誰もが等しく主観的に、そうだよね、と思える「安心」は、科学的じゃない。 安心か否かは、個人の心の持ち方、見方次第で、如何ようにも転ぶ。
「安全」については、その理由や根拠が問われ、客観性や科学的色彩が強まり、安全かどうかの議論が始まり、深まることに繋がる。 疑問や批判も生まれる。 「理由」や「根拠」を示すことで健全な論争に展開する。 そんな中で、犯す筈の人間の誤りも修正されることになる。
これこそ、健全な民主主義だろう。
日本では、「問答無用」だったり、「理由を明示せず、なし崩し的に既成事実化を図る」、或いは、上野教授の「ご飯論法」で論点をずらせる、誤魔化すことが日常茶飯事。
欧米民主主義国家で、「安心、安全」という表現が、当り前に通用しているのだろうか?