Sotto voce (^-^)

楽しみを待つ事は、それ自体が楽しみ。
そんなカンジの日々を綴ります♪
Non vedo l'ora!

関ヶ原の旅…その前に

2014-06-01 21:18:09 | おでかけ
出張を絡めたマニアック一人旅part2

前回は大阪出張のついでに飛鳥・斑鳩の旅でしたが。
今回は豊橋出張のついでに関ヶ原の旅

関ヶ原では天下分け目の戦いが2度ありました。
もちろん有名なのは1600年の関ヶ原の戦い。
dolce-vita的には関ヶ原の戦いといえば…
672年の壬申の乱

天智天皇の後継を争った壬申の乱。

吉野に隠棲していた大海人皇子は
天智天皇没後の政情不安のなか
わずかな従者と共に、自身の領地のある美濃へ出発する。
伊賀、伊勢を通り美濃にたどりつくまでには、豪族らを次々に味方につけて
不破近く野上に行宮を興し本営を構えた。
不破の地で激しい戦いに勝ち
大海人軍は琵琶湖を二手に別れて攻め上がる。
1ヶ月後、大友皇子は琵琶湖の南に位置する瀬田での戦いで大敗を喫すると、
山崎で首をくくって自害することに。
25歳という若さでした。
今は自害峰の三本杉の下で眠っています。

最近の本では、dolce-vitaの大好きな 野讃良皇女(持統天皇)黒幕説を見かけることもあったり
(↑しかも説得力大
壬申の乱については日本書紀にしか記述がないらしく
謎が多い分だけ、夢が広がるのですぅ

この戦いに勝利した大海人皇子は天武天皇として即位し、
中央集権国家の形成を推し進めました。

そう
dolce-vitaの好きな歴史上の人物は
天武天皇と持統天皇

今の日本で普通だと思っていること。
これが天武天皇と持統天皇発信であることが意外に多いことに驚きます。

例えば、「日本」という名前。
これを最初に使ったのは、天武天皇。
てゆうか、「天皇」
これ自体最初に称したのが天武天皇です。
今までの「大王」と違って、大臣を一人もおかず、要職に皇族をつけた。
といってもあくまでも権力は天皇個人に集中。
天皇自らが君臨しかつ統治したカタチです。
dolce-vita私見では、「天皇」はもともと
天武というカリスマのための尊称だったんだと思うのo(^o^)o

未だに日本人が折に触れ、心の奥底で「神さま、仏さま」と思うのも
天武天皇が国家として神道を整備し仏道を保護したからだと思われる。
例えば、伊勢神宮を日本の神社の最高峰として
自分の娘、大伯皇女を斎宮にしたり
式年遷宮も天武天皇(もしくは持統天皇)から始まったし。
dolce-vitaお気に入りの薬師寺も天武天皇が皇后の病気の平癒を祈って発願したものです。

そもそも、日本書紀や古事記といった日本最古の歴史書
これも天武天皇発信。

アマテラスオオミカミが葦原中国の統治のために
ニニギノミコトを高天原から地上に送った…
この件は持統天皇のカゲを強く感じるワケですが。

つか、歴史上では天武・持統朝と言われ、
持統天皇が天武天皇の遺志をついだようなカタチになってますが。
どうも最近dolce-vita的には持統天皇は静かなクーデターを起こし
(壬申の乱の前、吉野に隠棲したときから予定してた通りに)
まんまと天武朝を乗っ取って
ある意味、天武の改革を潰したのではないかという疑念が拭いきれない

…て、これを言い出すと、話が横道に逸れた上に、長くなってしまうので
ここでやめときます( ̄^ ̄)
(↑言い出したのはdolce-vitaデスガ)

dolce-vitaは今の日本まで続く国の礎を築いたのは
この天武天皇と持統天皇カップルだと思っていて
dolce-vitaのヒーローなワケです

るん
その壬申の乱の舞台、不破の地(関ヶ原)の史跡を歩いて巡りました~