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函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

言葉に愛と情熱を

2021年10月21日 08時45分41秒 | えいこう語る

▼選挙演説を聞いても、もはや心に響くものがない。シンゾウの長期政権で、政治に対する期待感が消滅してしまったからだ。さらに言えば、政治に対する諦念が染みついてしまったと言ってもいい。

▼だが、この政治に対する期待感の喪失と諦念こそが、シンゾウが目指す【憲法改正】への大きな道筋なのかもしれない。

▼こんな世の中なら憲法を改正し、新しい「国家秩序」をつくらなければならないと、国民自らが自覚するだろうという、シンゾウの心理作戦ではないかと。

▼「アベノミクス」の正体とは【憲法改正陽動作戦】なのかもしれない。後継者のスガは、さらに今の憲法では、日本は立ち上がれないだろうということを、国民に強く意識づけた【改憲功労者】では。

▼そんな厭世気分が蔓延する、今回の衆議院選挙だ。昨日ある女性の訪問者があった。妻が対応したが、選挙のお願いだった。

▼Sさんは、60歳は超えている。若いころからある宗教団体に入っていた。都会で暮らしたこともあるので、ユーモアもあり会話も楽しい。

▼数年前から足の具合が悪くなり、歩行が少し困難で杖を頼りにしている。会報を私に渡す時、子供のような笑顔で「お土産」という。そんなユーモアが私は気に入っている。

▼彼女の亡くなった父上と私は、お寺の役員をしていた。シベリアに抑留されたことは聞いているが、そこでの生活内容はほとんど語らなかった。語ることすらはばかるをほどの、壮絶な体験だったのだろう。

▼酒の席で、私がその話に触れたことがある。「俺は背も高いし身体が丈夫だった。だから生き延びれたのだ。こんな身体に生んでくれた両親に感謝している」と話してくれた。

▼戦争体験者も、私の周囲にはほとんどいなくなった。「読書より実体験に勝るものはなし」という思いを、多くの先人たちから教わった。「二度と戦争はごめんだ」と、先輩たちの遺言を、私は心に刻み込んでいる。

▼Sさんと会話した私の妻の話だ。彼女は解散が迫る直前と、今回で2度目の来訪だ。玄関での立ち話だったが、比例区はぜひ00党にと、身体を震わせるように熱心に妻に語ったという。

▼外には仲間が車で待っているというので、情熱一杯の小演説をこなし、帰ろうとした。杖を使っていないのを妻が気付き「Sさん元気になってよかったですね」と話したという。

▼Sさんも杖を持っていないことに気づくと「私何かに熱中すると、身体がよくなるの」と、得意の笑顔を見せたという。

▼妻は、Sさんの「愛と情熱」に感動し「比例区は00党に入れようかしら」という。「そう思うなら、それでいいんじゃないの」と私は答えた。

▼今日、函館市内に買い物に出かけるので、期日前投票をしようと思う。

憲法改正と天皇制

2021年10月20日 11時44分41秒 | えいこう語る

▼衆議院選挙より、やはり眞子さんの結婚が気になる。なぜ気になるかと言えば、昭和天皇の曾孫だからだ。

▼戦争が終わり、間もなく生まれた私(昭和23年生)にとって、戦争という命題は、生まれた時から背負わされていたものだった。

▼その戦争は統帥権を持った昭和天皇の時代だった。戦後の天皇は戦争責任を免れ、現人神から人間になったという。

▼だが私たち世代は、昭和天皇は我が国の象徴として、超個性的なおじさんという感じだった。似た者など一人もいない、超高級ブランドのような存在に思えた。

▼亡くなった時【崩御】という、見たこともない言葉に接した。お笑い芸などが自粛され、国民が一斉に喪に服させられたということに、戦前の昭和天皇像が、戦後も連続して国民の中に生きていたのだということを実感した。

▼天皇制なるものを批判するということを忌避する風潮は、戦後生まれの私たちの世代にも、DNAとして残っていたように思う。

▼時代は変わり眞子さんも大学の同級生と恋愛し、結婚することになった。喜ばしいことだが、結婚相手の家庭事情が週刊誌で暴露され、国民の祝賀ムードも沈みがちだ。

▼天皇家の歴史的存在意義は、国民の納得するところだが、明治以降【天皇の使い勝手】で今の日本があるという説もある。天皇制が権力に利用されないというのが、天皇性継続の今後の在り方だろう。

▼眞子さんの結婚問題で、皇室典範を改正し、皇族の在り方を規定すればいいという意見もあるが、皇族の人権侵害につながりかねない、と指摘する憲法学者もいる。

▼一方、国民も、自分たちの理想を投影して皇族の生き方を縛るのはやめようという意見もある。しかし、今後は外国人との結婚や、シングルマザーの可能性も否定できない。

▼憲法学者の木村草太は【今回の一件で私たちは、憲法の規定する天皇制が、天皇と皇族の権利を制限する反人権的性格を持つことを認識するきっかけにすべきだ】と指摘する。

▼自民党憲法改正草案第1条は「天皇は日本国の元首である」とし、第102条第二項では、現憲法第98条2項にある「憲法擁護義務」の中から「天皇と摂政」を除外している。

▼これらに隠されている、自民党の本意は何か。だが、我が国は憲法と天皇について、気軽に話し合える雰囲気にはない。憲法についてある自治体の首長に尋ねたら「共産党みたい発言だね」と一蹴されたことがある。

▼「表現の自由」は、相当認められて来てはいるが、最初に書いた戦前DNAが、戦後も継続されているという感じがしないでもない。

▼憲法改正が政治課題の前面にあがってきた昨今、ここは一つ【憲法改正と天皇制】について「国民的議論」と言えば大げさだが【国民的雑談】ができるような環境にし、コロナ後の新たな主権国家づくりの、始まりにしてほしいものだ。

▼最後に私の妄想だが、眞子さんは多産系の体躯のようにみえる。健やかな男子をたくさん産んで、幸せになって欲しいものだ。

地獄が極楽になることもある

2021年10月19日 10時14分48秒 | えいこう語る
▼高齢者が増え続ける地域社会。函館市社会福祉協議会の「地域福祉コーディネーター」という、何やら偉そうな役についているのが私だ。福祉関係の資格など持っていないのにだ。

▼全国各地には、高齢者のための健康増進を図るため「ふれあいサロン」などの活動が活発のようだ。その函館市版の人口800人の、私の地域の福祉コーディネーターだ。

▼そこで実施しているのが【とどっ子塾】というサロンだ。【「とどっ子塾」はちょっぴり勉強する内容を取り入れたサロンです。身近なことでも知らないことがたくさんあります。サロンで楽しく学んで、おしゃべりして、脳や身体の活性化につなげましょう】というのが主旨だ。

▼今からちょうど60年前、私が中学生の時だ。NHK・TVで「ものしり博士」という番組があった。そこに人形のケペル先生が登場し【なんでも考え、かんでも知って、何でもかんでもやってみよう】と言いだしで番組が始まる。

▼そんな言葉がいまだに私の頭から離れなかったので、こんな高齢者の学びの場が生まれたのだ。ということで、まずは身体の体操より頭の体操教室を開催することにした。

▼単純に言えば【認知症防止教室】だ。差別用語ではない。私自身が物忘れが多くなってきたからだ。塾生の平均年齢は70歳後半だ。

▼今回は、隣町恵山町の歴史について、そこの役所の職員で、以前から親交があり、歴史やまちづくりに熱心なMさんに講師をお願いした。

▼私の地域と隣の恵山町は、活火山「恵山(618m)が、ベルリンの壁のようにそびえ立っている。「百年戦争」と言われた境界争いもあったくらいだ。

▼Mさんはパソコンを使った映像操作も巧みだ。現職の役人なので、理路整然と産業や観光についての推移を分かりやすく説明してくれた。これで隣町の歴史的概要がつかめた。

▼後半の映像がすごかった。函館出身の今やロック界のトップを走る「GLAY」が、昨年7月に秘密裡で行った「恵山山頂での無観客ライブ」をスクリーンに映した。

▼「30分ですが、長いので飛ばしながらにします」というと、「全部みせて」という声が起きた。地元の山でのライブに、おばさんたちも気合が入ったようだ。

▼登山道を閉鎖しての極秘裏の開催だったという。Mさんの担当課だけが応援に出て、他の課には一切知らせなかったという。

▼演奏は午後4時開始で、終了は午後10時。撤収は午前1時で、レイザー光線とドローンを飛ばしての撮影だったという。

▼霊峰恵山の眼下には津軽海峡が広がり、下北半島が見える。その半島で一番高い山が釜伏山だ。その一角に恐山がある。

▼ここには、霊を呼び寄せる「イタコ」さんがいる。恵山とは姉妹山なのだ。この二つの山は、まさにここが地獄かと思わせる、噴火の壮絶な姿をしている。

▼ライブが終わり拍手が起きる。80も半ばの女性が「極楽を見せてもらった」と一声を発した。まさにGLAYが、地獄を極楽に変えたのだ。

▼Mさんは、先人たちが築き上げた歴史から、みんなが地域を見直し、新たなまちづくりを探そうということを、とどっ子塾の生徒たちに伝えてくれた。

▼ロックバンドの演奏に、コロナ禍でふさぎがちだった高齢者の心の扉が、一気に解放された感じのMさんの講義内容だった。

▼ちなみにMさんは、私の高校の20歳近くも離れた後輩である。先輩の私には敬語で接してくれる。今時尊敬に値する後輩だ。   


    まちづくりは「温故知新」
              三等下

最高裁判例にも間違い

2021年10月18日 09時52分48秒 | えいこう語る
▼毎日ブログを書いていると、日本語の使い方が、間違っているのではないかという不安と、拙い文章を世間に放出させることの羞恥心も同時に感じている。

▼でも、世の出来事について、興味を持ったものを頭の中で咀嚼しながら、自分の考えとして書き出すという行為は、単調な田舎暮らしの中での大きな楽しみの一つだ。私の場合は「朝のラジオ体操」のように「朝の頭の体操」だ。

▼こう書いてみても、この文章が国語の先生が読んだら、どんな添削をされるか心配になる。文章というより、会話という感じで書いているので、私の考えが通じればいいという、そんな開き直りだ。

▼19日の北海道新聞に「間違いだらけ 最高裁判例集」なる記事に目が止まった。著名な大法廷判決12件に、判決文の原本と異なる誤りが約120カ所見つかったという。

▼最高裁の文章でもそうなら、私ごときが心配するほどのものでもないと、ちょっぴり安堵したが、次の言葉でやはり羞恥心が持ち上がってきた。

▼「大半が誤字脱字や句読点の間違いだが、中には表現が欠落して文章が変わるケースがあった」というものだ。自分の国語の点数がよかったと自慢する長女に指摘されるのは、まさにこの部分だからだ。

▼この問題について最高裁は「重く受け止める。しかるべき調査を行って適切に対処したい」とコメントした。

▼「重く受け止める」「しかるべき調査を行って」「適切に対処したい」と、区切ってみた。シンゾウやスガの言葉と似ていやしないか。

▼「重くなど受け止めてはいない」「しかるべき調査などというのは、確実に行わない調査だ」「適切な対処とは、自分たちの都合の良いように」という意味に聞こえてくるからだ。

▼このような文書は、間違いではないが役所言葉の典型だ。結論から言えば「真心の薄い」文面ではないか。

▼一つだけ例にとりたい。1961年の「絞首台の図式を有効とした判決」で【正解】は「死刑にならないなら重罪を犯してもかまわない」が【誤】は「死刑にならない重罪を犯してもかまわない」だ。

▼死刑制度が無効とされれば【死刑にならないなら重罪を犯してもかまわない】と、解釈するのではないか。

▼判例集には、逆の意味にとられかねない誤記をしていたのもあるという。ということは、後世の人がこの判決を読んで、この裁判は間違っていると、判断するかもしれないということを指摘している。

▼公文書は特に正確にというのが常識なはずだ。だが、官僚は文書改竄はお手のもの、情報公開で請求すれば「海苔弁」などという、文字を隠す怪文書まで、平気で作成する。

▼「最高裁お前もか」という罵声と共に「最低裁判所」と声がかかるほどの、稚拙な誤りだ。とはいえ、いくら吠えてもびくともしないのが役人気質というものだ。

▼【公僕とは公のために尽くす国民のことだ】と、理解しているからだ。自民党改憲草案も、国民の人権が守られるのは【公益や公のために資する】ことだと書いてあるからだ。

▼たった今気が付いたが【自民党改憲草案】は国民主権の立場から添削すれば、現憲法と同じくなってしまう。

▼ちょっぴり話を変えるが、総理を途中で投げ出した菅義偉。靖国神社を参拝した。「前内閣総理大臣として、国のために尊い命を捧げられたご英霊に尊崇の念を表せていただいた」と、記者団に語ったという。

▼私が新聞社の社説担当なら【靖国の英霊たちは自らの命を国に捧げた。菅義偉は大元帥閣下として、命を惜しみ退却してしまったことを悔いての、靖国神社参拝であろう】と。

▼さらに「真榊」を人に預けはキシダ総理には、こんな提言もしたい。【自民党が憲法改正を目指すなら、国会議事堂の議長席の上に“靖国神社”を奉る法案を提出してはどうか】と。

▼というわけで、私の文章は日本語が正しいかという問題ではなく、政府批判が多すぎるということかもしれない。

  季語は意識しないけど無視できない
                三等下

劣化する日本の選挙意味不明

2021年10月17日 15時10分56秒 | えいこう語る
▼70歳も過ぎれば、政治ばかりではなく様々な組織の選挙も経験した。その時代のトップにふさわしい人物が出馬してくれれば、判断もしやすいのだが、選挙を楽しむ気持ちになったのは、わずかだ。

▼清くない人物に「清き一票と言われても」、心が動かない。私は冗談が好きなので、普段の会話では相手に合わせて生きているが、実は心はいたって頑なにできているようだ。

▼開票時に「白票が1票です」とは、私のことだ。立候補してくれたことに敬意を称し、選んでやるのが大人の常識というものだ。

▼とわかっていながらも、間違いなく期待できない人物に投票したら、組織が停滞するのに加担してしまうのではないかと考えるからだ。

▼隣の国の国民だとして、書かざるを得ない状態になっても「臭菌屁」と書く。その国では「シュウキンヘイ」と読み、有効にしてしまうだろうけど。

▼満期を直前の解散だなんて、新米の総理のくせに、シンゾウやスガとは違うんだというところを、見せたかったのだろうか?

▼近年【日本劣化】や【反知性主義】などの言葉が目に付く。それは、8年にも及ぶシンゾウ政権と、1年にも満たないスガ政権の実態がそうさせたのだということは、国民も納得しているだろう。

▼自民党には期待しないというのが私の本音だ。かといって、野党第1党の立憲民主党にも期待できないと思ったのが、エダノ代表の先日の北海道での演説内容だ。

▼新聞には「北海道からの政権交代」を訴えたとある。しかし、前回の北海道知事選に、唯一勝てる候補だったのが、現在の立憲の北海道代表、我が函館を基盤とする現職のオオサカセイジだ。

▼道民の期待も大きかったにもかかわらず、戦いを拒否した。仕方がなく出した候補は、道外出身の自民の若手スズキナオミチに大差をつけられ、惨敗した。

▼私はこの選挙で、立憲は国民を巻き込みクーデターを起こし、自民党を転覆する気概もないことを実感した。そこで立憲には【政権奪回放棄政党】というイメージが固定された。

▼さらにエダノ代表は、民主党政権の経産大臣だった時、福島第一原発事故が起きた後でも、大間原発工事再開を宣言したことが記憶にある。

▼私の選挙区は北海道8区だ。立憲現のオオサカセイジと、自民元のマエダカズオの二人が立候補する。何度も戦っているが、マエダは今回落選すると、もう二度と公認はされず、選挙には出れない。まさか選挙資金が1億5千万円も出ていないだろうね。

▼マエダは自民でありながら「大間原発反対」を表明している。これは誰もが矛盾だとわかっている。政治家は平気で自説を曲げることができなければ、生きていけない存在だ。自衛隊は違憲だと言っていても、政権を取れば、合憲だといわざるを得ないからだ。

▼さらにマエダは、立憲が共産と共闘し、共産が候補を取り下げたことに腹を立て【立憲共産党】と叫んだ。これには陣営からも、やめた方がいいと、声が出たという。マエダも必死の戦いのようだ。

▼さらに、災害対応の病院船の建設計画は、二人とも賛成だ。病院船そのものは、軍事用に使用される目的が大だ。やがて函館が軍港になる可能性があるので反対だ。米国の病院船は海軍の所属だからだ。

▼函館には、戦艦の修理工場や、陸・海の自衛隊も駐屯している。大型病院もあるし空港もある。有事となれば、公海でもある津軽海峡は封鎖されるだろう。

▼函館港の若松埠頭の拡張や、大型クルーズ船が入港のための海底掘削は、米空母の入港を可能にするものだ。

▼函館市も「ダイバーシティー」を目指しているようだが、実は観光と軍港の【ハイブリッド都市】になるのは間違いないというのが、私の得意の妄想ではなく「予想」だ。

▼私は競馬は数回目で万馬券、競輪は一回目で満車券を当てている。予想は意外と当たるからだ。その後やってはいない。「好事魔多し」が私の教訓だからだ。

▼二人の候補は「軍港化」については語らないので、私は今のところは得意の白紙だ。だが、改憲論議進めるべきが「61%」になってきたという。憲法改正は選挙の争点になってもいいのではないか。

▼そこで憲法施行100年を目途に、今から国民全員で憲法論議の促進を、実施にしてほしい。

▼今日(17日)のブログのきっかけになったのは、北海道新聞の中に、心を動かされた文言が二つあったからだ。

▼教育基本法の改正に、力を入れたのはシンゾウだ。憲法改正(9条)を実行するために、教育に手を付けたと私は考えていた。

▼「戦争は教育現場から始まる」というのが、親戚の校長の、私への遺言だからだ。「劣化」や「反知性」の代表的なシンゾウが、教育基本法に手を付けるなど、それしかないと思ったからだ。

▼シンゾウに事はさて置き、元文科大臣のハギュウダコウイチの教育改革における言葉だ。【意思決定に当たっては、理念や結論が過度に先行し、実務的な課題の検討が不十分にならないようにする必要がある】と、シンゾウの子分の割には真っ当な考えだ。でもハギュウダは好きになれない。

▼もう一人は、都留文科大学長・藤田英則の言葉だ。【教育は社会の近未来の姿を描く設計図。制度を一度変えれば、20年後、30年後の社会の在り方を大きく変える。だからこそ時間をかけて丁寧に論ずるべきだ】。

▼憲法改正は国家の基本秩序の変更を意味する。現在はコロナ戦争下だ。今こそ憲法を前面に押し出し、どこが不具合なのか、変える必要があるのかなど、国民全員で考えるシステムを構築してほしい。

▼そして教育現場で、憲法をしっかり学ばせ、施行100年目に向かい、憲法とは何かの国民教育の実施を、教育改革の前面に押し上げてもらいたい。

▼という二人の新聞の文言から、今日のブログのテーマが生まれてきた次第です。説明が長すぎて、どうもスイマセン。


   劣化する日本の選挙意味不明
              三等下