DAISPO WORLD BOXING EXPRESS

今年もやってるやってる~

意見番(01‐18‐10)

2010年01月18日 00時49分05秒 | ボクシングネタ、その他雑談
2010年1月18日ごろの意見番です。

*まずは参考までに。マニー パッキャオのプロデビューは1995年1月。初の世界王座WBCフライ級獲得は1998年12月になります。

マニー パッキャオ旋風が吹き荒れる前のフィリピン人選手、アラ ビラモアとジョマ ガンボア小泉。

ジョー小泉氏のサポートを受け、「ガンボア小泉」のリングネームで日本のリングにも幾度も登場したガンボア。ガンボアは比国ミニマム級、WBAラテン・ライトフライ級の王座獲得後、4度目の世界挑戦でWBA暫定ミニマム級王座を獲得しています(1999年12月)。その王座を1度防衛した後、世紀王座の座に昇格(計2度防衛)。しかし横浜のリングで星野 敬太郎(花形)に破れ王座と決別。その後WBAミニマム級王座の奪回、WBCライトフライ級での2階級制覇を目指すも敗れ去っています。最後のリング登場は2004年11月。終身戦績は33勝(22KO)10敗2引き分け。

パッキャオ、ガンボアの新鋭時代、すでに世界王者候補の有力選手だったのがアラ ビラモア。ビラモアはデビュー当初から期待を一身に受ける選手でした。比国ミニマム級王座獲得後世界1位に昇進。しかし当時ミニマム級王座に君臨していたのがあのリカルド ロペス(メキシコ)。しかもその全盛期に当たってしまいました。帝王ロペスを回避して挑んだ初の世界挑戦は1993年6月。相手は「小型カオサイ」と恐れられていたIBFミニマム級王者ラタナポン ソーウォラピン(タイ)。敵地で行われたこの一戦。ラタナポン陣営の体重超過疑惑など不運もありTKO負けを喫しています。
2度目の世界戦となったのが1996年3月に米国ネバダ州ラスベガスで行われた対ロペス戦。怪我のために1年ぶりのリング登場となったロペスは、普段以上に慎重なボクシングを披露。8回に今も語り草となっている左アッパーを浴びせ、ビラモアをワンパンチでKOしています。これがビラモアの最後の試合。ビラモアの終身戦績は29勝(26KO)2敗1引き分け。

実力はありながらも世界に到達できなかったビラモア。柔軟性のある好戦的なサウスポーでした。帝王ロペスが去ったミニマム級に登場した、右強打のみの不器用な選手ガンボア。もし全盛期時代の両雄が対戦した場合、ビラモアが圧勝していたでしょう。しかしガンボアは、リング上での実力は劣るも世界王座を獲得。小泉氏との出会い、ロペスの転級などガンボアのキャリアには運を感じてしまいます。

運も実力のうち。それが両者のキャリアを物語っています。
コメント
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