1985年8月12日(金)、今から37年前の余りにも悲し過ぎる500人余を乗せたジャンボジェット機の墜落事故だった。
あの日も金曜日で、私の勤めた外航海運会社では東京本社で全国支店長会議を終えて、関西へ帰る神戸支店長が乗り合わせていた。
彼は、羽田を離陸して間もなく、御巣鷹の尾根に墜落するまでの僅かな時間に、奥様に、そしてお子様達に「あと、ママをよろしく頼む」と短い走り書きの遺言を残している。
我々は、呑気に12日から2泊3日の家族旅行で富士五湖にいた。 河口湖周辺をドライブ中の13日の昼のNHKニュースで、この事故を知ることになった。 会社のK先輩のあまりに悲しい事故ニュースに、車を路肩に停めて号泣したことを思い出す。
長女は、この航空会社の客室乗務員として、国内、海外を飛び回っている。 3日前にアメリカ・ダラスから戻って来たばかりで、今度は、台風8号の東海地方直撃予報のある中、明朝、国内線乗務の為に羽田に向かう予定。
仕事柄、覚悟の上とは言え、いつも気を揉む。