踊りの質

  最近はインターネット難民です。インターネットに接続できないのです。前にも書きましたね。あの後も接続の調子が悪く、何度もプロバイダに連絡して回線調整をしてもらったのですが、結果ははかばかしくありません。

  ここ数日は特にひどく、だいたい2日間くらいは終日接続できず、3日目にやっと数時間ネットに接続できる、といった感じです。今は回線の調子が良いので、急いでこの日記を書いています。

  一昨日もプロバイダと相談し、とりあえずADSLモデムを交換してみて、それでもダメなら光に変えることにしました(ADSLとは別の回線を用いるため)。お値段はADSLとさほど変わりません。

  時間を見つけては、クーパー君が2002年夏に出演したロイヤル・バレエ「オネーギン」のレビューを読んでいます。相変わらず「クーパーの技術には難がある」、「クーパーの演技はすばらしい」といった両極端な感想ばかりで、久しぶりにこうしたレビューを読んだとはいえ、早速げんなりしています。

  最近はバレエを観に行く予定がなく、寝る前にバレエのDVDを観るくらいです。なぜかボリショイ・バレエの「スペードの女王(“Pique Dame”)」ばかり観ています。ニコライ・ツィスカリーゼとイルゼ・リエパが主演しているヤツです。

  他のバレエの映像版はなぜか観る気になりません。なんでかは自分でも分からないのですが、ニコライ・ツィスカリーゼとイルゼ・リエパの強烈で雄弁な演技に、今のところは魅せられているから、といったところでしょうか。

  ニコライ・ツィスカリーゼに関しては、専ら彼のテクニックに価値を置く方々もいるでしょうが、私は彼のテクニックよりも、彼の卓越した演技力と強い存在感に心惹かれます。

  「スペードの女王」の振付者であるローラン・プティが、ボリショイ・バレエの優秀な男性ダンサーたちの中で、最初からツィスカリーゼを指名したというのも納得できますし、映像版でカメラがツィスカリーゼの表情をアップにしていることが多いのも、彼の豊かで雄弁な表情での演技に注目したからでしょう。

  イルゼ・リエパもそれに負けていません。長くて細い四肢を尺取虫のように複雑に動かして踊り、厳然とした且つ迫力ある演技で、ツィスカリーゼとあの凄絶な振付のパ・ド・ドゥを踊っています。

  何が言いたいかというと、バレエ・ダンサーが(演技面で)みなニコライ・ツィスカリーゼとイルゼ・リエパみたいならよいのに、ということなのです。これはまったく現実離れした希望なのは分かっています。

  でも少なくとも、私がバレエを観る際には、ダンサーにはツィスカリーゼとリエパ並みの演技力を期待したいのです。「白鳥の湖」でいうなら、型にはまった悲しげな顔をしたオデットは見たくないし、お約束の傲慢な表情のオディールも見たくない。

  思い出されるのは、やはりロイヤル・バレエが上演した「オネーギン」でのアダム・クーパーです。去年のシュトゥットガルト・バレエ日本公演「オネーギン」は不満足な出来でした。あの作品の良さを表現する、というよりは、あの作品の欠点を補完して良作に仕上げるダンサーが出演していなかった。

  アダム・クーパーのオネーギンを観れば、「オネーギン」とは、こんなに見ごたえのあるドラマティックな作品だったのか、と思うはずです。もちろん、テクニックを第一に重んじる方々は、また違った意見になるでしょうが。でも「オネーギン」は、テクニックを披露して拍手喝采、という作品ではないのです。

  その振付をこなすことができれば、その役柄を踊っていいのだ、という考え方もあるでしょうが、その役柄に要求される演技力や表現力があるかどうか、という点も、同様に重要なことだと思います。

  ニコライ・ツィスカリーゼとイルゼ・リエパの「スペードの女王」を観て、またアダム・クーパーの「オネーギン」を思い出して、あらためてこんなことを思いました。
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