渾沌滅七竅

生命ある無秩序を愛する渾沌。

デジタル・トランスフォーメーション(DX)

2020年07月24日 | 日記

最近よく目にする語句だ。

英語が、そのまま日本語化されるので、なかなか理解し難いし、覚え難い。

要は、デジタル(社会)への変革、とでもいった様な意味合い。

コロナ禍、日本社会のデジタル化、情報通信(ICT)技術化の立ち遅れがあらわになった。  GAFAや中国系通信機器メーカーの世界市場席捲の具合をみると、然もありなんと、隔世の感を改めて思い知らされる。

テレ学習用、小中学校での端末機器配備の遅れ、指導教員の教育不足やマイナンバーカードの普及・申請が遅々としていて、未だ20数%とか等々、誠にお粗末、お寒い状況だ。

政治家は多くが不勉強、マスコミも悪いが、それらの世界もデジタル人材不足なのかも知れない。 我々の生きる今の社会はダイナミックに胎動し、DXへまっしぐらだ。 周回遅れを取り戻す絶好の機会だが、リーダー不在!?

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社会的キョリ?

2020年07月24日 | 日記

TVニュースで目にし、耳にした表現に引っ掛かった。

コロナ禍、初等学校教育の現場での課題の一つとして挙げていた。

「社会的キョリ」!?

児童・生徒の教室での学科教育の際に、「生徒間、或いは、生徒・先生・職員相互間での距離の取り方」は、現教室空間での確保の難しさと、まだまだ、「新しい日常」化に至っていない点での課題だと。

「Social Distance」「Social Distancing」を直訳して「社会的キョリ」となったのだろうが、「人的距離」とかの表現を耳目にしたことはあったが、学童教育に当たって、何とも意味不明な日本語を使うなよ、と言いたい。

「感染を避ける為の他人との距離」「友達や教職員、相互の間の距離や広さ」とか説明してはいるのだろうが、ニュースとして取り上げたマスコミ自身の頭の固さか、「社会的キョリ」とは、何ともお粗末だ。

 

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