*もし現在の日本ボクシング界に井上 尚弥(大橋)が存在していなかったら、どんなことになっているのでしょうかね。マイナースポーツ扱いにされているようで、考えただけでも怖いです...。
Photo: Amazon.co.jp
*もし現在の日本ボクシング界に井上 尚弥(大橋)が存在していなかったら、どんなことになっているのでしょうかね。マイナースポーツ扱いにされているようで、考えただけでも怖いです...。
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おおよそ一ヶ月前となる7月2日、ミニマム級とライトフライ級の2階級で世界を制した京口 紘人(ワタナベ)が、現役からの引退を発表しています。
3月に世界3階級制覇を目指し、アンソニー オラスクアガ(米)の保持するWBOフライ級王座に挑戦した京口。その実力を如何なく発揮し王者に迫るも僅差判定負け。惜しくもトリプルクラウンの栄光を勝ち取る事は出来ませんでした。
オラスクアガと演じた試合内容から、「京口はまだまだこれからだ」という声が多くありました。それだけに今回の引退発表には驚きの声と、引退を惜しむ声がいまだに聞かれています。
(現役からの引退を発表した京口 紘人)/ Photo: 大阪観光局
今回の「引退発表」を覆してほしいものではありますが、その充実した現時点での全キャリアを時系列にまとめてみました。
2016年4月:大阪のリングでプロデビュー。2戦目はタイ、3戦目は再び大阪のリングに登場。
2017年2月:プロデビューから僅か10ヶ月後にOPBF(東洋太平洋)ミニマム級王座決定戦に出場し3回KO勝利。プロ6戦目で王座獲得に成功。
2017年7月:ホセ アルグメド(メキシコ)に判定勝利を収めIBFミニマム級王座を獲得。この王座は2度の防衛に成功後返上。
2018年大晦日:マカオのリングで実力者ヘッキー ブドラー(南ア)を粉砕し、WBAライトフライ級王座を獲得。世界2階級制覇に成功。
2021年3月:米国・テキサス州のリングで小兵アクセル ベガ(メキシコ)と対戦。メキシカンが突如拳の痛みを訴え、予想外の形で勝利を収めると同時にライトフライ級王座の3度目の防衛に成功。
2022年6月:敵地メキシコに登場した京口。自身から見て格下王者となるエステバン ベルムデス(メキシコ)に快勝し、WBA内での王座統一に成功。
2022年11月:WBC王者寺地 拳四郎(BMB)との王座統一戦に敗れ王座から陥落。
2025年3月:アンソニー オラスクアガ(米)の保持するWBOフライ級王座に挑戦。僅差の判定負けを喫し、世界3階級制覇ならず。現在の所、この試合が京口のラストファイトとなります。
終身戦績は19勝(12KO)3敗(1KO負け)。タイ、中国(マカオ)、米国、メキシコのリングでも試合を行い、そのすべての試合を規定ラウンド内(KO/TKO)で勝利しています。
実績、実力は申し分ない京口。本人次第ではまだまだそれらを上積みする事は可能ではないでしょうか。しかし現時点では「お疲れさまでした」と言っておきましょう。
今から30年前となる1995年7月30日、愛知県体育館で行われた試合結果です。
WBCバンタム級戦:
挑戦者ウェイン マッカラー(アイルランド)判定2対1(118-110、116-113、115-116)王者薬師寺 保栄(松田)
*「名古屋決戦」として今なお語り継がれる辰吉 丈一郎(大阪帝拳)との激戦を制してから8ヶ月。薬師寺が指名挑戦者マッカラーを迎え5度目の防衛戦を行いました。
1992年バルセロナ五輪の銀メダリストであるマッカラーは、17戦全勝(13KO)という戦績を引っさげて真夏の名古屋に乗り込んできました。その素晴らしいレコードの中には、辰吉と2度の激戦を演じたビクトル ラバナレス(メキシコ)に勝利を収めた一戦も含まれています。
(指名挑戦者として薬師寺に挑戦した元銀メダリスト・マッカラー)/ Photo: The 42
戦績だけを見てみると、とんでもない強豪に聞えるマッカラーですが、そのボクシングはスタミナと手数で勝負するもの。決して安易な相手ではありませんが、世界ランカーとしてはざらにいるレベルの選手です。
試合は36分間に渡り激しいペース争いが繰り広げられました。アイルランド人がそのパンチを薬師寺の顔面をとらえれば、薬師寺はお返しにボディー攻撃で挑戦者の動きを止めます。どちらの勝利もあり得る内容で終えたこの試合。結果は2対1で新王者誕生となりました。
(一進一退の攻防を繰り広げた薬師寺(右)とマッカラー)/ Photo: 【忘れられた伝説】ボクシング不滅のレジェンドたち
試合前の印象とは違い、強豪というより試合巧者という印象を残して日本を去っていったマッカラー。パンチを貰った際に必ずパンチを打ち返し、その回その回の失点を最小限に抑える胡麻化しの上手さが勝因ではないでしょうか。
この試合を振り返ってみると、私(Corleone)は「薬師寺が若干有利では」という印象があります。僅差でマッカラーというのもあり得たとは思いますが、いくらなんでも118対110というのはあり得なかったでしょう。
(「薬師寺の勝利では」と多く聞かれた一戦)/ Photo: Youtube
王座から転落後、薬師寺には一階級上のジュニアフェザー級/スーパーバンタム級での再起という話もありました。しかし結局はこの試合を最後に引退してしまいました。しかし見てみたかったですね、薬師寺がダニエル サラゴサ(メキシコ)やアントニオ セルメニョ(ベネズエラ)に挑戦する試合を。勝敗は別として、薬師寺なら両選手を大いに苦しめる事が出来たでしょう。
(階級を上げ再起が望まれた薬師寺でしたが...)/ Photo: Youtube
今から30年前となる1995年7月29日、米国テキサス州で行われた試合結果です。
IBFフライ級戦:
王者ダニー ロメロ(米)TKO6回1分53秒 挑戦者ミゲル マルティネス (メキシコ)
*この年の4月に、強豪フランシスコ テヘドール(コロンビア)との接戦を制したロメロ。その勝利は何と63年ぶりの米国人による世界フライ級王座獲得という記録をも残しすことになりました。アマチュア時代に127勝5敗という好戦績を残したロメロでしたが、残念ながら念願の五輪への出場権は獲得できませんでした。しかしようやくプロでは金メダルを獲得する事に成功しています。
ロメロの初防衛戦の相手として選ばれたマルティネスは、デビューから8戦目までは4勝4敗という散々なキャリアスタートを切りました。しかしその後、メキシコ国内やNABF(WBCの北米下部組織)を獲得し32勝(26KO)8敗1引き分けという立派なキャリアを築きあげてきました。しかもキャリア序盤の敗戦の内、2つはこの試合が行われた時点でのWBOジュニアバンタム級王者ジョニー タピア(米)と、元WBAバンタム級王者ジョン マイケル ジョンソン(米)に喫したものでした。またマルティネスは1993年10月にタイに渡り、当時のIBFフライ級王者だったピチット シットバンプラチャン(タイ)にも挑戦しています。
すでに40戦以上の実戦を行ってきたマルティネスですが、この試合の時点ではまだ24歳というから驚き以外の何物でもありません。
(ロメロに挑戦したマルティネス)/ Photo: eBay
ガードが固く、的確な左右のコンビネーションを放つクラシックなボクシングを展開するマルティネス。一つ一つのパンチは軽いものの、手数と多彩なコンビネーションでロメロに対抗していきます。その中でもショートアッパーが中々お手の物で、試合を通し何度もロメロの顎を跳ね上げさせていました。
(強豪ロメロ(右)を相手に好試合を演じたマルティネス)/ Photo: Youtube
2回、ロメロが左ジャブを定期的に出し始めてから、徐々に対格差(体全体のパワー)が活き始めた一戦。しかし挑戦者も必死な抵抗を見せ、試合は予想以上の白熱した戦いになっていきます。
王者がやや有利な展開で迎えた6回。ロメロはこの回1分過ぎに、凄まじい右のワンパンチで挑戦者をフロアに送りました。驚く事にマルティネスは立ち上がり試合を継続。しかし明らかに大ダメージを被ったマルティネスは、再び同じパンチでフロアにリターン。そこでレフィリーは躊躇することなく試合を止めています。
軽量級離れしたパンチ力を見せつけた「小型ダイナマイト」ロメロ。その豪快さから、将来のスーパースター候補生の一人として挙げられていましたが、空振りも多くまだまだ荒削りと言った所でしょう。
この試合が行われた時点でロメロにはすでに減量苦が囁かれており、一階級上のスーパーフライ級/ジュニアバンタム級への転向は勿論、3階級も上のスーパーバンタム級/ジュニアフェザー級への転向話も出ていました。
真夏のテキサスで行われた今回の興行には、WBOミニマム級王者アレックス サンチェス(プエルトリコ)や、後のIBFジュニアライト級/スーパーフェザー級王者ロベルト ガルシア(米)も登場。それぞれその戦績に白星を加えています。
今から30年前の昨日となる1995年7月22日、韓国で行われた試合結果です。
WBAジュニアバンタム級戦(スーパーフライ級):
挑戦者アリミ ゴイティア(ベネズエラ)KO4回3分6秒 王者李 炯哲(韓国)
*この試合が行われた前年となる1994年9月に、東京のリングで鬼塚 勝也(協栄)からタイトルを奪取した李。今年(1995年の事です)の2月に田村 知範(オークラ)を挑戦を退け初防衛に成功しています。
日本人キラー李が2度目の防衛戦に迎えたのは,指名挑戦者のゴイティア。171センチとこの階級ではかなりの長身の選手でおまけにサウスポー(左構え)。その体型からアウトボクサーと思われるかもしれませんが、打ち合い好きのハードパンチャーです。
(指名挑戦者として韓国に乗り込んだゴイティア)/ Photo: Youtube
1993年3月にプロデビューを果たしたゴイティアは、11戦全勝(8KO)の記録を引っさげて韓国に乗り込んできました。キャリアの浅い指名挑戦者は想像以上に強敵で、サウスポースタイルから放つ強くて的確な右ジャブで試合をコントロールしていきます。ジャブに続く左は長く、このパンチも鞭のように強く、それ一発で対戦者を沈められるほどの威力があります。またフットワークはスムーズで、手(パンチ)や足(フットワーク)にはスピードがあり、李はゴイティアの懐に入る事すらできない状態が6分間続いてしまいました。
(試合は挑戦者のペースで進んでいきました)/ Photo: Youtube
王座交代劇を思わせた矢先の3回、王者が強引に攻めペース奪取を図ります。しかし挑戦者のカウンターにあい、なかなか調子に乗る事が出来ません。挑戦者が主導を握るも、王者も尻上がりに調子を上げつつあった4回終了時に問題が起こります。ゴングが鳴っている最中に放たれたゴイチアの左パンチが、ゴング後に王者を直撃しダウンを奪ってしまいました。
レフィリーは初め、カウントを数えていましたが、何を思ったか途中でカウントを取る事を止め王者を抱き起そうとしていました。レフィリーも人の子、少々パニック状態に押し入っていたようです。主審の判断ではどうしよも出来なくなったこの試合ですが、立会人が新王者誕生と指示。しかしゴイティアは勝者のコールを受ける前にリングを去り、またレフィリーも同時にリングから降りていました。
あまりにも後味の悪い結果となってしまったこの一戦ですが、王者の交代劇が起こったことは紛れもない事実として記録に残ってしまいました。
ちなみに李は、4回終了時にゴイティアと同じタイミングでパンチを放ってはいました。しかしそのパンチを、寸でのところで止めています。この李の判断をスポーツマン精神溢れる美しい話にするのか、それとも自分自身を守り抜けなかった馬鹿正直と見るかは難しいところです。
リーチ(腕)が長くてしかもパンチが伸びる。そして左右のパンチを巧みなアッパー攻撃で上下に放つゴイチア。これだけ聞けばとんでもない選手が登場したように聞こえてしまいます。しかしボクシング(フォーム)は少々緩く、またパンチも流れ気味。ツボにはまれば強いでしょうが、スタミナやパンチを貰った場面での耐久力はいまだ未知数。まだまだ穴もありそうな雰囲気を醸し出していました。
この試合が終わった時点(1995年7月22日)でのジュニアバンタム級/スーパーフライ級の世界王者たちの顔ぶれは下記のようになります。
WBA:アリミ ゴイティア(ベネズエラ/防衛回数0)
WBC:川島 郭志(ヨネクラ/2)
IBF:ハロルド グレイ(コロンビア/3)
WBO:ジョニー タピア(米/3)
*グレイは強豪フリオ セサール バルボア(メキシコ)からタイトルを奪取したとはいえ、その後は綱渡り的な防衛戦を続けていました。人気面では圧倒的に他の3王者を凌ぐタピアも、グレイ同様に苦しい防衛戦の連続。安定度では川島が頭2つ分抜き出ていましたが、打たれ脆さがありこちらも王座安泰とまではいきません。
そんな3王者たちの中に入ってきたゴイティア。その実力を測るには、あと数戦観る必要があるようです。
今から30年前となる1995年7月22日、英国で行われた試合結果です。
WBAクルーザー級戦:
挑戦者ネート ミラー(米)KO8回2分4秒 王者オーリン ノリス(米)
*30年前の今日、重量級を代表する米国選手同士による世界戦が英国で行われました。
スーパーウェルター級で大活躍していたテリーを実弟に持つノリスは、最重量級の壁に突き当たったために体重を絞ってクルーザー級に降格してきた選手。万年地味なクラスに甘んじるクルーザー級の中で、比較的知られた存在のノリス。彼はヘビー級時代、元WBA王者グレグ ペイジ(米)や、この試合が行われた時点(1995年7月)でのWBCタイトル保持者オリバー マッコール(米)にも勝利を収めた経験を持つ実力者。元IBF王者トニー タッカー(米)に保持していたNABFタイトルを奪われた後にクルーザー級に転向してきました。
減量苦が顕著になり始めていた当時のノリスですが、ヘビー級への再転向を考えた矢先に思わぬ黒星を喫する事になってしまいました。この日オーリンが迎えたミラーは、188センチの長身の持ち主で、32歳ながらも20歳を過ぎてからボクシングを始めた「若手」選手。ちょうど1年前にIBF王座に挑戦し、黒星を喫していたそれなりの実力者です。
(長身ミラー(右)を迎えたノリス)/ Photo: Youtube
ミラーと比べると小柄(177センチ)で、ずんぐり型のノリスと長身ミラーの試合は、リーチで劣るノリスがジャブで先制する幕開けとなりました。前半戦はより手数の多い短身のノリスが試合をリード。
中盤6回になると試合は一転、細身の長身ミラーが右の強打を好打し始めペースを奪い取ります。その後、パンチの的中率が増していったミラーは8回にパンチをまとめノリスをフロアに送ります。立ち上がる素振りを見せたノリスでしたが、結局カウント内に立ち上がる事は出来ず。31歳のミラーが2度目の世界挑戦で世界のベルトを腰に巻く事になりました。
(英国のリングで戴冠した遅咲きミラー)/ Photo: Youtube
当時としては遅咲きの感があったミラーの戴冠劇。実力者ノリスを破ったとはいえ、彼が主戦場とするクルーザ級同様に地味な印象が漂っていました。敗れたノリスは試合後、担架に乗せられリングを去る事になりましたが、結局大事に至らず。この試合後減量苦もありヘビー級に再挑戦する事になりました。
この時期、クルーザー級の体重リミットは現在の200ポンド/90.72キロより軽い190ポンド/86.18キロでした。また両者は、数年後となる1998年8月にマイナー団体IBAの「スーパークルーザー級」王座を賭け再び拳を交える事になります。
(ノリスとミラーの再戦で争われたIBAのベルト)/ Photo: International Boxing Association
今から30年前の一昨日となる1995年7月15日、米国カリフォルニア州で行われた試合結果です。
WBOジュニアフェザー級戦(スーパーバンタム級):
王者マルコ アントニオ バレラ(メキシコ)TKO初回2分50秒 挑戦者マウイ ディアス(メキシコ)
*3月末日に世界王座を獲得し、6月初旬に初防衛に成功しているバレラ。その試合から僅か1ヶ月強のインターバルで早くも2度目の防衛戦に臨みました。
(最後の防衛線から短いインターバルで試合に臨んだバレラ(左))/ Photo: Youtube
27勝(16KO)1敗という好戦績の持ち主であるディアスは、この試合までにダウン経験のないタフガイ。前年10月には、後のWBO王者となるアガピト サンチェス(ドミニカ)に勝利を収め、USBAタイトルを獲得しています。そんな勢いのある選手を相手に、バレラがどんなボクシングを見せるかに注目があつまりました。
打ち気満々の両者は、試合開始のゴングが鳴ると激しいパンチの交換を始めます。そんな中、パンチの的確性で勝るバレラはボディーへのパンチを伴ったコンビネーションでディアスを追い込んでいきます。そしてあっという間に2度のダウンを奪いTKO勝利。防衛記録を伸ばすと同時に、全勝記録を37にしています。
一戦ごとに勢いと風格を増していったバレラ。当時のバレラは、正に手が付けられない状態になりつつありました。
WBOミドル級戦:
王者ロニー ブラッドリー(米)TKO初回1分54秒 挑戦者ダリオ ガリンデス(亜)
*その才能に加え、伝説のシュガー レイ ロビンソン(米)以来のニューヨークのハーレム出身のホープとして注目を集めていたブラッドリー。まだまだマイナー団体として扱われていたWBOですが、この試合が行われる2ヵ月前にブラッドリーはそのWBOタイトルを獲得し世界王者の仲間入りを果たしています。
(あのシュガー レイ ロビンソン以来のハーレム出身の世界王者ブラッドリー)/ Photo: Youtube
180センチの身長のブラッドリーは、中々スレンダーな体格の持ち主。リング上では、固いガードから左ジャブと右ストレートという基本に忠実できれいなボクシングを展開します。
(体格、ボクシングスタイル共にすっきりとしたブラッドリー(背中))/ Photo: Youtube
将来のスーパースター候補生と謳われるブラッドリーは、ワン・ツー(左ジャブから右ストレート)、そしてそれに続くもう一発の右というコンビネーションで先制のダウンを奪うと、その後の連打でダウンを追加。ガリンデスは立ち上がったものの、完全に足に効いていたためレフィリーは即試合をストップ。これまでにダウンの経験のなかったタフが売り物の挑戦者を一蹴してしまいました。
(レフィリーに救い出されたガリンデス)/ Photo: Youtube
上記のバレラ同様に見事な速攻劇で王座の初防衛に成功したブラッドリー。全勝記録を22(18KO)に伸ばしています。
バレラとブラッドリーが競うように初回KO防衛を飾ったこの興行(メインは「チキータ対サマン」)には、後にフライ級とスーパーフライ級でIBF王座を獲得するマーク ジョンソン(米)や、後年WBAジュニアフェザー級王者となるネストール ガルサ(メキシコ)も登場。ジョンソン、ガルサも争うかのようにそれぞれ対戦相手を規定ラウンド内に仕留めています。
今から30年前の昨日となる1995年7月15日、米国カリフォルニア州で行われた試合結果です。
2団体ライトフライ級戦:
挑戦者サマン ソーチャトロン(タイ)TKO4回1分48秒 IBF/WBC王者ウンベルト ゴンザレス(メキシコ)
*初夏のにおい漂うカリフォルニアで、ライトフライ級はおろかボクシング史に残る大逆転劇が起こりました。
マイケル カルバハル(米)とのライバル戦に勝ち残り、同級で3度目の王座を獲得したゴンザレス。チキータの異名を持つ小柄なスイッチヒッター(左構えと右構えを切り替えながら戦う事)は、キャリアを積み重ねながら万能型の選手へと変貌していきました。カルバハルとの第3戦にも勝利したことにより、当時のゴンザレスは同級にはまさに敵なし状態となっていました。
今回チキータが迎えたサマンは、強打が売りながらも打たれ脆さも伴った選手。2年前にメキシコのリングで、最軽量級の帝王リカルド ロペス(メキシコ)に手も足も出ずに完敗した選手です。ゴンサレスにすれば、肩慣らし的試合になる筈でした。案の上、試合はほぼチキータのワンサイドマッチで進んでいく事になります。
(タイのサマン(左)を迎え防衛戦を行ったチキータ)/ Photo: Youtube
お互いに準備体操として費やした初回でしたが2回開始早々、早くも試合が動きます。リング中央で足が揃ったところにタイ人の右を貰った王者がまさかのダウン。足が揃っていたことと、滑ったという不運が重なってしまいましたが、正式なダウンである事に違いありません(俗に言うフラッシュ・ノックダウン)。そのダウンによるダメージはまったく無かったゴンザレスは流石というべきでしょうか、その後は安定したボクシングを展開。ポイント奪回まではいきませんでしたが、試合ペースを確実に握り続けます。
ダウンを奪ったサマンでしたが、軽く目じりをカットするなど守勢に回る場面が多くなっていきました。続く3回、チキータは左眉毛のど真ん中を思いっきりカットしてしまいますが、そこでも落ち着いたボクシングを展開していきます。その後ボディーに攻撃の的を絞ったチキータの攻撃で、タイ人が後退する場面が増え、迎えた5回、王者のボディーブローを交えた連打からついに挑戦者がダウン。しかし同時に、王者からは少々攻め疲れの表情も見られました。
ダウンに加え、右目も大きく腫れ始めたサマンはさらに追い詰められることになりました。6回、丁寧に攻め続けたチキータは、ラウンド終了間際にダウンを追加。ストップが早いレフィリーならここでストップしていた事でしょう。
6回終了後のインターバル中に、レフィリーから「あと1ラウンドだ」と警告されたサマン。続く7回にラウンド開始から強打を振りまくりチキータに迫り、何とその右強打でダウンを奪ってしまいます。チキータはダウンをすると同時に3回に負傷した個所から大量出血。しかしそれとは関わらずにタイ人の猛打の嵐に晒され一気にレフィリーに救い出される事となってしまいました。
稀に見る大逆転劇の主人公となったサマンですが、タイ人として米国のリングで世界王座を奪取する初めての選手となる偉業も同時に達成しています。
(大逆転劇の主人公となったサマン)/ Photo: asian boxing
1995年の年間最高試合として選出される事となったこの試合。サマンはこの試合後、その強打で予想以上の長期政権を築く事になります。三度王座から決別する事となったチキータは、敗れたとはいえ余力を残しながらこの試合を最後に現役から身を引いています。
(ポスターにあるように、この年の年間最高試合に選ばれています)/ Photo: Instagram
*王座統一戦ながらも一人の選手のワンサイドマッチになるとは。勝者が強すぎたのか、それとも敗者が世界王座が乱立するご時世のため、運よく世界王者だったのか。その両方でしょうね。
世界一線級で活躍する選手がいれば、リングを去っていく実力者も居たこの期間。今はちょうど時代の変わり目なのかもしれません。
Photo: Amazon.co.jp
今から30年前となる1995年7月9日、米国ネバダ州で行われた試合結果です。
IBFジュニアライト級戦(スーパーフェザー級):
挑戦者トレーシー パターソン(米)TKO2回1分37秒 王者エディ ホプソン(米)
*この試合が行われる2ヶ月半前に、ジョンジョン モリナ(プエルトリコ)がオスカー デラホーヤ(米)へ挑戦するために返上した王座を獲得していたホプソン。その初防衛戦で、2階級下の前WBC王者パターソンを迎える事になりました。
(ネバダ州といってもラスベガスではなく、リノで行われたIBFジュニアライト級戦)/ Photo: JO Sports Inc.
26戦全勝という素晴らしい戦績の持ち主であるサウスポー(左構え)のホプソンは初回、そのハンドスピードと華麗なフットワークでを披露。しかし王者の倍のキャリア(52勝3敗1引き分け)を誇るパターソンは、そのボクシングをどっしりとしたボクシングで対抗していきます。
元ヘビー級王者フロイド パターソン(米)の養子であるトレーシーは、元々この階級の選手。166センチというこの階級では小柄な体格的ハンディから、2階級下のスーパーバンタム級/ジュニアフェザー級に落としてWBC王座を獲得。その王座をダニエル サラゴサ(メキシコ)と2度戦うなどして5度の防衛に成功しました。前年(1994年の事です)8月にその王座と決別しましたが、その後2連勝を飾り元々の階級での世界挑戦の機会を得る事になりました。
(偉大な養父を持つトレーシー)/ Photo: Facebook
比較的静かな3分間だった初回でしたが続く2回、試合は一気にフィナーレへと向かいます。その回早々、挑戦者のスムーズな左ジャブからの右ストレート(ワン・ツー)が見事に決まり王者がダウン。このダウンで大ダメージを被ったホプソンは試合再開後、左フックを貰い2度目のダウン。その後試合は継続されますが、3度目、そして4度目と立て続けにダウンを奪われたホプソンは最終的にレフィリーに救い出されることに。パターソンが予想外の速攻劇を演じ、あっさりと2階級制覇を達成してしまいました。
(あっさりと2階級制覇を達成したトレーシー パターソン)/ Photo: Boxing DVDs
ダウン後に、右足を引きずるようなしぐさをしていたホプソン。ダウンをした際に足を捻ったかもしれません。
安定王者モリナが去り、モリナ以上の実力者と見なされていたヘナロ エルナンデス(米)もデラホーヤを追い求めライト級の転向してしまった当時のジュニアライト級。彼らの後継者争いに注目が集まっていました。