永井荷風の「夢の女」を読んだ。作者23歳の作とのことで、解説に拠ればゾラの影響を色濃く受けている。前半部に理屈っぽいところが多く、談志を称して小林信彦が「落語は理屈じゃない」と避けたことを思い出し、「小説は理屈じゃない」と思ったね。主人公の浪が、かつて身を沈めていた苦界洲崎へ、お客と共に船で行く所あたりの描写は、晩年に示した手練をこの作者が若い頃から持っていたことを現している。理論に縛られると小説に自由さが無くなって詰まらなくなる。晩年の大江健三郎の詰まらなさはこれに由来する。
山本夏彦を読んでいると、色街に対して肯定的だが、小説に病気のことを書けないのは、戦後になるまで梅毒は不治の病であり、このことを書くと情緒や色っぽさが失われるからだと。実際多くの娼婦が若い身空で死んでいるらしい。ペニシリンによりその恐怖から開放されたのもつかの間、エイズによって不特定多数との性交にブレーキが掛かった。残念なことではある。
洲崎は、芝木好子が「洲崎パラダイス」を書いているが、海辺大川下流という水辺の場は、女性をも動かす情緒があったのだろか。無くなってしまったものにたいしての憧れは強くなるものだが、洲崎で一度遊んでみたかったと思う。川崎長太郎の抹香町、吉行淳之介の鳩の街、永井荷風の玉ノ井と憧れの地は他にもあるが、今はもう街の面影を偲ぶ事も難しい。
山本夏彦を読んでいると、色街に対して肯定的だが、小説に病気のことを書けないのは、戦後になるまで梅毒は不治の病であり、このことを書くと情緒や色っぽさが失われるからだと。実際多くの娼婦が若い身空で死んでいるらしい。ペニシリンによりその恐怖から開放されたのもつかの間、エイズによって不特定多数との性交にブレーキが掛かった。残念なことではある。
洲崎は、芝木好子が「洲崎パラダイス」を書いているが、海辺大川下流という水辺の場は、女性をも動かす情緒があったのだろか。無くなってしまったものにたいしての憧れは強くなるものだが、洲崎で一度遊んでみたかったと思う。川崎長太郎の抹香町、吉行淳之介の鳩の街、永井荷風の玉ノ井と憧れの地は他にもあるが、今はもう街の面影を偲ぶ事も難しい。