英国ロイヤル・バレエ団 『不思議の国のアリス』-2


  この作品は、観客が原作を読んだことがあるという前提で作られています。ですから、演出に分かりにくい場面が多いのは仕方がありません。幻想的なシーン、非現実的なシーンは、ある程度は現代の技術で表現できても、言葉遊びや、話に整合性がないのはそもそも整合性がないからだ、ということは表現できません。

  イギリスのみならず、世界で最もメジャーな児童文学作品の一つである『不思議の国のアリス』がバレエ化されなかったのは、幻想的なシーンを舞台で再現することの難しさもあったでしょうが、それよりも内容を表現することの難しさ、内容がないことを表現することの難しさのほうが大きかったせいだろうと思います。

  ですから、演出やストーリー構成に分かりにくさや物足りなさを感じたのは、私は特に不満ではありません。しかし、振付は改善することが可能ですので、クリストファー・ウィールドンの振付には不満を抱きました。

  良い踊りはすごく良いんです。私個人が気に入ったのは、第一幕でアリスが小さな扉から無理に入ろうとする踊り、第二幕のイモ虫の踊り、第三幕のハートの国の人々による群舞(チュチュとタイツのほう)、ハートの女王によるローズ・アダージョならぬタルト・アダージョ(笑)、第一、二、三幕でくり返される、アリスとジャック(ハートの騎士)によるライト・モティーフ的な踊り(二人で並んで踊るやつ)でした。

  振付家とはそんなものなのでしょうが、特にイモ虫の踊りとハートの女王のタルト・アダージョでは、ウィールドンがどんな場面や踊りを好むのかがはっきり出ていました。また、ウィールドンによる群舞の振付は、全体的にみなすばらしかったです。

  ところが、ソロ、デュエット、パ・ド・ドゥになると、どうも振付が平凡でつまらないと感じてしまうのです。もっとも、振付の物足りなさは、ダンサーたちがうまく補っていました。とりわけ白うさぎのエドワード・ワトソン、ハートの女王のゼナイダ・ヤノウスキーです。(スティーヴン・マックレーは予想してたより出番が少なかった。残念)

  一方、アリスのソロ全般、そして第二幕と第三幕で踊られるアリスとハートの騎士のパ・ド・ドゥは、普通にきれいなだけで、ほとんど印象に残りませんでした。

  これはアリス役のサラ・ラムやハートの騎士役のフェデリコ・ボネッリの力不足ではなく、多分に振付のせいだと思います。(でも正直言うと、ボネッリのほうは踊りもパートナリングも少し危なっかしかった。)

  主役二人の踊りに見ごたえがないっていうのは致命的な欠陥ですが、演出、衣装、装置、パペット、映像その他もろもろの要素がその穴を埋めていた感じでした。それでもアリスのソロやアリスとハートの騎士のパ・ド・ドゥは、どうしても踊りだけが舞台上でくり広げられざるを得ませんから、物足りなさが目立ちました。

  クリストファー・ウィールドンは、クラシックでもコンテンポラリーでも、それらの中間的な踊りでも、なんでも振り付けられる人です。でも、それはいわゆる「引き出しの多さ」だの、「舞踊言語の語彙の豊富さ」だのとは異なる気がします。こんな言い方で本当にごめんなさい、「器用貧乏」な感じがするんです。

  ウィールドンは、モニカ・メイスン版『眠れる森の美女』第一幕「花のワルツ」を改訂振付していたと思います。あれもきれいなことはきれいだけど、大して印象に残らない踊りです。また、ウィールドンは2010年ローザンヌ・コンクールのコンテンポラリー審査用に、男子参加者のための作品(「コメディア」だと思う)を提供していました。

  参加者のほとんどは、ウィールドンの作品を選んで踊っていました。コンテンポラリーにしてはクラシックの要素が強い、確かに踊りやすそうな作品でした。そんな中で、一人の参加者だけが他の振付家、キャシー・マーストンの作品を踊りました。マーストンの作品はクラシック臭が微塵もないばかりか、音取りも極めて困難そうな振付でした。そのめちゃくちゃ難しい作品を見事に踊った参加者(クリスティアン・アムチャステギ)が第一位を獲得しました。

  ウィールドンの振付は、万人受けするものであるのは確かだと思います。でも、じゃあウィールドンの振付の特徴は何か?となると、私には見分ける自信がまったくありません。私個人の考えですが、名実相伴う振付家には、やはりその作品を見ればなんとなく分かる独自の特徴があります。

  ところが、この『不思議な国のアリス』では、ウィールドンならではの特徴みたいなものが、私には見い出せませんでした。思ったのは、ウィールドンはコンテンポラリーではウェイン・マクレガーにかなわないだろうし、クラシックではデヴィッド・ビントリーにかなわないだろう、ということでした。

  でも、マクレガーがクラシックの全幕作品を創作するのは無理でしょうし、ビントリーがクラシックの動きを一切排除したコンテンポラリー作品を創作するのも無理でしょう。その双方ができる位置にいるのがウィールドンなのではないか、と思いました。

  私はウィールドンのことをよく知りませんでしたが、やはり全幕を見ると分かることがあるものですね。『不思議の国のアリス』は早々に映像版が出て、再演もされている人気演目だそうです。しかし、振付にはまだ大幅な改訂が必要だと思います。映像版や公演映像を見るのに困らないのは助かりますが、ロイヤル・オペラ・ハウスは少し先走りし過ぎたのでは、とも感じます。

  カーテン・コールに振付者のウィールドンが出てくるのは当たり前としても、作曲のジョビー・タルボット、装置・衣装のボブ・クロウリー、パペットのトビー・オリー、映像担当のジョン・ドリスコール、ジェンマ・キャリントンなども、役割的にはウィールドンと同じ比重を占めていると思うので、まあ、ちょっとだけ違和感がありました。

  こんなことは、ウィールドン自身がよく分かっているに決まってます。『不思議の国のアリス』はまだ改訂版が出る可能性が大です。というか、改訂してほしいです。

  (まだ続く。)


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英国ロイヤル・バレエ団 『不思議の国のアリス』-1


 『不思議の国のアリス(Alice's Adventures in Wonderland)』全三幕

   初演:2011年3月、英国ロイヤル・バレエ団による。於ロイヤル・オペラ・ハウス(コヴェント・ガーデン、ロンドン)


   振付:クリストファー・ウィールドン
   振付助手:ジャクリーン・バレット

   音楽:ジョビー・タルボット
   編曲:クリストファー・オースティン、ジョビー・タルボット

   台本:ニコラス・ライト

   衣装・美術:ボブ・クロウリー

   パペットデザイン・指導:トビー・オリー
   マジック指導:ポール・キーヴ   

   照明デザイン:ナターシャ・カッツ

   映像デザイン:ジョン・ドリスコール、ジェンマ・キャリントン

   オリジナル・サウンド・デザイン:アンドリュー・ブルース


   アリス(アリス・リデル):サラ・ラム

   ジャック(リデル家の庭師)/ハートの騎士:フェデリコ・ボネッリ

   ルイス・キャロル/白うさぎ:エドワード・ワトソン

   アリスの母(リデル夫人)/ハートの女王:ゼナイダ・ヤノウスキー

   アリスの父(リデル氏)/ハートの王:ギャリー・エイヴィス
   アリスの姉妹たち:ベアトリス・スティックス=ブルネル、リャーン・コープ

   マジシャン/マッド・ハッター:スティーヴン・マックレー
   牧師/三月うさぎ:リカルド・セルヴェラ
   聖堂番/眠りネズミ:ジェームズ・ウィルキー

   公爵夫人:フィリップ・モーズリー
   料理女:クリステン・マクナリー

   リデル家の召使/さかな:ルドヴィック・オンディヴィエラ
   リデル家の召使/カエル:蔵 健太

   ラジャ/イモ虫:エリック・アンダーウッド

   3人の庭師:ジェームズ・ヘイ、ダヴィッド・チェンツェミエック、ヴァレンティノ・ズケッティ

   リデル家の執事/死刑執行人:マイケル・ストイコ


   演奏:東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団
   指揮:デヴィッド・ブリスキン


   第一幕:50分、第二幕:30分、第三幕:45分


  2011年の初演時は全二幕だったらしいです。現在の第一幕と第二幕が本来は第一幕、現在の第三幕が本来は第二幕だったということのようです。

  今回の公演で、第二幕の終わりに降りてきた大きな首切り斧の刃に"INTERVAL"と映ったでしょう。あれはもともと第一幕の終わりを示していたんですね。

  現在の第一幕と第二幕を休憩なしで上演した場合、80分という長時間になってしまい、ダンサー、オーケストラ、観客がみな疲れてしまいます。それに第一幕が80分で第二幕が45分というのは、時間的にもバランスがよくありません。時間配分としては、全三幕のほうがよいと思います。

  ただし、この作品の性質からいうと、全二幕構成のほうが適切です。いかめしい内容ではなく、シンプルな娯楽的要素に満ちた作品ですから。振付者のクリストファー・ウィールドンの当初の意図としては、たとえばミュージカルが基本的に全二幕構成なのを参考にして、観客に冗長な感覚を抱かせることを避け、観客を飽きさせないために全二幕構成にしたと思われます。

  それが、元来の第一幕が80分と長すぎることと、またひょっとしたら、「全幕バレエたるものは全三幕がふさわしい」的なナンセンスな意見が出たのかもしれませんね。こうした諸々の理由で全三幕構成に改めたのでしょう。

  とても楽しい作品でしたが、全体的な印象としては、二幕物を三幕物に改めたように、これからも更に改訂される可能性の高い、また改訂する必要が多くある未完の作品だなあ、と思います。

  さっそく悪口で申し訳ありません。最も改訂する必要があるのは、クリストファー・ウィールドンの振付です。踊りによって、振付の出来不出来の差が激しいように感じました。(その2に続く)


  
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