器が小さいことほど情け無いことは無いと子供のころから教え込まれて来たのが日本人じゃないでしょうか。それだけに、自分の器の小ささに何時もがっかりさせられたきました。
そんな器をねずさんが書いてくれています。器なんて言葉が何時の間にか消えてしまっていたと思っていましたが、いよいよ復活のようです。
何時ものように全文をリンク元で読んでください。
ねずさんの学ぼう日本より 2020/12/22
人の器(うつわ)
・・・略
日本語は、「朝起きたら眠かった(あるいは)眠くなかった)」というように、相手の話を最後までちゃんと聞かないと、意思がどっちにあるのかわからない構造をしています。
ですから自然と、相手の話を最後までちゃんと聞く姿勢が備わります。
このことは実は日本の文化の基礎といえることです。
欧米やChinaの言語では、結論が先にきて、あとから理由が来ます。
この場合、理由の前に結論だけが先行しますから、相手の話を最後まで聞かずに、結論に対して反応的になります。
するとパブロフの犬と同じになります。
結論を言われる、反応する、です。
その反応は、ときに対立を生み、闘争を生みます。
最後まで話を聞けば、なんてことないことなのに、先に思い込みで対立してしまうのです。
ですからどうしても最後まで話を聞かせようとするときには「威嚇」が必要だったりします。・・・中略
ここに文化的ギャップがあります。
日本人だけの社会であれば、日本文化を共有していますから、説明は要りません。
しかし、いまの日本のように、日本人のような顔をして日本人名を名乗るけれど日本人ではない人たちが混じっていたり、外国人を含めた会議やプロジェクトを遂行しようとするときには、なぜ我々日本人は、そのような行動や発言をするのかについて、日本人自身が、はっきりと明確にその理由を、相手にわかるように説明できなければなりません。
つまり日本人の行動に関する説明責任は、日本人自身にあるのです。
ということは、日本人が日本人の行動を、それを単に「あたりまえのこと」や「昔からそうだから」というだけではなしに、ちゃんと理由や意味を説明できるようにならなければならないということです。
男系天皇にしても、「昔からそうだから」とか、「伝統だから」、あるいは単に「Y遺伝子が」という説明では、周囲は納得もしないし、理解も得られないのです。
時代は資本の時代から、戦士の時代へと変わろうとしています。
戦士の時代は、資本よりも、個人の情報発信が、世の中を変える大きな力になる時代です。
ということは、何より個人個人の資質の向上が求められる時代になったということです。・・・以下略
歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに。 今日のねずブロは《人の器(うつわ)》です。 個人の資質のことを、昔は器(うつわ)と言いました。 そして器の大きさが、その人の度量の大きさであり、実力とされました。 果たして現代日本ではどうでしょう...
それにしても言葉とは恐ろしいものですね。日本人と世界、特に特亜3国の人達が分かり合えないのに言葉がこれ程までに影響しているとは思いませんでした。
やはり、この素晴らしい日本語こそが世界共通後に相応しいことは間違いなさそうです。そんな日が来るのでしょうか。