今や、川崎市民だが、生まれも育ちも横浜、れっきとした「浜っ子」であることを、片時も忘れない。 大学卒業後、就職先に日本を代表する外航海運会社に就職したのも、「横浜生まれ」で、幼い頃からの影響が多大だったと疑わない。
大学時代の級友・仲間を除けば、旧友は、皆、横浜市民だ。
旧暦1859年(安政6年)6月2日、ペリー来航に伴う国内開港5港の内の一港だった。
新暦では7月1日になるが、議論があり、結局、横浜市では新暦で6月2日が横浜開港記念日に落ち着いた。 今年で、165年になるが、長崎は出島で開港していたので、更に100年余り前からとなるらしい、と長崎平和公園近くに住む大学時代の級友が言っていた。
小学生頃には、現、関内駅から大桟橋辺りまで、両親に各種出店やパレード見物に連れて行かれたものだった。
横浜開港祭と銘打った行事が目立ち、開港記念日だという歴史上の事実は置き去りにされた印象。 今や、一大観光地だ。
近々、中学・高校時代の旧友と約5年振りで再会予定だが、積もる話もあって、時間が足りない筈。 お互いに元気ならば、時々、会って昔の思い出話や今の生活の苦労、これから10年余りの間の願い等々、あれもこれも話したい。
まだ一度も訪れていない、山下公園内の「赤い靴はいてた女の子像」を回り、私のブルースハープで「野口雨情詞、本居長世曲の童謡『赤い靴』」を吹かせて頂こう。