元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「無知の知」

2015-01-17 07:19:53 | 映画の感想(ま行)

 無知の知とは、無知であるということを知っているという時点で、相手より優れていると考えることらしいが、そのスタンスが本作の題材にマッチしているとは、とても思えない。もちろん、自分が無知であることを知るというのは良いことだ。無知のくせに利いた風な口を叩くよりも、はるかにマシ。でも、無知を自覚した時点で立ち止まってしまっては何もならない。残念ながらこの映画の作者にも、それは言えると思う。

 ドキュメンタリー映画作家の石田朝也は、2011年の東日本大震災に続く福島第一原発事故の報に接し、原発について自分が何も知らないことに気付く。そこで真相を自分の目で確かめるため、現地の人々や震災直後の混乱した官邸と事故当時の状況を知る当時の政府関係者にインタビューを決行する。さらに、原子力開発を進めた科学者達にも“そもそも原発とは何なのか”という質問をぶつけると共に、新しいエネルギー源を模索する人々にも展望を尋ねる。

 まず、石田の取材相手の“豪華さ”には驚かされる。被災して避難生活を余儀なくされている人々はもちろん、為政者にも果敢にアタックする。菅直人や鳩山由紀夫、細川護煕、村山富市といった首相経験者はもちろん、枝野幸男や渡部恒三といった政権の近くにいた者も含まれ、よくアポを取れたものだと感心してしまう。

 しかし、何か核心に迫るようなことが聞き出せたのかというと、それは極めて怪しい。石田はただ闇雲にインタビューする相手を求めていただけとしか思えないのだ。

 劇中、石田が原子力工学の第一人者に“被災者の方々は、こんな事故を引き起こした原発を、どうしてまた政府は海外に売り込むのだという素朴な疑問を抱いています”というようなことを述べる場面があるが、これは筋違いだ。石田はそんな質問を投げ掛ける前に、今海外に展開させようとしている原発が、果たして福島第一原発をはじめとする過去の原発と同様の構造を持っているものなのかどうか、少しは自分で調べなければならない。

 逆に言えば、取材相手は石田が“自らの無知を知っているだけの人間(イコール無知の時点で安住している者)”と見切っていたからこそ、会うことを許可したのではないか。

 前半、避難生活を強いられている人達が“今まで取材しに来た人は、自らの主義主張を第一義的に考えていたフシがあったけど、石田にはそれがない(だから、安心して話せる)”みたいなことを言う場面があるが、それもつまりは、作者の人畜無害ぶりを認めたからに他ならない。はっきり言って、カツドウ屋としてはそれではダメだろう。

 無知を知り、だからこそ精進して自分なりの対象へのアプローチを模索するべき。手当たり次第に話を聞くだけでは、自己満足にしかならない。いずれにしろ、ドキュメンタリー映画の製作には問題意識を練り上げて理論武装しなければ、総花的な結果に終わることを痛感した一作であった。
コメント
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