旅行、ときどき車弄り

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海外旅行ブログ更新&ネガのデジタル化

2021年12月08日 | 海外旅行(内訳&その他)

画像数は320P横→480P化で約2,000枚でした。約1年間を要しました。

◇ ビーチリゾートは320Pのまま
◇ 一部画像追加
◇ 見れない動画の再リンク化

ネガを3旅行分のみデジタル化しました。地元業者やキタムラも比較しましたが、コスパ&質的にフジフィルムへWeb依頼がBESTです。
1988年新婚旅行(オーストラリア)、1992年タイ、1994年ヨーロッパの3件でフィルムは20本分です。


見積を確認して依頼します。送付キットが届きますのでネガを送付して2週間程でDVD化されました。


ネガですが、質によって黄ばみが異なっています。ズバリ、フジフィルムのネガが優秀です。ただ現像液の優劣もあると思います。ヨーロッパ旅行(2枚目の綺麗な方)のは確か上野の専門店に出したハズ。
 
黄ばんだネガは描写も劣化しているように感じます。

大事なネガは早めにデジタル化しましょう。劣化します。

昔の写真はカメラの性能が低いので面白いです。暗くて失敗が多発、逆光は人間が真っ黒、海外旅行の写真なのにツーリングで撮り切るまで現像していません。感光したらどうすんじゃ(笑)


PRスキャナ(1枚目1.2M無修正)とフジフィルム(2枚目1.4M無修正)の違いです。やはりフジは細部の描写に優れています。スマホで見たら色しか差が分りませんでしたが。



ギリシャ エギナ島のアフェア神殿です。

PRスキャナ(1枚目)とフジフィルム(2枚目)を480P化してみました。PRスキャナは色補正が掛かっているようですが、フジは素でシャープです。


オーストラリアとタイは画像を入れ換えることにしました。2000枚も貼ったので画像の容量が1.4G(残り1.6G)となりました。

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海外旅行アルバム修正

2017年12月06日 | 海外旅行(内訳&その他)
320ピクセルは、横にしてUPしないと小さくなってしまいます。勿論、32回もの渡航分を作成したので途中で気が付いていました。

ところが入院中にスマホで見たら、小さ過ぎました。仕方なく、320縦→480縦に変更しました。フィルム時代の物は画質が悪く320横をUPしてから貼付け時に縦に変更したものもあります。

既にWeb全体で12,000枚を超えており、上記修正で500枚以上の修正となりました。94年EU周遊などは、画質が悪いので一部を縮小しています。これで、スマホでも見易くなりました。

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ちょうど、フィルムからデジタルへの変遷期でした。


88年 オーストラリア
90年 ハワイ(簡略版)
以上までが「固定焦点フィルムコンパクトカメラ」です。


91年 マレーシア・タンジュンアル ビーチ~シンガポール(簡略版)
「オートフォーカス フィルムコンパクトカメラ」を投入しましたが水滴で壊れました。シンガポールの画像が一部ボケています。

97年 ドイツ・ロマンチック街道~古城街道、フランス・パリ~ロワール
ここから、「フィルム一眼レフ」も投入しました。84年にはNikon F4を持っていましたが、重いし目立つので避けていたのです。

2004年 2度目のロタ島(簡略版)
初めて、コンデジを投入しました。防水ケースも使っています。

2004年 イタリア(ミラノ・ヴェローナ・ヴェネツィア・フィレンツェ・ローマ)
一眼レフに20mmF2.8レンズを投入しました。システィーナ礼拝堂等で大活躍しました。コンデジはレンズが暗くて駄目でしたね。

2007年 ロシア
コンデジ、PENTAXのoptio S40を投入。コンデジの性能が良くなってきました。初動画もコレです。当時はMAX60秒でした。しかし、逆光では全く使い物になりませんでしたね。

2009年 インド(デリー・アグラ・ジャイプール)
OLYMPUSデジイチE-520を投入しました。しかし標準ズームの性能はNikonより劣るので(価格が違う)、フィルム一眼レフのサブ扱いでした。

2010年 ベトナム(ハノイ・フエ・ダナン・ホイアン)
香港・マカオはコンデジのみでしたが、ベトナムからNikon D40を投入。ついにメインがデジイチとなりました。E-520の標準レンズより高画質で逆光性能が大幅に向上しました。ボディorレンズのどちらの性能の差かは不明です。

2010年 3度目のイタリア(ローマ・シエナ・フィレンツェ)
夜歩きに一眼は目立つのでコンデジを使っていましたが、画質は今一歩でした。新しく投入したSONYのコンデジHX5Vは、暗所でも使い物になりました。また、広角20mmレンズはフィルム専用でしたので、いまだにNikon F4がメインでした。フォロロマーノの写真にF4が写っていますがデカイ(苦笑) 20mmとSETで約2kgです。

2011年 2度目のイギリス(ロンドン・カンタベリー・ドーヴァー・ストーンヘンジ・バース)
ついにフィルム一眼を持参しませんでした。但し、広角側は24mmとなりました。しかしフィルム用20mmレンズより歪みが大きくなってしまいました。

2011年 北欧四ヶ国(ノルウェー・スウェーデン・フィンランド・デンマーク)
Nikonのデジイチ、D7000を投入。レンズも良い物に換えました。コンデジはHX5Vを続投です。
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訪台者

2017年08月02日 | 海外旅行(内訳&その他)
産経の記事によると(リンク)
「蔡英文政権に対する中国政府の圧力の一環で、観光客が減少した」「代わって日本や東南アジアからの観光客誘致に力を入れ始めた」とか。


私が台湾を訪れたのは2009年。当時の2.5倍もの観光客が、今現在でも獲得できているのです。2009年の時点でも中国人観光客が多く、ホテルの朝食バイキングでジュースをわざと出しっ放しにしていました(北海道でも見たな)。

彼らが増えると、騒々しさ、横入り等の低モラルが散見されるようになります。台湾は、食事・治安・距離(航空運賃)・見所(故宮博物館etc)と手軽な"お勧め海外旅行先"だったのですが・・・

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今の"お勧め"はどこなのかな。洋食が続いても平気なら、欧米も良いです。しかし距離的には"手軽"では無いのかも。やはりハワイですかね。

欧州と大差無い距離ですが、トルコは食事が良いですし見所も多いですね。タイは物価が上がったようですが、香辛料が大丈夫なら"有り"かな~。写真はトルコのオープンレストランです。


台湾の北投温泉の加賀屋には露天付きの部屋もあるのですが、館内や食事処が騒々しそうです。
 
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海外旅行記 完成

2014年10月20日 | 海外旅行(内訳&その他)
右上の「海外旅行記 INDEX」から渡航先を選んでください。何かの役に立てば幸いです。

私や妻が、将来入院先からでも見れれば嬉しいな、とも考えました。其れまで残っていると良いのですが。

尚、ブログ開始以前の、国内遠方抜粋版も作成しました。

※ 沖縄編

※ 九州編

※ 北海道編
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2009年 台湾

2014年10月20日 | 海外旅行(内訳&その他)

2009年6月18日~5日間 台湾は、近いし食事も日本人に合います。治安も比較的良いですから、お勧めです。

JAL指定で割りとリッチなプランに組み立てました。台北5日間です。普通は5日間コースならタロコ渓谷を入れるのですが、初めてなので市内散策に充てました。

あとから考えたら、タロコ渓谷へ行けば良かったかな、と思います。
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到着後、専用車&専任ガイドとともに陶器の街、「鶯歌」(おうか)へ。



次に「祖師廟」(そしびょう)へ。1本の木から掘り出した柱が見事です。木曜でしたが、観光客とジモティーで混雑してました。




古い街並みの「三峡老街」(さんきょうろうがい)へ。アイス食って写真とって終わりです。


夕飯は圓山大飯店(グランドホテル)の金龍庁(ゴールデンドラゴン)です。ホタテ料理が美味しかったです。広東料理ですね。妻も「美味い!」と言っておりました。


翌日は、市内観光です。「忠烈祠」です。衛兵交代式がギリシャ以降、各地で散々見てきましたがココのアクションが最も凄いです。建屋も立派です。
 





「故宮博物館」です。内部は撮影禁止です。3Fの白菜とかの彫刻が有名ですが、1Fの清朝の家具・置物、2Fの陶器類も見事です。是非、見ておきましょう。


「九フン」(分にニンベンが付きます)。


 

この建屋は良くTVにも映ります。余談ですが「千と千尋の神隠し」の油屋のモデルではありません。道後温泉本館と江戸東京博物館だそうです。


夕飯は「天香楼」で「そう魚」と「田うなぎ入りの麺」を食べました。これは今一。画像は「饒河街観光夜市」です。「鳥占い」をしました。鳥が札を引くのです。かわいいです。


ホテルは4泊ともシェラトンです。


3日目は「中正紀念堂」へ。蒋介石が祀られています。広いし庭が綺麗でした。地下鉄のカードにもなっていました。




「龍山寺」は、台北市内で最古の寺院(1738年)で国家古蹟です。台北101、故宮博物院、中正紀念堂と並ぶ台北市の「四大外国人観光地」なのです。昼食は「ディンタイフォン(鼎泰豐)」をツアーで予約しました。事前調査で「並んでいるが予約すると待たない」と。当日は20人くらい並んでいました。待たないし楽なのでお勧めです。


「台北101」です。夕食は「欣葉101」。ヌーベルシノワでした。からすみ味の料理で酒に合います。普通に美味しかったな。周りは接待のサラリーマンばかりでした。




最終日はフリーです。地下鉄で淡水へ。紅毛城を目指します。マッケイ像です。カナダ生まれの宣教師で学校・教会・病院を建てました。1901年、淡水で亡くなりました。


紅毛城です。






再び、地下鉄で「国立歴史博物館」へ。内部は撮影禁止ですが広かったですね。庭も綺麗でした。




次は「台北二二八平和記念公園」へ。二二八事件は蒋介石引き入る大陸人が台湾人を28000人も殺害した事件です。記念館で説明されていましたが、展示物にもう少し予算を割いて欲しいところです。


時間が余ったので隣の「国立台湾博物館」へ。鯨の骨格標本とかありましたね。戦前の日本の建造物なのですが立派です。


夕食は「天厨菜館」でペキンダックです。Webの現地ツアーでこのお店を見つけてフリーで食べました。頻繁に使う手段です。食事は、量が多い割りに、飲み物含めて二人で¥5000と非常に安くて美味しかったです。お勧め。

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現地ガイドは、日本統治時代の生まれの年配者でした。今迄、色々と苦労されてきたのでしょう。大陸中国人を非常に嫌っていました。また「日本人は今でも、沖縄人を二等人民、台湾人を三等人民と見ている」と。まさか。「日本人からは沖縄は国内同胞で上下などない。台湾人はアメリカと同じ外国人」と説明しても、首を横に振るだけでした。

台湾は、「日本からの飛行時間」「治安」「食事」「費用」「設備」に優れ、年代問わずにお勧めできる海外です。

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2004年 2度目のロタ島

2014年08月21日 | 海外旅行(内訳&その他)

2004年7月8日~4日間 前回のロタ旅行から僅か半年です。実は4月から転職したのでですが、気に入らなくて仮雇用のまま3ヶ月で辞めたのです(正確には"入社しなかった”)。同じ企業グループで同一職級のままの転属なので無理がありました。で、気分転換です。

相変わらず、テテトビーチが見えます。前回は島内一周観光したので、今回はひたすらビーチでのんびりしました。夕刻前に到着しますので、目の前の海辺で散歩です。前回と同じロタ・ホテルです(残念ながら2011年閉鎖しました。ビーチまで徒歩圏内でした)


夕刻なので、夜行性のヤシガニがいました。


人が疎らで静かなことが一番の長所かな。ゴミも無いし自然が一杯です。




今回は7月。前回の1月末と違って日本人が4-5組は居ました。ちょっと残念。生きている珊瑚があるところも魅力です。


前回は「ウォータープルーフ型写ルンです」でしたが、今回はOLYMPUS 中古C920Z+ウォータープルーフケースとなりました。


画質は向上しましたが、シャッターレスポンスが2秒後位なので無駄打ちは多くなります。






毎日、肉料理ばっかりです。でも昼間に大汗かきますから大丈夫でした。



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2004年 ロタ島・島内一周

2014年08月20日 | 海外旅行(内訳&その他)

2004年1月27日~4日間 19年間勤めた会社を辞めて、ドイツへ旅行した2ヶ月後です。ほぼ次の会社がほぼ決まり、今のウチにのんびりしようと思いました。サイパン乗り換えで小型機に乗ります。ちょっと新鮮です。



2枚目はテテトビーチです。リーフに囲まれているのが分かります。


ロタ・ホテルはテテトビーチまで海岸線を歩いて15分くらいでしたが、2011年に閉鎖となったようです。好きに行動するにはレンタカーが必須となってしまいました。タクシーとかいないので。




テテトビーチはリーフに囲まれて波も穏やかです。ホテルでランチBOXを頼んで、丸1日のんびりです。この日は我々以外、物売りのおじさんだけです。






日本から近いし、海も独占できるしこの季節はお勧めです。(1月末でした)


サイパンのマニャガハ島にも負けないくらい魚影も濃いです。




翌日は、レンタカーを借りて島内1周に出掛けました。のんびり過ごすって事に慣れていないんですよね。日本精糖工場跡~千本椰子~トウィッツクスベリービーチです。ここも非常に遠浅でした。家族連れに良さそうです。






「ガガニフルーツ農園」です。wikiのロタ島の画像は、ここからのものですね。誰もいなかったのですが、林の中から鉄砲担いだお兄さんが出てきました。








下にビーチがあるから行け、と云われました。ここも海水浴場です。


島内を反時計周りに走ります。


ここは「オーシャンビュー展望台」です。この車がレンタカーです。見渡す限りの海ってのは気持ちの良いものです。


こちらは「アラグアンベイ展望台」


島の南側、バードサンクチュアリです。高さがあるので絶景です。他にタガ・ストーン遺跡・旧日本軍砲台も回りました。私には、ビーチを独占できたのが魅力でした。




二度目のロタへ続く

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92年 タイ・バンコック~アユタヤの旅

2014年08月17日 | 海外旅行(内訳&その他)

初めての、ビーチ以外の海外旅行です。ちょうど旅行1週間後からデモが始まり、「暗黒の5月事件」となりました。死者は300人以上でした。私には、殺伐とした雰囲気は感じられませんでした。海外旅行で浮かれていますしね。

渋滞が酷くなったのは、この頃からです。30分くらいのロスでしょうか。タイ人の若い女性ガイドは不親切で態度が悪かったものの、時間には正確でした。

市内観光で水上マーケットへ。当時は、ボートには車のエンジンが裸で搭載されていました。
   

ボートでワット・アルン(18世紀)ヘ。高台なので川が良く見えました。


 



ワット・プラケオへ。通称エメラルド寺院です。エメラルドの仏像は小さい上に、近くに寄れません。双眼鏡必須です。
   



 

王宮(18世紀)です。非公開なので入場できませんが、豪奢な作りは堪能できます。






ホテルはシェラトン。チャオプラヤ川に面しますが、水は濁っています。プールでは毎日泳ぎましたね。ボートのエンジン音が騒々しいところもバンコックの味でしょうか。
 

夕食は"タイスキ"や画像のような小鉢物が多かったのですが、パクチー(香草)が好きになれませんでした。タイ舞踊は、バリのレゴンダンス・カンボジアのアプサラダンス同様に手の動きに特徴がああります。
  

翌日はアユタヤへ。バンコックから2時間弱くらいかな。パン・パイン宮殿です。17世紀完を18世紀に修復。




日本人街跡。資料館へは寄らずに石碑を見て終了。チャオプラヤ川に水草が沢山浮いていたことしか覚えていません。


ワット・ヤイ・チャイ・モンゴル(1357年)。古いの割りには良く整備されています。


 

 



ワット・プラ・スリ・サンペット(1491年)。こちらは廃墟に。
 



ワット・マハタート(1374年)。仏頭で有名です。今はパンフレットに載り、鎖で囲まれ看板もありますが、この頃は何も無いし観光客も居ませんでした。

 







バンコックもアユタヤも歴史的建造物が集約していますから、観光は楽です。以上なら1日半で充分です。また、バンコックの王宮では入場時に小冊子を配っており、これにエメラルドの仏像やら王宮の室内などの写真が載っています。アユタヤのバンパイン宮殿でも配られました。良いサービスだと思います。今も健在なのかな。

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2009年 インドネシア・ジョグジャカルタ~バリ島

2014年08月16日 | 海外旅行(内訳&その他)

2009年5月24日~5日間 バリへの航空券とホテルだけ予約、ジョグジャカルタでは現地ツアーを手配しました。連続のフライトです、辛い。プランバナン遺跡(9世紀)は世界遺産です。


遺跡の一部が転がっていますが地震の影響とか。登って入れる塔もありましたが、中には牛の像だけが。






車中からのマリオポロ通りです。ジョグジャカルタの繁華街です。この建屋はオランダの植民地の名残でしょう。


クラトン(王宮のこと。18世紀)は、オランダ介入後の建築です。


2枚目の画像は、ガムラン音楽の楽器です。食器みたいですけど。


タマン・サリ(水の宮殿 18世紀)。2066年の地震で、左右の壁や装飾が壊れてしまいました。この水場で遊ぶ女を上から見て、夜伽を決めたそうです。


バティック工房の見学へ。といってもお土産屋ですね。妻が巻きスカートみたいなのを買っていました。


昼食はアマンダリホテルでした。今も同じなのかは不明です(ツアー内容に記載されていない)。JTBの現地ツアーも良さそうです、安心ですし。


ボロブドゥール遺跡(780-833年)は、土に埋もれていただけあって状態が良いです。遺跡の専任ガイドが"日本語で"説明してくれます。質問も出来るので大変良いですね。チップは最初に渡した方が良いでしょう。




予想よりも小さかったけど、遺跡からの眺望が良かった。






時間が余ったのでムンドゥッ寺院(9世紀)へ。中には仏像がありました。隣のカジュマルの木が見事。親切なガイドだったのでチップを渡したら恐縮されて空港では見えなくなるまで見送られました。バリ島とは違います。


バリ島ではホテルライフに徹しました。宿は「VILLA AIR BALI」。日本語通じるしコテージはセキュリティも良く広いです。妻はスパ、私は読書です。






「バードパーク+タマンアユン寺院とタナロット寺院観光ツアー」へ。バードパークのインコは懐っこくて可愛いです♪ コモドドラゴンもいました。








タマン・アユン寺院(1634年)は、外の小道や展望台からの見学となります。一切、入れないのです。










タナロット寺院へ。夕日見物が目的です。寺院は16世紀とか。時間が早いので丘の上のカフェで待ちます。






曇りかと思いましたが、何とか夕日が見れました。






帰りの「送迎+食事ツアー」を頼んだら夕飯は高くて不味かったです。でもレゴンダンスが見れました。事前によく検討すると良いでしょう。

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96年 インドネシア・バリ島

2014年08月15日 | 海外旅行(内訳&その他)

1996年6月12日~6日間 到着後、バロンダンスを見に行きます。そして市内観光はバドゥン市場、バリ博物館へ。






山寄りのウブドにあるレストランへ。「クプクプバロン」の食事は美味しかったです。景色も良いし風が心地よっかたです♪ 今でも健在ですね。




ミニ美術館、木彫りや絵画の工房見学(即売)、モンキーフォレスト(猿公園)、「ケチャ」を見て終了。一言で云えば、"リズミカルな掛け声のショー"です。


夕食は、中華でレゴンダンスを見ました。宿は「プトゥリ・バリ」。今では「古さの残るホテル・台湾人が多い」そうです。18年前は綺麗でしたけどね。


ヌサ・ドゥア ビーチは、クタ・ビーチとかに比べると、大型ホテルが並ぶ閉鎖的な環境です。静かなのが特徴です。遠浅でワカメみたいな海草が多かったです。泳ぐより"ベッドでのんびり"がデフォルトと云えます。


船でスランガン島へ渡ってみましたが、特には・・・。海亀の産卵地だそうです。


ヌサ・ドゥアには「ガレリア・ヌサ・ドゥア」がありました。レストランとショップの集合体でホテルにシャトルバスが来ます。今では「バリ・コレクション」と名を変えて更に大きくなったようです。夕飯は主にここで食べました。ホテルより安くて美味しいし。


「プラザ・バリ」には高級ブランド店が入ります。しかし2012年に休業したそうです。


カップルでも家族でも場所を選べば楽しめると思います。但し、過去バリ島で200人以上も爆弾テロの犠牲を出した「ジェマ・イスラミア」は未だに活動中です。マレーシア機不明事件の際も名前が上がりました。数回ともクタとジンバランが標的になりました。頭の隅に入れておきましょう。

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2008年 カンボジア・アンコールワット~ベトナム・ホーチミンの旅

2014年08月14日 | 海外旅行(内訳&その他)

2008年6月13日~4日間 目的はアンコールワットのみ。珍しく、まんまツアーで行って来ました。ホテルのグレードアップも無しです。前月、イスタンブールで金を使い過ぎたのです(苦笑)

カンボジアのシェムリアップ国際空港です。2枚目のは帰るときの画像です。ソコソコ綺麗な空港でした。2名しか参加者がなく運転手兼ガイドの3人組となりました。乗用車はテンポ良く観光できるので好きなのです。
 

シェムリアップ市内をフリーで散歩後、日没にアンコールワット(12世紀前半)見物へ。曇りで夕日はありませんでしたがそれでも渋いですな。市内は治安の悪さは感じませんでしたが夜歩きは避けました。




翌日は、早起きしてアンコールワットへ。生憎の曇天でした。要するにシルエット見物なのです。




アンコールトム(12世紀後半)です。遺跡同士は近くにありますので効率良く見学できます。彫刻は菩薩だそうです。仏教寺院ですね。



この建造物は「バイヨン」と呼ばれます。






こんな大ヤスデがいました。


ピミアナカス(10世紀) 祭壇かと思ったのですが寺院だそうです。アンコールワットより古いのです。ガルーダが彫ってあったのでヒンドゥー寺院です。





タ・ケウ寺院(10世紀)は、写真がこれしかないので覚えがない・・・驚く程のものはなかったのでしょう。


タ・プロム寺院(12世紀)は仏教寺院だそうです。もうただの廃墟です。昼なお暗くジメジメしていました。実態同様に暗く撮影しました。




  

とても気に入りました。アンコールワットよりも。ここなら、雨の見学も良さそうです。


バンテアイ・スレイ(967年)古いのですが、彫刻が見事です。1914年に発見されました。お店が並ぶほどの観光地です。








左から2番目の修復猿の上の彫刻が、有名な「東洋のモナリザ」こと「デヴァター像」です。ロープが張ってあって遠いので双眼鏡必須です。wikiに画像がありますね。私的にはタ・プロムの像の笑顔の方がが好きだなー。




昼飯は「ニュー・バイロン・レストラン」でした。不味かったです。焼きそばとか酸っぱいし。速攻でロペラミン(生水用胃薬)を飲んでおきました。さて、アンコール・ワットです。


顔写真つきの証明書を作成します。
 

回廊は16世紀に作られた仏教系のもの。








中央塔にはロープがあって登れませんでした。TVでは芸能人が登っていたんだけどな。


回廊の彫刻が見所です。


私の想像と実際の大きさは、予想通りでした。日本からも近いので見る価値は充分にあると思います、隣接する寺院も含めて。




宿は「Tara angkor Hotel タラ・アンコール・ホテル」で、綺麗で良かったです。アジアは物価が違うので予算少な目でもランクが上の宿だったりします。ビーチリゾ-トや先進国は駄目ですが。トレンサップ湖や水田が見えます。湿地帯なのですね。


ベトナムのホーチミンに着きました。昔のサイゴンです。他のツアー客と合わせて約15人くらいとなりました。「戦争証跡博物館」です。ヘリの後ろに当時の収容所が再現されており、見所となっていました。コンダオというところの"ターガーゲージ"を移設したものです。


錆びているギロチンが怖いです。穴の開いた沢田教一氏のニコンも。


ベンタイン市場へ寄って契約しているお茶屋へ連れて行かれました。買ったけど不味かったです。サイゴン大教会を外見見物して商店街で解散。夕飯時に再集合となりました。


不慣れな年配客も多く、「どうしようか」「トイレの無いとこには行けないわね」と。有償でも良いのでガイドがコース設定すれば良いのに。他の市場とか。

我々は、郵便局と教会の内部を見に戻りました。
 

蛍光灯の飾りや一部剝がれたステンドグラスシール(ガラスにステンドグラス風シールを貼っただけ)が安っぽいです。でも信仰には関係ないですね。
 



建設中のオペラハウス。この辺りが中心地でしょうか。商店街を散策して夕飯を食べて夜便で帰国となりました。



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2008年 トルコ・イスタンブールの旅

2014年08月12日 | 海外旅行(内訳&その他)

2008年5月16日~5日間 GWは仕事で代休を充てました。今回は、買い物の旅です。目的は「グランバザール」と「イスティクラル通り」です。まあ、パリとかロンドンなどはブログには記載していませんが買い物に丸1日は割きますね。

ホテルと航空のSETに、現地ツアーを組み合わせました。まずは市内観光+昼食ツアーから。地下宮殿(6世紀)です。あまり市内観光には入っていなかったりしますね。個人で行かれても良いと思います。チケットの画像が分かりやすいかな。昔の貯水池です。




アヤソフィア(537年)ビザンテチンのキリスト画が有名です。よくTVで出ます。




 







モザイクです。1000年くらい昔のものなので、アーヘンの大聖堂のみたいに光輝いてはいません。

 

 



隣には、ブルーモスク(1616年)があります。こちらは観光地というよりモスクそのものです。絨毯と天井が綺麗でした。












 

ピポロドームという2世紀の競技場跡だそうです。面影無いですけど。右のオベリスクはカルナック神殿(BC15世紀)のもの。3500年を経て、この状態です。こんな硬いもん削れたことに驚きです。ここの隣のオープンレストランで食べた肉フライは美味かったです。
 

午後はフリーなのでグランバザール三昧です。ゴールドのネックレスやらトルコ石のブレスレットやらをお買い上げ。装飾小箱やらのお土産も一杯買いました。写真がないのですが香辛料のお店とかも沢山ありましたね。全4000店舗とか。当然迷子になりました。


価格交渉は面倒そうでしたが、店員は皆フレンドリーな感じで良かったです。払い終わってから御茶が出たりとか。16世紀の建屋も見所です。アジアは価格が合わないと「フン!」みたいな感じですからね。


翌日はトプカプ宮殿(1467年)へ。実際には1900年代に修復したものです。撮影禁止でしたが「宝物殿」こそが見所です。宝石類が凄かった。




                     

ハーレムの入り口で御座います。いかにもアラブの金持ちって感じです。




「皇帝の間」


 

女官の部屋だったかな・・・ハーレムの女性の部屋だったかな・・・








ボスポラス海峡が見えます。


午後はフリーなので「イスティクラル通り」へ。宿は中心地タクシム広場の近くのマディソンホテル。


タクシム広場には独立記念碑や花屋があります。昨年のデモは、この緑地の再開発が契機でした。治安もよく穏やかな感じの街でしたが・・・




「イスティクラル通り」です。タクシム広場からガラタ橋の手前までの長~い商店街です。




餅みたいに延びるアイスクリームです。裏道のはレストランが多いですね。カフェとかもフレンドリーでした。


通りの奥には「ガラタ塔」があります。日露戦争時、黒海艦隊の戦艦通過を監視した場所でもあります。


ガラタ橋が見えます。


その左には豪華客船が多数接岸しています。


橋への道にも土産屋が目立ちます。


塔から見えた「ガラタ橋」です。


鯵です。20-30cmくらいかな。大漁ですね。




翌日は、ドルマバフチェ宮殿(1847年)へ。前日のトプカプ宮殿のツアーガイドに「入場は長蛇の列ですよ。ガイドがいると並びませんよ」と。バチカン美術館と同じですね。頼んだら本当に200人抜きでした。頼む価値あります。


    

バカラ製のシャンデリアは4.5トン。下には行けない様にロープが張ってありました。






午後は、再び「イスティクラル通り」を徘徊。列をなして券を買う観光客がいたので買ってみました。夕刻より所定の劇場で鑑賞。クルクル回るセマーというものでメブラナ教団のショーです。ユネスコの無形文化遺産です。

延々回っているだけです。妻は寝ていました。同じユネスコの無形文化遺産でも、能や歌舞伎の方が面白いと思います。

夕食です。トルコの食べ物は日本人の味覚に合うと思います。


アタテュルク空港は、床が木材で温かみがあります。


私も妻もトルコは気に入りました。「感じの良さ」では日本に並ぶと思います。食事も合うしお勧めです。

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2009年 エジプトの旅

2014年08月11日 | 海外旅行(内訳&その他)

2009年2月11日~6日間 イギリスの中国ツアー会社(とは知らなかった)で申し込んでしまいました。まずは、カイロ観光からです。クフ王のピラミッドは巨大でした(BC2500年)。


大きさが分かりますね。私には、予想以上に大きく感じましたが、妻は小さく感じたそうです。


同じくBC2500年、カフラー王のピラミッドです。


内部は息苦しかったですね。確実に酸素が薄いです。外には土産物屋が綺麗に並びます。




ダハシュールにある 赤のピラミッド(BC2500)。 実物はもうちょっと茶色です。屈折ピラミッドは遥か遠くにしか見えませんでした。以上3つの画像のが三大ピラミッドとなります。
 

メンフィス遺跡 ラムセス2世の巨像です。BC1000年くらいの物らしいです。BC1000を新しく感じるから不思議。実際には信じられないくらい古いのに。




絨毯屋へ連れて行かれたのですが、小学生くらいの子供も働いていました。


サッカーラへ。ジェゼル王の階段ピラミッドです。BC2600くらい。ここはピラミッド以外の建造物もあって良いですね。 


 





夜はカイロに戻って、音と光のショーを見ました。寒かったです。ブルゾンが欲しいくらいに。ショーは面白くないです。でも夕焼けは本当に綺麗でした。写真じゃ迫力が伝わらないです。




アブシンベル空港からアブシンベル神殿へ。BC1300年です。内部は撮影禁止でしたが彫り壁でいっぱいでした。これは大神殿です。




アブシンベル小神殿は大神殿の隣に並びます。


神殿からはナセル湖が見えます。


アスワンハイダムです。


「石切り場」の「未完のオベリスク」です。BC1400頃。


バスの向こうに見えるのは墓地だそうです。立派です。富裕層でしょうな。




ナイルにはファルーカが浮かびます。絵になります。


車の熱よけにシートカバーを掛けるそうです。暑くて熱くてすぐには乗れないですものね。


陸路でルクソールへ。神殿もライトアップされて綺麗です。


夜でも川沿いに観光客やカップルが大勢います。フリーなのでのんびり歩きながらルクソール博物館へ行きました。夜でも開いているのです。


翌日は、ルクソール西岸のメムノンの巨像へ。


そして「王家の谷」へ。




広いです。各墓地の入り口はこんな感じです。これはラムセス9世。内部は撮影禁止ですが、ツタンカーメンの壁画が見事でした。wikiに画像があります。


ラムセス1世の王墓です。


バス移動で ラムセス3世 葬祭殿へ。ここはレリーフ一杯で見事です。












私服の裾からドイツのMP5K(自動小銃)が僅かに覗いています。


ツアーは2人占有なので、急遽、セティ1世 葬祭殿を別料金で頼みました。広かったー。ラムセス2世本人が完成させた神殿です。レリーフも良いです。ここにも警備兵がいました。3-4名は見ましたね。




ハトシェプスト女王葬祭殿。BC1500年頃。1997年のルクソール事件では大勢の犠牲者が出ました。






 

カルナック神殿です。BC1500年頃に栄えた古都テーベに作られました。私的には、ここが一押しです。











皆、スカラベの周りを回っていました。左回りに3回廻ると願い事が叶うとか。再生・復活の象徴なのですが・・・




陽の当たらない所には、色が残っています。








ルクソールからカイロ空港へ戻ったけど、ガイドが居ません。元々、いいかげんでした。「追加オプショナル分は払わないから」と伝えたら部屋がスウィートになりました。ホテルはソフィテル・ゲジラ。眺望は良好でサブベッドをベランダ沿いに置いて、ビールを飲みながら寝ました。気持ち良かったです、とても。






陽が上ると、大したことがありませんね。


エジプト考古学博物館。ガイドブックを買ったら50ドルx2冊と高価でした。展示物が凄いです♪ 特にツタンカーメンのマスク・椅子・首飾りは圧巻でした。


ツアー会社の日本人が会いたい、とのことでしたが中国人でした。「日本人ですか」「ハイ。コンカイハ、モウシワケアリマセン」「どこの出身ですか」「トウキョウデス」「東京のどこですか」「イタバシデス」「板橋のどこですか」「・・・・・」以後、一切ダンマリに。ニコニコしたまま黙って帰っていきました。これに何の意味が?馬鹿にしているのか?(苦笑)

ムハンマド・アリ・モスクです。






ツアー会社は努力していましたが、人材はいいかげんでした。しかし、記憶に残る旅となりました。この国にしか無いものばかりですから。丁度1週間後の同時刻に、ハンハリーリ・バザールで爆弾テロがあり、ドイツ人の死者が出ました。旅行には、ちょっとリスクのある国です。

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2009年 インドの旅(デリー・アグラ・ジャイプール)

2014年08月10日 | 海外旅行(内訳&その他)

2009年12月15日~5日間 服装で分かると思いますが過ごしやすく、観光に向いている季節でした。このツアーは、ホテルだけが選べました。実際には運転手・ガイド・我々夫婦の4名なのでセダンでの移動となりました。

挨拶のときに職業を聞かれました。「会社員です」「お父さんも?」「父も祖父も職業軍人でした」「あっ!私と同じですよ」と握手。まだカーストが生きているのかな?

デリーの市内観光です。ラクシュミーナーラーヤン寺院。撮影禁止ですが内部も綺麗でした。裸足で上がるので石が気持ち良いです。


インド門です。


フマユーン廟(1570年)








クトゥブ・ミナール(ミナレット1316年完、横の鉄柱は4世紀頃) リスが沢山いました。オウムも。








タージ・マハル(1653年) 本ツアーの目的です。やはり綺麗です。真っ白な大理石が眩しいです。皇帝の妃の墓です。














タージ・マハルの横に建つモスクです。




後ろは川です。


アーグラ城砦(1573年)






タージ・マハルを建てた皇帝シャージャ・ハーンは、晩年はここに幽閉されました。川向こうにはタージ・マハルが見えるんですよね。














大理石店へ。ごめんなさい。何も買いませんでした。


デリーから60km離れたバルバル市内です。郊外では牛や豚がゴミを漁ります。






"ターリー"という料理です。ナンカレーの豪華版みたいなものです。美味しいのですが・・・ちょっと辛い具もあります。


ファーテーブル・シークリー(1574年) この建屋は人が住んでいた感じがしません。














古そうな車ですが「アンバサダー」はインドメーカーで、今年(2014年)まで生産されていました。


「Chand Baori」は「Harshshat Meta寺院」の横にある「大井戸」です。ここは、ツアー外ですが事前に「面白い所があったら金を払う」と伝えてあったので、斡旋された訳です。いや、凄い井戸です。


10世紀・深さ30m・13階・3500段。同行のガイドが入場料を私に払うよう云いましたが、何故かここの係員は私から受け取りません。何とガイドに払わせました。お礼にLEDライトをあげたら喜ばれて詳しく説明して貰えました。


係員は「世界遺産になると思う」と云ってました。これが本当に10世紀ものならイケるでしょう。どれだけ水が大事だったか分かりますね。




隣の寺院です。






胸、揉んでるし・・・


ホテルはメリディアン・ジャイプール。夜は当然外出しません。強姦・強盗の被害続出で有名ですからね。夕飯もカレーでした。


ジャイプールのアンベール城です(1592年着工)。象に乗って登ります。左右に揺すられるので乗り心地は良く無いです。


























タクシーです。遠くに見えるのは「水の宮殿」です。見たかったなー。


同じジャイプール市内のジャンタルマンタルへ。




 

1734年に建てられた天文台です。一応、世界遺産でもあります。






シティ・パレス(1733年 19世紀改築)






ジャイプール市内をガイドと共に散策します。ガイドは片っ端から屋台の商品を取って見せたりします。商品を返さなかったりも。お約束の「風の宮殿(1799年)」から。中には入れませんでした。





 









私はここの菓子を買いました。揚げたてなので腹を壊さないだろうと。大丈夫でしたが味は甘いだけでした。右は公衆の水飲み場です。


街角には、このような小さな寺院も数多く見掛けます。




私のイメージしたインドそのものです。






ガイドが別料金でナルガール要塞(1734年建造1868年拡張)へ連れてきてくれました。「街を山の上から見ましょう」と。


 













妻には、インドの雰囲気・治安が気に入らなかったようです。しかしタージ・マハルはとても美しかったですね。

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98年 オーストラリア・ケアンズ(簡略版)

2014年08月07日 | 海外旅行(内訳&その他)

1998年7月16日~5日間 フリーツアーです。ケアンズ空港のアジア人は日本人です。今は中国人かな。長袖を持参しないで済むので荷物も減ります。前年にOPENしたばかりの「ケアンズ・セントラル」です。ここで大体の物は揃いますね。


ホテルは、ノボテルパームコーブリゾート。ケアンズからバスで20分くらいでしょうか。看板にはパームコーブリゾートとあります。


郊外なので静かです。部屋の外には鳥も♪


間取りはビジホですがお庭に開放感があります。海より"満天の夜空"が凄かったですね。本当に星が降ってきそうでした。これがオーストラリア一番の思い出です。


グレートバリアルーフのグリーン島へ。


サイパンのマニャガハ島やロタと較べると、魚がデカいのです。海の色で分かりますが、あまり遠浅ではありません。ライフジャケットetcは持参しました。


ボラ? 


ホテルの向いにはワイルド・ワールドなる動物園がありました。


アボリジニのショーもありました。


パームコーブのビーチです。今ではメジャーとなりましたが、当時はお客が少なかったですね。


のーんびり過ごしました。

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