BAMBOO-JET  ~うみの部屋~

タケノコジェットでどこへでも!
読んだ本や見た映画、食べた料理、旅先、育児や日常のことなど、趣味をつらつら語ります

ペルー旅行記⑧ ナスカの地上絵

2008-03-31 22:40:52 | 旅行
おなじみのリマ・シェラトンで目覚める。
もう高山病の心配をしなくていいかと思うと、気持ちも楽だ。
朝ご飯にバイキングで鳥粥と濃い目の味噌スープを3回もお変わりする。
はっきり言ってアメリカンスタイルの朝食にはもう飽きた。

朝ゆっくり過ごし、10時にリマを出発。
バスは450km先のナスカへ向けて走り出した。
このたび最後のハイライト・ナスカの地上絵を見るためである。
ナスカまでは海岸線に続く、世界で一番長いパン・アメリカンハイウェイを南下する。パンアメリカンハイウェイは、アラスカからチリのフエゴ島まで続く、長い長い幹線道路である。
リマを抜けたら車窓の風景がすぐに砂漠になった。
ペルーに来て、湿潤地帯(リマ)、高山地帯(クスコ)、亜熱帯地帯(マチュピチュ)を経験したが、今度は砂漠地帯である。まったく着るものが毎日毎日変わる、とんでもなく疲れる旅である。
これを母に言ったら、「あら、旅ってそもそも疲れるものよ。疲れるために人は旅に出るのねぇ。」と。
うん、たしかに、旅行ってすごくエネルギーがいるよね。
パンフやインターネットで旅行を選んで、自分でプランニングする人もいるし、予約して、手配して、旅行かばんに詰め込んで、空港まで移動して、長い長い距離を狭い飛行機に押し込められながら、やっと異国の地に行くのだ。
それでも今回の旅行はすごくゆったりしたツアーだと思う。
日によっては出発時間が遅かったり、フリーの時間もあって、かなり助かった。

バスはリマを出て2時間、カネーテという日本人移民ゆかりの地にある「エル・ピロート」というレストランで、昼ごはんを頂いた。
ここではサンコチャド・・・というペルー式ポトフを頂いた。牛肉にポテトにキャベツににんじん、とうもろこしなどをあっさりした塩味で煮込んでいて、うまい!旅で疲れた胃にも染み渡る。
次に焼きそばが出てきた。ソース味でパスタなんだけど、見た感じ日本の焼きそばと一緒。うまかった。しかしレストランですでに熱い。砂漠気候だからか、昨日までとはうってかわって、みんなキャミソールの人までいて薄着である。えらい違いだ。
それからイカを経て、ナスカまでひたすら走る。日本人移民の街ではみかん畑なども見られた。昔みかんを持ち込んだ移民は見つからないように船底にある冷蔵庫に苗木を隠しこんで持ち込み、それが今やペルーの市場で当たり前に見られるようになったあの「みかん」なんである。ペルーのは緑っぽいのですが、味はおなじです。

そして砂漠地帯。右手には太平洋。左にははるかにアンデスの雪山が見えてる。その間を砂砂砂の砂漠だ。砂漠には不法占拠と呼ばれる家家が見られた。雨風をしのげばいいだけなので、薄いわらのような粗末なもので囲っただけの簡単な家がたくさん砂地のあちらこちらに見えた。彼らは貧しさのあまり山を降りてきた人々だという。しかし緑ひとつもないこの砂の大地は、余計まずしく私には感じられたのだが。小屋の屋根にはペルーの国旗が見える。ペルーの法律で国旗を汚してはならないというのがあり、不法占拠だろうと旗を立てておけば、政府もうかつに手を出せないんだとか。面白い・・・。

また海沿いには巨大な鶏小屋(養鶏場)がいくつも見えた。ペルー国民は肉が大好きでとりわけ鶏肉をたくさん食べるとか。
鶏も食用と卵用の白と茶色の鶏小屋がたくさん見えた。
なぜこんな海の浜辺に作るのか。。。
不思議だ。
日本で浜辺に養鶏場などないだろうし。

そんな風に飽きることなく外を見ながらバスは走り、やがて日が傾きかけた夕方にナスカへ着いた。街に入る前に私たちはハイウェイ沿いに建てられた『ミラドール』と呼ばれる観測塔に立ち寄った。ミラドールはナスカの地上絵の研究に一生をささげたマリア・ライヘ博士が建てた地上観測塔である。
何もない広大な砂地のナスカにそびえたつミラドールは立派だ。
ツアー客の半分ずつで観測塔へ登ることにした。
この観測塔鉄骨なのだが、この日はすっごく風が強かったために登るのが怖い。高所恐怖症の人は登れないかもしれない。
上から眺める景色がすばらしい。夕暮れ時のナスカの大地。小さな石がごろごろ転がってる砂礫の砂漠地帯。ガイドさんが見える地上絵を説明してくれた。
ミラドールの後ろには「手」と「木」という2つの地上絵がある。
たしかにうっすらと線のようなものが見え、それが手に見えた。「木」はかなり広大なため枝の先端しか判断できない。
そしてナスカの地上絵が発見される前に建設されたパン・アメリカンハイウェイのために分断された「とかげ」の地上絵が見れた。分断された片側は道路の向こう側なのだが、何しろ地上絵は大きいのでわかりづらかった。
下に下りるとミラドールの入り口でほそぼそと小さなお店があった。ナスカの石に現地の人たちが地上絵のイラストを彫ったものを売っている。石は小さいものから(キーホルダーとかになる)大きいものまで(置物として楽しむ)いろんな種類があった。私はそこで手のひらにのるくらいの大きさの石を買った。ナスカの地上絵が彫られたナスカの石はあちこちのみやげもの屋で売られているのだが、ここのは特に絵がきれいだということで、なるほどすごくきれいに彫ってある。明日セスナから見る予定の「サル」「ハチドリ」「クモ」「宇宙人」なんかもあり、またちょっとわからない模様の地上絵も描かれていた。

泊りはナスカ・ラインズというライヘ博士ゆかりのホテルで、砂漠のオアシスのような素敵なホテルだった。回廊のようなロ字型のホテルで、中央にプールなんかがあったりする。
次の日は朝1で私たちがセスナに乗れることになった。いよいよ空からの地上絵観察である。わくわくである。

和風カフェ 遠近(おちこち) その2

2008-03-30 19:12:55 | ぐるめハント青森
昨日内科から胃炎の薬をいただいたおかげで、胃の痛みも落ち着きました。
そんなわけで今日は朝から調子がよい。
たっぷり10時間の睡眠をたったせいかも知れません。
久しぶりに走りたくなって、お昼にジムへ行きました。
週1のランニングも体調不良と旅行のおかげで約4週間以上ぶり、、、だいぶ足腰もなまってることだろう。
今月の目標の50分ジョグは控えて、40分ほど時速9kmで走りました。
やっぱり30分を過ぎたあたりから右のモモの付け根とひざが痛み出しました。
筋トレしないとなぁ。。。と考えました。
でも久々に走って汗かいたので、気持ちいいです。
午後1時からのヨガのクラスにも参加。
いいクールダウンのストレッチになりました。

ジムのあとにこれまた久しぶりに、お気に入りのカフェ「遠近」に行きました。
ここは和風カフェです。
オーナーが一人で切り盛りしてて、ギャラリーのように月替わりに地元作家の絵など展示してます。
甘味が中心で白玉パフェとか各種日本茶のセット、もちろんお抹茶もあり、野立コーヒーなるものもあります。
近くに弘前城があるので、城下町らしい雰囲気の店です。
私はここの「白玉フルーツヨーグルト」が好きなのですが、運動のせいでお腹が空いてたので「おにぎりセット」も頼みました。
おにぎりセットはおにぎり3つにおしんこ、おかずの小鉢2品、お茶に甘味までついて500円で、すごくおいしいのです。
あと私の好きな「白玉ヨーグルト(450円)」も(写真の)頼みました。季節の色々なフルーツにヨーグルトと白玉を合えたもの。
似たようなメニューで「寒天ヨーグルト(500円)」っていうのがあって、これは白玉ヨーグルトに寒天が入ったもの。
実際白玉・・・を頼んだのですが、私に来たヨーグルトの中に寒天が・・・どうやらオーナーさんが間違えたみたい。
私がマイ箸で食べてたら、オーナーが感動して50円まけると言ってくれました。
ここのお店で使ってるお箸は竹で作ったもので、普通の間伐材の割り箸と違うらしいです。
うれしいですね。
結局お会計のとき、オーナーは私が間違えて作ったので、、、と合計で900円でした。
超満足です。ここは狭くてテーブルが2席、カウンター2席しかないのですが、テーブルには茶釜があって、自分でお湯をお茶に入れて好きなだけ楽しむことができます。とっても健康的でリラックスムードが漂うお勧めの場所です。
6月からおそばが季節限定で始まるので、また来るつもりです。

ところでここのカフェについてレポート書くのは2回目です。
よっぽど好きなんだなぁ・・・自分。
前回のレポートは↓の通りです。
http://blog.goo.ne.jp/bamboo-jet/e/faec82230841fae3ed86dc6731b33988

○遠近(おちこち)
青森県弘前市大字東長町34-2
電話 0172-40-4707
詳しくは↓のHPで
http://www.free-cm.com/cate/shop-6459-1.html

ペルー旅行記⑦ さらばアンデス

2008-03-29 17:20:08 | 旅行
7日目・・・標高3817mのチチカカ湖のホテルで目覚める。
午前中比較的ゆっくり出発なため、朝ごはんの後チチカカ湖畔を散歩する。
朝の光に湖がきらきらしてて美しい。
しかし日差しは強烈だ。
あっという間に日焼けしてしまうだろう。
私はマチュピチュですでに日焼けをして、鼻の頭の皮膚がすでにぼろぼろでむけてきてしまってる。
富士山の上にある湖。
苦しくはないが、やはり高山病だろう、頭が重く体がにぶい。
しかし苦しいのも午後まで。。。
今日はリマへ帰れるのだ。
アンデスやチチカカ湖はほんとに美しいが、私は早くリマに戻りたくてしょうがなかった。
ホテルを10時半ごろでて、チチカカ湖から20分ほどのシユスタニ遺跡へ。
この遺跡の標高はさらに高く4000mだ。
ウマヨ湖というこれまた小さいながらも水が済んだきれいな湖のそばに立てられた遺跡。
さすがに説明する添乗員さんも苦しいのでゆっくり説明する。
みんなゆっくりのろのろ・・・丘を登っていく。
ここにはインカ時代より昔の王家の墓がいくつかある。
ビアカップのような形の巨大な石を組み合わせたような建造物が丘のあちこちに立てられている。石の表面には魔よけのトカゲやヘビのマークなど。
お墓は東の方角に夏至の日に太陽が入るように入り口が作られていて、昔の人はその太陽を取り入れて復活すると信じられていたらしい。

お昼はウマヨ湖畔のレストラン。
ここの牛肉がえらいこと硬くてぜんぜんナイフでも切れず、歯が立たなかった!

その後プーノには空港がないので、1時間ほど行った隣の街フリアカへ移動。
途中、高原地帯の農村のお宅を見学させてもらう。
日干し煉瓦でできたおうち。
家の屋根にはそれぞれ沖縄のシーサーのような牛の置物が。
家を守る守り神だそうだ。
この家では農家の人が普段どんなものを食べてるか、
家の中や食用モルモット(クイ)のおうち、
外ではブタやリャマ・アルパカも飼っていて、
小さい子が子犬まで連れていた。
犬を飼う余裕があるのか。。。
こういうとこの犬は何を食べるんだろう(まさかモルモット?)。
こんな風に観光客に家の生活を公開して収入を得てるんだろうな。

さて、フリアカの空港へ行く途中、交通事故にでくわした。
惨事が起きて間もなかったらしく、救急車も警察もいなかった。
ただ一本道の道路で車と人がごった返しており、私は見てなかったが毛布に包まれた死体があったらしい。見た人の話では血や脳みそらしきものがあったとか。。。
なんともいたたまれない。
あんな見通しのよい場所でも、やっぱり事故は起きるものだ。
しかしこんなとこで事故が起こってもおよそ連絡網がないだろうに、病院から救急車が来たとしてどのくらい時間がかかるのか?などと考えてしまった。
ガイドさんが曰く、ペルー人は運転が荒く飛ばすので事故が多いらしい。
そういやリマですごい渋滞してる場所の交差点で、あっちからこっちから車が譲り合いをしないで道路を渡るので、まるでけんかをしてるみたいだなぁと思ったのだ。

そんなグロイ現場にも当たりながらやっとこさ、空港に着いた。もうすでに頭が痛くなりだした私はあまり買い物をせず、とにかく早く飛行機が出ることを祈って待合室でおとなしくしてました。
やっと飛行機が降りて乗客が滑走路(小さい空港なんでゲートもない)から歩いてくるのを見たときほっとした。
フリアカ・リマ間はラン・ペルーというペルーのナショナルフラッグ的存在の航空会社。客室添乗員がすごい美人であった。ふむ、やっぱりこっちの人は目鼻立ちがくっきりしてるので、美人になるとものすごくきれいな人になる。彫刻ですね。

飛行機がテイクオフして30分ほどで頭痛が見事に消えた。
飛行機には油圧装置がついてるので、もう上空に出ればこっちのもん。地上と一緒である。なんでリマに着くころにはわずらわしい頭痛がなくなったのでもうルンルンだった。ホテルは今回もシェラトン。。。初日に2泊したとこだけあって、なんだかすんごくほっとした。このホテルは広いから好きだわ~しかもNHK見れるし、朝バイキングは味噌汁あるし。。。!ってなわけで無事にリマに着いてほっとしたのでした。
でも添乗員さん曰く、うちらのグループは結局高山病でほんとに悪くなる人は一人も出ず、こういうのはかなり珍しいと驚いてらした。だいたい1名か2名は倒れてホテルで寝てるような人が出るとか。じゃぁ、私なんてましなほうなのね。


八食センターに行く

2008-03-28 22:33:53 | ぐるめハント青森
皆さんには色々ご心配をおかけしました。
薬のおかげか下痢も無事なくなったみたいです。
しかし、あらたな問題が。。。
それは胃の辺りがチクチク痛むのです。
先週日曜日から続いて、先日下痢事件のときに内科の先生に相談したとき、
お腹のほうばっか強調しちゃったので、
胃痛はそんなに重く捉えられなかったかもしれないです。
明日検便や血液検査の結果を聞きに行くので、
この胃の痛みも相談して来ようかと思います。

そして結膜炎にもなちゃったみたいです。
コンタクトがゴロゴロ。。。するのですね。
今日もチャレンジしたけど、痛かった。
ハードレンズなんで痛い時点で目に異常があることバレバレです。
春先は必ず結膜炎になってしまうんですよね。
花粉症とかアレルギー絡んでるかもしれないですけど(でもかゆくないし、くしゃみも鼻水もないけど)。

そんな胃痛を抱えた中、今日はお仕事で三沢へ行ってきました。
久々米軍基地にも入り、中のスーパーでうちの会社のある従業員の奥様にも偶然会ってしまった。
ちょうど上司と車の中でその人(だんな)の噂をしてただけにびっくりしましたが。
お昼に八食センターへ連れて行ってもらいました。
朝八戸漁港でとれた新鮮なお魚の回転すしがありまして、
これ、すっごくすっごくおいしかったです。
さすが八戸・・・!!です。
めかじき、、、とか「牡蠣(仙台産)」も久々食べておいしかったですね。
上司のおごりだったので申し訳ないと思いつつも、
うに・赤貝とか一番高いお皿を食べてしまったわい。
しかし食べて満足したけど、やっぱり胃痛が。。。。
明日病院で治してもらう薬でももらえるといいけど。


○八食センター
http://www.849net.com/
○八食センター 市場寿司(回転寿司)
http://www.849net.com/susi/index.htm

ペルー旅行記⑥ チチカカ湖を目指す

2008-03-27 17:00:37 | 旅行
ペルー旅行もマチュピチュ観光を終え、早くも後半に差し掛かりました。
6日目は空気の薄いクスコ(=3354m)より、さらに高地にあるチチカカ湖の町プーノ(=3817)を目指します。頭痛はしないですが、やっぱり頭がちょっと重い。
豪華なクスコのホテル=リベルタドール・クスコでの朝ごはんを食べ、7時に出発です。

ここでクスコ初日より3日間ガイドを勤めてくれたMさんとお別れです。とっても寂しいです。Mさんは実は写真家でマチュピチュなどの写真を撮ってらっしゃいます。ほんとにペルーの自然や文化に深い尊敬と愛がある方で、この人のガイドは今までで一番面白かったかもしれないです。記念に彼の写真のポストカードを買いました。
そのMさんですが、8歳ぐらいからチチカカ湖にあこがれてたそうだ。チチ(父)カカ(母)の湖とはなんか変な響きで面白い・・・といつか行きたいと思ってたらしい。そして大人になりバックパッカーとしてこの地に。クスコに住む前にチチカカ湖に3年住んだそうだ。今私達がこれから行くチチカカ湖にはトトラという葦を編んで作った浮き島や船がたくさんあって、そこで生活してる人々がある。Mさんはその人々から葦で作る船の作り方を学び、広い広いチチカカ湖を周ったそうだ。チチカカ湖は湖といっても兵庫県と同じ大きさ、関東で言えば千葉・東京・神奈川を足したぐらいなので、海のように波もあり2mぐらいの波で荒れるときもあり、そんな中でmさんも2度くらい死にそうになったこともあるとか。
その後どこかの国の冒険家に目をつけられ、葦の船で太平洋を横断したらしい。しかしそこはいくら丈夫といっても葦の舟だから、3ヶ月で崩壊してしまい何ヶ月も太平洋を漂流したとか。このような面白いお話をたくさんお聞きしました。日本にいると絶対会えない人達。世界は広く色々な人がいるのだなぁと、このような旅の中での出会いに感謝しますね。

Mさんと別れ、バスはクスコを抜けてプーノを目指し走ります。大きな美味しいパンが名物な小さな村、クイ=モルモット料理が有名な村など小さな村をいっぱい通ります。途中あのフジモリ前大統領が生まれたという村も通りました。貧しい村ですが、フジモリ大統領が政権時代に建てた小学校やら農村のトイレやら、このプーノまで行く道も立派な道路に整備されてます(ちゃんと舗装されてるってことね)。フジモリ・ロードとか言うらしいです。のどかな田園風景の中をバスは走り、途中で一回トイレ休憩がありました。
そこは小さな動物園といってもおなじみのリャマ・アルパカ・ビグーニャ(アルパカの野生種で野生では絶滅)やモルモットなどがいました。中でもアルパカベビーはすごくすごくかわいらしいです。ちょっと触りましたが、毛がふわふわなんです。

休憩を終えバスは再び走り出しました。だんだん山が近づいてきました。アンデスの山のふもとはきれいなお花畑が広がり、牛や羊の放牧が見れます。延々と続く草原の景色はとてもきれいで見てて全然飽きませんでした。なのでプーノに着くまで5時間もの間寝ませんでした。最高地点のラ・ラナ峠(4335m)では雪山も見れましたし、そんな場所にもちゃんとおみやげ物やがあったりします。みんなこの辺に住んでるのかなぁ?山の向こうに見える6000m級の山々の雪山の姿はとてもかっこよい。

そんなこんなでプーノには2時過ぎに到着。夕方には寒くなるチチカカ湖の気候を考え、ホテルにチェックインせずにすぐに観光へ行きました。ホテルの前から小型の舟を出してもらいました。ここで先ほど話したトトラと呼ばれる葦で作った浮島ウロス島を見学に行きました。ボートで10-20分ぐらいの場所にたくさんの小さな島が浮いてます。一つの島の大きさはそんなに大きくないですね。島の人たちは歓迎してくれます。今やすっかり観光産業が潤っててこの島の住人は、ペルーのほかの住民に比べ裕福らしいです。
実際に葦の模型を使って浮島の仕組みを説明してくれたり、トトラ(見た目は巨大なねぎみたいですね)を食べさせてくれたり(味は薄味のセロリとかそんな感じ・・・)、チチカカ湖の名物のマスを見せてくれたり、普段彼らが食べてる食材も見せてくれました。また彼らが実際行ってる市場での物々交換の様子を劇みたいなもので説明してくれたりしました。一通り説明が終えると島の中を自由に見学して良いということで、トトラで編んだ住居を見せてくれたり、実際中は6畳ほどの広さですかね。たぶんこれまたトトラで編んだであろう大きなベットがありました。驚いたことに太陽発電の小さなソーラーパネルを屋根につけていて、液晶のラジカセ兼用テレビみたいなものまでありました。すごいなんてエコロジーなんだ!!島の中央には生け簀みたいなものまであるし、ジャガイモも育ててるし、自給自足に近いのかな?竃もあるんだけど、やっぱ葦の島が燃えてはいけないということで石の上で火を使うみたい。かなり浮島暮らしは面白いです。

その後私達は次の島へ移動しましたが、うちらの希望で最初に島が所有してる葦の舟で送ってもらいました。2階建ての舟で、すごいですね・・・葦でこんなものまで作っちゃうんだ。移動中も子供達がポストカードを売りに着たり、商売熱心です。歌を歌うエンタメまであって、サービスなのか日本の歌も歌ってくれました。チューリップとか・・・。もちろん彼らのがんばりにみんな寸志をあげてましたけど。ツアー客のSさんが日本から剣玉を持ってきてたので、剣玉の腕を披露すると子供達は夢中になりました。剣玉をあげてやらせてあげたり、なかなか楽しい交流でした。

2番目の島では到着してすぐにこちらも歓迎の歌の合唱がありました。今度は大人のコーラス隊です。ペルー語とチチカカ湖に住む民族の言葉と日本語で歌ってくれました。2番目の島なので目新しいものは特に何もないのですが、やはり現地の人の衣装や作り上げた織物などはすばらしく、楽しく観光させてくれました。この時間になると日が暮れてきて、湖の上の風もだんだん冷たくなってきました。ホテルに戻る潮時の時間です。

ホテルではインド人や欧米人がいっぱいいました。けっこう欧米人はペルーから隣のボリビアに渡るツアーが多く、みんな夕飯時に添乗員がボリビア側の入国手続きの用紙を配り説明してるのが目立ちました。夕飯はいつものバイキングですが、チチカカ湖のマスを使った料理があり美味しかったです。

ペルー旅行記⑤ 太陽の門でコンドル発見

2008-03-26 16:29:00 | 旅行
一晩空けて、この日はクスコへ3時発の列車で戻るまで自由行動です。
皆さん集合時間まで、思い思いにすごしてるみたいです。
またもやマチュピチュでたそがれる人もいるだろうし、
朝早くおきてマチュピチュ山へ登ってる人もいるらしい。
このマチュピチュ山登山はガイドのMさんもお勧めしてたので、一部の元気のある人たちはチャレンジしてるらしい。
マチュピチュとは本来遺跡の後ろにある山のことで、マチュ=老いた、ピチュ=山(峰)という意味なんだって。それが山の名前がそのまんま遺跡の名前になちゃったらしい。だからその山こそマチュピチュと呼ばれる場所なんです。
よく写真で遺跡の後ろにセットでそびえている山、あれはワイナピチュ(ワイナピチュ=若い山)と言って、ガイドブックでもよく紹介されてる。しかしここはかなり急で危険な山である。しかもガイドさん曰く上っても景色はそんなによくはないらしい。毎年おちて亡くなる人もかなりいるのでツアー会社もあまり進めない。しかしマチュピチュにきたらあそこに登りたいと考えるのは万国共通のようで一日400人の入場制限があるので朝方が一番混むらしい。
それよりガイドさんが薦めたマチュピチュ山はワイナピチュと遺跡を挟んで向かいにあり、よくマチュピチュの写真を撮る場所の後ろにそびえる山である。こっちのほうがワイナピチュより高いし、眺めがいいとのこと。向こうにそびえるアンデスの由紀を抱いた山々まで見渡せるらしい。しかしあまり知ってる人がいないらしい。私も元気があったら登山したかったが、クスコに戻って高山病を復活させるのもいやだし、やめておいた。

希望者にはガイドのMさんと一緒にインティプンク(太陽の門)へ連れて行ってもらえるということで、そっちに参加しました。予定の9時にホテルで集合。参加者は10人ほど。みなで乗り合いバスに乗りまたマチュピチュに向かった。
インティプンクはマチュピチュ山の中間辺りにある遺跡です。遺跡からインカ道を通っていきます。途中でインティプンクとマチュピチュ山と道が分かれるらしいのですが、これがわかりにくいらしく、ツアー客のSさんなど間違ってインティプンクまで一度登り間違いに気がつき、ほとんど下まで降りてまたマチュピチュ山へ登ったそうです。すごいなぁ。。。。
インティプンクのインカ道は前の日のインカ橋のインカ道よりはかなり整備されていました。ところどころ儀式をする遺跡のようなものが現れます。そして色とりどりの花が咲いていてガイドさんがその都度色々説明してくれるので、ちっとも飽きませんでした。所要時間は1時間ほどでやっと太陽の門が見えてきました。途中リャマが道を占領してて通れない・・・なんてこともありましたが。マチュピチュにはいたるところにリャマがおります。太陽の門付近のこんな高い場所まで登ってくるんなんてさすがです。糞がよく落ちてるので気をつけなければつい踏んでしまうなんてこともあります。
行く途中途中振り返って景色を楽しみました。段々遺跡が遠くなり、ホテルから遺跡の入り口までバスが登る「つづら折の道」もきれいに見えてます。高いと思ってたワイナピチュも目の高さになり、最後太陽の門へ着いたときにはちょっと下になってましたね。

太陽の門から見る景色はまたすばらしいです。遺跡から見たときはあんなとこへ。。。などと思ってましたが、実際こちら側から見ると遺跡が小さい。
私達が登ってきたインカ道はこの先インティプンクを突き抜けて、さらに先へ下っております。これはクスコまで続いてるそうです。歩いて約1週間かかるらしい。
頭を真っ白にしてその道を歩いてきて、マチュピチュの景色を見ると遥かな古代インカ人の気持ちになれます。たしかに険しい山道を越えて長い旅をしてきた人人々が、ここに来てマチュピチュを見たときはすごい感動だったでしょう。

私達は遺跡にて30分間ぐらい休憩しました。
とガイドのMさんが何かに気がついたようです。
なんだろうと思ってたら、しばらくして「やっぱり、、、そうだ。」と言い、「コンドルがいる!」と。
私達にはどこにコンドルがいるのがさっぱりわかりません。
太陽の門の左側には高い山があって絶壁になってます。太陽の門の遺跡に昇ると目の前にその絶壁と谷底が見渡せるのですが、一瞬ですが私の位置から絶壁を旋回する鳥が見えました。翼を広げて大きな円を描いてました。この距離からするとかなりの大きさです。あれがコンドルかっ!!
しかし他の人にはちょうど見えにくかったみたいです。私は遺跡の上に登ってたので遺跡の向こうにある絶壁がよく見えたのですが、みんなは登っていなかったので、下からだと絶壁の向こうが見えにくくて見れなかったみたいで。その後もまた見れるかなぁと思ってたのですが絶壁の向こう側へ消えてしまったみたいで、一度だけのチャンスでした。非常にラッキーです。まさかこの地でコンドルに会えるとは。
Mさん曰くこの辺にもコンドルは住んでるそうです。メガネグマというツキノワグマの仲間のクマも住んでるそうで、さすが自然が豊かなだけあります。

ところで太陽の門の由来ですが、マチュピチュの遺跡の中に太陽の神殿というのがあります。古代インカの人々は太陽信仰があって、太陽が無くなると作物が取れなくなる=人々が死ぬということで、太陽の力が一番弱くなる夏至の日(6月22日、南米では冬至に当たる)に東の山に太陽の門を作り、太陽の光がそこを一直線に通過し神殿へ差し込むようになってます。そこで太陽の光をつなぎ止めていて、太陽が永遠に無くならないようにするための場所だったらしいです。
ですから夏至の日にマチュピチュに来ると私達がいた太陽の門から一直線に太陽の光が神殿に差し込むらしいです。なんというか壮大なドラマを感じますね。

帰りは行きの半分の時間で下まで戻って来れました。いよいよマチュピチュともお別れです。名残惜しいですね。この日のマチュピチュはすっきり全体が見渡せてすばらしくきれいでした。アデュー・・・

お昼はホテル(ハッチャイタワー)の裏にある村の食堂「AIKO」でガイドさんお勧めの醤油チャーハンを頂きました。うまかったです!!ここは息子さんが2年ほど日本へ勉強にいかれたということで、日本語を話せるみたいです。メニューも日本語があるのでうれしいです。他に焼きそばとかもあるみたいですよ。

3時発のペルー鉄道でまたオリャンタイタンボ駅へ戻りました。帰りの列車の中で、客室乗務員によりペルーの民族舞踊とアルパカ製品のファッションショーがありました。電車の揺れでうつらうつらしてた時にいきなりすごい音量で音楽が鳴るのでびっくりしました。こんなとこでファッションショーやるとこが笑えますよね。

オリャンタイタンボ駅からクスコまで2時間のバスの旅で、クスコへは8時に戻りました。マチュピチュより高度が高い。やはりバスを降りると空気が薄いのがわかります。ちょっと息苦しい。幾度か高度には順応してきたものの、意識して深呼吸するように努めました。
夕ご飯はクスコのフォルクローレショ-のレストランです。幾分気分が悪く辞退する人も何人かいました。私もちょっと辛かったけど、せっかくのショーは見たいので無理しないようにゆっくり動いてました。食事はバイキングで、アルパカやクイ(モルモット)の肉までありました。ペルーの人々はモルモットを食べます。家で食用のために飼育してるのも普通らしいです。私はなんかいやで食べませんでした。ショーは踊りのショーと歌のショーで90分。
踊りは色々な部族のものがあって、衣装を見るのも楽しかったです。
歌のほうはクラシックもバッハやベートーベンなど知ってる歌をアレンジしてて、なかなか素敵でした。フォルクローレオンリーだと飽きてしまったかもしれないですが、これなら飽きません。帰りに思わずそのグループのCD買いました。けっこう買ってた人は多かったかと思います。お客もやっぱり多国籍でしたね。おそらくこの店はツアー客に人気なのでしょう。各テーブルにその国の旗が刺していて、うちらのお隣はフランスでした。他にも中国人のグループとか、よくわかりますねぇ。いずれにしろ一番多いのは圧倒的に日本人でしたけど。

泊まったホテルはリベルタドール・クスコ。
5★ホテルでただ寝るためだけに泊まるのがもったいないほどのすばらしさでした。昔の支庁をホテルにしたらしいです。

ペルーからのみやげ物?

2008-03-25 22:09:07 | のほほん日記
ペルーから戻って1週間がたとうとしてます。
帰ってきてからずっと早寝です。
疲れがたまってるのか、いくらでも寝れるのです。
それとも春だからでしょうかねぇ。
昨日なんて8時からの水戸黄門を見てて、中盤あたりから眠くなりました。
最後まで見ようと思ってたのに、どうもあと10分が眠くて寝ちゃいました。
それから朝方一度目がさめてあまりに長い夢を見たのでびっくりしました。
アムトラックでイタリアへ旅行へ行くという、途中でミラノ観光に地下を走るモノレールに乗るという変な夢だった。

眠くなるのは飲んでる薬のせいかもしれないです。
というのも、日曜日からちょっと胃のあたりがチクチク痛むので、胃薬を飲んでます。サクロンを飲んで聞かないので、昨日からガストールを買って飲んでますが、まだ治りません。
胃痛は旅行疲れのせいか、それとも仕事が始まったのが(まだ上司のつまんない話を延々と聞かされるかと思うと)ストレスが原因だろうか。
一緒に旅行に行った母はぴんぴんしてるんですけどね。

おまけに旅の終わり部分で始まった下痢が、未だに続いてます。
下痢というか軟便みたいなものなんですが。
それで、昨日になって気がついたのですが、
い、色が、、、、緑色な気がするんです。
昨日朝方ねぼけ眼で見たとき、
気のせいかなぁ・・・と思ってたんですが、
さすがに今日も明るい中で見たとき、たしかに緑を帯びた色でした。
鶯色を濃くしたような。
こんなの見たの初めてです。
赤ちゃんの・・・やつみたい。
これってやばくないか?!と思い、今日は少し早めに退社して行き付けの内科医院へ行きました。
お医者さんに旅の行き場所とか病状を話すと、
なんかペルーからもらってきたのかなぁ。。。と、便検査をすることに。
明日また便を持っていき、検査所に送るそうだ。
アメーバとかいるのかしら。。。?
一応抗生物質や整腸剤、下痢止めももらってきたが、
そういや胃痛はどうなんだろう?
薬でとりあえず落ち着くといいけど。
明日も緑の便だったらどうしよう・・・

ペルー旅行記④マチュピチュへ

2008-03-24 15:40:33 | 旅行
クスコより標高が低いウルバンバ渓谷のロッジに泊まったおかげか、翌日の高山病の症状は消え、体もだいぶ楽になった。
4日目はいよいよ旅のハイライト・マチュピチュ観光です。
朝ホテルをバスで出発、最寄のオリャタイタンボの駅へ向かいます。
マチュピチュまでは道路があまり整備されてません。
なので、オリエントエキスプレスが経営するペルー鉄道に乗って大部分の観光客はマチュピチュを訪れることになります。
私達は雨の中、猥雑なオリャタイタンボ駅から出発する7時20分の列車に乗り込みました。
この列車は観光客メインなので、ビスタドーム車という天井もガラス張りになった立派な展望列車です。
もちろん地元の人の足としての普通列車も走ってるそうですが、まず私達が見かけることは少ないそうです。
午前中は主に始発のクスコからの観光用に、ビスタドームの車両ばっかりが朝のラッシュのように続くとか。
社内では軽食や飲み物のサービスなどもあり、車両つきの店員が常備2名ついてる車両でしたので安心しました。
ウルバンバ川沿いの道をゆっくり走るペルー鉄道。
窓からは昨日からの雨で増水しすごい勢いで流れる荒れ狂った川の風景が見れました。
マチュピチュといえば空中都市と言われ、霧の中にそびえ立つ要塞のようなイメージがあります。私も訪れるまでは高山地帯にあるんだろうと思ってたんですが、実際は遺跡のある場所で標高2400mぐらい。なんでクスコより1000m以上も低いんですよね。おまけに緯度的にアマゾン・ジャングルに近いために、気候は亜熱帯なんです。
日本で言うと奄美大島とか。。。屋久島あたりの森がぴったりです。
年中を通して雨が多い、雲霧林という植生に属してます。なのでカッパは必須です。
遺跡ばっかりが目立ちますが、実は世界自然遺産にも登録されていて、苔マニアや蘭マニアが泣いて喜ぶほどの原生林のほうだそうな。(マチュピチュのように世界文化遺産と自然遺産が一緒に登録されたケースは珍しい)
そんなわけでマチュピチュが近づくにつれ川沿いの植生もだんだん熱帯っぽく変化してきました。

1時間30分ぐらいの所要時間を経て、列車は無事にマチュピチュ村のあるアグアスカリエンテス駅へ到着。
山間の渓谷の中にポツンとある小さな村なんですが、世界中から観光客が集まるために村にはレストランやバーやおみやげ物屋がひしめき合ってます。なんか、日本の温泉街みたいですねぇ。
早速村から出発する乗り合いバスで、遺跡へ向かいました。
つづら折のカーブが続く道を登り、20分ほどいくと入り口へ行きました。
朝9時ぐらいですが、すでに色んな国の外国人でひしめき合ってます。さすが!
これからガイドのMさんと3時間の観光。
ワクワクしながら遺跡へと入場。
しかし、朝からの雨の影響か、遺跡は霧にすっぽり包まれ何も見えません。
所々風が吹いて霧を飛ばし、あの有名な遺跡の後ろにそびえるシンボル的な山=ワイナ・ピチュがたまに顔を出します。そして霧の中からところどころ遺跡が見え隠れします。その姿はやはり雲の上にそびえる空中都市の名にふさわしい神秘さがあって、ガイドのMさんも絶賛してました。まぁ、でも初めて遺跡を見る私達にとってはできれば霧は晴れててほしいし、先に全景を見たいわけです。しかし自然が相手ではどうにもできないので30分ほど、段々畑でぼーと遺跡を見てました。
遺跡の向かいには、遺跡を見下ろせる(ほとんどの写真がここから撮ったと思われる)段々畑が山の斜面にずーと続いていて、柵も何もありません。段々畑の先っぽははるか何百メートルも下の切り立った渓谷が見えてます。
そんな段々畑で、色んな人たちが自分だけの場所を見つけ、のんびり座る人や寝っ転がる人々、ご飯をほおばる人もいて(まるでピクニック!)、とてものどかです。
30分しても霧が無くならないので、私達はそれから遺跡の中に入りガイドさんの説明を聞きました。色々な儀式で使う神殿や住居跡など見学しました。
たっぷり3時間の開設のあと、一時遺跡を出て入り口前のロッジでお昼ご飯を食べました。
Mさん曰く午後からは晴れて、かなりきれいに見えると思う、というお話通り、午後同じ場所をまわると嘘みたいに霧が無くなっていた。
青い空と澄んだ空気と何百メートルも下を流れるウルバンバ川の激しい水の音が、すぐ近くにあるかのように響く。
ほんとうに静かだと音はこんなにも聞こえるんだと実感した。
今度ははっきり遺跡全体・ワイナピチュも見渡すことができて私達は一日に2度美味しい思いをした思いである。マチュピチュを取り囲む天気は刻一刻と違う表情をするので、いくら見てても飽きない。段々畑の上でのんびり横になってみてても、いつも違った風景のような気がしてくるから不思議である。
これが始めから晴れた霧一つない景色を見てしまったら、こうは思わなかったかもしれない。マチュピチュ観光はぜひ日帰り(クスコから)ではなく、泊まって何回でも足を運んでみることをお勧めします。

さて、段々畑の奥にインカ道というのがあって、往復1時間ぐらいで回れるトレッキングコースというのがあるので歩いてみました。これはインカ時代に築いた道がそのまんま残っていて、インカ橋というのがありその付近まで行けるとのこと。
石畳の細い道(幅は1mぐらいかな)、もちろんガードレールみたいな柵もないので、落ちたらひとたまりもないでしょう。
なんかこういう絶壁の崖に面した道路を渡るのって、映画か何かのシーンで昔見たような。。。と思いました。実際は岩などあるし、日本人が通る分には広いのでそんな簡単に落ちることはないと思います。
岩場には色とりどりの小さな蘭の花やシダ植物が咲いていてすごくきれいです。マチュピチュの自然はほんとに美しいです。しばらく歩くと絶壁の壁にかけられた小さな木の端が見えてきました。石の道の切れ目と切れ目の間にかけられていて、敵が来たらその木の橋の板を取り除くそうで、そうすると敵が渡ってこれ無くなるそうです。これは怖いですねぇ。

帰り道もマチュピチュを囲む山々の景色を堪能して戻りました。もう一度遺跡の中を見て回ったのですが、ビスカッチャのグループに遭遇しました。ビスカッチャとはウサギのように見えるリスの仲間(げっし目)です。チンチラのような大きさで細い尻尾があります。それに4匹も遭遇しました。夕方の時間だったためにその遺跡には誰も人影がなく、私達だけでした。向こうもあまり警戒しておらず、高いとこに見張り一匹と下に3匹がじゃれ合ってました。兄弟なんだろうか。かれらこそこの土地の住人です。

夕方母の強い希望でホテルとは反対側のマチュピチュ村の端にある温泉へ行ってきました。坂道をずっと登ったとこにあるのですが、さすがに応えます。川沿いにある温泉で外国人がいっぱいいた。(うちらもそうだが、この場合欧米人ってこと)プールのような真四角の浴槽が5つぐらいあって、温度はぬるめ、白い色をしている。水着に着替えて入ったが、浴底がざらざら砂が敷いてあってなんか衛生的には思えなかった。あまりイメージしてた温泉と違うので少々がっかりして早めに帰った。ちょうど雨も降っててぬるめのお湯では満足できなかったせいもある。
どうにも納得行かない母の希望で夕ご飯のあとに足マッサージに行った。これはかなり気持ちよかった。期待してなかったのだけど、腕も良くて、すっかり気持ちよくなって帰ってきた。

ペルー旅行記③ クスコへ移動

2008-03-23 18:47:12 | 旅行
朝5時50分発、クスコ行きのスターペルーで移動しました。
ペルーは国内線でも2時間前にチェックインしなくてはいけないのです。
でも団体チェックインができるので90分前に行けばいいだろうということで、4時にホテルを出ました。
築地に買い物へ行くような時間に、モーニングコールをもらった朝。
なぜこんなに飛行機が早いかというと、
クスコというとこは有視界着陸で、おまけに日中は霧が出るそうです。
なので空気が比較的澄んでる時間に降りる飛行機であれば、クスコへ到着できる可能性が高いらしい。
朝の5時というのに空港の店は普通に開いていた。もしかしたら24Hか?母は朝からアルパカ111というブランドを扱ってるKUMAというチェーン店で、セーターをあさっていた。私にも買ってくれるというので自分の分を私はあっさり決めたんだけど、母はなかなか決められない。
そんなうちに登場時刻になってしまい、会計に時間がかかり、添乗員があせって私たちを探しに来た。だから早く探せといったのに。。。飛行機に乗り遅れても私が悪いのじゃありませんよ。。。と添乗員に話しながら、もうダッシュで登場口に乗り込む私たち。
出発して聞いたのだが、なんと出発時刻が早まったらしい。
とにかく人が集まったら一刻も早く飛んじゃうというのが、この国の航空会社のルールらしい。日本じゃ考えられない。おそろしい。

7時にクスコへ着いた。3600mのクスコは空気が薄い。体内に有酸素が残ってるうちに午前中にクスコの市内観光をしようというツアーの考えだ。
これからマチュピチュもともにするガイドさんはMさん。
クスコに14年も住んでるバックパッカー写真家ガイドさん。
彼からは色々興味深い話を聞いたので、そのうち書こうと思います。
まず初めに市郊外の遺跡サクサイワカンを観光。
巨大な石が少しの隙間もなく積み重ねられた遺跡です。
鉄の文化、車輪の文化を持たなかったインカの人たち。
どうやってこんな巨大な石をきれいに切りそろえ、離れたこんな高い山の上まで運んできれいに積み重ねられたのでしょう。石は一つ一つ大きさも形も違うのに、石の隙間は苔でさえ生えれないほどキッチリしてます。
また遺跡の向かいにある石灰岩の小山にしたには近年地下洞窟が見つかっており、ここがクスコの市街地の地下とつながってるというミステリーな説があるそうで、なんとも面白い。
次に移動したのが、タンボ・マチャイの遺跡。聖なる泉という名のこの遺跡はインカの王様たちの沐浴場で、遺跡の間には水路がきれいに配置され、済んだ水が流れ落ちています。1年を通して決まった量の水が変わることなく流れ出るので、かなり巨大な貯水タンクが地下水脈に通じて作られてるとの説だそうです。
その次は市内に移動、町の中心部アルマス広場、12角の石、Stドミンゴ教会(内部に遺跡あり)を観光。
クスコの街は細い路地があちらこちらにあり、石畳と色とりどりの壁がきれいな美しい街で世界遺産に登録されてます。とても雰囲気のある街で、あちこち色々探索してみたい衝動に駆られる場所です。しかしむやみに出歩いて体力を消耗すると高山病になるので、、ゆっくりそろりそろりガイドさんの後をゆっくり着いていくのが精一杯です。インカ時代の石組み、石畳がそのまんま街に残っててその家をそのまんま使って人々が住んでるのが不思議です。インカ時代の扉にふつうにお菓子屋さんとか、バーとかナイトクラブまであるらしい。こんな富士山の上の高地で踊る段なんて考えただけでおかしいですが、色々な店がにぎやかにとおりに出てました。12画の石のそばには石組みの中にピューマが隠れてる壁があったり、インカの人々は遊び心もいっぱいですね。
しかし最後の遺跡を観光したあたりから頭が重く、頭痛がしてきました。いくら呼吸をしても空気が肺に入ってこないのです。重く頭が締め付けられるような痛みが始まり、だんだん辛くなってきました。観光が終わるとクスコより標高が低い、ウルバンバ渓谷までバスで移動です。実はこの2日間便秘でおなかが張っていて苦しくて、おまけに頭痛で気分が悪いとこに、空き腹でバスに酔ってしまい、ついに添乗員さんから薬をもらい、バスの前のほうに移動させてもらいました。
クスコからウルバンバまでは峠を越えて、段々畑の農地が続く道を下っていきます。農地には作物の花が咲き乱れ、緑がすばらしく美しいです。高山病ですごく苦しかったけど、すごくきれいだったのは覚えてます。
それから1000mほど下がり、ウルバンバ渓谷の昼ごはんを食べるレストランへ着きました。
初めはまだ気持ち悪くて、ご飯を食べる気にもならなかったのですが、しばらくゆっくり休むと時期頭痛も消えました。やはり1000m降りるとこうも違うものでしょうか。

その後3時ぐらいに今日泊まるホテルに到着しました。
ロッジ形式の豪華ホテルで、部屋からは山の景色が見渡せます。
夕ご飯までは休憩で、今日はリマ出発が早い時間だったのでものすごく昼寝がしたい。
しかし私は高山病の気配があるので昼寝はしないようにとNさんから言われました。昼寝をすると呼吸数が少なくなり、脳に酸素がいかなくなるとのことであまりしないほうがいいそうです。一番いいのがいすに姿勢を正して座ることらしいので、しょうがないから日本から持ってきた本を読みながらコカ茶やハーブティを株のみしました。高地では一日3リットルも水を飲むのが理想とされてます。これは水を飲んで血の濃度を薄くしたりするそうです。おかげでトイレが近くなってしょうがないです。
ホテルの正面では普通の民家がいくつかあって、ロバがつながれてました。誰も居ません。おそらくツアー客はみんな部屋で休んでるのでしょう。私は暇なので無理しない程度に散歩しました。ロバを見てると脇の小道から地元の老人が出てきました。現地の言葉で何か私の話しかけるのですが、さすがにわかりません。笑うしかありません。叔父さんはロバの背をなでています。すると草を食んでたロバが首を上げてじっとおとなしくしてます。このロバは叔父さんのなのかなぁ?おじさんは笑いながら何かいいってます。「どうだ、いいロバだろう」などと自慢してるのかもしれません。
そのあと叔父さんはホテルの前に続く砂利道を山のほうに歩いていきました。私はその後叔父さんが出てきた小道を入って近くの民家を歩きました。貧しいというか、こういう生活も世の中にあるのだよねぇという光景でした。電気もガスも水道も(おそらく)ない生活。日干し煉瓦で造られた家には洗濯物がはためき、炭焼きなのか焚き火なのか煙が出てる。近くには作物畑とホルスタイン牛が何頭か放牧されてた。
ロッジの塀の内と外では、こんなに世界が違う。壁一枚を隔てて。なんだか変な気分である。叔父さんはどこへ行ったのだろう。
そんなことを思いながらロッジへ戻った。ロバは相変らず草を食んでいてとても静かだった。夜は案の定、塀の向こうは真っ暗で曇ってて星が見えなかったが、はれてたらさぞきれいに違いないと思った。


ペルー旅行記② リマ市内観光

2008-03-22 21:59:45 | 旅行
2日目はリマ市の市内観光です。
現地ガイドはYさんという在ペルー日本人のかた。
朝の10時30分にホテルを出発。
リマの市内は古くからの建物が残る旧市街と、
海の面した新市街に分かれます。
まず旧市街の中心部にあるアルマス広場を見学。
スペインの植民地時代の影響か、旧市街の建物は古くて壁の色も色とりどりですごくきれい。細い路地や壁から突き出たベランダのような木の枠組みがとてもきれいで雰囲気があります。
教会もカトリックの影響でとても多い・・・
しかし治安はあまりよくないらしい。
ということで、下車して観光するのはほんのちょっとの時間だけでした。
そのあとインカの遺跡から出たものなどを展示してある「黄金博物館」へ。
前「世界不思議発見」とかで見たけど、こっちはミイラ信仰というのがあってあちこちでミイラが発見されてるらしい。
インカ時代の遺跡からの出土品を見るにつけてもとにかく金が豊富だったとか。大部分はスペインにとられちゃったけど、インカの遺跡は(マチュピチュ)にしろ、金だらけで、金の神殿に金の銅像に金のとうもろこしに金のアルパカまであったとか。黄金博物館だけあって金の装飾品や王冠、ミイラなど見ごたえいっぱいありました。

お昼は老舗レストラン「アントニオ・チャカリーヤ」でペルー料理をいただきました。
ペルーは食材が豊富。
野菜もとうもろこしにジャガイモにたっくさん。
なんといってもジャガイモはアンデス原産なので、200種類ぐらいがあるとか。
ランチのメニューはセビッチェという、タコなどのシーフードを野菜と一緒にライムの酢でつけたもの。マリネのようにさっぱりしていて食べやすくおいしかったです。あとはパエリヤも。
ここで黒いとうもろこしからできた飲み物「チチャモラーダ」を頂きました。他に「ピスコサワー」というペルーの焼酎も出てました。かなりアルコール度数が高いらしい。

午後からは旧市街から30分ほど行った新市街を見学。
海のそばにある新市街はおしゃれなビルや緑が豊富でとてもきれい。
若者や旅行客がいっぱいいます。
建てられてるおうちも現代風で立派ですが、やっぱりいいおうちというのは狙われるらしく鉄格子が一階を覆っていて、とげのあるブーゲンビリアが咲き誇ってました。
ここに太平洋に面した高台の公園「パルケ・ア・デムール」があり、訳して愛の公園。恋人たちの公園って感じです。ラテン系らしくめっちゃ熱い抱擁を交わす銅像がでかでかとあるのが、南米らしい。
しかし景色はきれいです。
ガウディの奇抜なモザイク建築に覆われてて、面白いつくりになってます。
ここでツアー客の一人が、公園内のカップルからルクマという不思議な果物をもらいました。見た目はプラムのような大きさの果物で、中身が黄色い色。
食べるとちょっともっつくて、味も果物というよりサツマイモとか食べてるような甘さがあります。果物特有のみずみずしさがないのよね。変わってる~とみんなでまわして食べました。

その次にいったのが、リマ市内にあるワカプクジャナ遺跡。ここは日干し煉瓦で造ったピラミッドの遺跡である。遺跡ガイドさんが来て色々説明してくれた。しかし後半すごく眠気が襲ってきた。どうやら時差ぼけらしい。N添乗員さんに「今日本の時間で言えば徹夜明けした朝の時間帯ってとこですかね」と。だからかすごく眠かった覚えが。

最後にみんなのリクエストで地元スーパーに遊びに行った。
ペルーはホームセンターやショッピングモールなどがまだまだ少なくて、連れて行ってもらったスーパーマーケットも新しいらしい。私は外国のスーパーが大好きである。
さすがペルー。ジャガイモ売り場に行くと、ジャガイモ種類が多かったです。
日本だとスーパーでも2種理ぐらいしか見かけないよね。
あと穀物もいっぱいありました。日本で有名なキヌアとかも大量にあった。
私はここでコカ茶を買おうと思ったけど、添乗員さんに止められた。日本やアメリカではコカ茶の持込を禁止してるらしい。コカ茶はコカの葉っぱのお茶。コカの木はコカインの元にもなるからか。。。
でもドラックのコカインとは製法がぜんぜん違うんだけどね。ここではみんな普通に買ってお茶を飲んでるのに、そうか、だめなのかぁと聞いてがっくり。
それで、とりあえずこっちの国民的飲料「インカコーラ」(黄色い色の炭酸飲料)とチチャモラーダの飴を購入しときました。

写真はアルマス広場から。黄色い壁がきれいです。建築もころにある様式って言うかスペインっぽいでしょ(スペイン行ったことありませんが)