Retrospective...

イラストレーター/ライター遠藤イヅルの困った嗜好をばらす場所

【セダン蒐集癖】Vol.236 シーマ現象の衝撃 初代シーマ(FY31)

2010-07-26 | セダン蒐集癖。



いやあ、やっと見つけました、初代シーマ。

あれほど売れたクルマですが、最近ほんとうに見かけなくなってしまって。
久しぶりに見ると「こんなクルマだったかなあ」って感じで自分でびっくりでした。



いうまでもなく、日本車のなかでもエポックになるクルマのひとつです。

それまでの国産車では、
2L以上や、3Lクラスのクルマはそれまで法人用や、
運転が楽しいスポーティな位置づけではなかったものが多かったのですが、
この初代シーマは、BMWなどのような「ハイエンドオーナードライバーズカー」
というポジションを国産車に作ったこと、。
そして、初代ディアマンテとならんで、3ナンバーが国産車にとってふつうである
ということを進めた立役者、といえるのです。


セドリック・グロリアシーマとして登場した初代シーマは、
その名前の通りセドグロの派生車種(=3ナンバー専用車)だったのですが、
それでも「初」だったのが、それまでのセドグロ(そしてクラウン)の3ナンバー車は、
バンパーの大型化などでの差異でしかなく、
プレジデントなどの極端なショーファー車以外では、
「本格的な3ナンバーボディ」を与えられた稀有な存在だったのです。


おりしも時はバブル。シーマはその時代の風にも乗って、なんと
1988年から1991年までの発売期間で、10万台以上が販売された!というのですから、
末期のシーマが年間でも4ケタに行かなかったことを思うと、驚かされますよね。



今見てもなかなかクリーンな造形、品の良いデザイン処理は、
それまでの国産高級車の常識を覆すものでした。
さらっとしたメッキ類の使い方、シンプルな灯火類。
そしてダンツー調と違う、趣味の良い内装。
それでいていざアクセルを踏めば、暴力的な加速を見せるその二面性も含めて、
憧れの対象になりうるクルマだったのです。



今見てもかっこいい


バブル期はこのシーマに限らず高額商品が売れたということなのですが
(当時高校生なので実感なし)、それらをこのクルマのヒットを例にとり、
「シーマ現象」と銘打っていたのも懐かしいですね。




>>当時のハイテク(&トホホ装備)もてんこ盛りだったなあ。って、書けるほど覚えていないんですけども。

>>その中での筆頭はやはりドアミラーワイパーでしょうねえ。
すごいアイデアだ!って当時は感心したもんなんですが(汗
コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする