元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「燃ゆる女の肖像」

2020-12-19 06:23:06 | 映画の感想(ま行)
 (原題:PORTRAIT DE LA JEUNE FILLE EN FEU )世評はとても高いが、個人的には少しも面白いとは思えなかった。とにかく、この映画は何か描いているようでいて、その実何も描かれていないのだ。あるのは、小綺麗な画面と思わせぶりな舞台設定、求心力に欠ける演出、そして起伏の無いストーリーだけである。とにかく、観ている間は退屈至極で、眠気との戦いに終始する始末だ。

 18世紀のフランス、若い画家のマリアンヌは、ブルターニュに住む貴婦人から娘エロイーズの見合いのための肖像画を依頼される。その屋敷は孤島にあり、エロイーズは結婚どころか人付き合いも苦手なタイプだった。そのためマリアンヌは正体を隠し、単なる友人として彼女に近付く。2人は仲良くなり、やがて肖像画は完成するが、真実を知ったエロイーズは怒り、絵の出来にも苦言を呈す。仕方なくマリアンヌは描き直すとことにするが、意外にも今度はエロイーズはモデルになると言う。そして2人は互いに友情以上のものを抱くようになる。第72回カンヌ国際映画祭での脚本賞受賞作だ。

 同性愛が重要なモチーフになっているが、マリアンヌとエロイーズがどうしてそういう関係になったのか、映画はまったく言及していない。ひょっとしたら元々2人にはそんな性的指向があったのかもしれないが、それも説明されていない。恋に身を焦がすようになる2人の激しいパッションも、匂い立つようなエロティシズムも、どこにも見当たらない。ただ“一緒にいたので何となくそうなった”という、漫然とした図式が提示されるだけだ。

 さらに、マリアンヌの芸術に対する傾倒ぶりも表現されていない。序盤に小舟で島に渡る途中で彼女は画材を海に落としてしまい、飛び込んで拾い上げるシーンがあるのだが、そこには緊張感のかけらも無く、単なる義務感だけが透けて見える。冒頭で美術教師になった彼女の“その後”が紹介されるだけに、この凡庸な描写は致命的だ。

 また、意味ありげに登場する“燃える女”のイメージや、エロイーズの今は亡き姉の亡霊(らしきもの)、マリアンヌが自画像を描くためにエロイーズが鏡を自身の股間にセッティングする場面など、観ていて恥ずかしくなるようなイマジネーション不足の箇所が散見される。セリーヌ・シアマの演出は平板で、しかも故意にBGMを廃しているので映画全体が冗長だ。

 主役のノエミ・メルランとアデル・エネルも魅力が無い。久々にヴァレリア・ゴリノが見られたのが救いか。なお、ヴイヴァルディの「四季」の「夏」が主人公たちの愛聴曲になっているが、今でこそ有名なこのナンバーは、当時はマイナーな扱いであったはずだ。なぜ2人が知っていたのか不明である。
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