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イラストレーター/ライター遠藤イヅルの困った嗜好をばらす場所

明治維新は小さな変化?

2005-08-18 | 江戸時代に憧れる。
ところで日本の歴史は、「古代」(~平安時代)、「中世」(鎌倉・室町時代)、
「近世」(安土・桃山~江戸時代)、「近代」(明治~戦前期)、
「現代」(戦後期)と分けるのが一般的です。

僕たちの一般的な認識では、江戸時代~明治維新の変化はとても大きく、
今の現代に近い生活背景が成立したと思われがちです。
でも、最近は「江戸時代」は近代の足がかりであって、
理解不能なまったく異質の文化では無いのだという認識が広まっているようです。
この考え方によれば、大きな革命だと思われがちな明治維新の変化は、
小さな変化だと思うことが出来るのです。では、それは何故なのでしょう。

明治維新の変化は、確かに生活様式や考え方に大きな変革を与えました。
文明開化は、文明革命でもありました。
だけれど、基本的な「人が生活する」スタンスには、実は大きな変化は無いのです。



大きな変化。それは、「中世から近世への変化」。
これこそ日本の歴史で一番大きな変化であると言われています。

中世と近世以降の大きな違い、まずひとつは「神仏に頼っていた考え方の衰退」です。
小さな争い、対立、戦争などの時、中世では占いや神懸かり的なまじないなどで
その判断をしていました。つまり、非現実的な物だったのです。
つまりは、評定は神や仏のお告げであるわけで、
ひとびとは「大いなる畏怖すべきチカラ」の精神的支配下にあったのです。
それがひとびとを統治するチカラそのものになりました。


ですが、やがて戦国時代になり、統一国家や「権力」が発生していきます。
もはや評定に神仏はいません。人が人を裁いていくようになりました。
そこにあるのは、現実的な判断力です。


そして、暮らしにも大きな変化が訪れました。
中世までの住居は「集落」として、谷沿いに場所に作られることが多かったのです。
なぜなら、平野の大きな川とその周囲は治水されることもなく暴れ放題で、
とても人が住める場所では無かったらしい。

だがしかし。
やがて戦国時代になって地域を支配する戦国大名が登場すると、
彼らは河川を治水し、川沿いの平野を切り開いて田とし
国力増強のために生産力をあげていきました。
こうなると、もはや山間部での生活では支配には不利な時代となっていきました。
つまり、ひとびとは現在と同じように平野での生活を基本とし、
中核たる城も、それまでの山の上の城ではなく平野部に置くようになったのですね。

 この「ひとと、それを包む自然との関係、考え方の変化」を見ると、
江戸時代が明治時代と、そして現代と大きくは変わらないことが解ります。
江戸時代ではもはや呪術で支配することもなく、とても現実的に物事を着る時代になったのです。

この考えは現在でも変わらないのですから、
「江戸時代」と「現代」はまったく違う時代ではなく、
連続した時代なのだと言えるというわけなのです。


>>子供心に「なぜ、大昔の人は山の中に住んでいたのだろう」って
思ったことがあります。
そのひとつの答えが「川」だったと知ったとき、
川は平定されていて当たり前ということが
かつては常識ではなかったんだなあと思いました。

>>歴史は僕らの「あたりまえの考え」だけでは判断出来ない。
いつか僕らのくらしも、後世のひとびとに「?」って思われる日が
来るのでしょうか。
R19?なんだこりゃ?って感じでしょうね(泣
コメント (3)    この記事についてブログを書く
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3 コメント

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Unknown (shorty)
2005-08-18 16:38:30
明治維新を革命と捉えるよりも、

政治形態の交代=クーデターと捉えれば、

その文化的影響の少なさを

説明出来るかもしれませんね。
返信する
なるほど! (ie)
2005-08-19 12:37:55
shortyさま>

たしかに明治維新は文明の変革であったと同時に押し寄せたクーデターなのかも知れません。そう思うと江戸と明治、そしていまはあまり変わらない価値観のもとで僕たちは暮らしているのですね。
返信する
Unknown (ピャーピューピョー)
2012-10-24 10:55:19
ブログおも白いです。
返信する

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