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難波田城公園&資料館(埼玉県)

2023年06月01日 | 関東編(内訳)

5/26(金)「難波田城公園(なばた)」は埼玉県富士見市となります。難波田氏は平安~鎌倉にかけては地方豪族として畠山氏に従い、頼朝配下となりました。室町では扇谷上杉氏(謙信の先祖では無い方・本拠地河越城)に組して後北条氏(北条早雲系)に負けて滅亡しました。

北条の支城となった難波田城自体も秀吉の「小田原攻め」の際に開城、その後廃城となりました。

城跡と古民家2軒となりますが、綺麗に整備されていました。


「庚申塚(こうしんづか)」は荒川近辺にでも多数見受けられます。江戸時代に流行した中国の道教系の民間信仰です。


堀は浅く曲輪の効果も限定的かと思います(まあ、当時とは違うと思いますけど) 茶色の建屋が資料館です。2枚目の右手前の碑は室町時代の阿弥陀三尊です。城の井戸からの出土とか。


江戸初期のキリシタン密告の賞金は「立かへり者(転びバテレンの再信仰者)」で銀300枚=1朱銀300枚=1分金75枚=金18.8両=約600万円程でしょうか。農民なら3年分の収入となります。


昭和32年築の鶴瀬団地の模型がありました。水洗トイレで洗濯機が屋内にあるのが凄い。同時期のウチですが(新築な頃)、一部屋少ないですし汲み取り式トイレでした。横浜市のバス通りも未舗装な頃です。


この古民家は市内から移築した明治4年築の農家兼油屋です。什器が揃っているので見て楽しいです♪


これは何かな~と調べました。天井からブラブラと竹が下がっています。竹の先端は摩耗していました。水や油の形跡はありません。答えは最後にUPします。


最初は大きい釜を使っていたようですが、あとから小さいのx2に作り替えています。昔は雑炊だし釜一つで足りたのね。氷式冷蔵庫も渋いです。これは大正時代以降の型のようです。1950年以降になって電気式が一般家庭で使われ始めました。

我が家の1967年頃、TVは無かったけど電気式冷蔵庫はありましたね。

二軒目も明治4年築で大庄屋宅でした。こちらも昭和まで住んでいたようです。


納屋併設です。風呂は薪式で左側の屋外にありました。


陶器の便器です。リッチですね~


ちなみに正解は「石臼用の台」でした。「三芳町立歴史民俗資料館」の「くらしの民具」の「Vol.1」に記載されていました。最初は菜種の脱穀用かと考えましたが、「Vol.3」の「
足踏脱穀機」を使うようです。このコーナーは役に立ちます♪


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