ようやく「バレエの神髄 2011」(7月12日)-1

  忙しいのを理由にしてたら、いつまでも書けんわな。いいかげん書かなくては~。もうすぐアメリカン・バレエ・シアターの日本公演だし。

  といっても、第1部はほとんど記憶に残ってません。理由は二つ、仕事が終わってから急行して、開演時間ギリギリに会場に着いたので集中力に欠けていたこと、そして、第3部の「カルメン」の印象が強すぎて、他の演目の影が(わたくし個人限定で)薄くなってしまったこと。

  前者の理由については、仕事帰りに観劇というのは、もう気力の上でも体力の上でもしんどいと思ったので、日曜日の公演のチケットを取っていたのです。ところが、震災の影響で土日の公演が中止になり、やむを得ずこの日のチケットを急遽取りました。

  でも、光藍社のことだから、土日の公演の会場確保のためにギリギリまで必死に努力しただろうことは分かっているので、責めるつもりは毛頭ありません。

  東京での公演はたった1回とはいえ、第1部55分、第2部45分、第3部45分という、全幕バレエに匹敵するどころか、はるかに凌駕しさえする、長い時間かつ充実した内容の公演でした。

  第1部

  『マルキタンカ』よりパ・ド・シス(音楽:チェーザレ・ブーニ、振付:アルテュール・サン=レオン)

   ダンサーはエレーナ・フィリピエワ、セルギイ・シドルスキー(ともにキエフ・バレエ)、キエフ・バレエの女性ダンサー4人。

   おクラシック・バレエの鉄板という感じの作品でした。回転、跳躍、足技、バランス保持など、難度の超高いあらゆる技術がてんこもり。

   キエフ・バレエの4人の女性ダンサーが最初に登場して踊る姿を見て、早くも、うわー、ロシア系のバレエだ、と思いました。スタイルや身体能力からして、旧西側のバレエ・ダンサーとは違います。

   なんか思い出しました。幕が上がったら、まだリハーサル中だったのか、ダンサーたちが舞台の袖にいて、あわてて脇に引っ込んでいきました。観客がドッと笑い、あれで一気に雰囲気がなごんだのでした。

   フィリピエワとシドルスキーは完璧。フィリピエワは相変わらず美しく、踊りも端正でありながら、またたおやかさと暖かみがありました。無駄に身体能力を誇示しないのも相変わらずです。

   シドルスキーも人柄の良さがそのまま踊りに出ているかのようで、高い身長とスタイルに恵まれ、また高度な技術を持っているのに、それをひけらかすようなことをしません。しっかりきっちり正確に踊り、かつやはり柔らかさと暖かさがあります。

   フィリピエワとシドルスキーが最初から手堅く決めてくれました。

  「瀕死の白鳥」(音楽:カミーユ・サン=サーンス、振付:大島早紀子)

   白河直子さん(H・アール・カオス)のソロです。この作品の最初と最後は無音で、真ん中にサン=サーンスの音楽を挟みます。

   白河さん、ヤバい!!!!!凄すぎる!!!!!日本にこれほどのダンサーがいたことを知らなかったなんて、私はなんて愚かだったのか。

   そのへんのバレエ・ダンサーが踊る半端なコンテンポラリー・ダンスとは明らかに違う、本物のコンテンポラリー・ダンサーによる本物のコンテンポラリー・ダンス。脚や爪先の形を見れば、白河さんのベースもやはりクラシック・バレエなのは一目瞭然だけど、なんという柔らかさ、なんという鋭さ、なんというバランス、なんという凄絶さと迫力だろう。

   私は自分の視線と注意が白河さんにぎゅーっと一直線に向かっているのを自覚した。私の視界と脳内には白河さんの姿しかなかった。こういう体験をしたのは久しぶり。仕事の疲れがどっかに吹っ飛んだ。白河さんが踊り終えた途端、客席全体からブラボーの嵐。

   作品の哲学的な意味は私にはよく分からなかったけれど、でも白河さんの踊りだけで充分。髪はさばいて、衣装は淡いグレーのトップスとパンツだけ。飾りひとつない。文字どおり体一つでの身体表現。あの凄さは到底、言葉で書き表すことはできません。書き表すことはできませんが、確かに何かをしっかりと受け取りました。

   H・アール・カオスの公演を今度絶対に観に行くぞ~!!!

  『ライモンダ』第二幕よりアダージョ(音楽:アレクサンドル・グラズノフ、振付:ユーリー・グリゴローヴィチ)

   ダンサーはアンナ・アントーニチェワとルスラン・スクヴォルツォフ(ボリショイ・バレエ)。白いマントをなびかせたスクヴォルツォフを見て、あ、これ、前にボリショイ・バレエとマリインスキー・バレエの合同ガラでやったやつだ、と分かりました。確かすぐ終わっちゃうんだよな、と思ったら、やっぱりすぐ終わっちゃいました。

   だから踊りのよしあしはよく分かんなかったけど、アントーニチェワもスクヴォルツォフも長身の見事なプロポーション、アントーニチェワはいわゆる「プリマ体型」、スクヴォルツォフは優しげなイケメンで、二人とも容姿だけでボリショイー!という感じでした(第2部の「黒鳥のパ・ド・ドゥ」で、「容姿だけはボリショイー!」というほうが正しいことが判明)。

  『ラ・シルフィード』よりパ・ド・ドゥ(音楽:ヘルマン・レーヴェンショルド、振付:オーギュスト・ブルノンヴィル)

   キエフ・バレエのカテリーナ・ハニュコワとボリショイ・バレエの岩田守弘さんが踊りました。

   ハニュコワは愛らしくて、まさにシルフィードそのもの。無邪気だけど人間のような分別はもちろん持ち合わせておらず、それだけにこりゃ厄介だな、と悲劇の結末を感じさせる妖精ぶりでした。踊りもふんわりと軽くて、トゥ・シューズの音がまったくしません。

   岩田さんは相変わらずのテクニシャンで、ブルノンヴィルの振付特有の細かい足技をきっちりとこなしていました。

   ヨハン・コボー版『ラ・シルフィード』だと、シルフィードとジェームズは確かまったく触れ合わないのですが、今回の公演では岩田さんがハニュコワをサポートしていました。バレエ団によって振付が多少違うんですね。

  「シャコンヌ」(音楽:ヨハン・セバスティアン・バッハ、振付:ホセ・リモン)

   御大、ファルフ・ルジマトフの登場です。ルジマトフは黒いシャツに黒いズボン。音楽は生演奏で、マリア・ラザレワが完全暗譜で弾きました。

   なんというか、ルジマトフにはわるいんですが、今回は音楽のほうに気を取られてしまって、ルジマトフの踊りがどうだったかあまり覚えていません。

   この時期にバッハ、しかも「シャコンヌ」は反則ですよ。バッハの音楽は聴くほうの脳みそを直にわしづかみにして、しかも心の中にあるものを掘り起こしてしまうから。

   ルジマトフの踊りについては、振付の「形」を通じて表現したいものが、ルジマトフ自身の中でまだ定まっていないというか、まだ試行錯誤中であるかのような印象を受けました。「阿修羅」みたいに、これから何年もかけて、またどんどん変わっていくのではないでしょうか。(私は第1部が終わってからようやくプログラムを買ったので、この印象はプログラムに引きずられたものではありませんです。) 
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