ようやく「バレエの神髄 2011」(7月12日)-2

  第2部

  『バヤデルカ』第二幕よりパ・ダクシオン(音楽:レオン・ミンクス、振付:マリウス・プティパ)

   ガムザッティとソロルとのあの踊りです。ダンサーはナタリア・マツァーク(キエフ・バレエ)、セルギイ・シドルスキー、キエフ・バレエ。

   マツァークはちょっと動きが硬かったような。彼女がこの公演で踊ったのはこれだけだから、調子が今ひとつ出なかったのかもしれません。でも、ところどころで見せた優れたテクニックと身体能力はすばらしいものでした。

   シドルスキーはソロルの衣装が似合うこと似合うこと。やっぱりスタイル抜群でカッコいい。特に腰の線が実にセクシー 踊りも一つ一つの動きがきれいで安定しており、信頼して観ていられました。シドルスキーはもともと長身なのに加えて、それで半爪先立ちですっくと立つと、足がまっすぐで本当に見とれるほど美しいのです。

   キエフ・バレエの男性ダンサーが2名出演していましたが、衣装が白いターバンにピンクの縁取りの入った白い上着とズボンで、なんか回転寿司店のバイト店員みたいでした。

  「扉」(音楽:オーラヴル・アルナルズ、振付:ヴェーラ・アルブーゾワ)

   イーゴリ・コルプ(マリインスキー・バレエ)のソロです。衣装がパンイチ(白)でした。これは短い作品だったせいか、よく覚えていないのです。舞台の脇で観客に見えないように誰かがコルプを支えていたという振りがあって、こりゃ面白い発想だな、と思ったことは記憶しています。

   終わり方は唐突でしたが、でもとてもユニークでユーモアがあり、客席からも笑いが漏れていました。この公演では、私はコルプが舞台に出てきただけで噴き出しそうになりました。コルプは面白いというか、愛嬌があるというか、「なんかやってくれそうだな感」が強く漂っていて、実際にその期待どおりにやってくれます。

   ほんとに、ロシア系バレエ・ダンサーではめずらしいキャラクターの兄ちゃんですな。

  『白鳥の湖』より「黒鳥のパ・ド・ドゥ」(音楽:チャイコフスキー、振付:ユーリー・グリゴローヴィチ)

   ダンサーは再びアンナ・アントーニチェワ、ルスラン・スクヴォルツォフ。

   ……この二人は、ボリショイ・バレエのプリンシパルなんですね。スクヴォルツォフはちょっとしか踊らなかったからよく分からんけど、アントーニチェワのほうは、この人がオデット/オディールをレパートリーとしていると書いてあっても、ちょっとにわかには信じられないような踊りでした。終始一貫してぎこちなくて不安定だったので、よくある「新しいレパートリーに海外の公演で挑戦してみた」のかな、と思ったくらい。

   オディールは得意でもオデットは今ひとつ、というダンサーはよくいますが、アントーニチェワはその逆なのかな?彼女のオデットが観たいです。

  「ボレロ」(音楽:モーリス・ラヴェル、振付:N.アンドロソフ)

   ルジマトフのソロ。この公演の追加演目として、ルジマトフの「ボレロ」が発表されたとき、そんなに踊って大丈夫なの、と心配になりました。「シャコンヌ」も長いソロだし、『カルメン』のドン・ホセも踊るのに、更にもう一演目、しかも「ボレロ」なんて長そうな作品を踊るのか、と。

   でもこれは、舞台上で露わな感情を見せることのないルジマトフの、日本の観客に対する言葉によらないメッセージなのだろう、と私は感じました。だからこそ余計に泣きそうになりました。震災直後にルジマトフが日本に寄せたメッセージでも泣いちゃったけどね。

   ルジマトフの衣装がカッコよかったです。上半身は裸で、下は最初は黒のロング・スカートかと思ったけど、後半で動きが激しくなってきたときに、裾がとても広いズボンだと分かりました。腰から房の着いた飾りが何本か垂れ下がっていました(たぶんこれの一つが、後半の激しい動きの勢いでぶっ飛んだ)。ひたいに目のような形の紅い印を入れていました。全体的にエキゾチックな雰囲気です。

   振付はなんだか基本ベジャールの「ボレロ」みたいだな、と思いました。だから逆に、なんでルジマトフがベジャールの「ボレロ」を踊らないのか、と不合理に感じました。接点がないといえばそれまでですが、ファルフ・ルジマトフにベジャールの「ボレロ」を踊らせないのは罪悪です。バレエ界の大損失です。私が権利保持者なら、土下座してでもルジマトフにベジャールの「ボレロ」を踊ってくれるよう頼み込みますよ。

   ルジマトフの上半身と両腕の筋肉がリズミカルに生き生きと躍動して(相変わらず身体そのもので物言う人です)、「シャコンヌ」での、表面的な動きと感情の発露が抑制され、抑制された中で感情や思索を表現する踊りとは、まったくタイプの異なる踊りでした。『カルメン』のドン・ホセは更に異なる動きの踊りなので、ルジマトフの違った三つの面を、この「ボレロ」によって目にすることができました。

   最後に、ルジマトフは激情を観客に向かって投げつけるような激しい動きで、この作品を終えます。不謹慎でしょうが、ルジマトフがベジャールの「ボレロ」を踊っている姿をつい妄想して、勝手に脳内でエキサイトしてしまいました。  
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