英国ロイヤル・バレエ団『ロミオとジュリエット』メモ(2)

  6月27日(日)夜公演。

  ロミオ:スティーヴン・マックレー
  ジュリエット:吉田都

   第一幕の乱闘シーンでマックレーにアクシデント勃発。でも、幸いなことに大事に至らず、逆に非常に効果的な演出になった。あんなこともあるのね~。

   まだ明日に別キャストでの公演があることは承知しているし、その上でこんなことを書くのは非常識だということも分かっている。でも、あえて書きたい。

   マックレーのロミオと吉田都のジュリエットは、間違いなく今回の日本公演で最高のロミオとジュリエット。

  ベンヴォーリオ:セルゲイ・ポルーニン

   マキューシオ役のブライアン・マロニーより、マキューシオ役にふさわしかったんじゃ?

  ティボルト:トーマス・ホワイトヘッド

   まだまだ青いのう。ふぉっふぉっふぉっ。

  キャピュレット公:ギャリー・エイヴィス

   昼公演に続き、お疲れっす!昼公演の終演は4時過ぎ、夜公演は6時開演で、メイクの時間がなかったらしい。素顔で出演していた。結果、ちょいワル風ハンサム・パパに。

  マンドリン・ダンス(リーディング・ダンサー):ホセ・マルティン

   メイクはバカ殿だったけど、踊りは見事。

  娼婦(リーディング・ダンサー):ラウラ・モレーラ

   これぞベテランの貫禄と余裕。踊りは弾むような音楽に乗り、しかもなめらか。演技はやりたいほーだいだけど、しっかり場面に融け込んでいる。というより、場面をしっかりと構成している。

  NHKのカメラが入って収録していたので、いずれ放映されると思います。
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英国ロイヤル・バレエ団『ロミオとジュリエット』メモ(1)

  6月27日(日)昼公演。

  ロミオ:ティアゴ・ソアレス

   別にプリンシパルでもいい。他の役をすばらしく踊れるのなら。でも、ロミオを踊れないのなら、ロミオ役にキャスティングするべきではない。身体のあの異常な硬さと技術のなさは不可解なほど。長いブランク明けとか?

  ジュリエット:マリアネラ・ヌニェス

   身体は柔らかいし、技術も言うことないんだけど・・・、なんか踊りは機械的で演技は薄っぺらい。表情が文字どおり喜怒哀楽の4種類しかない。

  マキューシオ:リカルド・セルヴェラ

   確かな踊りと演技で脇をきっちりと固めてくれた。彼のおかげで救われた。

  ティボルト:ギャリー・エイヴィス

   セルヴェラと同様、深い役作りで舞台を引き締めていた。

  キャピュレット夫人:エリザベス・マクゴリアン

   ティボルトを失っての狂乱の場が鬼気迫るほど凄まじかった。

  セルヴェラとエイヴィスのおかげで辛うじて救われたが、こんな舞台に2万円も払ったのかと思うと腹が立つ。

  ちなみに、ソアレスのアンダースタディとして待機していたのはエドワード・ワトソンらしい。終演後に楽屋口から出てきたところをファンに囲まれていた。  

  
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改めて英国ロイヤル・バレエ団『マイヤーリング』(2)

  全編を通して登場し、ある意味この作品の狂言回し的存在であるルドルフの御者、ブラットフィッシュはブライアン・マロニーが担当しました。第二幕、第三幕でのソロは、ともに動きが柔らかく弾むようでした。けっこう背が高くて肉付きもよいのに、あれだけ軽くぽんぽんと跳ねるように踊れるのはすごいです。

  第二幕の見せ場の一つであるミッツィー・ガスパール役のラウラ・モレーラは、思いもかけないすばらしさでした。まず、あのヘンな黒髪のヅラと仙台七夕のぼんぼりみたいな衣装が意外に似合ってる。次に、ソロでの動きが大きくてダイナミックで見ごたえがあった。そして、4人のハンガリー将校たちとのパ・ド・サンク(というのか?)が息を呑むほどすごく良かった。

  4人のハンガリー将校はセルゲイ・ポルーニン、アンドレイ・ウスペンスキー、蔵健太、トーマス・ホワイトヘッドでした。蔵健太は、やっぱり出てきた瞬間は「あ、鹿鳴館」でした。ベイ=ミドルトン役の平野亮一といい、どーもしょうゆ顔の日本人ダンサーがちょびヒゲつけると、どうしても文明開化になってしまうなあ。

  それはともかく、このハンガリー将校たちとミッツィ・ガスパールによる踊りが実に見事で、こんな複雑な振付を考えつくマクミランもマクミランだけど、こんな難しい踊りを切れ味良く、モタつきもせず踊っているこいつらもこいつらだなあ、と呆れ(見とれ)ました。

  ポルーニン、ウスペンスキー、蔵健太、ホワイトヘッドによる、組体操やチア・リーディングも顔負けな団体リフト&サポート(笑)が流れるようにすばらしかったです。危険なリフトやサポートをされながら、平気な顔して踊っていたモレーラもすごかった。4人の頭上に抱えあげられながら脚を前に振り上げるモレーラの姿が印象的で、あのパ・ド・サンクは第二幕の圧巻でした。

  多くの登場人物の中でも、エリーザベト皇后の姪であり、ルドルフの以前の愛人でもあるマリー・ラリッシュ役を担当したサラ・ラムは出色のすばらしさでした。踊りよりも演技が重要な役といえますが、かなり重いであろうドレスをまといながら、ルドルフと官能的な振りで踊るパ・ド・ドゥはどれもすばらしかったです(長くて厚いドレスの裾をぶんぶん振り回しながら回転してもブレない)。ルドルフとマリー・ラリッシュとの踊りは、エロティックというよりは母性的で、マリー・ラリッシュのルドルフに対する優しさのこもった愛情を感じさせました。愛人といっても、母親代わり的愛人だったのかも、と思いました。

  ラリッシュはマリー・ヴェッツェラとルドルフの間を取り持ちます。というより、ラリッシュはマリー・ヴェッツェラをわざとルドルフに近づけさせます。サラ・ラムの演技を見ているうちに、ルドルフの苦悩を理解しているのはマリー・ラリッシュだけであり、しかし彼女は自分ではルドルフを救えないと思い、それでマリー・ヴェッツェラを紹介して、ルドルフにマリー・ヴェッツェラとの愛の中に救いを見出させようとしたのだろうことが分かりました。

  しかし、ルドルフとマリー・ヴェッツェラは心中するという最悪な結末を迎えることになります。第二幕、マリー・ラリッシュはマリー・ヴェッツェラのために、ルドルフとの相性をカードで占ってやります。そのとき、ラリッシュはカードをこっそりと抜き取って隠し、結果を出すときに、隠し持っていたカードを再びこっそりと取り出して、マリー・ヴェッツェラに見せます。ルドルフは自分の運命の相手、とマリー・ヴェッツェラは狂喜し、夢想が狂気を帯びた妄想に暴走していきます。

  マリー・ラリッシュはもちろん、ルドルフとマリー・ヴェッツェラが心中することになるとは思っていません。しかし、ラリッシュは隠し持っていたカードを取り出すとき、みなに見えないように、舞台の前に出てきます。

  そのときのサラ・ラムの目が凄かったです。何かを決意したように目をかっと見開き、きっと前を見据えます。その姿は気迫を帯び、目には異様な鋭い光が宿っています。ラリッシュ自身は、マリー・ヴェッツェラとルドルフとを結びつける、最後の一押しをする決意をしたに過ぎないのですが、同時に、ラリッシュ自身が知らないままに、彼女はマリー・ヴェッツェラとルドルフの死という運命をこの瞬間に決めたのです。サラ・ラムの演技で、このシーンが決定的に重要なシーンだということが分かったし、それを観客に悟らせるように演技してみせるサラ・ラムは大したものだと思いました。

  マリー・ヴェッツェラを踊ったマーラ・ガレアッツィは、若さというエネルギーを妄想と死への憧憬とその実行に費やした、狂気じみた少女でした。愚かで浅薄ですが、ルドルフと初めて会ったとき、優位なのは自分なのだということを瞬時に見破り、ルドルフを翻弄します。また、ルドルフの死への執着が生への絶望なのに対し、マリーのそれは目的であり、髑髏とピストルを平気で弄び、それらでルドルフを無邪気にからかって脅します。

  死をまだ躊躇していたルドルフは、マリーの憧れる「甘美な死」という暴走する幻想に乗ってしまいます。第三幕でのルドルフは哀れの一言に尽きます。理解してくれる、愛してくれる人が誰もいないことに絶望し、体の痛みをモルヒネでごまかす。髪はボサボサ、顔は憔悴しきっている。ワトソンのやつれぶりはひたすら哀れでした。

  それを見たマリーは、ルドルフを優しく抱きしめます。オーストリア=ハンガリー二重帝国の皇太子を救おうとする人間は、元は庶民出身の18歳の少女ただ一人だった。そのことがなおさら哀れで惨めです。

  マリーとルドルフは運命を共にする決意をします。それは死ぬことです。第三幕最後のマリーとルドルフのパ・ド・ドゥは凄絶ながらも痛々しかったです。これは一緒に死のう、という踊りです。ワトソンは荒い息を吐きながら踊っていましたし、ガレアッツィの柔らかい四肢と長い手足がルドルフの体に絡みつく様は、官能的というより鬼気迫る凄みがありました。

  最後、マリーとルドルフはピストルを一緒に握り、互いを睨みつけるようにして見つめあいます。ワトソンもガレアッツィも物凄い目つきをしていて、死を決意したのだと分かりました。そして、ついたての陰に一緒に入って行きます。銃声が響きます。

  カーテン・コールでは、登場人物のほぼすべてに大きな拍手と喝采が送られました。が、ルドルフ役のエドワード・ワトソンに対しては、爆発的な拍手が送られ、客席のあちこちからブラボー・コールと大きな歓声が起こりました。ワトソンが一人で出てくると、観客が立ち上がって拍手をし始めました。カーテン・コールでワトソンが出てくるたびに、立ち上がる観客は増えていきました。

  ワトソンは両手を広げてからお辞儀をしました。全力を出し切った充足感が伝わってきました。地味なプリンシパルから、悩みと努力と試行錯誤を経て、ここまですばらしいダンサーになったワトソン。私も心からの拍手を送りました。

  それから、今回の公演では演奏が非常にすばらしかったです(バリー・ワーズワース指揮、東京フィルハーモニー交響楽団)。これは特筆しておかなければなりません。

  『マイヤーリング』は、アラを探せばいくらでも出てくる作品ではありますが、それでもつい惹きこまれてしまう魅力を持っています。私が感じたことには、観客のほとんどが、見どころのシーンでは息をつめ、ある観客は思わず前のめりになって舞台を見つめていました。

  私も終演後は魂を抜かれたようになりましたよ(笑)。退廃的な内容の作品にも、魔力のようなものがあるのでしょうね。 
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