goo blog サービス終了のお知らせ 

DAISPO WORLD BOXING EXPRESS

今年もやってるやってる~

あの試合から30年(IBFジュニアライト級:1995年7月9日)

2025年07月09日 05時22分45秒 | ボクシングネタ、その他雑談

今から30年前となる1995年7月9日、米国ネバダ州で行われた試合結果です。
IBFジュニアライト級戦(スーパーフェザー級):
挑戦者トレーシー パターソン
(米)TKO2回1分37秒 王者エディ ホプソン(米)

*この試合が行われる2ヶ月半前に、ジョンジョン モリナ(プエルトリコ)がオスカー デラホーヤ(米)へ挑戦するために返上した王座を獲得していたホプソン。その初防衛戦で、2階級下の前WBC王者パターソンを迎える事になりました。

(ネバダ州といってもラスベガスではなく、リノで行われたIBFジュニアライト級戦)/ Photo: JO Sports Inc.

26戦全勝という素晴らしい戦績の持ち主であるサウスポー(左構え)のホプソンは初回、そのハンドスピードと華麗なフットワークでを披露。しかし王者の倍のキャリア(52勝3敗1引き分け)を誇るパターソンは、そのボクシングをどっしりとしたボクシングで対抗していきます。

元ヘビー級王者フロイド パターソン(米)の養子であるトレーシーは、元々この階級の選手。166センチというこの階級では小柄な体格的ハンディから、2階級下のスーパーバンタム級/ジュニアフェザー級に落としてWBC王座を獲得。その王座をダニエル サラゴサ(メキシコ)と2度戦うなどして5度の防衛に成功しました。前年(1994年の事です)8月にその王座と決別しましたが、その後2連勝を飾り元々の階級での世界挑戦の機会を得る事になりました。

(偉大な養父を持つトレーシー)/ Photo: Facebook

比較的静かな3分間だった初回でしたが続く2回、試合は一気にフィナーレへと向かいます。その回早々、挑戦者のスムーズな左ジャブからの右ストレート(ワン・ツー)が見事に決まり王者がダウン。このダウンで大ダメージを被ったホプソンは試合再開後、左フックを貰い2度目のダウン。その後試合は継続されますが、3度目、そして4度目と立て続けにダウンを奪われたホプソンは最終的にレフィリーに救い出されることに。パターソンが予想外の速攻劇を演じ、あっさりと2階級制覇を達成してしまいました。

(あっさりと2階級制覇を達成したトレーシー パターソン)/ Photo: Boxing DVDs

ダウン後に、右足を引きずるようなしぐさをしていたホプソン。ダウンをした際に足を捻ったかもしれません。

安定王者モリナが去り、モリナ以上の実力者と見なされていたヘナロ エルナンデス(米)もデラホーヤを追い求めライト級の転向してしまった当時のジュニアライト級。彼らの後継者争いに注目が集まっていました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あの試合から30年(ヘビー級:1995年7月2日・その2)

2025年07月03日 05時50分38秒 | ボクシングネタ、その他雑談

今から30年前の昨日となる1995年7月2日、アイルランドで行われた試合結果です。
ヘビー級戦(10回戦):
レノックス ルイス
(英)TKO4回1分48秒 ジャスティン フォーチュン(豪)

*この試合が行われた前年となる1994年9月に、指名挑戦者ながらも格下と思われていたオリバー マッコール(米)の一発に沈み、保持していたWBCタイトルを手放してしまったルイス。この年(1995年です)の5月ライオネル バトラー(米)を一蹴し再起に成功。同時にWBC王座への指名挑戦権を獲得しています。

バトラー戦から2ヶ月弱。ルイスは早々とリングに戻ってきました。英国ではなく、お隣のアイルランドの地に降り立ったルイス。前WBC王者が迎えたフォーチュンは、11勝(7KO)2敗1引き分けの戦績の持ち主で、OPBF(東洋太平洋)タイトルを獲得した経験もある選手。実力的には同地域レベルが限界の選手と言っていいでしょう。この試合の注目は、ルイスが何ラウンドまでに豪州人をKOするかに絞られていました。

(ルイスがアイルランドのリングに登場)/ Photo: JO Sports Inc.

実力に加え、体格にも大きな隔たりがある両選手。ルイスの身長は196センチで、フォーチュンのそれは身長175センチ。少なくとも2階級は違った対格差がありました。

(実力に加え、対格差があり過ぎたルイス(左)とフォーチュン)/ Photo: Youtube

マッコール戦からの教訓か、格下相手にも慎重なボクシングを披露するルイス。豪州人はその長い左ジャブを掻い潜り、懐の深いルイスに接近するのが精一杯の状況が続きます。2回にはその右強打が当たりだしたルイス。試合はいよいよ佳境を迎える事になりました。

4回中盤、コンビネーションから右アッパーを3連打したルイス。レフィリーは躊躇することなく試合をストップしました。予想されていたとはいえ、盤石なボクシングを見せつけたルイス。あとは何時、世界王座に復帰するかに焦点が絞られています。

(レフィリーは何らためらいもなく試合をストップ)/ Photo: Youtube

 

下記はこの試合が終わった時点(1995年7月2日)時点での、世界ヘビー級王者たちとなります。

WBA:ブルース セルドン(米/防衛回数0)
WBC:オリバー マッコール(米/1)
IBF:ジョージ フォアマン(米/0)
WBO:リディック ボウ(米/1)

*この時期の最大の注目は、仮釈放されたマイク タイソン(米)の再起戦は何時、誰と行われるのかに集まっていました。そしてそのタイソンを追うのが、ルイス、ボウ、そしてイベンダー ホリフィールド(米)の3強。これら4選手に加えると、メジャー団体のタイトルホルダーたちの実力はかなり見劣りするものがありました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あの試合から30年(WBOジュニアバンタム級:1995年7月2日・その1)

2025年07月02日 05時13分30秒 | ボクシングネタ、その他雑談

今から30年前となる1995年7月2日、米国ニューメキシコ州で行われた試合結果です。
WBOジュニアバンタム級戦(スーパーフライ級):
王者ジョニー タピア
(米)判定2対0(116-112、115-113、114-114)挑戦者アーサー ジョンソン(米)

*この試合が行われた前年となる1994年3月に3年半ぶりにリング復帰を果たしたタピア。復帰後は精力的に試合をこなしていき、その年の10月には早くもWBOタイトルを獲得するなど、同年には7試合(全勝6KO)も実戦を行っています。その勢いは1995年にも継続され、2月、5月と防衛に成功。5月の防衛戦から2ヶ月のスパンで、早くも3度目の防衛戦を行うことになりました。

タピアが今回迎えたのは、1988年のソウル五輪に米国代表として出場したジョンソン(3回戦で敗退)。タピアがリング復帰を果たす2ヵ月前(1994年1月)にタイに渡航し、当時のIBFフライ級王者ピチット シットバンプラチャン(タイ)に挑戦。敵地での初挑戦は大差判定で敗れ、世界王座獲得なりませんでした。このジョンソンが予想以上の強豪で、タピアをフルラウンドに渡り苦しめる事になりました。

(タピアの3度目の防衛戦の相手に選ばれたジョンソン)/ Photo: St. Louis Post-Dispatch

タピアは168センチとこの階級ではかなりの長身の部類に入ります。しかしジョンソンの身長はタピアを上回る170センチと、フライ級やジュニアバンタム級はおろか、一階級上のバンタム級でも大柄で通ります。

固いガードと手堅い左ジャブ、そしてスムーズで小回りの引きフットワークという基本に忠実なボクシングを展開するジョンソン。前半戦、タピアは少々強引なアタックでジョンソンを崩しにかかりますが、ジョンソンがそれに動じる事はまったくありませんでした。中盤戦、特に7回、8回にはまさにお手本のようなボクシングで王者を翻弄した挑戦者。地元タピアも必死に攻めますが、試合展開を自分の手にすることは出来ず仕舞い。最終12回には鼻血を流すなど、最後まで苦しい展開が続く事になりました。

試合終了のゴングが鳴らされた時、「王座交代か」と思われました。しかし出された判定は僅差の判定で王者の防衛を支持。タピアは5月のリカルド バルガス(メキシコ)との負傷引き分けという苦しい試合に続いて、綱渡り的な勝利を収める事になりました。

この試合後、ジョンソンはフライ級とバンタム級で世界王座に挑戦するもタイトル奪取成らず。このタピアとの一戦が、世界に一番近いた瞬間だったと言っていいでしょう。

(実力はありながらも、結局はメジャー団体の世界王座奪取成らなかったジョンソン。写真のベルトは上からNBA、以前のNABF(WBCの北米タイトル)、そしてNBAとなります)/ Photo: Youtube

キャリア後半に、超マイナー団体NBAのバンタム級とスーパーバンタム級の2階級で王座を獲得したジョンソン。結局は実力に見合うキャリアを残すことは出来ませんでした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あの試合から30年(IBFジュニアウェルター級:1995年6月25日)

2025年06月25日 05時37分16秒 | ボクシングネタ、その他雑談

今から30年前となる1995年6月25日、豪州で行われた試合結果です。
IBFジュニアウェルター級戦(スーパーライト級):
王者コンスタンチン チュー
(豪/露)判定3対0(119-109、118-110x2)挑戦者ロジャー メイウェザー(米)

*この年の1月に、本場米国ラスベガスのリングでプロボクシングの世界の頂点に立ったチュー。地元豪州で行った初防衛戦に、元世界2階級制覇王者メイウェザーを迎える事になりました。

(初防衛戦を控えたチュー)/ Photo: Instagram

1980年代全般を通じ活躍していたメイウェザー。世界王座はWBAジュニアライト級(スーパーフェザー級)とWBCスーパーライト級の2階級で獲得しています。しかし最近(1990年代半ばの事です)は1991年師走にはラファエル ピネダ(コロンビア)の強打の餌食になる等、そのキャリアは下降線を辿っていました。それでもピネダ戦後もマイナー団体IBOのスーパーライト級とウェルター級でタイトルを獲得するなど、まだまだしぶとく実力を保持する古豪選手です。しかもメイウェザーには2度に渡るフリオ セサール チャベス(メキシコ)との対戦や、パーネル ウィテカー(米)との対決など、ボクシング史に残る強豪たちと拳を交えてきたメイウェザーの実力は侮る事は出来ません。

(ジュニアライト級時代のメイウェザー)/ Photo: Facebook

(若き日のチャベス(右)との一戦。画像は第一戦のもの)/ Photo: Youtube

そんな名前のある元世界王者を相手に快勝を収め、自身の名前をさらに売り込みたかったスーパースター候補生チュー。好試合が期待されましたが、実際の試合は初回からクリンチが非常に多く、レフィリーからも前半戦からパンチの交換を催促される消化不良のものとなってしまいました。

(期待された試合は、レフィリーが両者にパンチの交換を催促される残念なものとなってしまいました)/ Photo: Youtube

チューがその強打を好打すれば、メイウェザーがロシア人に抱きつきレフィリーがそれを解く。それが36分間に渡り繰り返されました。もしこのような内容の試合が米国で行われていれば、ブーイングの嵐が起きていたでしょう。しかし不思議な事に同じ英語圏の豪州では、観衆が少なくてもこの試合では批判がましい罵声を放つことはありませんでした。

(パンチの交換以上にクリンチが多かった一戦)/ Photo: Youtube

試合も後半戦になると、少しは両者が打ち合う場面がありましたが、それでも期待以下の試合内容だったことは否めません。変化と言えば、チューが左目じりをカットした程度でしょう。

チューは勝者の名乗りを受けたとはいえ、評価向上に繋げる事は出来ませんでした。強打者を相手に持ち前(?)の打たれ脆さをさらけ出すことはありませんでしたが、「メイウェザーも完全に終わった」事を印象付けてしまった敗者。それでも1999年5月まで戦い続けています。

あのフロイド メイウェザー ジュニア(米)を甥っ子に持つロジャー。その偉大なる甥は、この試合が行われた翌年1996年の夏に米国ジョージア州アトランタで行われた夏季五輪に出場。フェザー級で銅メダルを獲得し、その後プロに転向。ボクシング史に残る大活躍をすることになりました。

(右からロジャー、フロイドジュニア、ロジャーの実兄のフロイドシニア)/ Photo: Orange County Register

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あの試合から30年(IBFスーパーミドル級:1995年6月24日)

2025年06月24日 05時26分17秒 | ボクシングネタ、その他雑談

今から30年前となる1995年6月24日、米国ニュージャージー州で行われた試合結果です。
IBFスーパーミドル級戦:
王者ロイ ジョーンズ
(米)TKO6回2分58秒 挑戦者ビニー パジエンザ(米)

*この試合が行われた前年11月に、強豪中の強豪ジェームス トニー(米)に快勝し、世界2階級制覇を達成したロイ。トニー戦の勝利では自身2つ目の世界タイトルを獲得すると同時に、最強戦士の称号(俗に言うパウンド・フォー・パウンド)も手に入れています。

あまりにも実力があり過ぎるため、他団体の王者を含め、既に対戦相手探しに苦慮し始めたロイ。2度目の防衛戦には「話題性」を優先する形で挑戦者を選ぶことになりました。今回ロイに挑戦したのは、1980年代前半からプロ活動をはじめ、米国東海岸を中心に圧倒的な人気を誇っていたパジエンザ。このロードアイランド州出身の白人ファイターは、元IBFライト級、WBAジュニアミドル級(スーパーウェルター級)王者の肩書を持った、今でいうエンターテインメント性の高いファイターと言っていいでしょう。

(人気者パジエンザ(右)を迎えることとなったロイ)/ Photo: Wikipedia

南部フロリダ州出身のロイにとり、どちらかというとアウェーでの試合となった防衛戦。王者に対してのブーイングは聞かれませんでしたが、声援は挑戦者に対するものの方が圧倒的に多く聞かれました。話題性という観点から見ると、興行としては大成功だったこの試合。実際の試合内容はというと、パジエンザのリアクションがあまりにも激しかった(大きいという表現では足りない)ため、大いに盛り上がりました。しかし両者の実力差は雲泥の差ほどありました。

(数字が表すように、両者の実力にはかなりの差がありました)/ Photo: Dailymotion

初回、やる気満々のパジエンザは、上体を揺さぶりながら激しく動くボクシングでロイに迫っていきます。しかしこれぞ「横綱相撲」というのでしょうか、ロイはそんな挑戦者の勢いに全く飲まれる事なく早く、そして的確な左ジャブでレッスンにとりかかります。

(見事な左ジャブでパジエンザをコントロールするロイ)/ Photo: Youtube

序盤戦、まだまだ元気いっぱいなパジエンザは驚く事に2回を抑えてします。しかし挑戦者の大善戦もここまで。続く3回にはすでに左右の目の下を負傷しまい、4回には鼻からの出血が見られるようになってしまいました。

回を追う毎にその素晴らしい左ジャブが活きていくロイ。パジエンザも激しく動くはするものの、オーバーアクションで観衆を沸かせるだけで試合に影響を与える事はありません。そして5回、今度は右目じりをカットしてしまい、さらに追い込まれていく事になりました。

最終回となった6回、余裕を持ちながら左フックからの連打でダウンを奪ったロイ。試合再開後、今度は右で2度目のダウンを奪い、仕上げに再び連打でストップ勝利。スーパーマンが米国東海岸のリングで圧倒的なパフォーマンスを披露し、保持する王座の2度目の防衛に成功しています。

パジエンザのリアクションの大きさで常に大喜びだった観衆でしたが、冷静に見れば王者のワンサイド・マッチ。ロイは強すぎるがためにこの試合から数年の間、無人の荒野をひたすらに突き進むことになります。

1991年にジュニアミドル級王座を獲得した直後に自動車事故にあい、選手生命が危ぶまれたパジエンザ。しかしそこからリング活動に復帰し、最強ジョーンズ挑戦までたどり着くのですからファンが騒がない筈がありません。2004年に現役を引退するまで、メジャー団体とは無縁に終わったパジエンザ。しかしそのリング活動は常に世間の注目を浴びる存在であり続けました。

(自動車事故を乗り越え、リハビリに励むパジエンザ)/ Photo: the Boston Globe

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

田中 恒成が引退

2025年06月22日 05時19分06秒 | ボクシングネタ、その他雑談

今月4日、ミニマム級からスーパーフライ級の4階級でWBO王座を獲得してきた田中 恒成(畑中)が、現役からの引退を発表しています。

(現役からの引退を発表した4冠王田中)/ Photo: スポーツ報知

唐突という印象がある、田中の引退。2020年大晦日に行われた井岡 一翔(志成)戦以降、自身の目や首の手術を繰り返していたそうです。

最短記録更新のキャリアという印象が残る田中。その太くそして短くない戦績をまとめてみました。

2013年11月:世界ランカー・オスカー レクナファ(インドネシア)を相手に6回戦でプロデビュー。ダウンを奪うなどして、大差の判定で初陣戦を飾る。

2014年10月:後楽園ホールのリングに初登場。原 隆二(大橋)を10回TKOで破り、プロ4戦目でOPBF(東洋太平洋)ミニマム級王座を獲得。

2015年5月:フリアン イエドラス(メキシコ)と空位だったWBOミニマム級タイトルを争い判定勝ち。僅か5戦目で世界王座獲得に成功。この王座は初防衛に成功後返上。

2016年大晦日:モイセス フェンテス(メキシコ)を5回で破りWBOライトフライ級王座を奪取。プロ8戦目で世界2階級制覇を達成。その後、2度の防衛を飾る。

2018年9月:木村 翔(青木)の保持するWBOフライ級タイトルに挑戦。大激戦の末2対0の判定で勝利。12戦目で世界3階級を制覇。このフライ級王座は3度の防衛に成功。

2020年大晦日:WBOスーパーフライ級王者井岡 一翔(志成)に挑戦するも、ディフェンス力の差を見せつけられ完敗。8回TKOで敗れ、自身初の黒星を喫すると同時に念願の世界4階級制覇ならず。

2022年6月:自身2度目の後楽園ホールでの試合。橋詰 正義(角海老宝石)を5回TKOで下し、WBOスーパーフライ級アジア太平洋ベルトを獲得。

2024年2月:クリスチャン バカセグア(メキシコ)と空位だったWBOスーパーフライ級王座を争い判定勝利。悲願の世界4階級制覇達成。

2024年10月:伏兵ブメレレ カフ(南ア)にまさかの判定負けを喫し、王座から転落。結局この試合が田中のラストファイトとなってしまいました。

プロボクサーとしての終身戦績は20勝(11KO)2敗(一つのKO負け)。スピード豊かなボクシングで、世界各地の軽量級の強豪選手たちと対戦を重ねました。

世界王座はミニマム級からスーパーフライ級の4階級で獲得しましたが、その内3階級は王座決定戦で勝利を収めています。また、出場したすべての世界戦はWBO。そこまでして同団体のタイトルにこだわる必要があったのでしょうか。

確かな戦力を持った選手ではありましたが、日本国内のみに見てもその知名度は中京地区限定といった印象があります。もっと評価され、リング上でも活躍が出来たような気がします。

今後は何かしらボクシングに携わる事をやっていきたいとの事。その方面での活躍を期待しています。目の疾患での引退となりますが、師である畑中 清詞会長も、右目の眼筋麻痺のため現役から引退をしましたね。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あの試合から30年(WBOヘビー級:1995年6月17日)

2025年06月17日 05時41分12秒 | ボクシングネタ、その他雑談

今から30年前となる1995年6月17日、米国ネバダ州で行われた試合結果です。
WBOヘビー級戦:
王者リディック ボウ
(米)KO6回1分50秒 挑戦者ホルヘ ルイス ゴンザレス(キューバ)

*1992年11月に、イベンダー ホリフィールド(米)を相手に自身最高のパフォーマンスを披露し統一ヘビー級王座を獲得したボウ。ヘビー級史に残る名王者に成長していくであろうと多大な期待が集められましたが、その後は早々と頂点から滑り落ちてしまいました。

事の始まりはその年の師走、WBCから科されていた指名挑戦者レノックス ルイス(英)との防衛戦を拒否してからとなります。ただ王座を返上するなり剥奪されるならよかったのですが、ボウは記者会見でWBCの緑のベルトをゴミ箱に捨てるという暴挙をしてしまいます。この行為がその後のボウのキャリアに大きな負の要因として付きまとうことに。

戦わずして一つの世界タイトルを手放したボウ。1993年にはマイケル ドークス(米)とジェシー ファーガソン(米)を一蹴し、IBFとWBAの防衛記録を順当に伸ばします。しかしその年の11月、リベンジに燃えるホリフィールドの執念に負け世界王者から転落。翌1994年夏に行ったバスター マシス(米)との再起戦でも、ダウンしている相手にパンチを放ち、完璧にKOしてしまいます。ボウは反則負けにさせられるべきところでしたが、何故だか無効試合という判決が下され命拾いをしたボウ。その年の師走に行ったラリー ドナルド(米)戦には大差の判定勝利を収めるも、試合前の記者会見では、ドナルドにパンチを見舞い、またまた醜態をさらけ出していました。

この年(1995年)の3月に、ハービー ハイド(英)からダウンを奪いまくりマイナー団体WBOタイトルを獲得したボウ。しかしKO勝利を収めたとはいえ、試合内容は決して褒められるものではありませんでした。

実力は誰しもが認めるボウ。しかし素行の悪さと練習嫌いから、ホリフィールドとの第一戦のような素晴らしいパフォーマンスを見せる事はありませんでした。そんな彷徨い続ける才能が迎えたのは、アマチュア時代の宿敵であるゴンザレス(キューバ)。アマチュアの名選手と知られたゴンザレスは、1987年に行われたパン・アメリカ大会でボウ、そしてルイスをも破り金メダルを獲得。その後も多くの大会で優勝を飾りますが、同胞たちと同様に母国キューバから亡命し、プロに転向する事になりました。

(アマチュア時代に苦杯を舐めたゴンザレスを迎えたボウ)/ Photo: Wikipedia

戦いの地を米国に選んだゴンザレス。身長201センチ、リーチは210センチと、当時のヘビー級としては超大柄選手だったボウ(身長196センチ、リーチ206センチ)を上回る体格の持ち主です。左ジャブと右ストレートを基調とした教科書的なボクシングをする選手でしたが、ボウはホリフィールド戦にも劣らない素晴らしいパフォーマンスを披露する事になりました。

初回から気合十分のボウは、ゴンザレスの長いジャブを苦もせずに搔い潜り逆に自身の見事な左ジャブと、それに続く右ストレートでキューバ人を痛めつけていきます。

(見事な左ジャブでゴンザレスを痛めつけるボウ)/ Photo: BoxRec

回を重ねるごとにボウの一方的な展開となった一戦。ゴンザレスもスマートで長い左右のパンチで対抗しますが、その攻撃は各回一時的なもの。手数は勿論、パンチの的中率では王者が圧倒的に上回ります。

(ゴンザレス(右)に狙いを定めるボウ)/ Photo: Youtube

試合前から敵愾心をむき出しにしていたボウ。あろうことかに4回終了後、パンチの嵐をゴンザレスに見舞います。反則負けを宣告されても仕方のない行為でしたが、試合は無事に継続されることに。感情的になると見境なくケンカ腰になるボウ。もうそういう性格なのでしょうな。

4回の反則行為を抜きにしてゴンザレスに甚大なダメージを与えていったボウは6回中盤、見事な右ストレートでキューバ人を完全にKO。アマチュア時代の雪辱を果たすと同時に、3月に獲得した王座の初防衛に成功。久しぶりに「強いボウ」を見た気がします。

(右一発でライバルを仕留めたボウ)/ Photo: Round by Round Boxing

3月にはマイク タイソン(米)が仮釈放され、リング復帰に向け準備を進める中、ホリフィールドとルイスも敗戦からの再起に成功。これら3強の中に、ボウが堂々と割り込んでいく事になりました。この日のボウのパフォーマンスは「現役最強のヘビー級」にふさわしいもの以外の何物でもありませんでした。

この試合のボウの出来に関しては、HBO局の解説者たちも口を揃えて「ホリフィールドとの第一戦以降最高のボウだ」としきりにコメントをしていました。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あの試合から30年(WBCライトヘビー級ほか:1995年6月16日)

2025年06月16日 05時43分25秒 | ボクシングネタ、その他雑談

今から30年前となる1995年6月16日、フランスで行われた試合結果です。
WBCライトヘビー級戦:
挑戦者ファブリス ティオーゾ(仏)判定3対0(116-112x2、115-112)王者マイク マッカラム
(米)

*1990年代半ばに大盛況を博すフランス・ボクシング。その旗手とも言えるティオーゾの世界王座奪取劇が、30年前の今日行われました。1993年4月にバージル ヒル(米)が保持するWBA王座に挑戦したティオーゾ。その時は持ち前(?)の打たれ脆さを付かれ、初回、2回とダウンを喫してしまいました。しかしその後、地元ファンの声援に後押しされ大反撃に転じたティオーゾ。10回までにポイントをイーブンに持っていくまで巻き返します。何とか接戦にまで持ち込んだフランス人でしたが、試合最終盤にはガス欠に陥ってしまいヒルの牙城を破る事は出来ず。僅差の判定で王座奪取はなりませんでした。

ヒル戦後、地道に欧州王座を守りながら虎視眈々と世界再挑戦の機会を伺っていたティオーゾ。初挑戦から2年2ヶ月、フランスの星が再び世界戦のリングに立つことになりました。今回ティオーゾが挑戦するのは、ジュニアミドル級/スーパーウェルター級、ミドル級に続いてライトヘビー級の3階級で世界を制覇してきたマッカラム。1980年代後半にピークを迎えた選手とはいえ、攻防兼備の万能型の選手です。

40歳を控えた大ベテランですが、ティオーゾにとり決して容易な相手ではありません。そんな強豪相手に挑戦者は臆する事無く前進していきます。2回、右ストレートからの左フックでダウンを奪ったティオーゾ。パンチによるダメージというより、勢いでバランスを崩させた形でしたがフランス人にとり大きな加点となりました。

その後、両者が「これでもか!」と思われるほど手を出し続けたこの戦い。逆を言えばティオーゾもマッカラムも一発に欠けていたという事でしょう。

(フルラウンドに渡りパンチを出し続けたマッカラム(左)とティオーゾ)/ Photo: Facebook

サッカー会場を思わせる大声援の中行われた熱戦は、最終回終了のゴングを聞く事に。結局は2回のダウンが決定点となりティオーゾが僅差の判定ながらも明白な勝利を収める事に成功。元WBAスーパーミドル級王者の実兄クリフトフに続いて世界のベルトを腰に巻いています。

(フランスの誇るティオーゾ兄弟)/ Photo: BoxRec

 

WBAジュニアウェルター級戦(スーパーライト級):
王者フランキー ランドール(米)判定2対1(119-111、116-114、114-116)挑戦者ホセ バルボサ(ベネズエラ)

*実力はありながらも長らく裏街道を歩いていたランドール。前年1994年に32歳にしてそのキャリアが大開花。1月に伝説のフリオ セサール チャベス(メキシコ)から初のダウンを奪うと同時に、初黒星を擦り付けてWBCタイトルを奪取。チャベスとの再戦に敗れその王座を手放すも、9月にはアルゼンチンの強豪ファン マルチン コッジ(亜)に圧勝し、現在保持するWBAタイトルを獲得。師走には初防衛に成功しています。

1991年3月以来、2度目のフランスでの試合となったランドールが迎えたのは、これが2度目の世界挑戦となるバルボサ。1994年8月にコッジが保持していた王座に挑戦し、判定まで粘った中堅世界ランカーです。勢いに乗るランドールからすると、比較的安易な挑戦者と思われていました。

この日も普段通りに、ガードを高く固め、丹念に付く左ジャブから右ストレートを放つという基本に忠実なボクシングを展開したランドール。王者の出来は決して悪くはありませんでした。相手の攻撃に合わせカウンターを狙っていくボクシングを展開するバルボサ。対戦相手にとり嫌らしいボクシングをするバルボサのボクシングが、最後までランドールにペースを譲る事はありませんでした。

12ラウンド終了後、どちらかがはっきりとリードを奪ったとは言えなかったこの戦い。最終的には攻める姿勢を貫いたランドールの手が上がる事になりました。予想外の苦戦を強いられはしたものの、2度目の防衛に成功したランドール。希望するチャベスとのラバーマッチが少々遠のいてしまった感があります。

 

WBAジュニアミドル級戦(スーパーウェルター級/王座決定戦):
カール ダニエルズ(米)判定3対0(119-107、118-108、115-111)フリオ セサール グリーン(ドミニカ)

*1992年2月に、当時の最強戦士の一人として謡われていたテリー ノリス(米)が保持していたWBCタイトルに挑戦したダニエルズ。その試合では前半戦こそスピーディーなボクシングで善戦はしたものの、最終的にはノリスの強打の餌食に。結果は9回TKO負けで王座奪取なりませんでした。

ノリス戦後、地道に白星を重ねていったダニエルズ。パーネル ウィテカー(米)が返上した王座を、ニューヨークを拠点としているドミニカ人グリーンと争うことになりました。

(以前、帝王ノリス(左)に挑戦したダニエルズ)/ Photo: Ring Magazine

後にWBAミドル級王座を獲得するグリーンを相手に、持ち前のスピードに乗ったボクシングと、サウスポー(左構え)からの右ジャブで試合をコントロールしていったダニエルズ。大差の判定勝利を収め、念願の世界のベルトを腰に巻く事に成功しています。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ワシル ロマチェンコが勇退

2025年06月15日 05時09分49秒 | ボクシングネタ、その他雑談

今月5日、この10年間常に世界ボクシングのトップ戦線で戦い続けてきたワシル ロマチェンコ(ウクライナ)が、現役生活からの勇退を発表しました。

2008年の北京五輪と2012年のロンドン五輪の2大会に出場し、金メダルを獲得したロマチェンコ。それ以外にも数々の大会に出場し、ほとんどの大会でトップとなりました。アマチュア時代の戦績は396勝1敗(396勝1敗1引き分けとも言われています)という、現実からかけ離れた記録を残しています。

(伝説に残るであろう名選手ロマチェンコが勇退)/ Photo: Reuters

2013年にプロに転向後は、アマチュアで培った技術に加え、一戦ごとに力強さも増していったロマチェンコ。そのプロキャリアを、ザっと振り返ってみましょう。

2014年10月:世界ランカーだったホセ ルイス ラミレス(メキシコ)に圧勝し見事なプロ初陣戦を飾る。同時にWBOインターナショナル・フェザー級王座を獲得。

2015年3月:プロ僅か2戦目で世界挑戦。オーランド サリド(メキシコ)に1対2の判定で敗れ、史上最速の世界王座奪取成らず。

2015年6月:ゲリー ラッセル(米)に判定勝利を収め、プロ3戦目で世界王座獲得に成功。センサク ムアンスリン(タイ)と並び、史上最短での世界王座獲得に成功。

2016年11月:ローマン マルティネス(プエルトリコ)に快勝し、WBOスーパーフェザー級王座を奪取。7戦目で世界2階級制覇を達成。

2017年12月:2000年シドニー五輪と、2004年アテネ五輪の2大会で金メダルを獲得したギレルモ リゴンドー(キューバ)に快勝。

2018年5月:ホルヘ リナレス(帝拳/キューバ)とダウン応酬の好試合を演じ、最後はTKOで勝利。WBAライト級王座を獲得し、12戦目で自身3階級目の世界王座を獲得。

2018年12月:ホセ ペドラサ(プエルトリコ)に大差の判定勝利を収め、WBO王座を吸収。

2019年8月:ルーク キャンベル(英)に勝利。WBCタイトルも併合。

2020年10月:テオフィモ ロペス(米)にまさかの判定負け。前半戦は肩の負傷のため、ほとんど手が出せず。このあたりから自身の怪我との戦いが顕著になっていく。

2023年5月:デビン ヘイニー(米)の保持する4団体統一ライト級王座に挑戦するも僅差の判定負け。

2024年5月:ジョージ カンボソス(豪)に終盤TKO勝利を収めIBFライト級王座を獲得。満身創痍のロマチェンコにとり、この試合がラストファイトとなる。

プロでの最終的戦績は18勝(12KO)3敗。敗れた試合はいずれもロマチェンコの手が上がってもおかしくないほどの大接戦でした。プロではフェザー級からライト級の3階級で6つの世界王座を獲得したロマチェンコ。普通の選手なら(もしくは一般的にいう名選手でも)、大変すばらしい戦績だったと言っていいでしょう。しかしロマチェンコの実力からすると、全然物足りなく感じてしまうのは私(Corleone)だけでしょうか?

4階級制覇を達成し、そのすべての階級で4団体王座を統一、そして全勝で引退。このあたりがロマチェンコには妥当のような気がします。

 

ロマチェンコ同様にアマチュアの名選手で、プロでもライト級を含め大活躍した選手と言えば、パーネル ウィテカー(米)を思い浮かべます。ロマチェンコと同じくサウスポー(左構え)だったウィテカーは、1984年に行われたロサンジェルス五輪に出場し、ライト級で金メダルを獲得。201勝13敗というアマチュア・レコードを引っさげてプロに転向しました。

(ロマチェンコと比べてみたくなる技巧師ウィテカー)/ Photo: Sports Illustrated

ウィテカーもまた、世界初挑戦では王座獲得なりませんでした。花の都フランスのパリで、歴戦の雄ホセ ルイス ラミレス(メキシコ)の持つWBCライト級王座に挑戦したウィテカー。しかしその試合前に自身の左腕を負傷していたため、試合はほとんど右一本で戦うことを強いられてしまいました。それでもタフなメキシカン相手にフルラウンド戦い抜き、自身の名前が勝者としてコールされてもおかしくない大接戦を演じています。

その後、2度目の世界挑戦で当たり前のように世界王座を獲得すると、ラミレスへの雪辱を含めあっという間に3団体のライト級王座統一に成功(当時、主要団体はWBOを除いた3つでした)。その後あっさりとIBFジュニアウェルター(スーパーライト)級タイトルを奪取すると、さらなるビックマッチを求めウェルター級に進出。同時代を代表するテクニシャン・ジェームス マクガート(米)との技術戦を制しWBCウェルター級タイトルを獲得。

ウェルター級王座の初防衛戦では、伝説のメキシカン・フリオ セサール チャベスに事実上の初黒星を与え、その評価を不動のものにしました。その後、ジュニアミドル級/スーパーウェルター級まで触手を伸ばし、見事4階級制覇を達成。キャリア後半には、オスカー デラホーヤ(米)やフェリックス トリニダード(プエルトリコ)の若手選手に敗れはしましたが、40勝(17KO)4敗1引き分け1無効試合という素晴らしい記録を伸ばし現役を終えています。

全盛期のウィテカーとロマチェンコが対戦すれば、どちらが勝利を収めるのでしょうかね!?サウスポーの技巧者同士の対戦は、さぞジャッジを泣かせる試合となるでしょう。

(全盛期のウィテカーとロマチェンコが対戦すれば、どちらが勝利を収めるのでしょうか!?)/ Photo: Youtube

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

意見番(06‐08‐25)

2025年06月08日 05時51分29秒 | ボクシングネタ、その他雑談

亀田 和毅(TMK)は3階級制覇に届かず、井岡 一翔(志成)と重岡 銀次郎(ワタナベ)は世界王座への返り咲き失敗。また、力石 政法(大橋)も世界初挑戦に失敗。結局残るのは井上 尚弥(大橋)ということなのですね。しかし本日中に、その状況を変える可能性がある選手が誕生するわけですね。

Photo: Amazon.co.jp

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする