元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「ノマドランド」

2021-04-10 06:15:07 | 映画の感想(な行)
 (原題:NOMADLAND )切り口がとても面白い。アメリカン・ニューシネマの諸作をはじめ、米映画にはさすらう者たちを描いた作品は数多くあるが、それらの主人公は境遇はどうあれ“何かを求める”という意思は共通していたと思う。たとえそれが後ろ向きな気持ちで、結果的に悲劇に繋がったとしても、彼らは“何かを求めて”放浪する。ところが、本作のヒロインは違う。彼女は能動的な姿勢を見せない。しかし、それでいて共感するところが大きいのだ。この味わいは、監督がアジア人であることも無関係ではないと感じる。

 ネバダ州の企業城下町で暮らしていた60歳代のファーンは、夫の死後も代用教員として働くなどしてこの町を離れなかったが、リーマンショックによる企業倒産の影響で、町そのものが消滅してしまう。彼女は古びたキャンピングカーに全てを詰め込み、過酷な季節労働者として各地の現場を渡り歩きながら車上生活を送ることになる。行く先々で似たような境遇の者たちと出会って交流を深め、中には一緒に暮らそうと申し出る者もいる。だが、ファーンはさすらうことを止めない。ジェシカ・ブルーダーによるノンフィクションの映画化だ。



 まず、今のアメリカにこのような者たちが少なからず存在することに驚く。彼らはホームレスではなく、キャンピングカーを生活の拠点として各地で仕事を見つける。彼らがこのような生活を送るに至った経緯は人それぞれだが、皆一様に年を取っていて、余生を自由に過ごすことを選択している。彼らがさすらう先のものを見据えることは無く、放浪それ自体がアイデンティティと化している。

 実はファーンには姉がいて、仲の良い友人もいる。その気になれば、人に頼って宿無し生活から抜け出すことも出来たのだ。しかし彼女はそうしない。なぜなら、ファーンは亡き夫の思い出だけを胸に生きていくことを決めたからだ。事実、彼女の“行動範囲”はネバダ州のあの町を中心にしており、そこから極端に離れることはない。



 ファーンを世捨て人だと断じることは容易いが、それでもこの主人公の造型に求心力があるのは、人間は一つでも素晴らしい思い出があれば、それを糧に残りの人生を送ることも出来るという達観がそこにあるからだ。この悟りきった人生観を創出するのは、脚本も担当した中国系のクロエ・ジャオ監督である。前向きなスタンスをすべて削ぎ落とし、さすらうことを目的化するという、これまでのアメリカ映画ではお目に掛からないスタイル。しかし、そういう人間たちが存在しているという確固とした事実を提示した手柄は大きなものだ。

 主演のフランシス・マクドーマンドのパフォーマンスは万全で、すでに多くのアワードを獲得しているのも納得だ。ファーンの相手役になるデイヴィッド・ストラザーンを除けば、この映画に出てくる“ハウスレス”たちはすべて本物である。この“素人に本人役をやらせる”というのはアジア映画ではよく見るが、アメリカ映画では珍しい。胸が締め付けられるようなラストシーンと、荒涼とした米中西部の風景を捉えたジョシュア・ジェームズ・リチャーズによる撮影が大きなインパクトを残す。
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