改めて英国ロイヤル・バレエ団『マイヤーリング』(1)

  この『マイヤーリング』という作品は、いくら実話に基づいた歴史物といえど、内容は非常に不健全、不健康です。

  人生に絶望して自暴自棄になった、しかも薬物中毒の30男が、現実と妄想との区別がまだつかない、愚かな10代の少女を道連れに自殺するという内容だからです。

  冒頭のシュテファニーとの結婚舞踏会では、主人公のルドルフ皇太子がおそらくは両親(フランツ=ヨーゼフ皇帝、エリーザベト皇后)に愛されなかったために、その性格が偏った、歪んだものになっていたことが早くも示されます。その後は、周囲の複雑な政治情況、人間関係、自身の健康問題のせいで、ルドルフが心身ともに徐々に追いつめられていく様を、これでもかとばかりにねちっこく描いていきます。

  個人的には、たとえ実在した人物(ルドルフ)の実際の悲劇をバレエ作品化したのだとしても、そしてたとえ劇中であっても、人をここまでいたぶっていいのか、と思います。

  ルドルフと心中するマリー・ヴェッツェラも、いうなればオーストリア版「八百屋お七」というか、夢見がちな少女というロマンティックなものではなく、異常な妄想癖を持つ少女です。18歳という年齢からすれば当たり前ですが、人格がまだ未熟で、現実と夢想を分けて考える冷静さを持っておらず、異常なことには、他人(ルドルフ)、また自分が死ぬということについて何とも思っていない。むしろ、未熟さと愚かさに由来する、死に対する憧憬すら抱いている。

  そういう異常な男女の心中話を、なぜわざわざバレエ作品にする必要があるのか、とさえ思います。

  内容の不健康さもさることながら、この『マイヤーリング』は脚本がよくありません。ルドルフが追いつめられていく過程を説明するシーンが多すぎて、その結果、物語の流れが断ち切られてしまっています。また、ルドルフが追いつめられていく過程説明の各シーンも、有効に働いているとはいえず、このシーンで何をいわんとしているのかが分かりませんでした。

  たとえば、頻繁に現れてルドルフに耳打ちする4人のハンガリー将校たち(第一幕)、ルドルフがミッツィー・ガスパールにピストルを突きつけて心中を迫るシーン、ミッツィー・ガスパールが実はターフェ首相のスパイだったことを示すシーン(第二幕)、皇室一家の狩猟で、ルドルフが猟銃を誤射してしまう事件、エリーザベト皇后が突然現れ、マリー・ラリッシュとルドルフの関係に激怒して、マリー・ラリッシュを平手打ちするシーン(第三幕)などはいずれも唐突で、これらのシーンが物語の進行にどういう役割を果たしているのかはもちろん、これらのシーンが何を示しているのかさえ分かりにくいです。

  こうしてみてみると、ほとんどが史実に基づいているエピソードとはいえ、説明的シーンを詰め込みすぎたために、逆に物語の流れが分かりにくくなってしまったのかもしれません。これらのシーンによって物語を進めようとした結果、反対にストーリーの流れがぎくしゃくしてしまうように思います。

  テーマと内容の不健康さ、脚本の不完全さのせいで、私は『マイヤーリング』をそれほど良い作品だとは思いません。しかし、それでもです。今回の公演にはずるずると引き込まれてしまいました。

  それはやはり、音楽(リストの音楽をジョン・ランチベリーが編曲)のすばらしさ、マクミランによる振付のすばらしさ、そしてダンサーたちのパフォーマンスのすばらしさのせいです。

  『マイヤーリング』は全体的にはあまり出来の良くない作品だと思いますが、見どころとなる各シーンの踊りはやはり優れています。

  見どころはたくさんありますが、第一幕でのルドルフ皇太子とルイーズ王女(シュテファニー皇太子妃の妹)とのパ・ド・ドゥからして、「おお、これは」と思わせるものがありました。ルドルフはエドワード・ワトソンで、ルイーズはロマニー・パジャクでした。ルドルフの強引な性格と、それに戸惑い、振り回され、しかし次第にルドルフに魅せられていくルイーズの心情の変化が、踊りで見事に表現されていました。

  ワトソンはパートナリングもいいですね~。リフトやサポートの動きで、ルドルフの歪んだ性格を表していました。でも、単に乱暴なだけではなく、音楽のツボをバッチリ押さえていて、ちゃんとコントロールしていることが分かりました。パジャクも同様で、姿勢や手足の動きに流麗なメリハリが利いていました。二人の踊りは危うい魅力に満ちていました。

  ワトソンは髪をサラサラにして印象がずいぶん爽やかになったし、身体もたくましくなりました。特に下半身にしっかり筋肉がついていて、スタイルも良くなりました。テクニック的にはまだ少し頼りないですが、驚いたのはワトソンの身体の異常な柔軟性です。ほとんど女性ダンサー並みに柔らかいです。しかもワトソンは手足(とくに脚)が長いので、身体をねじったり、脚を上げたりすると、それ自体が凄まじい雄弁な表現となり、「語る」ことができます。ソロでの踊りは凄い迫力でした。

  シュテファニー皇太子妃はイオーナ・ルーツで、心なしか妹(ルイーズ王女)役のロマニー・パジャクと顔がそっくりだったような・・・。シュテファニーは、夫のルドルフに徹底的にいたぶられる気の毒な役どころです。第一幕最後のパ・ド・ドゥでは、ひたすらびくびくおどおどした表情でかわいそうでした(髑髏と銃で脅されたんじゃ仕方ないよね)。

  夫が新妻を強姦するという残酷なパ・ド・ドゥが見どころというのもどーかな、と思わないでもないですが、それ以前に、ワトソンとルーツは、このパ・ド・ドゥをあまり良く踊れていなかったように思います。ワトソンのパートナリング、ルーツの踊りの双方ともにそんなに良くありませんでした。

  というか、あんなに速い音楽に合わせて、あんなに激しい振りの、難度の超高いパ・ド・ドゥを踊るなんて、並大抵のダンサーじゃ無理です。イレク・ムハメドフでも、シュテファニー役が代役のダンサーだったときには、注意深くそろそろと踊らざるを得なかったほどのパ・ド・ドゥです。

  第一幕と第二幕の冒頭にしか出てきませんが、イオーナ・ルーツのシュテファニーの役作りは良かったです。ひたすら凡庸な女性。夫の所業におびえるばかり。後に夫の歪んだ性格を知っても、その奥に何があるのかを理解しようとはまったく考えもしない女性。これではルドルフが妻を顧みず、マリー・ラリッシュやマリー・ヴェッツェラにすがりついたのも仕方ない、とよく分かりました。

  私の想像するものとは違いましたが、ルドルフの母親であるエリーザベト皇后役だったタラ=ブリギット・バフナニも良かったです。容貌については、なにせ実物のエリーザベト皇后があれほどの美人だったので、それに匹敵するダンサーを探すのは非常に難しいでしょう。容貌の如何はおいといて、公的な場所と夫のフランツ=ヨーゼフの前ではつんとすました冷たい無表情で通し、私的な場所と愛人のベイ=ミドルトンの前では素の顔になる、その落差が良かったです。

  バフナニのエリーザベトは、息子のルドルフばかりでなく、息子の嫁のシュテファニーにも冷たい態度をとっていたので、バフナニはたぶんエリーザベト皇后の伝記を読んでいるんじゃないかと思います。でも、エリーザベトのルドルフに対する、母であろうとして、でも母になりきれない葛藤を、第一幕のパ・ド・ドゥで表現してくれればもっとよかったかな、と思います。

  エリーザベトの愛人とされるベイ=ミドルトンは、なんと平野亮一が担当しました。最初に出てきたときは、明治天皇か大久保利通かと思ったよ。顔つきはしょうゆ顔だけど、彼は長身で脚が長くて、本当に日本人離れしてスタイルがいいよね。それに、女性のバフナニよりも顔が小さい。ターフェ首相をからかうミドルトンのとぼけた雰囲気はよく出ていたけど、エリーザベトとのパ・ド・ドゥは色気不足だったのが残念でした。

  フランツ=ヨーゼフ皇帝はギャリー・エイヴィスでした。あの細い顔をどうすんのかと思ってたら、もみ上げから顎にかけての大量なふさふさヒゲでうまく顔の輪郭を隠してました。結果、フランツ・ヨーゼフの晩年の実物写真にそっくりでした(笑)。ターフェ首相役のアラステア・マリオットもそれなりに似てました。

  フランツ=ヨーゼフの愛人であるカタリーナ・シュラットはフィオナ・キムでした。シュラット役はダンサーではなくオペラ歌手が担当し、第二幕で劇中歌を歌います。ピアノ独奏のみで歌うキムの歌声が会場に響きます。その間、ダンサーたちは座って歌を聴いています。会場も静まりかえっています。歌以外には、舞台の上にも、舞台の下にも何もないあの静けさは、歌の内容である死を、そしてルドルフのこれからの運命を感じさせました。

  でも、よく見ると、舞台の上でダンサーたちはきちんと演技していました。エリーザベト皇后役のバフナニは目を落として考えこみ、ルドルフ役のワトソンは、最初は呆然としていたのが、徐々に目の奥に何かを決意するような光が宿っていきます。マリー・ラリッシュ役のサラ・ラムは、そんなルドルフを心配げに時おり見つめます。

  『マイヤーリング』は登場人物が多いし、物語も複雑だから大変だわ~。続きは(2)で。 
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