▼今我が家の関心事は、衆院選挙と、海底火山の噴火で沖縄の海岸に打ち寄せる軽石・北海道沿岸の赤潮被害、そして眞子さんの結婚だ。
▼実は順番が違う。関心が薄いように見せかけて、実は一番の関心事は「眞子さんの結婚」だ。天皇家のお嬢さんなのに、式も行わないで、皇室も離脱という。世間では“勘当”同然の寂しい結婚だからだ。
▼天皇といえば憲法第1条で【国の象徴であり、国民統合の象徴で、その地位は主権の存する国民の総意に基づく】とある。
▼憲法に規定されるほど、特別な存在だ。でも、主権の存する国民の総意に基づくとあれば、天皇家のお嬢さんである眞子さんの結婚について、一国民として意見を申し述べていいのではないかと考える。
▼ということで、期日前投票を終えた我が夫婦の思いは、選挙については、別にやらなくてよかったという気分だ。そこでもっぱら眞子さんのテレビ報道に参加し、お互いの意見を述べ合っている。
▼古くは民間からお嫁に来た美智子さん。さらに紀子さんや雅子さん。皇室の結婚の喜びは、経済効果までもたらした。
▼戦後76年目をむかえる今日の眞子さんの結婚は、小室さん側の親族の問題がネックになり、結婚式が行われないという、異様な結末になっている。
▼ということで、私も天皇制に関する本の付箋部分だけ読み返しているが、読めば読むほど、理解が不鮮明になるのが、天皇という存在だ。
▼古事記などを開くと、天皇制とはフィクションで成り立っているので、起源自体が曖昧から始まっている。だから象徴という特別枠でしか、語れない存在なのだと思う。
▼2004年、秋篠宮が39歳の誕生日の記者会見で、当時の皇太子(現天皇)が、妻雅子さんに対する、マスコミの対応についてこんな発言をした。
▼【天皇に相談することもなく、いきなり皇太子妃の人格を否定するような人々がいるという発言は、残念に思う】と発言した。
▼その時、長男でもある私は「たかが弟のくせに、兄貴のことを批判するなんて、もってのほかだ」と興奮したことを思い出す。
▼だが、自分の娘の結婚で、結婚式も上げてやれない立場にいる秋篠宮だ。天皇家としては、家系を揺るがすような対処だ。兄の天皇も上皇も、心中複雑な思いをしているに違いない。
▼国会議員が会費制で、祝賀パーティーを開催してあげたらと、私は思う。そうであれば、シンゾウの観桜パーティーの出費は許さないが、
国民も喜んでくれるに違いない。
▼というような具合で、我が夫婦は眞子さんの結婚は、拍手で送りたいと思っている。だが、一般国民として、どうも小室さんとの結婚は、ちょっぴり気になる。
▼総合して考えれば、私たち夫婦の眞子さんの結婚に対する思いは【不自然】という言葉で、くくられるようだ。はっきりした回答は出せないが、とにかく【不自然】な結婚なのだ。
▼この【不自然】なままでの結婚式が、やがて「憲法改正」や「天皇制」へも影響するのではないかと、私は危惧するからだ。
▼米国が皇太子(現上皇)の家庭教師に、バイニングという女性をつけた。彼女は皇太子にジミーというあだ名を付け、学習院のほかの生徒と同じように扱おうとした。
▼そこから、皇太子は彼女からゆがんだ教育を受けた結果「菌」に感染してしまったという内容が、1971年の雑誌「流動」に掲載されている。
▼その座談会の参加者は「皇太子さんは少し普通の人になろうという努力が過ぎる」という意見で賛同し、それよりも【最高無比みたいな方】になってほしいと述べている。
▼その座談会参加者たちは、単に若いカップルへの攻撃というより【戦後民主主義体制そのものの告発とみてよい】と解釈しているのは、米国における近現代天皇制研究の第一人者である、ケネス・ルオフの著「天皇と日本人」朝日新書の中にある。
▼さらにその本の中で、文芸評論家江藤淳が、阪神淡路大地震の時、天皇と皇后が被災者を元気づけている映像に反応し、文芸春秋に書いたエッセイも紹介している。
▼【天皇と皇后は、何もひざまずく必要はない。被災者と同じ目線である必要もない。現行憲法上も特別の地位に立っておられる方々であってみれば、立ったっままで構わない。馬上であろうと車上であろうとよいのです。国民に愛されようとする必要も一切ない】。
▼「国民の天皇」は右派の人から嫌がられたものの、国民の圧倒的多数からは歓迎されていた。それが全面的に開花するのは、明仁天皇と美智子皇后の時代だと、ルオフは指摘する。
▼【国民の天皇】というキーワードは、今後極めて重要な気がする。国民主権の天皇であって、国家主権の天皇であってはならないからだ。
▼天皇が国民に近づき、国民も天皇に近づく。それとは逆に、国家が天皇に近づき、戦前の天皇像に近づかせることは、回避させなければならない。
▼まとまりがなくなってきたので、この辺でしめっくくりたい。昭和天皇が退位せず、戦後も存続された。戦前的天皇像を払拭するため、一般から美智子さんを受け入れた。
▼美智子さんの使命は「国民の天皇」を作り出すことだった。つまり「開かれた皇室」だ。そして紀子さんに雅子さんだ。この民間3人は、戦前的なる皇室を解放させる役割を十分に担った。
▼だが古い体質を引きずる宮内庁に、相当の軋轢を生じさせたのは間違いない。その延長線上に、眞子さんの結婚が出現したような気がする。
▼雅子さんまでは国民が認めた結婚だった。だが、比較的自由な別家である秋篠宮家で、思わぬ落とし穴が生じた。
▼小室家の家庭内問題は、国民の手放しの支持は得れず、結婚式さえ行われないという、極めて【不自然な結婚】となった。
▼皇室を離脱したといえ、いずれ眞子さんは、天皇の姉と呼ばれる存在になる。妄想を働かせれば、小室家は天皇制を崩壊させる要因ともなりかねない。
▼とはいうが、現上皇の言葉も思い出す。【桓武天皇の生母が、百済の武寧王の子孫である】という言葉だ。
▼様々なことを乗り越え、天皇家は継続してきた。それが「国体」として、日本のかたちを作り、日本を支えてきた。
▼今後も様々な英知を出し合い、天皇性は存続していくだろう。天皇制が廃止される日本を、私たち戦後間もない世代も、考えられないからだ。
▼あれやこれやと、眞子さんの結婚について、様々な角度から考えながら、無謀にも天皇制まで突き進む我が家だ。
不敬罪の無い時代に生きて
三等下
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