老いて、なおチャレンジ

大好きな草花と共に、余生を楽しめたらいいな~

ギリシャ・イタリアの旅(5) 最終回

2013-07-01 21:37:10 | 

6月14日(12日目)

朝早く起き帰国の途に就く。何分スト中であるから何が起きるか予想できない。リヨン空港までは地下鉄(?)に乗りリヨン空港からドイツのフランクルフルトまで飛ぶ。フランクルフルトから日本への乗車時間は決まっているし、チケットも持っている。フランスで乗り物が動かなければ日本行きの飛行機に間にあわずチケットも無効になってしまう。不安だらけであったし駆けずり回って大変な思いもしたが!!時間は遅れたが何とか予定の飛行機に乗る事が出来ホッとした。もうじき90歳になるおばあさんがよくも皆さんに付いて行動出来たものと自分ながら感心してしまう。3人は必死になってW牧師の後を追っただけであったが、全責任を負われたW牧師のご苦労は如何ばかりであった事だろうと心から感謝している。  
機中ではばらばらの席だったので話しも出来ず、私は機内で眠る事は決して出来ないので目を瞑り、テレビも見ず、NP3で音楽を只管聞きながら過ごした11時間余であった。

6月15日(13日目)

成田空港に無事着陸したのは午前7時50分、荷物が中々出て来なかったので空港にいた時間は長く掛かってしまい、長女にも随分待たせてしまったが、皆さんとお別れし、迎えに来てくれた長女と家路に就いた時は正直何にも優る安堵感を味わったものである。
私は疲れ果てていて携帯も持っていかなかったから長女が成田エキスプレスの中から子供達に母親無事帰国の報告を携帯からしてくれていた。

終りに!!

今回の旅を省りみてギリシャ・イタリアの何と遺跡の多い事か、又世界遺産の多さ等をこの目で見て実感した。数千年も前にこんな素晴らしい文化が存在した事に驚きを感ぜずにはいられなかった。実地の体験を通して様々感じる事もあったし、この歳になっても勉強する事は尽きない事を如実に感じ参加出来た事を心から嬉しく思った。同行者の皆さんなくしては成し得なかった事を肝に銘じて感謝している。

同室であったほんの最近知り合ったKさんには本当にお世話になった。ご自身も厄介なご病気を抱えておいでなのに私の事を何くれとなく支えて下さり私は甘えっぱなし、腕を組んだり手を繋いだり本当に楽をさせて頂いた。本当に有難うと感謝の気持ちで一杯である。

実は私の体は何事もなかった訳ではない。二回ばかり転んだが傷にもならない程度のもので良かった。もう一つは眩暈であった。
何日だったか忘れたが、一日観光してホテルに戻り1時間ばかり休んでから夕食にバスでレストランに行く事になっていた。
ぞの間横になっていようとベットに上を向いて寝ていたが何故か急にパッと頭を右を向けた途端ぐるぐる回り始めたのである。今迄4回の海外旅行で眩暈を起こした事はなかったのに。「如何しょうこの眩暈が治らなかったら大変な事になる」って心配になった。先ず心を落ち着けようと精神安定剤を飲んだ。眩暈に直ぐ効く薬はないのであるがこうと思ったものを2・3飲んで寝ていた処へ買い物に出掛けていらっしゃったKさんが戻って来られ私の眩暈を知ってしまわれ心配して夕食に行かないと言われる。「私は大丈夫だから行って頂戴」と拝み倒してやっと出掛けてくれた。兎に角治さなければならない、耳鼻科の先生に教えて頂いた動作を試みる事にした。ベットに横になり頭を叩きながら一回転したら何と眩暈が治ってしまった。 嬉しかった~  只何時も眩暈が起こると同時に片頭痛も起き目玉が少し硬くなる様な変な痛さを感じる。家では氷で目を冷やすと案外早く症状が良くなる。然し此処ホテルには氷が無い、如何しようと考えた。「そうだ!部屋の冷蔵庫に冷えた缶ジュースがある筈、缶を開けなければ使用料を払わなくて済むだろう」と缶を出して来てKさんが戻られるまで5本使って懸命に冷やした。お陰ですっかり治ってしまった。その後は何事もなく元気で過ごす事が出来た。

私の他にも気分が悪くなり夕食を抜いた方、軽い眩暈を起こした方などいらっしゃったそうだが大した事にならず快復されたようだ。高熱を出された方も旅の最後だったので辛うじてご一緒に帰国される事が出来幸いであった。
高年齢者が多かった旅にしては一寸過酷な旅程ではあったが、皆が仲良く支え合って長い旅を終える事が出来た事心からの感謝であった。
日本からの添乗員もなく、お一人で25人のお世話をなさって下さったW牧師のご苦労を思わずにはいられない。本当に有難うございました。

5回に亘った長いご報告になり不備な点も多々あると思いますが、お読み下さった方々に心から感謝致します。

 

 

 

 


ギリシャ・イタリアの旅(4)

2013-07-01 05:32:46 | 

6月12日(10日目)

愉しかった旅を終え帰国の日を迎えた。
W牧師他3人はこれからフランスのパイプオルガン工房へ行く事になっているので、ミラノ空港で21人の方とお別れした。昨日入院された方も熱がすっかり下がり自力で歩かれ皆と共に帰国する事が出来た事は非常な喜びであった。

さて、これから4人の旅は大変であった。この日からフランスはストライキに突入、私達が工房に辿り着くまでのミラノ空港からリヨン空港までの飛行機が飛ぶか如何かが先ず気掛かり、幸い飛び立ってくれた。

  
ミラノ空港               遥か下にミラノの街が        雲の合間にアルプスを見た

今回の旅で6回飛行機に乗ったが、窓側に座れたのはこの1回だけ、然し雲が多く気に入った写真を撮る事が出来なかった。イタリアとフランスの国境付近にアルプスが見えると聞いていたので楽しみにしていたが、雲の間から僅かに見えただけ、雲が無かったらどんなにか素晴らしいアルプスを見る事が出来ただろうととても残念であった。  然しこんな悠長な事を言っている場合ではないのだ。これからが未知の闘いの始まりであった。
多分飛行機も遅れてフランスのリヨン空港に着いたと思う。そこからオーベルタン氏のオルガン工房のあるクルトフォンテーヌという場所まで行くには電車で、途中乗り換えて相当の時間を要するのであった。W牧師も行き方をしっかり把握していらっしゃる訳ではなく、沢山あるホームの何処から乗ったら良いのか人に聞きながら、あちらでもないこちらでもないと右往左往、おまけに団体ではないから大きなトランクを自分で運ばねばならない。日本では何処の駅にもエレベーターがあるが、ここでは有るのか無いのか探せばあるのかもしれないけれどそんな時間はない。エスカレーターがあったので自分と荷物も載せ上がったり下りたり容易な事ではない。エスカレーターが無ければ階段をあの重いトランクを抱えての行動、私には到底出来ない事である。途中から見かねて男性のOさんがご自分のと私の二つを抱えて運んで下さった。W牧師は兎に角電車に乗らなければならないから早足でどんどん先に行ってしまわれる。後の3人はW牧師を見失わない様必至な思いで付いて行った。やっとの思いで電車に乗る事が出来た。が又乗り換える時も大変な思いをした。大分時間が遅れたが最後に下りた駅にオーベルタンご夫妻が2台の車で出迎えて下さった。
昨年スイス旅行の時は一行16名がバスに乗りスイスから国境を越えてこの工房を訪れたのであった。故に私は二度目でありパイプオルガン製作者の巨匠と言われているオーベルタン氏に握手して頂いた時は感激の思いであった。

ここからはお二人の運転でその夜泊るホテルまで送って頂き、オーベルタン氏と共に遅い夕食をし一先ずお別れした。
本当に大変な一日ではあったが、明日工房を訪れる愉しさを胸に床に就いたのであった。
                                                      クルトフォンテーヌ泊

6月13日(11日目)

朝再びご夫妻はホテルに迎えに来て下さった。ホテルから15分位田園風景を満喫しながら最後の目的地オーベルタン氏の工房に到着。
蒲田教会に備えるパイプオルガンを製作して下さっている工房で、去年はまだ製作が始まっていなかったが、今回は最終打ち合わせの為であった。もう殆ど外観は出来上がっていて音が未だ半分くらいと言う事であったが、パイプオルガン奏者のフランシス・ヤコブ教授が蒲田のオルガンで何曲も弾いて下さったり、これはまだ半分の音色だからと、完成していたある個人に納める大きなパイプオルガンでバッハの曲など沢山弾いて下さり、音楽会に行ったような気分で至福の時を過ごさせて頂いた。
去年オーベルタン氏のパイプオルガン製作に対する情熱溢れるお話を聞いて感動した私、今年もその様な思いを抱いて製作者としても又お家族への温かい思いが溢れるお顔を近くに拝しながら何とも言えず和やかな温かい気持ちで過ごした一日であった。

昼食は奥様手作りの美味しいお料理をご馳走になり、昔作られたと言う小さいオルガンで奥様が演奏して下さった。
それからご夫妻とご一緒にとてつもなく広い土地を案内して頂いた。馬を5・6匹も飼っていらっしゃり糞が一杯落ちている中を踏まない様気を付けながら清々しい良い空気の中を歩き回り気持ち良かった。
オルガンに使う小さいパイプをお土産に頂いた。大事な宝物として家に飾りたいと思っている。
帰る時間が来たので又駅まで送って下さりお別れを惜しんで再び握手をして下さった。本当に懐かしい愉しい一日であった。
パイプオルガンは今年の11月末には蒲田教会に据え付けられる事になっている。

 

  
蒲田のオルガン        フランシス・ヤコブ教授の演奏     オーベルタン氏の工房

  
昼食をお嬢さんも交えて和やかにご馳走になりました       奥様の演奏です

  

お別れして再び電車に乗りこの旅最後のホテルがあるリヨンに向かう。来た経路を戻る訳だが電車が途中で長い時間止まってしまったりして、やっとの思いでリヨンに着いたら 雨が降っていた。ホテルは近いと言うが方向が分からない。ある人に聞いたら間違って教えてくれ、あっちに行ったりこっちに行ったり雨の中を傘をさし、重いトランクを引っ張りながらこれ又必至でW牧師の後を追った。やっとの思いでホテルに着いたのは10時を過ぎていた。夕食はまだなのに食堂はしまっていて夕食抜きであった。
                                                         リヨン泊

   後一回で終わります。