ようやく「バレエの神髄 2011」(7月12日)-3
第3部
『カルメン』
音楽:ジョルジュ・ビゼー
編曲:ロジオン・シチェドリン
振付:アルベルト・アロンソ
改訂演出:アザリー・プリセッキー、アレクサンドル・プリセッキー
美術:ボリス・メッセレル
カルメン:エレーナ・フィリピエワ
ドン・ホセ:ファルフ・ルジマトフ
スニガ(ドン・ホセの上官):セルギイ・シドルスキー
エスカミーリョ:イーゴリ・コルプ
運命(牛):田北志のぶ
カルメンの友人:マリア・トカレンコ、ヴィクトリア・メジャック
他 キエフ・バレエ
まず、ルジマトフがあのテントウムシみたいな柄のシャツを着てなかったので安心しました(真紅のシャツだった)。やっぱりあのテントウムシ柄は、ロシア系ダンサーのルジマトフから見ても相当ヘンなんだろうな。
カルメンというと、「自由奔放で官能的な女性」的な単純な先入見を私は持ってました。でも、フィリピエワのカルメンはまったく違いました。カッコいいほど毅然とした強い女性でした。
メリメの『カルメン』を読んだのはもう20年以上も前のことです。その前にビゼーの『カルメン』を聴いてしまっていたせいもあって、カルメンの人物像がよく分からなかったというのが本当のところです。ビゼーのカルメン像とメリメのカルメン像が重ならなかったのです。
今では、メリメのカルメンとビゼーのカルメンは別物と考えるべきなのが分かります。同様に、今回の公演のおかげで、アロンソのカルメンも前の両者とはまったくの別物だということがやっと理解できました。
アロンソが設定したカルメンのキャラクターは、男を次々と翻弄し、破滅させる悪女なんてものでは決してないと思います。このアロンソ版『カルメン』は、当時のソ連文化省から、過度にエロティックで堕落的であるという強い批判を受けたそうですが、実際はまったく逆で、エロティックどころか、非常に高度な思想的寓意とメッセージ性に富んだ作品でしょう。
それは、非常に厳しい制約の中で、個人の自由な意思をどう貫くか、という、今の時代からすれば想像するのがとても難しいテーマです。
今回、カルメンを踊ったフィリピエワは、初演者であるというよりは、この作品のそもそもの発案者であるマイヤ・プリセツカヤから直接にカルメンを教授されたそうです。フィリピエワは、プリセツカヤ、アロンソ、シチェドリンらが描こうとしたカルメンを、見事に表現していたと思います。私は以前に数回だけアロンソ版『カルメン』全編を観たことがありますが、いつもどこか腑に落ちない感触が残りました。でも、フィリピエワのカルメンを見てようやく、ああそういうことだったのか、と納得しました。
もちろん、その作品の創作過程だの、成立の背景だのを絶対に踏まえなければならない決まりはありません。それに、1960年代のソ連で、プリセツカヤが置かれていた状況を念頭に置けといわれても、現代の私たちには、それ自体がとても難しいことです。ただ、アロンソ版のカルメンを、「男を次々と翻弄し、破滅させる悪女」というベタな設定で、色気たっぷりに、官能的に踊り演じようとすると、単なる薄っぺらい昼メロ的恋愛ドラマに終わってしまう気がします。
それにしても、シチェドリンが編曲した『カルメン組曲』は、本当にビゼーの『カルメン』のいいとこ取りをしてますね~。しかも、ところどころでわざと主旋律をなくして、主旋律をダンサーの踊りそのものが奏でるようにしてあります。フィリピエワ、ルジマトフ、シドルスキー、田北さん、キエフ・バレエのダンサーたちはみなすばらしかったです!脚をまっすぐに伸ばして、爪先を細かく動かして、シャープな線を描いているのがとても魅力的で、なんか脚と爪先ばっかり見てたような気がします。というか、本当にみな脚と爪先で物を言い、会話してました。
特に印象に残った点。出だしで、ライトが点いた瞬間に、右足を曲げて床に爪先を突き立てたフィリピエワが、屹然とした表情と態度で立っていたのがすごくカッコよかったです。といっても、傲慢では全然なくて、孤高な感じでした。それからのソロもすごく男前(笑)な鋭い踊りで見とれてしまいました。白い長い美脚を駆使した踊りが本当に魅力的でした。
ドン・ホセのルジマトフと、その上官役のシドルスキーが並んで同じ振りで踊るところも、すごく見ごたえがありました。二人の動きが完璧に揃っていて、脚の高さも回転の速度もまったく同じ。ルジマトフもシドルスキーも一糸乱れず整然と踊っていました。カルメンが主に脚と爪先で話すのと同様、男性陣も脚と爪先の動きで話します。
思ったのは、このアロンソ版『カルメン』は、どの登場人物も、かなり高度なクラシック・バレエの技術を持っていなければならず、しかも常に端正な、極端にいえば教科書どおりのきちんとした動きで踊らなければならない、ということでした。形からはみ出してはならないのです。
「激しい愛憎が複雑に交差するドラマ」という表面的なストーリーのイメージに、私はこれまで引きずられていました。「腑に落ちない」感はここからきていたのでしょう。ひょっとしたら、私が以前に観たアロンソ版『カルメン』を踊ったダンサーたちも、こうしたイメージに強くとらわれていたのかもしれません。
ルジマトフの第1部、第2部からの変容ぶりにはびっくりしました。踊りの雰囲気も違うし、キャラクターも全然違う。最初は気が弱くて従順で自己主張のない男性で、それが最後には激しい感情を爆発させるのです。
ルジマトフが兵隊たちの群舞の真ん中で激しく踊ったときに至っては、心の中で「うわあ、超カッコいい~!!!」と悲鳴を上げました。今、シチェドリンの『カルメン組曲』を流してるけど、ちょうどそこの音楽になりましたよ。あの踊りは今思い返しても本当にカッコよかった。
それから、運命(牛)を踊った田北志のぶさんもすばらしかったです。この役はすごく難しいだろうと思うのですが、田北さんには非情さというか冷酷さというか、まさしく「運命」のような、静かだけど恐ろしさを含んだ雰囲気がありました。
時間はもう夜の10時を回り、疲れきっているはずなのに、私はこの第3部で完全に興奮してしまって、すごく集中して見入ってました。終演後には、この公演を観に来てよかったな、と心から思いました。不思議なほどに気分が良くて、歩きながら『カルメン』をこっそり口笛で吹きました。来年の「神髄」でまた上演してほしいなあ。
『カルメン』
音楽:ジョルジュ・ビゼー
編曲:ロジオン・シチェドリン
振付:アルベルト・アロンソ
改訂演出:アザリー・プリセッキー、アレクサンドル・プリセッキー
美術:ボリス・メッセレル
カルメン:エレーナ・フィリピエワ
ドン・ホセ:ファルフ・ルジマトフ
スニガ(ドン・ホセの上官):セルギイ・シドルスキー
エスカミーリョ:イーゴリ・コルプ
運命(牛):田北志のぶ
カルメンの友人:マリア・トカレンコ、ヴィクトリア・メジャック
他 キエフ・バレエ
まず、ルジマトフがあのテントウムシみたいな柄のシャツを着てなかったので安心しました(真紅のシャツだった)。やっぱりあのテントウムシ柄は、ロシア系ダンサーのルジマトフから見ても相当ヘンなんだろうな。
カルメンというと、「自由奔放で官能的な女性」的な単純な先入見を私は持ってました。でも、フィリピエワのカルメンはまったく違いました。カッコいいほど毅然とした強い女性でした。
メリメの『カルメン』を読んだのはもう20年以上も前のことです。その前にビゼーの『カルメン』を聴いてしまっていたせいもあって、カルメンの人物像がよく分からなかったというのが本当のところです。ビゼーのカルメン像とメリメのカルメン像が重ならなかったのです。
今では、メリメのカルメンとビゼーのカルメンは別物と考えるべきなのが分かります。同様に、今回の公演のおかげで、アロンソのカルメンも前の両者とはまったくの別物だということがやっと理解できました。
アロンソが設定したカルメンのキャラクターは、男を次々と翻弄し、破滅させる悪女なんてものでは決してないと思います。このアロンソ版『カルメン』は、当時のソ連文化省から、過度にエロティックで堕落的であるという強い批判を受けたそうですが、実際はまったく逆で、エロティックどころか、非常に高度な思想的寓意とメッセージ性に富んだ作品でしょう。
それは、非常に厳しい制約の中で、個人の自由な意思をどう貫くか、という、今の時代からすれば想像するのがとても難しいテーマです。
今回、カルメンを踊ったフィリピエワは、初演者であるというよりは、この作品のそもそもの発案者であるマイヤ・プリセツカヤから直接にカルメンを教授されたそうです。フィリピエワは、プリセツカヤ、アロンソ、シチェドリンらが描こうとしたカルメンを、見事に表現していたと思います。私は以前に数回だけアロンソ版『カルメン』全編を観たことがありますが、いつもどこか腑に落ちない感触が残りました。でも、フィリピエワのカルメンを見てようやく、ああそういうことだったのか、と納得しました。
もちろん、その作品の創作過程だの、成立の背景だのを絶対に踏まえなければならない決まりはありません。それに、1960年代のソ連で、プリセツカヤが置かれていた状況を念頭に置けといわれても、現代の私たちには、それ自体がとても難しいことです。ただ、アロンソ版のカルメンを、「男を次々と翻弄し、破滅させる悪女」というベタな設定で、色気たっぷりに、官能的に踊り演じようとすると、単なる薄っぺらい昼メロ的恋愛ドラマに終わってしまう気がします。
それにしても、シチェドリンが編曲した『カルメン組曲』は、本当にビゼーの『カルメン』のいいとこ取りをしてますね~。しかも、ところどころでわざと主旋律をなくして、主旋律をダンサーの踊りそのものが奏でるようにしてあります。フィリピエワ、ルジマトフ、シドルスキー、田北さん、キエフ・バレエのダンサーたちはみなすばらしかったです!脚をまっすぐに伸ばして、爪先を細かく動かして、シャープな線を描いているのがとても魅力的で、なんか脚と爪先ばっかり見てたような気がします。というか、本当にみな脚と爪先で物を言い、会話してました。
特に印象に残った点。出だしで、ライトが点いた瞬間に、右足を曲げて床に爪先を突き立てたフィリピエワが、屹然とした表情と態度で立っていたのがすごくカッコよかったです。といっても、傲慢では全然なくて、孤高な感じでした。それからのソロもすごく男前(笑)な鋭い踊りで見とれてしまいました。白い長い美脚を駆使した踊りが本当に魅力的でした。
ドン・ホセのルジマトフと、その上官役のシドルスキーが並んで同じ振りで踊るところも、すごく見ごたえがありました。二人の動きが完璧に揃っていて、脚の高さも回転の速度もまったく同じ。ルジマトフもシドルスキーも一糸乱れず整然と踊っていました。カルメンが主に脚と爪先で話すのと同様、男性陣も脚と爪先の動きで話します。
思ったのは、このアロンソ版『カルメン』は、どの登場人物も、かなり高度なクラシック・バレエの技術を持っていなければならず、しかも常に端正な、極端にいえば教科書どおりのきちんとした動きで踊らなければならない、ということでした。形からはみ出してはならないのです。
「激しい愛憎が複雑に交差するドラマ」という表面的なストーリーのイメージに、私はこれまで引きずられていました。「腑に落ちない」感はここからきていたのでしょう。ひょっとしたら、私が以前に観たアロンソ版『カルメン』を踊ったダンサーたちも、こうしたイメージに強くとらわれていたのかもしれません。
ルジマトフの第1部、第2部からの変容ぶりにはびっくりしました。踊りの雰囲気も違うし、キャラクターも全然違う。最初は気が弱くて従順で自己主張のない男性で、それが最後には激しい感情を爆発させるのです。
ルジマトフが兵隊たちの群舞の真ん中で激しく踊ったときに至っては、心の中で「うわあ、超カッコいい~!!!」と悲鳴を上げました。今、シチェドリンの『カルメン組曲』を流してるけど、ちょうどそこの音楽になりましたよ。あの踊りは今思い返しても本当にカッコよかった。
それから、運命(牛)を踊った田北志のぶさんもすばらしかったです。この役はすごく難しいだろうと思うのですが、田北さんには非情さというか冷酷さというか、まさしく「運命」のような、静かだけど恐ろしさを含んだ雰囲気がありました。
時間はもう夜の10時を回り、疲れきっているはずなのに、私はこの第3部で完全に興奮してしまって、すごく集中して見入ってました。終演後には、この公演を観に来てよかったな、と心から思いました。不思議なほどに気分が良くて、歩きながら『カルメン』をこっそり口笛で吹きました。来年の「神髄」でまた上演してほしいなあ。
適したダンサーを得られた「カルメン」だったようで、是非また上演してほしいです。今度は絶対行きたいです。
>この1日だけが東京公演になってしまって、行くに行けず
私も土日の公演が中止になったと知ったときは、今回はあきらめようかな、と思いました。
開演に間に合わないかもしれないし、終演が夜遅くになるだろうし、次の日も朝から仕事だし……。
お仕事、家事、交通事情の関係で、今回の公演を観に行けなかった方々は本当に多いことだろうと思います。
また、ルジマトフさんもすごく残念で悔しかっただろうと想像しています。
来年もまた日本に来てくれます。来年は今年のぶんも合わせて、倍返し(?)にして楽しませてくれると信じています。
それから、ルジマトフは来年のレニングラード国立バレエ日本公演の『海賊』で、なんとコンラッドを踊るそうです(アリはレオニード・サラファーノフ)。
これも楽しみですね♪