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今年もやってるやってる~

この階級、この選手(ケビン ケリー:フェザー級②)

2016年03月11日 00時28分43秒 | ボクシングネタ、その他雑談
1990年代初頭からの約四半世紀、それぞれの階級で印象に残った選手を挙げていっております。毎回書いていますが記載上のルールは各選手、登場するのは1階級のみ。また、選んだ選手がその階級実力№1とは限りません。

前回からフェザー級をお届けしています。今回登場するのは、WBCフェザー級王座を我がお気に入りのボクサーだったグレゴリオ バルガス(メキシコ)から奪い去った憎っくきケビン ケリー(米)。「憎い」と言いたいのですが、なぜだかケリーに対して憎悪感はありません。



ケリーがバルガスからタイトルを奪取したのは、1993年師走、米国・ネバダ州ラスベガスのリングで。サウスポー・スタイルから、持ち前のスピードを生かしバルガスを翻弄。終盤戦の9回、にバルガスの強打(逆ワン・ツー)でダウンを喫しますが、判定に持ち込み前半戦のリードが功を奏し勝利。プロでのキャリアも40戦近くになり初の世界王座獲得に成功しています。バルガス戦まで無敗を保っていたケリー。新人時代からかなりの期待を寄せられていましたが、それまでに世界挑戦の機会がなかったこと自体不思議に思います。しかしバルガスのコンビネーション、今見ても最高です!


(ケリー、そのスピードでバルガスに勝利)

ケリーが世界王者に君臨した1990年代中盤と言えば、WBOは現在ならIBO程度にしか見られていなかったマイナー団体。WBA、WBCともに管理がしっかりとしており世界王者の価値は今よりも確実に高かったと言い切れます。

強豪バルガスを破った事により、それ以後に長期政権樹立が期待されていたケリーですが僅か2度の防衛成功後に王座から転落してしまいます。ケリーを打ち破ったのがこれまたメキシコの強豪アレハンドロ ゴンザレス。ケリーはゴンザレスの得意とする打ち合いに見事に巻き込まれ、10回終了時に降参負け。僅か1年強で世界王座から陥落してしまいました。ちなみに「ケリー対ゴンザレス」戦は、ウィルフレド バスケス(プエルトリコ)がオーランド カニザレス(米)と非常にレベルの高い攻防で退けた一戦と同じ興行で行われました。

その後のケリーは常に世界フェザー級戦線の上位に顔を連ねていきます。しかしメジャー団体の世界王座への復帰は適いませんでした。

ゴンザレス戦から1年後にマイナー団体である初代WBU王座を獲得したケリー。マイナー団体の王座とは言え、後にWBA王座を獲得するデリック ゲイナー(米)を初めとするレベルの高い挑戦者を退けながら防衛回数を伸ばしていきます。

ケリーが次に脚光を浴びたのは1997年師走。地元であるニューヨークでWBOフェザー級王者ナジーム ハメド(英)と凄まじい打ち合いを演じますが4回KO負け。最高の負け役を演じることに成功しています。バルガス戦までは無敗/無敵のイメージがあったケリー。しかし王座転落後は、特にこのハメド戦以降「最高の負け役」のイメージが定着した感があります。

   
(ハメドとの大激戦)

その後もエリック モラレス(メキシコ/2000年9月)には7回で、マルコ アントニオ バレラ(メキシコ/2003年4月)には4回で潰されてしまいます。後に3階級制覇を達成するウンベルト ソト(メキシコ/2002年7月)には僅差の判定勝利を収めますが、ゲイナーとの再戦(1998年7月)には判定負け。しぶとさならケリーの遥か上を行くマヌエル メディナ(メキシコ/2006年11月)にも僅差の判定負け。そしていつの間にか消えてしまったマニー パッキャオ(比)の実弟ボビー(2006年6月)にも4回でKO負けを喫していました。

2009年5月まで対戦相手の質を落としながら戦い続けたケリー。しかし2006年以降の戦績は3勝(1KO)4敗(2KO負け)と負けが先行してその長いキャリアを終了。2014年にはボクシング殿堂入りを果たしています。

ケリーの獲得した王座(獲得した順):
米国・ニューヨーク州フェザー級:1991年6月14日獲得(防衛回数0)
WBC米大陸フェザー級:1991年11月12日(1)
WBCフェザー級:1993年12月4日(2)
WBUフェザー級:1996年2月2日(4)
NABAスーパーフェザー級:2002年7月13日(0)

通産戦績は60勝(39KO)10敗(6KO負け)2引き分け。KO率は54%で獲得した世界王座は僅かに1つ。しかしケリーは腰に巻いた王座の数より遥かに印象が大きかった選手だったと言っていいでしょう。

アマチュアで62勝5敗という記録を残したケリー。1988年9月にそのプロ・キャリアをスタートさせています。バルガス戦までにオランダのリングに7度、ベルギーのリングに2度登場していますが、ボクシング不毛の地にこれだけ本場アメリカの選手が登場するのも珍しいですね。

ケリーは当時のフェザー級に君臨していたメキシコの第一人者達と拳を交えました。バルガス、ゴンザレス、モラレス、バレラ、ソト、メディナ...。凄まじい顔ぶれですね。もし当時「無冠の帝王」と呼ばれていたファン マヌエル マルケス(メキシコ)と対戦していたら?多分ケリーには申し訳ない試合内容/結果になっていたのではないでしょうか。

  
(バレラ、モラレスには歯が立たず)

しかし世界王座獲得前と王座から転落後のイメージがこれほど変わる選手も珍しいですね。

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5 コメント

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Unknown (名無し)
2016-03-11 16:11:47
このシリーズ面白いですね。懐かしいです。速かったですねケリー。打たれ脆さが残念でしたが、バルガスの方がボクシングに味がありました。そのバルガスですが、アレハンドロ・ゴンザレスとごっちゃにしてる人も多々いるようです。辰吉がまだ底を見せていない時代、香川さんとの対談で、いずれはジュニア・ジョーンズ、そしてケビン・ケリーも考えていると言っていた記憶がありましたが、とてもじゃないが、両者共に辰吉がどうにか出来る相手ではありません。勿論バルガスにも勝てません。無理無理と思った記憶があります。
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Unknown (Corleone)
2016-03-12 03:02:41
名無しさん、
コメントをいただきましてありがとうございます。

アレハンドロ ゴンザレス(コブリータ)が王座を奪取した直後、ボクシング・マガジンで彼の紹介をしていた記憶があります。その中でコブリータの、「サルバドール サンチェスやバルガスと同じベルトを巻けてうれしい!」というようなコメントが載せられていました。それを読んだとき、「バルガスはメキシコでは凄く評価されているんだな」と感じました。

辰吉と香川さんの対談の件ですが、私も覚えております。今だからはっきりと分かるのですが、ケリー相手は無理、ですよね...。ダニエル サラゴサも言っていましたが、辰吉の体はあくまで「バンタム」だったのではないでしょうか。

ジュニア ジョーンズは後にマルコ アントニオ バレラを破り2階級制覇を達成しましたが、この選手も辰吉同様に当初の期待を裏切った選手と言っていいのではないでしょうか。特に世界王座を獲得する前の評価がとんでもなく高かった記憶があります。

振り返ってみると、辰吉はボクサーとしては期待はずれだったかかもしれませんが、人間として非常に成長しましたね(年下の自分が言うのは失礼だとはおもいますが)。

今後もコメントをお待ちしております!
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初黒星する迄は負けるとこ想像が付きませんでした!! (中野吉郎)
2016-03-15 02:34:54
ゴーヨ・バルガス見て,すげぇの現れたな!!もケリーもっと凄かった!!対コブリータ以降は名脇役的に成ってしまいましたが!? 素晴らしい選手と思います!!
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Unknown (Corleone)
2016-03-18 02:42:19
中野吉郎さん、
バルガス以降、ケリー、コブリータと実力選手がこのWBCフェザー級王座に就きますが、どの選手も短命に終わってしまいましたね。

多分ではなく、そうなのでしょうが、ゴーヨが戴冠した王座というために、個人的にこの王座は非常に格式の高い王座というイメージが長らく続いていました!
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私はサルバドル・サンチェス~です!! (中野吉郎)
2016-03-28 00:09:03
ペドロサ,サンチェスに勝てなかったラポルテ~ネルソン!! ネルソン返上後~も一人王者の時は,みんな凄いな!!
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