旅行、ときどき車弄り

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東北旅行(前編)小安峡温泉~泥湯温泉~つなぎ温泉~盛岡~弘前~鶴の舞橋~青森~大湯温泉/小安峡温泉 元湯クラブ、大湯温泉 岡部荘

2018年05月16日 | 東北(内訳)
5/7~12(月~土)の6日間で旅程は以下となります。今回の目的は「奥入瀬再訪と浄土ヶ浜」です。

「小安峡温泉(元湯クラブ)~泥湯温泉~つなぎ温泉~盛岡(ホテルメトロポリタン盛岡ニューウイング)~弘前~鶴の舞橋~青森~大湯温泉(岡部荘)~奥入瀬渓流~酸ヶ湯~湯瀬温泉(湯瀬ホテル)~浄土ヶ浜~花巻温泉郷(志だて)~厳美渓~平泉」

妻と訪れた場所は(宮城より北では)、月山・羽黒山・鶴岡・銀山・上山・山寺・蔵王・米沢・男鹿半島・角館・田沢湖&乳頭温泉・玉川温泉・後生掛温泉・八幡平・十和田湖&奥入瀬・恐山・龍泉洞・平泉となります。

妻にとっては弘前・鶴の舞橋・青森・浄土ヶ浜・厳美渓が新しい訪問先となります。

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GW明けの月曜にソロで出発。持病の腰が辛いので休みながら築館ICへ。R398の湯浜峠、花山峠を越えます。東側には「湯浜七曲」という見通しの悪い急コーナーがありますが西側は広く、快適な道が続きます。約30kmの峠道であり車がほとんどいません。このため快適なドライブとなりました。

頂上周辺は寒かったー。延々と畑も無く人気が全くないのです。

西側は高架もあってストレートが長いのです。擦れ違ったのは5台で内2台は「走り目的の改造車」でした。南にはR108羽後街道が並走しておりトンネルだらけで峠道もありませんし、北側にはR342が並走しております。余程の用が無いと通らないのかも。空いていて"お勧め"です。


「小安峡(おやすきょう)」の「大噴湯(だいふんとう)」です。通称「地獄釜」だそうです。長い階段は片道30分も掛かりました(健常なら10分)。
   
硫化水素の臭いがします。試しに顔を突っ込んでみたら目が痛くて暫く開けられませんでした(笑)

宿は「小安峡温泉 湯の宿 元湯くらぶ 」15,660円 駐車場に湯が流れているので触ったら火傷するところでした。源泉は80℃とか。

館内は小奇麗で暖かく畳張りです。価格以上の"構え"で通常は25,000円クラスです。しかし、サービスは皆無でした。「浴衣はこちらです」で退室です。宿帳・HPとも風呂は23時迄でしたが聞いたら「いつでもOK」とのこと。wiーfiのPASSもTELで問い合わせました。
  
湯は、加水していますが塩素臭はありません。無色で僅かにツルツルして硫化水素のにおいがします。戸倉上山田温泉を薄めた感じかな。露天は循環、内湯は掛け流されていました。良いお湯です。
 
食事は個室です。一気に鍋に点火され出来上がった頃にマス(山椒味)が出されます。入室30分後には冷麺とデザートが出ました。刺身は不味いので鍋に投入しました。料理が同時に揃うので、熱いうちに食べようとすると一気食いとなります。お酒を飲む場合は自分で鍋を点けると良いでしょう。
 
緑の鍋は山菜の卵とじでした。私は腸が短いし胆汁も貯められずに流れっ放しです。一気食いしたので4時頃まで苦しみました。自業自得ですね。そう言えば女性客しか見当たりませんでしたし、風呂も独占でした。館内が綺麗なので女性向と言えるでしょう。コスパに優れた宿なので、オフシーズンでも繁盛していました。

妻が盛岡に到着するのは20時過ぎです。まずは近辺の「泥湯温泉」へ。「奥山旅館」のお風呂に入りました。宿の手前には硫化水素が噴き出している所があり、駐停車禁止となっていました。左の建屋が露天で慰霊碑は2005年に硫化水素で4名が亡くなった方のためのもの。白いのは硫黄です。
  
10時前だし独占です♪ 気持ち良いですわ~。底には砂利が敷いてありました。

湯沢ICから秋田自動車道で盛岡ICを目指します。PAも独占でした。

検索して「つなぎ温泉」の「ホテル大観」へ。源泉掛け流しがウリの大型宿です。廊下の水路には鯉も。
 
内湯は広大な掛け流しです(宿のHPより)。硫黄泉とのことですが、ほとんど臭いません。ツルツルしますね。喫茶からは御所湖が見えます。
 

近隣の観光地を探していたら3.5kmで「慰霊の森」がありました。何故覚えているのかは、墜落した時期が関係していますね。7/30なので小5の私は夏休みだったのです。TVで毎日流れていましたので。今では「全日空機雫石衝突事故」と呼ぶようです。

誰もいない森は静かです。私と同年代で亡くなった方もいらっしゃいました。TVで散々見た山中に来たのは47年経ってからってことになります。健常者でも片道20分は歩くかな。
   

盛岡に戻って暇潰しです。「盛岡八幡宮」は平成9年築なので真新しく感じます。手水は明治時代の物でイイ感じ。
   
瓢箪が絵馬代わりです。お祭り、「チャグチャグ馬コ」のゴール地点はココだそうです。
 

盛岡城跡へ。この台の上には旧盛岡藩当主の倅で大正天皇の御学友 南部利祥中尉の像があったとのこと。日露戦争で戦死されたそうです。太平洋戦争で金属供出されました。
  
城の隣は北上川です。

川向うの「岩手銀行 赤レンガ館」は火曜が休館日でした。


妻が例によってグランクラスでやって来ました。車内も北陸新幹線と同じですね。乗客は僅か3名だったそうです。
  
夕飯は居酒屋へ。宮古の牡蠣は美味しかったですね。ホタテは貝毒で扱っていないとか。

宿は「ホテルメトロポリタン盛岡 ニューウイング」 @8,400円 駅から徒歩5分、駐車場は隣で平置きなのでGOOD。トイレと風呂が分かれていると嬉しいが価格的に仕方なし。ツインで鍵1本は残念ですね。価格相応。立体パーキング15分待ちだった「ホテルルートイン盛岡駅前」よりお勧めです。
 

5/9は浄土ヶ浜観光の予定でしたが、生憎の雨予報。曇り予報の弘前観光に変更しました。「弘前城」には駐車場が無いのでお堀の脇にある「津軽藩ねぷた村」へ駐車しました。一基ですが、大型ねぷたも展示されていました。
  

お堀を越えて城内へ。門も江戸時代の物です。
      
現在、石垣等を修復中で城内の別な場所に移築されています。元の場所と石垣の一部です。
 
現存12天守の一つです。晴れて御機嫌です。岩木山に雲が無ければ最高でした。

元の場所にあった時の写真です。2009年かな。お堀沿いにあって石垣の上に建つ方が絵になりますが、城中は全て見学できるし石垣も間近に見れます。私的には今見ても宜しいかと思います。
 

お土産に南部煎餅を買って、富士見湖へ。この辺りはリンゴ畑が多く、満開でした。
 
「鶴の舞橋」です。平成6年築の全長300メートルもの三連太鼓橋です。
    
渡った先には「丹頂鶴自然公園」が寂れた感じでございます。橋の撮影ポイントもありました。
  
岩木山の雲が惜しい!


「青森港」を目指します。右の赤い建屋が「ねぶたの家 ワ・ラッセ」です。昔は「ねぶたの里」へ見に行きましたが、移転?破産?したようです。綺麗ですね~。私が見た時はLEDじゃなくて電球でしたから。
         

港の奥の「青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸」へ行く途中で港内に豪華客船が見えました。どうりで弘前城には西洋人のバスが4台も来ていたし、ねぶたも西洋人だらけな訳です。西洋人は五月蠅くないので良いですね。ちなみに一昨日のTV番組で船内を見ました。船名は「ノルウェージャン・ジュエル」で「クイーンエリザベスⅢ」と同サイズで、スイートが1週間200万円とか。アメリカの企業の所有だそうです。

一泊2万の宿が良いとか悪いとか書いている自分が、哀れですな(苦笑)

八甲田丸の船内には、当時の港のお店が再現されています。操舵室に船室も見れます。
     

郵政の専用車が積まれていました。特急や貨物も。
  

エンジンは8基。フューエルフィルターかな。機関室のボタンも数が多いのです。
  
宿は「大湯温泉 和風宿 岡部荘」 @14,040円 部屋は価格的には広い方です。しかしトイレのウォシュレットが弱く非常に臭いました。妻は2Fから1Fのトイレへ通っていました。   
  
自家源泉掛け流しを謳う宿です。湯量豊富なナトリウム泉でしたが、露天は少々ヌルかったですね。風呂場にティッシュも欲しいです。宿泊客は我々だけなので「男女無く好きにお風呂を使ってください」とのこと。有り難いことです。通常は、宿独占でもこの様には言われないものです。

最後の写真の「大正の湯」は大正時代から現存する風呂で、熱湯とぬる湯の源泉を浴槽の湯口手前で混合しています。
   
夕食の牛肉と馬刺しは今一ですが、価格的には妥当です。きりたんぽ鍋が美味しかったな。イワナもbigサイズでした。鹿角の地ビールもコクがあって良いですね。
  

後編へ続く  帰宅して熱を出しました。この身体は4日間がMAXかな。明日には復活の予定です。

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