
ホテルでお食事をしてチェックイン! すぐに向かった先は 宗谷岬! この時は晴れていたのです。が、すぐに曇り始め、しまいにはポッツラポッツラ・・・かと思えば晴れてきました。よかったよかったと思う間のなく今度は霧です。まぁ忙しい、なんでもありのお天気でした。


日本最北端の地



「明治35年(1902)、旧日本海軍は宗谷岬に望楼を建築した。この望楼は宗谷海峡を一望にし、形は船のブリッチと云う異色のもので、石材をコンクリートで固め、いかにも国境の備えにふさわしい監視所でした。
明治38年、日露戦争がはじまると望楼の役割も一段と重要性を増し、海軍無線電信所が併置、樺太上陸特別派遣軍の第13師団海上輸送護衛の通信連絡に従事し、日本海海戦の折にはバルチック艦隊通過の可能性があることから監視に重大な責任が課せられていた。当時世界最強といわれたバルチック艦隊は結局、東支那海を通過したため宗谷海峡を通ることはなかったが、日本海海戦に破れて敗走して来たロシア軍艦「ノーウイック号」と日本海軍巡洋艦「対馬」「千歳」が宗谷沖で戦った時、大いにその真価を発揮した。」稚内市ホームページより

間宮林蔵像

日本最北端の郵便局と寿司屋


白い道は ホタテの貝殻 だそうです。





ここが日本の最北端。
そういえば短大のサークルの先輩が稚内の人でした。稚内と聞いて おー! と歓声があがったのですが、当のご本人は何にもない、な~んにも!と。
部長でしたが、デぶっちょうと呼んでいたのを思い出しまし、あっ!ヒールが折れちゃった!なんてことをよく言っていました。
稚内でも北の方って言っていたから、いるかなぁ~なんて思いましたが会ってもきっとわかりません。かわいがってもらった覚えはありますが、何しろ短大だから半年くらいしか一緒にいませんでしたものね。






客室は11階まで。予約はいちばんお安いツインルーム。株主優待なんて手を使ってさらにお安くなったのに10階のこんなに景色のいいお部屋でした。


客室は清潔。アメニティーも充実。駐車場に関してはホテル前のはちと狭く、チェックインの時はがらがらだった駐車場も夜には満車。通りを挟んだところにも駐車場があり、こちらは広いっ!
「わ」ナンバーがたくさん止まっていました。






船の始発が6:30 朝食はそれにあわせて早朝からいただけます。当初の予定はその船に乗るはずだったから・・・その船が出港して行きました。







お久の失態! 旅行中はいつもお部屋の鍵やらなにやら私が管理しているのですが、いっぺんに荷物を3個持つとそのうちの1個はおやおやになりますから、今回、松葉杖なんか持っていましたからなおさらの事と、すっとこどっこいを弁解しておいて・・・
お部屋の鍵を持たずに廊下に出ました。バタンっ! ギョギョっ! しまった。しまったのはドアだけではありません。
ガチャガチャ鍵がたくさんついているので開けていただきました。

とてもいいホテルでしたから、稚内に来ることがあったら、と言っといて、たぶん稚内は最初で最後かな? 北海道はひろ~いですからまだ行ったことのないところがたくさん。だから来ないかな・・・でもいつか来ることがあったらきっとまた泊まるでしょう。









当初の予定は稚内に2泊して利尻島か礼文島に船で渡る!でしたが、取りやめて2日目は旭川泊。ですから利尻富士は飛行機からだけ。ちょっと残念でしたが、美しい姿を見ることができてよかったよかった。
到着し





電波を発しない電子機器はOKです。って時でもフラッシュはNG。
以前フラッシュNGの場所でおやじがフラッシュ光らせたのを私かと思われ注意をされたことがあります。もちろん濡れ衣ですから、あのおやじですっ!と、キッパリ。
今回もルールを守って撮っていたのに、スッチーがすっ飛んできて 何がみえたんですか?と意味不明なことを聞いてきた。は?景色ですけど、なにか?
私としては見てはいけないもの、すなわち翼にかじりついて人がハタハタしているとか、コバンザメのようにもう一機小さいのが密かにくっついていたとか、雲の上の仙人とか・・・? そんなまさかの景色が見えたのなら ○ッピーだったけれど

後ろのおやじがピカッとやったのだ。またしても濡れ衣。おやじに注意はしずらいのか?そうね、キレて大声出すのがいるから・・・おやじのなかには

稚内空港へはほぼ満席の全日空機で飛びました。帰りの飛行機は旭川発、全日空予約のエア・ドゥ機。こちらはたぶん満席でした。コードシェア便であることを認識していないと おぉーっ? なんてこともあります。で、帰りは 白くまさん でした。


「斉藤ファーム」の赤煉瓦サイロは旧三谷牧場所有の建物で、昭和初期に牧舎とともに建設されたものです。建材には当時から煉瓦製造が盛んだった江別の煉瓦が採用されました。
発寒の開拓の始まりは明治。もともと水はけの悪い泥炭地だった広大な原野に排水溝や用水路を建設し豊かな農地へと生まれ変わっていったそうです。
ポプラ並木のある発寒駅前通りは馬車しか通らない悪路だったそうですが、現在は大きなショッピングセンターがあり、マンションが立ち並び新興住宅地のようです。
赤煉瓦サイロと隣接する牧舎を利用した建物は 札幌市の








ランチタイムの日替わりランチ



昔の写真を見ていたら、このポプラ並木は当時からあったような・・・

札幌から函館本線に乗り4つめの駅 「発寒」 の近くですが、藻岩山から向かいましたので地下鉄「宮の沢」駅を利用しました。
観光客はここまで来ないだろうな~なんて思いながらお店を探し、入ってみたらここは入り口?もうひとつドアを開けたらお店。店内は薄暗く、各テーブルに置かれたランプが照らしています。なかなか良い雰囲気です。
平日のランチタイム! どこも同じ、奥様のランチタイムでした。観光客はあまり来ないのでしょうね




今度は ぜひとも 花の季節 に ・・・





















市電を ロープウェイ入り口 で下りてロープウェイの山麓駅にむかって急坂を登ります。ろいず珈琲館と書いてありますが建物が見えません。さらに坂を登って現れたのがこちらの 素敵な建物 です。
駐車場には車が2台とまっていました。
この建物は帝国ホテルを設計したアメリカの建築家フランク・ロイド・ライトに学んだ田上義也の作品 旧小熊邸 です。
もともとは昭和2年(1927年)に円山に建てられた 北海道帝国大学の小熊博士 の邸宅でした。
平成10年(1998年)に円山から現在建っている藻岩山に移築されました。市民の保存運動によるものでした。
照明や扉など当時のまま残されて使われている物がたくさんあるそうです。
お店に入ったらお客さんがひとり、ゆったりと新聞を読んでおられました。
お好きなところにどうぞ。と・・・
では ここに! このステンドグラスの部屋は秋に訪れていた(upはまだですが・・・)池袋の自由学園みたい と気に入ったのでした。自由学園はフランク・ロイド・ライトの作品です。
2階には博士が書斎として使っていた部屋があります。お願いしてちょっとだけ見せていただきました。とてもおしゃれな天井に惹かれました。
どうぞごゆっくり・・・
ありがとうございます。ゆっくりしたいのはやまやまです。ゆっくりできる居心地のいい場所です。でも観光客

夕方の飛行機で帰らなければ。。。それにもう一ヶ所予定が ・・・ とっても残念! いいなぁ~この家












梅の間



旭川旅行の最終日は朝食を済ませたら札幌に向かいました。札幌旅行で行きそびれた場所に・・・
前回訪問時はコンサートのリハーサルと出演者の部屋として、2階のほとんどが使われていた為にじっくり見る事ができませんでした。
そんなわけで 藻岩山へ行く途中に寄り道して行ってきました。
入り口で もうすぐ小学生の見学が入りますよ。と教えていただき大急ぎで中を見学させていただきました。
詳しくはこちらで





往路はホテル前の道からバスに乗り目的地


行きのバスから見ていた景色・・・自衛隊に あの びっくりドンキー! があったので方向は間違っていない。



洋館を発見しながら 川はどちらでしょう?


ありましたありました! 石狩川に架かる 旭橋





常盤公園 カモがたっくさん




旭川常盤ロータリー
6本の道路が通っています。街あかりイルミネーションではこちらのロータリーもきれいに光るそうです。



洋館を発見しながら散歩は続く・・・





ランチタイムの後は線路を越えて散策は続きます。
こちらは






線路をくぐって散歩は続く・・・ここはどこ? わからなくなると困りますから 目印は記録しておきます。


旭川 合同酒精






すっごいっ!とれんがの建物を見た後は 旭川駅まで戻ります。実は住所がわかりやすいので目印など記録しなくても迷うことなくお散歩ができたのでした。



帰り道でも洋館発見っ!






ホテルに戻りどでかいカメラを置いて、ご飯を食べに再び町に繰り出しました。











蔵囲夢(旧上川倉庫株式会社倉庫、事務所など6件)
■概要・見所
上川倉庫群は、道北の開拓に伴う物流拠点基地として、旭川駅に近接して建てられました。創立は明治30年代で、最盛期の大正初期には21棟もの倉庫を有し、昭和40年代までその機能を十分に発揮していました。れんが造倉庫の中、特に目を引くのが洋風の事務所棟です。当初2階前面はバルコニーで、現在よりも華やかであったことでしょう。現在倉庫群はギャラリーやホール、飲食店などとして活用されています。
[建設年]1913(大正2)年[構造]木造2階建、木造1階建、れんが造1階建 北海道文化資源データベースより
前日夕方に一度行ったのですが、中途半端な時間でしたので、まだお食事はできないんですよ~・・・でした。
で、次の日 散策の通り道でしたから、では ランチ!
ランチでもビールを飲んでいましたから、少しだけ満足したらしいです。





北海道のジャガイモと北海道の牛肉ですから、北海道らしいお食事ってことにしておきます。ジャガイモは大好物です。いつも産地は 北海道! と書いてあるものを買っています。そして北海道のバターで ほくほく













「この建物は,旧竹村病院の玄関を飾る塔屋として,明治34年に建てられましたが,本屋の解体により,彫刻美術館の横に移築されました。二層の壁面と六面の屋根で構成され,下層はアーチ状の玄関と三角形ペジメント風小屋根を設けた窓となっていますが,上層の玄関はペジメント,窓はアーチ状であり,上下層の意匠の逆転が図られています。破風面の装飾や窓上部などに細やかな意匠が施され,当時の病院建築の華麗さを伝えています。」旭川市ホームページより
調べていったにもかかわらず、この小さな建物をみつけた時は おとくいの・・・お~っ!がいつもより大きかったのです。
美しいです。小さな建物を一周して きれいね~と感激!























「年代: 明治35 西暦: 1902
構造及び形式等: 木造、建築面積844.09m2、二階建、鉄板葺
解説文: 市立旭川郷土博物館として保存再利用されているこの建物は、陸軍第七師団が旭川に設営されたさいに、将校たちの社交場として明治三十五年に建設された。
木造二階建の規模の大きな建物で、一、二階とも前面をヴェランダとして各柱間を開放とする。正面中央には半円形ペディメント、半円形平面の玄関ポーチをつけ、また煉瓦積の煙突をたてアクセントとしている。内部は二階に大広間をもち、背面中央部に設けられた階段室、窓廻りに意匠をこらしている。
この建物は北海道における洋風の本格的なクラブ建築であり、意匠もすぐれている。」
文化庁ホームページより
「中原悌二郎記念旭川市彫刻美術館(旧旭川偕行社・重要文化財)は、1902(明治35)年から建設された旧七師団施設の一つ。明治後期の木造洋風建築の典型的なスタイルで、この年代の建築が全国的にみて数少なく極めて貴重な例とされています。1968(昭和43)年に建設当初の姿に復元し、市立郷土博物館として使用してきましたが、1994(平成6)年度に彫刻美術館に転用しました。」
旭川市ホームページより


北海道 旧旭川偕行社 ・ 青森 旧弘前偕行社 ・ 香川 旧善通寺偕行社

途中座席が埋まる程度の乗客の皆さんは途中で降りたので終点まで来たのは私たちだけ・・・
下りる時にバスの運転手さんが声をかけてくれました。
「旭川でどこか行くのにわからないことありますか?」 とっても親切です。旅人は感動っ!
忘れかけていた本来こうあるべき!という良い事をたくさん学びました。さっそく実行しなくては。。。












「旭橋は国道40号の石狩川に架かる橋長224.82m、幅員18.3mの橋で、昭和7年11月(1932年)の完成から77年経過した現在も当時と変わらない姿を保っています。この橋はブレーストリブ・キャンチレバータイドアーチ形式で、現役で使われている橋としては北海道で最も古い鋼道路橋で、美しい景観を備えた歴史的土木構造物であることが評価され、平成14年には土木学会選奨の土木遺産に、平成16年には北海道遺産に選定されています。」旭川市ホームページより
旭川に行くと決め、ガイドを見ていたらきれいな橋をみつけました。それがこの


散策中 川原に下りてみました。美しいです。旭川を代表する橋だそうす。
写真でみた四季折々の景色!これがまたすばらしいです。観光客はどこかひとつの風景だけ。住んでいないと。。。

