DAISPO WORLD BOXING EXPRESS

今年もやってるやってる~

この階級、この選手(アイク クォーティ:ウェルター級③)

2018年05月11日 22時45分27秒 | ボクシングネタ、その他雑談
1990年代初頭からの約四半世紀、それぞれの階級で印象に残った選手を挙げていっています。記載上のルールは各選手、登場するのは1階級のみ。また、選んだ選手がその階級の実力№1とは限りません。個人的に思い入れのある選手、または印象に残った選手が中心となります。

パーネル ウィテカー(米)、メルドリック テーラー(米)とアメリカ勢が続いていたウェルター級。この階級の最後を飾るのが、アフリカはガーナ出身の選手アイク クォーティになります。ウィテカーはボクシング史上の残る超テクニシャン。テーラーはスピードスター。今回の主人公であるクォーティは前者2人とは異なり、そのパンチ力と固いガードで相手を破壊するまさしくアフリカが誇ったKOパンチャーでした。


(今回の主人公、アイク ‟バズーカ” クォーティ)

クォーティは若干若いものの、ウィテカーやテーラーと同世代の選手。そのキャリアが2人と若干重なっています。テーラーからWBAウェルター級王座を奪ったのがベネズエラの技師クリサント エスパーニャ。その王座交代劇は1992年10月末日でした。彼が世界王座を2度防衛した後に対戦したのが今回の主人公であるクォーティになります。ガーナ人がベネズエラ人に挑戦したのは1994年6月、当時フランスを拠点としていたクォーティのホームグラウンドで行われました。無敗の王者対無敗の指名挑戦者。先日になりますが久しぶりに見ましたよ、その試合。いや~、いい試合でした。エスパーニャといえば、そのスピーディーなボクシングで一時代を築いたテーラーに何もさせずに快勝した好選手。当時、長期政権を築く可能性のあるチャンピオンの一人として挙げられていました。

ウィテカーとは世界王者時代、WBC王者のウィテカー、WBA王者のクォーティーとして世界王者の並立関係にあり、その後ウィテカーがWBC王座転落後、WBA王座挑戦目前まで行きました。しかし残念ながらその一戦は、米国人がWBA王座挑戦者決定戦での勝利後のドーピング検査に引っかかってしまい、結局は実現しませんでした。是非見たかったですよね、「ウィテカー対クォーティ」という夢のようなカードを。

50戦強のアマチュア歴を誇ったクォーティ。1988年のソウル五輪では母国ガーナ代表としてライトウェルター級のトーナメントに出場。プロ転向後も世界挑戦前までその階級(プロの呼称はジュニアウェルター、またはスーパーライト級)で戦っていました。当時、1990年代中盤は、伝説のメキシカン、フリオ セサール チャベスの晩年に当たります。クォーティーはそのチャベスを打ち破る可能性のある選手の一人として挙げられていました。その他に挙げられていた選手にはオスカー デラホーヤ(米)、コンスタンチン チュー(露/豪)等が挙がっており、それだけでもクォーティの実力というものが伺えます。

1969年11月生まれのクォーティがプロに転向したのは、ソウル五輪と同じ年の1988年。プロの最初の2年でアフリカ大陸にある王座を次々に獲得していくと、欧州、米国のリングに進出していきます。1992年末からは本拠地をフランスに移し快進撃を続けていきます。

さてクォーティにとっての記念すべき世界初挑戦。171センチとウェルター級ではどちらかと小柄な部類に入るアフリカ人ですが、その固いガードと、ノーモーションから放たれる左ジャブで安定王者と互角に戦っていきます。クォーティの固いボクシングに対し、手数で対抗していくエスパーニャ。まさに「一進一退」という言葉道理、10回終了時までの採点は1-1(クォーティからみて99-95、94-96、95-95)のイーブン。勝負は判定までもつれ込むのではと思われました。そんな矢先の11回、速射砲のような左右の連打で立て続けに2度のダウンを奪ったクォーティ。あっという間に試合を終わらせてしまいました。


(クォーティの世界初挑戦試合、対エスパーニャ戦)

この試合はWOWOWで放送されましたが、まさに衝撃の王座交代劇といっていいでしょう。その後何度もWOWOWに登場したクォーティですが、その度にジョー小泉氏を唸らせていました。誰との対戦だったかは記憶にありませんが、ある時「『アイク小泉』にしたいですよ」という最大限の賛辞を贈った事もありました。

世界王座獲得後、王座の防衛戦と無冠戦を繰り返しながら、フランスに加え米国のリングにも度々登場するようになりました。クォーティの防衛戦をいくつか挙げてみます。1995年3月に米国・ニュージャージー州で2度目の防衛戦を行ったクォーティ。挑戦者は当時OPBF(東洋太平洋)ウェルター級王座を12度防衛していた朴 政吾(韓国)。ガーナ人は東洋では安定した力を見せていた朴を左ジャブだけでボコボコにしてしまいました。この朴、日本のリングでウェルター級の第一人者だった佐藤 仁徳(仙台)、吉野 弘幸(ワタナベ)と好試合を演じ勝利した選手です。しかしその朴がまるで子供扱いに。この試合を見た後、「とても日本人ではウェルター級を制覇するのは無理だろう」という諦めムードが漂ってしまいました。

1996年4月に行われたビンス フィリップス(米)を相手に行った4度目の防衛戦。フィリップスはこの試合から13ヶ月後に、当時IBFスーパーライト級王座を保持していたチューに挑み、番狂わせのTKO勝利を収めてしまいます。しかしそのフィリップスも、クォーティの前では何も出来ませんでした。フィリップス戦から半年後、フェリックス トリニダード(プエルトリコ)やオスカー デラホーヤ(米)を大いに苦しめたオーバ カー(米)に判定勝ち。1997年10月、元WBO王者ホセ ルイス ロペス(メキシコ)にダウンを奪われ、何とか引き分け防衛に成功したクォーティですが、このロペス、後のIBFスーパーウェルター級王者ヨリボーイ カンパス(メキシコ)に圧勝した強豪中の強豪。意外な打たれ脆さを見せてしまいましたが、逆にその勝負強さを証明した防衛戦でもありました。

ビックマッチ出場希望が強すぎ、WBA王座の防衛戦をおろそかにした結果、戦わずして同王座を失う羽目になってしまいましたが、逆に念願のビックイベント出場が実現。そのビックイベントというのは、当時のボクシング界のスーパースターの座に居座っていたデラホーヤが保持していたWBCウェルター級王座に挑戦する試合です。


(20世紀末を飾った大激戦)

クォーティといったら何といっても1999年2月に行われた、このデラホーヤ(米)との戦争のような打ち合いではないでしょうか。フルラウンドに渡り持てるものを出し切った両者。デラホーヤは1度、クォーティは2度ダウン喫するという大激戦を演じました。結果は2対1の判定でデラホーヤが勝利を収めましたが、結果として両者とも評価を上げることになりました。

   
(クォーティ、デラホーヤ共にダウン!)

この試合が激しかっただけに、2人の負ったダウンを激しいものでした。その後両選手とも実力者との対戦を繰り広げていきましたが、二人のキャリアには白星以外のものが目につくようになっていきました。デラホーヤが最近のインタビューで「クォーティ戦後、歩くことが出来なかった」と、その激戦を振り返っていました。

クォーティが獲得した王座(獲得した順):
西アフリカ連合スーパーライト級:1989年4月22日獲得(防衛回数1)
(*この王座の価値というものがどれほどのものかは分かりません。しかしクォーティは同王座をプロデビュー僅か3戦目で獲得しています。)
ガーナ国内スーパーライト級:1989年10月21日(0)
西アフリカ・スーパーライト級:1989年12月2日(0)
アフリカ・スーパーライト級:1990年12月15日(1)
アフリカ連合スーパーライト級:1990年12月15日(1)
(*2つの違ったアフリカ王座を同時獲得)
WBCインターナショナル・スーパーライト級:1992年3月7日(2)
WBAウェルター級:1994年6月4日(7)

クォーティはデラホーヤ戦の翌年、若き実力者フェルナンド バルガス(米)が保持していたIBFスーパーウェルター級王座に挑戦。しかしここでも僅差の判定負けを喫してしまいました。その後5年のブランクの後2005年にリングに復帰。3連勝を飾るも、バーノン フォーレスト(米)、ロナルド ライト(米)等実力者に連続判定負けを喫してしまいます。判定まで粘ったところはさすがはクォーティといったところですが、ライト戦後に現役から退いています。

終身戦績は37勝(31KO)4敗1引き分け。キャリアの後半に著名選手に連敗してしまったのは痛かったですが、1999年代を代表する実力者で会ったことは間違いありません。バルガス戦後、落ち込まず定期的に試合を行っていれば、難なく世界王座への復帰を果たしていたでしょうね。そういえば7月にマレーシアで行われるルーカス マッティーセ(亜)対マニー パッキャオ(比)戦意には、クィーティが保持していたWBAウェルター級王座が争われます。もし両者が全盛期のアフリカ人と対戦していれば、マッティーセはもちろん、絶頂期のパッキャオでも勝利は難しかったのではないでしょうか。それぐらい好調時のクォーティは強かったです。

最近の一流選手たちは揃って総合力があり、まとまった選手が多数存在します。しかしそれと同時に、「このボクサーはこれがある!」という個人個人の特徴がありません。彼らとは違い、クォーティには左ジャブ、鉄壁なガードという「強さ」、そうセールスポイントがありました。今でもそれなりに評価されている選手ですが、本来ならもっともっと評価されるべき選手でしょう。

話はボクシングからそれますが、クォーティは27兄弟の末っ子で、彼の実父には5人の奥さんがいたそうです。
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