ヶ原盆地のちょうど東からの入口(東への出口?)あたりになるようです。
わざみはたぶん西に2kmくらいかな?
(野上行宮は桃配山からさらに500mくらい?東寄りデシタ)
大海人皇子が戦場からの逃げ道を塞いでいた説が
にわかに現実味を帯びてきましたよ



「兜掛石・沓脱石」
関の藤川を挟んで両軍が対峙した時、
大海人皇子が休んだとされる場所です。
きっとこの界隈が日本書紀に出てくるところの「わざみ」


兜を外して掛けた石


沓を脱いだとき足をかけた石
カッコいい~

えっと、ただですねぇ…場所がわかりづらいっ〓
道路から民家と民家のガレージの間の狭い通路。
どう見ても行き止まりにしか見えず…
地図の読めないオンナ代表dolce-vitaは、
自分のGPS機能に自信が持てず
近くを右往左往
でもやっぱりその行き止まりの先にあるとしか思えず。
思いきってガレージと民家の隙間をカラダを半ば斜めにして突き進んでみると…
あった、畑の真ん中に。(ほっ)



「井上神社」
関の藤川を挟んで、西に大友軍、東に大海人軍。
この井上神社は、大海人皇子を祭神として壬申の乱直後に建立されたそうです。











「関の藤川(藤古川)」
この川のあっちとこっちかぁ




ちなみにこっちが大友軍、あっちが大海人軍です


「藤下(とうげ)の若宮八幡神社」
大友皇子を祀った神社。(創建は1320年?)
本殿は桧皮葺の桃山様式。しぶいっ




写メにも写りこんでますが
後ろを新幹線が通ってます。
てことは、新幹線からも見えるのかな
帰りの宿題です


矢尻の井
大友皇子の兵士が水を求めて矢尻で掘ったものと伝えられている。




なんとなく窪んでます。


「自害峯の三本杉」
乱に破れ、25歳の若さで自害された大友皇子の頭をこの丘に葬り
そのしるしに杉を植えたと伝えられています。


山のなか、こんな階段をぐんぐん登って





そのときに植えたってことは、単純に樹齢1340年

なんか…神々しいデス