楽しかったけど理解できない

  今日はミラノ・スカラ座バレエ団のヌレエフ版「ドン・キホーテ」、昼と夜の2公演を観てきました。

  昼公演はミラノ・スカラ座バレエ団のプリンシパルが、夜公演はゲスト・ダンサーが、主役のキトリとバジルを踊りました。

  今回のミラノ・スカラ座バレエ団日本公演は、演目がヌレエフ版「ドン・キホーテ」の1作品しかないこと、またほとんどの公演でゲスト・ダンサーが主役を踊り、ミラノ・スカラ座バレエ団のダンサーが主役を踊るのは1公演のみ(しかも昼公演)、という点が不思議でした。

  私は当初、今回の日本公演に参加するミラノ・スカラ座バレエ団のダンサーに、日本での知名度が高い人がいないので、それで話題作りにゲスト・ダンサーを呼んだのだ、客を呼ぶためとはいえ、ミラノ・スカラ座バレエ団のダンサーたちは、昼公演1つだけを割り当てられて、さぞプライドを傷つけられただろうし、苦々しい思いでいることだろう、と想像していました。でも、そうではなかったようです。

  ゲスト・ダンサーと彼らが踊る公演日が異常に多い理由は、ずばり、現在の、少なくとも今回の日本公演に参加したミラノ・スカラ座バレエ団のダンサーの中には、キトリとバジルを満足に踊れるダンサーがいないからだと思われます。もちろん客寄せのためもあったでしょうが、それ以上に、はるかに実際的な需要があって、ゲスト・ダンサーを招聘せざるを得なかったのでしょう。

  昼公演では、キトリをマルタ・ロマーニャ、バジルをミック・ゼーニ(ともにプリンシパル)が踊りました。ミック・ゼーニはそこそこ踊れていましたが、あの程度の男性ダンサーなら、日本にも大勢いるだろうと思われます。ゼーニはソロで踊るところはまだ普通なのですが、キトリと組んで踊るところでは、タイミングは合っていないし、サポートもリフトもお世辞にもすばらしいとはいえませんでした(←控えめな表現)。

  第一幕で、バジルがキトリを頭上高く持ち上げて静止する見せ場があります。ゼーニはキトリ役のマルタ・ロマーニャを持ち上げて両手で支えながら、よろよろと足元がふらついて、前に歩いてしまいました。2度とも同じでした。夜公演でバジルを踊ったゲストのホセ・カレーニョ(アメリカン・バレエ・シアター プリンシパル)は、片手でキトリを支えて静止してビシッと決めました。

  また、ゼーニが回転するロマーニャの腰を両手で支えると、ロマーニャの体が段々と斜めに傾いていくのです。手つきもわたわた、と慌ただしく、ロマーニャの体は不規則な速度で、ぎこちなく回転していました。

  キトリを踊ったこのマルタ・ロマーニャは、第一幕のキトリ登場のソロを観た時点で、このダンサーには無理だ、とすぐに分かりました。非常にガタついた危なっかしい踊りで、振付がこなせていないのはもちろん、音楽もことごとく外してしまいます。指揮者が彼女のペースに合わせて演奏していたのにも関わらずです。

  ロマーニャにはヌレエフ版「ドン・キホーテ」の、というよりは、「ドン・キホーテ」のキトリを踊れるほどのテクニックとパワーとスタミナがありません。長身でほっそりしてスタイルのとても良いダンサーなのですが。

  夜公演のキトリ役だったタマラ・ロホ(ロイヤル・バレエ プリンシパル)の踊りで確かめましたが、ロマーニャは振付を省略したり改変したりしていました。第三幕最後のグラン・パ・ド・ドゥのコーダでも、32回転ができずに途中でやめてしまいました。もっとも、フェッテを始めたとたんに足元がグラついて大きくよろめいたので、最後までちゃんと回れるかなあ、と心配したのです。

  このマルタ・ロマーニャとミック・ゼーニは、踊りの途中で、また踊り終わって見得を切る音楽のタイミングもみな外していました。主役2人が揃ってこのようにふがいなかったためか、昼公演のカーテン・コールで最も大きな拍手が送られたのは、ドン・キホーテ役のフランチスコ・セデーニョでした。

  タマラ・ロホとホセ・カレーニョが主演した夜公演は大いに盛り上がりました。ロホもカレーニョも、踊り、演技、ふたりで踊るときのタイミング、すべて申し分ありませんでした。はっきり言って、昼公演のロマーニャとゼーニとは比べるまでもありません。歴然とした能力差がありました。

  ミラノ・スカラ座バレエ団のダンサーたちは、ほとんどがイタリア人のようです。群舞を見て、ああ、これがイタリア人ダンサーの一般的な体型か、と思いました。背はさほど高くはなく、胴体や手足の輪郭に起伏があまりなく、どこか寸詰まりな感じがします。面白い発見でした。

  ミラノ・スカラ座バレエ団の群舞ですが、あそこまで徹底して揃っていないのも、それがお国柄、といわれればそうなのかもしれません。だからまあいいです。
  
  本題に戻りますが、バレエ団内にその役を満足に踊れるダンサーがおらず、外からゲストを呼ばなければ上演できないような作品を、海外公演の演目にするのがそもそもおかしい、と私は思うのです。

  ゲストを呼ばなくても、ミラノ・スカラ座バレエ団のダンサーだけで上演できる作品を演目にすべきだったと思うし、ミラノ・スカラ座バレエ団独自のレパートリーもあるようなのに、なぜこんないびつな形で日本公演を行なったのか、私には理解できません。

  今日はミラノ・スカラ座バレエ団の公演を楽しんだというよりは、タマラ・ロホとホセ・カレーニョの踊りを楽しんだという感が強く、これでは「ミラノ・スカラ座バレエ団日本公演」の意味がありません。舞台の主導権を握るべきミラノ・スカラ座バレエ団が、タマラ・ロホとホセ・カレーニョのバック・ダンサーズになってしまったからです。          
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