DAISPO WORLD BOXING EXPRESS

今年もやってるやってる~

あの試合から30年(WBAジュニアフェザー級:1994年3月2日)

2024年03月01日 05時09分03秒 | ボクシングネタ、その他雑談

今から30年前の明日にあたる1994年3月2日、東京体育館で行われた試合結果です。
WBAジュニアフェザー級戦(現スーパーバンタム級):
王者ウィルフレド バスケス(プエルトリコ)KO初回2分5秒 挑戦者葛西 裕一(帝拳)

*大場 政夫、浜田 剛史に続く名門帝拳ジムの3人目の世界王者候補生として、多大な期待が寄せられていた葛西。テレビが地上波で放送されるのが当たり前だった当時、この試合はWOWOWで生中継されました。

(世界奪取が大いに期待されていた葛西)/ Photo: Number Web

その期待を背に、世界王座奪取に向け、元気よくコーナーを飛び出しシャープなパンチでバスケスに襲い掛かった葛西。しかし開始10秒もしない間に、王者の右クロスを被弾してしまいます。バスケスの右のカウンターパンチにばかりに気を取られていた挑戦者に、バスケスの左フックがヒット。それに続く右クロスを再び貰ってしまった葛西は、早々とダウンを喫してしまいます。

試合再開後、右のダブルを貰ってしまい、再びキャンバスに送られた葛西。歴戦の雄バスケスは、ここぞとばかりに走るようにして葛西に襲い掛かります。会場に悲鳴が響く中、挑戦者は必死に生き延びようとしますが、この回の残された時間はあまりにも長すぎました。

(あまりにも厳しい現実に直面してしまった葛西)/ Photo: youtube

試合開始から2分が過ぎたところ、なんとか3度目のダウンから免れようとした挑戦者でしたが万事休す。バスケスの強打と好打の前に何度もぐらついた末、最後はバランスを崩すようのして3つ目のダウンを宣告されてしまいました。スリーノックダウン制が適用されていたこの試合は、そこでストップ。バスケスが最強挑戦者とも言われていた葛西を一蹴し、防衛記録を更新。葛西は春本番を前に、花を咲かせることなく散ってしまいました。

1988年1月に初来日したバスケスは、大阪のリングで六車 卓也(大阪帝拳)の異常なまでのタフネスに大苦戦。引き分けで辛くも当時保持していたWBAバンタム級王座の初防衛に成功しました。この試合の前年11月に再来日し、後楽園ホールのリングに登場したバスケスは、横田 広明(大川)の変則的なボクシングに戸惑いながらも判定勝利。日本でのバスケスの評価は決して高いものではありませんでした。

(3度目の来日で、圧倒的な強さを見せつけたバスケス)/ Photo: Ring Magazine

「バスケスが強く、葛西が弱かった」。そう言ってしまえば簡単ですが、両者の実力の差はそうあったわけではありません。「バスケスの経験勝ち」というのも間違った表現ではありませんが、それ以上に両者の相性が勝敗を決したような気がします。葛西からすれば、バスケスは決して嫌なタイプではありませんでした。しかしそれ以上に、バスケスにとり葛西は非常にやり易い相手だったのではないでしょうか。

一時は「過去の選手」と思われていたバスケスですが、葛西戦から遡ること2年。敵地メキシコでかつて苦杯を喫しているラウル ペレス(メキシコ)の快勝し2階級制覇を達成。その後欧州のリングで、ティエル ヤコブ(仏)やルイス メンドサ(コロンビア)等実力者を相手に、確実に防衛記録を伸ばしていたバスケス。「不死鳥の如く」というのは、まさに当時のバスケスのためにあったような言葉でした。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする