BAMBOO-JET  ~うみの部屋~

タケノコジェットでどこへでも!
読んだ本や見た映画、食べた料理、旅先、育児や日常のことなど、趣味をつらつら語ります

ゆけ!ワサビ

2005-12-30 15:25:00 | のほほん日記
今日は最近始めたアルバイトについての紹介です。
お店の名前は『GO!WASABI』。
見習いとして3回ばかし働いた。
見習い期間はチップの割り当てが70%しかもらえないのだが、今日から100%もらえることになった。やったー!まだまだ仕事はつたないけど、一様レベルが上がった気分だ。
さてさて、仕事はいわずと知れたウェイトレス。NYでお金をバイトで稼ぐならこれが一番手っ取り早い。
というのも、TIP制度のおかげでウェイターはテーブルチップというのが付くからだ。
基本的に毎日もらうお給料はハウスペイと呼ばれる時給とチップなのだが、こちらのハウスペイはあって無しがごとくに安い。
私などは6時間働いてたかだか14$。
時給に換算すると3$にも満たない。ひどすぎる。
しかし店によってはこのハウスペイすらない店もある。つまり給料自体がチップという店もあるのだ。
そういう店は対外がお客がたくさん来るような店か、料理自体が高いので少しの客でもチップがかなりもらえるような仕組みになっている。
うちの店はそれに比べればまぁ、、、ましな方なのかもしれない。
でもこのアメリカのシステムのほうが合にかなってるような気がする。チップ制のおかげでお客様が神様に見えてくるし。サービスが悪かったら客はチップを払わない。
もらえないとやっぱり痛い。だからできるだけお客には満足してチップをもらえるようにがんばる。(なかにはがんばらない店もたくさんあるけれど・・・)
今日はチップだけで45$ぐらいもらえた。つまりハウスペイと会わせると59$。悪くない。ただし今はホリデーシーズンなんでたまたま客が多いってこともある。
これからのことはわからない。
うちの店の社長は韓国人。一度見たことがあるが細身の小柄なおじさんでした。
お店にいつもいるのがマネージャーのアンちゃん。日本語がぺらぺらで、気さくでちゃきちゃきした人。しかし、聞いたことは耳から抜けるようタイプで、韓国人特有のせっかちさん。いい人なんだがイマイチつかめない、、、のはやっぱ外国人だからか。
さて、スシ職人は韓国人の親父だ。
このうち一人がちょっと苦手である。というのもなんかとっつきにくい雰囲気の人で愛想が悪い。けど態度はものすごくでかく、横柄だ。しかし同僚からこの人が中国系韓国人の不法入国者であることを聞かされた。いわゆる北朝鮮と中国の国境地帯出身の韓国人ということで、なんだかディープな事情がありそうだ。だからああいうとっつきにくさなのかしら。
もう一人のスシ職人パクさんはすごーくフレンドリーである。片言の日本語でよく話しかけてくるので親しみやすいそれも同じ言葉、たぶんそれしか知らないのだろう、、、しか使わないからなおさら面白い。向こうが英語ができたらたくさん話ができただろうに残念。
さて、厨房には洗い物をしたり、前菜などを作るヒスパニック系の若者、ロベルトがいる。いかにもカリビアンからきましたみたいな背が小さく真っ黒なストレートな髪を肩の上できっちりそろえた見かけだが、彼も挨拶を親しくしてくれて、よく働くしすごく感じがいい。はっきりいいってラテン人はきらいだが、ロベルトが一生懸命働いてる姿を見ると別にヒスパニックに対する嫌悪感も消える。面白いことにうちの店はJAZZライブをする店なのでもっぱら客席はJAZZ一色なのに対して、厨房はロベルト好みのサルサなどのラテン音楽がじゃんじゃん鳴っている。
次にうちは配達サービスもしてるので、デリバリーマンが2名いる。一人は中国系アメリカ人のエリック。とってもナイスガイで、チャーミングですごくかわいらしい顔をしてる。もう一人がロビンソンというこれまたラテン系の若者。こっちもたぶん南米系の雰囲気があるが、どこか得体の知れない雰囲気を持ってる。エリックはかなりしっかりしてるのだが、ロベルトは金をくすねるとか言う話も聞いてて、微妙だ。
同僚は4名いるのだが、まだ私はその内の2人しか知らない。日本人である。そのうち今日一緒になったヨシノ君は私より少し年上のラガーディア・コミカレに通う学生で、かなり話と面白い。
今までサニーサイドに住んでたのだが、来週からアストリアに引っ越すらしい。エジプト人のおじさんとルームシェアだとか。なかなか面白そうである。
そんなところだ。なかなかインターナショナルな環境。お客さんもほとんど地元人のアメリカ人ばかりなので、まだまだ聞き取りが大変だけどがんばるぜい。

ニューポート

2005-12-29 14:24:00 | のほほん日記
NJのニューポートへジウンといってきました。
彼女のお買い物にお付き合いしました。
買った買った。
その買いっぷりのよさは見てて気持ちがいいくらいです。しかし歩きどうしで疲れたなぁ。
ニューポートはマンハッタンのミッドタウンからPATHトレイン(NJ行きの列車)で20分あまり。NYの地下鉄と違いすごくきれいなホームに駅に車両。
ニューポートはすごく近いけど、そこを出ればハドソン川隔てた対岸。
もうNYではありません。
しかしここから見るマンハッタンのダウンタウンはすごくキレイです。特に夜はほんとにすばらしい。まさにNYを感じさせてくれるところです。
なんでわざわざここまで買い物に来たのかというと、ここに大きなショッピングモールがあって、ショッピングモールならマンハッタンにもあるのですが、こちらは衣類や靴を買うときには税金がかからないのです。NYの税金は高い。約9%もの税金が浮くのならけっこう高い買い物の時にはいいです。まぁ、ちょっと得した気分が味わえるというか。
私は買い物よりも始めてくるニューポートのいかにも高級住宅地なベットタウンの雰囲気をこの目で見たかったのです。
摩天楼の景色を楽しむために、駅周辺には高い高層マンションがいーっぱいありました。ジムやプール付ってのもよく見ました。かくいうジウンも実は前にこの辺に済んでたらしく、眺めは最高だが家賃は1400$だったとか。
一度でいいからこんなとこに住んでみたい!!というような街でした。川岸に木製のボードウォークがあって天気の良い日はここに座って景色を眺めるのも気持ちよさそうです。。。
NJはすぐそこの州なのに何も知らないのです。けっこう学校にもこっちに住んでて通ってくる人が多いのですけどね。

SUSIE クリスマスパーティ

2005-12-27 03:48:00 | のほほん日記
スージーの家でクリスマスのホームパーティがありました。
各自プレゼントと食べ物を用意するのが約束だったので、買い物をするために早めにマンハッタンへ出たのですが、当たり前ですがどこもかしこもみんな休みです。
クリスマスは日本の元日のようなものです。
デリやグロッサリーなどは一部開いていましたが、5番街もいつもより暗い気がしましたね。困ったことにプレゼントを買う店がない!!
イーストビレッジに行ったのですが、めぼしい店はみな休み。次にタイムズスクウェアのトイザラスへも行ってみたのですが、これもお休み!!望みをかけてロックフェラーセンターのほうへ移動しました。私が、目をつけていた店はなんとか営業してました。観光向けのギフトショップです。やってるところといえばこういう店ぐらいでしょうね。
そこで粉石けんのようなものを買いました。箱のうたい文句がすごくて、半分使うと体はブリトニーより美しく、3/4で声はセリーヌよりも美しく、一箱丸ごとであなたのファンはエルトンジョンよりゲイが増す。。。?なんのこっちゃ。
私の用意したお土産の食べ物は「モジパン」です。お菓子の一部なのですが、なんとももっつい咬みごたえ。ただ見た目がサンタクロースとスノーマンの2種類あり、かわいいので人数分買いました。
ジウンとYUKOと待ち合わせして3人でハーレムにあるスージーの家に向かいました。
スージーの家ではスージーのサッカー友達のポーランド人パゼメックとクラスメイトのロシア人ルスランがすでに来てました。
スージーの家はすっごくキュート。ろうそくがいっぱいで小さなランプ以外はすべてキャンドルの明かりで照らされていてすごくいい雰囲気。
レコードプレーヤーを持ってるスージーは次々にたくさんのレコードを聞かせてくれます。1960年~1970年代のクリスマスソングやスティービー・ワンダー、スージーお気に入りのノルウェーフォークソングなど、久々にレコードを聴いたのですが、やっぱりCDとかと違って音はクリアじゃないものの、なんというか音に味が合って深みがあってすごく素敵です。聞いてるうちに私もレコードプレーヤーほしくなっちゃいました。
食事はスージーが伝統的なアメリカクリスマス料理を作ってくれました。チキンにマッシュポテトにスィートポテト、スタッフと呼ばれる料理(玉ねぎや色んな野菜とハーブが混ざった料理)にクランベリーソースにブロッコリー、それにグレビーソースをかけて食べます。これがまた彩りもキレイですっごくおいしい。こんなの作れるなんて素敵なお嫁さんになれるよ、スージー。
私達はビールに料理に音楽と会話で楽しみました。食事が終わるとプレゼント交換。サンタ役は一番の若者ルスラン(彼は18歳)!!特製のサンタ帽子にスージーのピロケースにみんなの持ってきたプレゼントを詰めて登場。ルスランサンタからプレゼントが配られます。私はチョコレートをもらいました。その後は余ったプレゼントを巡ってビンゴゲーム。
10時ごろスージーの勧めで近所にあるJAZZパブへ行きました。ここは毎日夜にライブがあって今日も熱い演奏がありました。私達が行った時間は早めの時間だったので人も少なくてゆっくり楽しむことができました。クリスマスソングもあって、JAZZソングのクリスマスソングもなかなか素敵だなぁと思ったよ。いや、ほんとにクリスマスを堪能させていただいた。
12時半ごろまたパブを出てスージーの家に戻った。ルスランが今日はジーザスの誕生日だ!!と言ったので、私達はみんなでハッピーバースディソングを歌いました。ついでにパブのジュークボックスでスージーがスティビー・ワンダーのバースディソングを入れたのが頭に残ってたので、みんなでその歌をジーザスに変えて歌い、すっごく面白かった。
スージーの家ではまた飲みなおしながらおしゃべり。スージーは私と同い年と言うこともあり、彼女の雰囲気がすごくフレンドリーでまるで先生と言う気がしない。みんなでいろんなことを話してすごく楽しい時間を過ごした。なんだか一番クリスマスらしい夜だった。ルスランもロシアから来てNYで初めて過ごす完璧な夜だと言ってた。
2時過ぎに私達は帰ったのだが、帰りの地下鉄でYUKOと私はルスランとたくさん話した。クラスメイトだが教室以外で親しく話したことがなかったので、なんだか新たなルスランの一面を知った気がした。NYでの生活のことや、ロシアのこと。故郷も恋しいだろうし、それなりにお金で苦労もしてるし、貧乏で遊べない辛さや、地下鉄やホームレスにひどい目にあったこと。住んでるユダヤ人の家族が嫌いなことなど、若いのにNYに来たルスランはすごいと思うクラスでも私達はよくしゃべるのだが、教室とはまた違い一歩仲良くなった会話ができたような気がした。
ハーレムの駅で電車に乗れなくて困ってるホームレスが60セント恵んでくれと言ってきた。実はさっきのパブでチップにコインを全部いれてなかったので、私は上げられなかった。しかしルスランは自分がスージーもらった夕ご飯のあまりの食べ物を半分ホームレスに恵んでいた。「クリスマスだから、、、そして僕もホームレスだったことがあるから、わかるんだ。」って、えらいなぁと思った。そうなのだ、ルスランはこっちに来て事情があってアパートを越さねばならなくなり、次のアパートが見つからぬままに出たので3日間ホームレスだったことがあるそうだ。1日カフェで過ごしたり、地下鉄で寝たり。NYの地下鉄は24Hだからホームレスは安心してその中で寝ることができる。
スージーのパーティもほんとに楽しかったし、ルスランとも話せてよかったなぁと思った。

Happy Holiday

2005-12-26 01:30:00 | のほほん日記
Merry X'mas !!
ストライキも無事終わり、やっと街が動き出したと思ったらすぐにクリスマスです。
サンタの足音さえ聞こえなかったものの、地下鉄にはラッピングシートを抱えたたくさんの人が乗ってたりして、なかなか雰囲気が出てきました。
こっちではラッピングはたいてい自分でします。お店ではそういうサービスはないみたい。だからみんな自分でシートを買って持ち歩いてるのだ。
23日はYUKOのうちでホームパーティをすることになり、ケーキを買っていきました。
始めイーストヴィレッジにあるうまいと評判のケーキ屋さんへ行ったのですが、ものすごい長蛇の列で諦めました。なのでケーキはJASマートのイタリアントマトで買いました。
パーティでは最後に私とジウンとYUKO(この間の引越しコンビ)が最後まで残り、私にしては珍しく朝5時までしゃべってしまいました。さすがに次の日は疲れが残ってましたが、せっかくのクリスマスイヴということで教会のクリスマス・ミサへ行ってきました。
NYで有名なのは5番街セント・パトリック教会の深夜ミサなのですがもうチケットが売り切れらしいです。
なので今回はアッパーウェストにあるリバーサイド教会のクリスマスキャロルミサへ行ってきました。ダウンタウンのトリニティ教会と迷ったのですが、リバーサイドのほうが教会が大きくて好きなのですよ。
場所はコロンビア大学の北にあります。
すっごく大きいプロレスタント装飾の豪華さはないものの、雰囲気が落ち着いていて私はこっちのほうが好きです
ミサも無料だし、その割りにすごく歌もキレイだし良かったです。お客さんもいっぱい着てて満員御礼です。私が良かったのはハンドベルとフルートの演奏。もうすっかり気分はクリスマスです。
さて、今日はうちの学校の先生の家でパーティです。なにかおかしなプレゼントを買っていかなければなりません。
今から探しにいかなければ

STRIKE OVER

2005-12-23 15:00:00 | のほほん日記
ストライキ3日目。
今日もRRL駅へと向かったら、昨日まで見えていたあの長い列がいつまでたっても見えてこない。おかしいなぁ?と思いつつ昨日並んだラインの辺りまで行くと、とある一台の車から声をかけられた。
見ると中年のおばさんが助手席から顔を出し、「あなたマンハッタンへ行くの?」と聞いてきた。おばさんが言うには、おばさん達(運転席もおばさん)はミッドタウントンネルを通り37thの3Aveまで行くのだが、車に一人分空きがあるので良かったら乗らないか?と言うのである。
「NO MONEYよ」と言うではないか!!
これはラッキー!!「是非にとも!!」といい、早速その車に乗り込んだ。車の後部座席には同じく声をかけられたであろうアジア顔な女性が二人に乗っていて、私を含め5人で乗用車は出発した。
ストライキのための渋滞を防ぐために、スト中はマンハッタンへ乗り入れる車は乗員が4人以下だと警察に入れてもらえない決まりになってるのである。
車は幹線道路をすいすい進む。前方座席に乗ってるアメリカ人のおばさんたちは、今日はあまりに道路が空いてるので「見て!!空よ!!」「信じられないわー」「たぶん今日はみんな家で休んでるよ」などと感嘆の声を上げてる。
たしかに道路は空いててすごく走りやすく、道路の向こうにはマンハッタンのビル群が朝の青空の中、すごくさわやかに堂々とそびえ立ってるのが見えた。この景色はすばらしい。見てると、私が初めてNYへ来た時のことを思い出す。。。
確か出迎えの車に乗ってJFKからミッドタウンへ行ったのもこの道路を使ったような気がする。クィーンズの平坦な道の合間から突如見えるミッドタウンの摩天楼は鳥肌が立つほどかっこいい!!まるであの時のように、今日も目の前の摩天楼を眺めつつ、自分がNYにいることを感じずにはいられない。今こうして知らないアメリカ人と一緒に車に乗ってる自分が信じられない。
おばさんが言うには今日話し合いがあるから、たぶん明日にはストライキは終わるわよ。いずれにしても、明日はたくさんの人がホリデーをとるから誰も会社になんか行かないわね、、、だって。
20分ほどでミッドタウンに着いた。おばさんたちにお礼を言って私は別れた。今日は久々に早く学校に着いた。
学校ではスープが休み時間に配られて、やっぱこういうときに行くといいことあるよねぇ。
終わってから同じくRRLを利用する友達と、昨日と同じようにペンステーションから戻った。
今日もまたアストリアまでバイトである。バイト先まで徒歩で1時間もの旅だ。すっかり足腰が丈夫になった気がする。
今日はスタウンウェイ通りを北上した。と、この通りでやたらアラビアン文字が目に入った。インドやイスラム圏の国で見かけるような字。水タバコの店や怪しいランプの店、極めつけはモスクである。。。おお、アストリアはギリシャ人街だというが、こんな一面もあるなんて。モスクに水タバコの店は除きたかったのだが、そんな暇がなかったので次の機会にする。
バイトはウェイトレス2日目。だいぶ電話に出るのも、注文をうけるのも慣れてきた。といっても今日は7時ぐらいまでお客が全然来なくて、ものすごく暇で長く感じた。このまんま客が来なかったら、今日はTIP少なくてお給料少ないだろうに。
その暇な間にテレビをみんなで見てたら「STRIKE OVER」の文字が!!
ストライキが終わった。
もううれしくて、職場のみんなでやったー♪と叫んだ。
スシ職人のコリアンのおじさんが「トモロー・サブウェイ・ワーキング」と繰り返す。
私が「トモロー・モーニング?」と聞くと、眉毛を寄せて困惑する。マネージャーに「だめだめ長い単語で聞いたらわからないから。トモロー・サブウェイ・ワーキングで十分よねぇ」というのには、受けた。
地下鉄は私が帰る頃までに復活するのを望んでたのですが、さすがにそこまでは無理でしたね。24hのNYの地下鉄がいきなりすぐには復帰するわけではなく、たぶんこれから試運転をして明日の朝には戻ってるのではないだろうか。
やっぱり地下鉄のないNYなんて、炭酸の抜けたコーラですよね。
これでホームレスも地下鉄パフォーマーも救われたでしょう。
早く乗りたいよ。でも、バスと地下鉄の消えたマンハッタンもなかなか面白かったです。歩行者天国の5番街とか、ローラーブレーダーやスケボー通勤者なんかも見れたし。いずれにしても3日で終わってよかった。
さて、今日のバイトの稼ぎはお客が少なかったけど、ハウスペイ(時給に該当するもの)が今日は60%もらえたので、それが17$、、、TIP込みで31$だった。まだまだ安いけど、昨日よりはあがった♪これからどんどん上がるぜい。おまけに帰りは車で送ってもらえたので楽でした。
さて、いよいよホリデーですねん

スクールバスで登校

2005-12-22 15:20:00 | のほほん日記
NYというところは、突然予想もしないことが起こりうる場所だけど、今日は今日で濃い一日だった。
ストライキ2日目。。。朝起きて外の様子を伺う。やはり静かだ。テレビをつけてストライキ続行の様子を知る。今日もまた橋を渡るたくさんの通勤者の群れ。。。
今日はRRL(ロングアイランド鉄道)でものってみるか。。。と思い、長蛇の列に並ぶことにした。。昨日の混雑振りでいやになったのか、諦めた人がいるのか、別の方法を見つけた人々がいるのか、列は昨日ほどでもなかった。聞いてみるとチケを買うまで1時間待ちだという。だったら待ってみようと思った。何せ、昨日の歩きで足が大根のようにパンパンにはれてる感じがするのだ。とそこで20分ぐらい並んだだろうか、突然私たちの横に黄色の良く見るスクールバスが止まりだした。中には大人が乗ってて、運転席のヒスパニック系の男が「5$!!グランドセントラル!!」と言うではないか?!
フムフム、、、私が行きたいのはRRLの終点ペンステーションでグラセンではないのだが、歩いても15分くらいだろう。RRLより1$高いが、たぶんこっちのほうがだいぶ早いだろう。。。RRLも気になるが思わずこっちに乗ることにした!!
「まだ空きはあるか?」と聞いたら「もちろん」というので早速黄色のスクールバスに乗り込んだ。
小さなスクールバスの中には、子供が二人がけのイスに大人たちが二人ずつ乗ってる。見た目的にも窮屈そうだが、、、私が乗り込んだ時点で3つばかし一人しか乗ってない「空き」があった。私はその内の一つ、チャイニーズのおじさんの隣の空席に腰掛けた。バスはその後すぐ出発!!マンハッタン向けてクィーンズを突っ切る!!
昨日歩いた距離もあっという間!にクィーンズボロウへたどり着いた。そこでは警察のチェックがあったが、この車は満席なので文句なし。グルグル高架線を突き抜けてバスは橋を渡る。なんとも言えず楽しい。目の前にはマンハッタンの景色が楽しめるし、歩くのとまた違って早い早い!!あっという間にミッドタウンだ!渋滞があったり交通規制で通れない道路がありつつも、10時すぎにはぶじグランドセントラル横に下ろしてもらった。
スクールバスの旅はなかなか快適で楽しかった。このバスに乗れることもそうないだろう。学校についてから先生に話すと、それって面白いわ!!あなたがうらやましい、私はブルックリンからカーサービスをみんなで頼んだのだけど、一人20$もしたのよ!!だって。たしかに5$はまだましなほうか。。。
学校では昨日よりも生徒も先生もきてた。実は今日はかねてから計画されてたホリデーパーティが学校であるのだ。校長先生がこのストライキの中来てくれた生徒のためにピザを注文してくれた。ゲームをしてもらえるプレゼントもある!!パーティ会場(一番広めの教室)では久々、、、(といっても2日目なのだが)にあう友達であふれており、なんだかうれしくなった。みんなでどうやってきたの?とかお互いの状況を話し合いながら、おいしいピザをつまむ。
パーティ終了後まだ私は友達と話をしてたら、なんとアルバイト先から電話が来た!!
「今日4時からアルバイトに来れるか?」という話だ。今日と明日トレーニングしたいとのこと。全くいきなりだなぁ、もう、、、と思いつつ、せっかくの申し出断るわけには行かないと思い、「大丈夫です、いきます!!」と思わず言ってしまった。
さぁ、それからが大変。時刻は1時半。これから急いでRRLに乗り家に戻り、着替えをして店があるアストリアまで歩いて行かなければならない。家からアストリアまでは見当もつかないのだが、マンハッタンよりは近いはずなので1時間半もあればたどり着けるだろう。すぐにペンステーションへ向かった。
昨日の悪夢のような混雑と違い、さすがにこの時間は空いていた。自動販売機も各20人ぐらいの列ができてるぐらい。並んで前の人に今日始めて買うから使い方がわからないというと、その人は自分の番になって私に先にやりなさいと言う。教えてくれるのだ。心強い。白人のおじいさんだったが、私が操作するのを見守ってくれてなんとか一人でもストライキチケットを買うことができた。
おじさんにお礼をいい、乗り場までダッシュ。その辺にいる職員にWOODSIDE方面の列車の乗り場を教えてもらい、急いでホームに下りるとすぐに列車が来た。席について近くの人に確認するとたしかにこの列車でいいらしい。2時15分に列車はペンステを発車し、WOODSIDEにはなんと10分ほどで着いた。ノンストップの一番始に止まるの駅なのだ。そのあと急いで家に帰り、着替えバスマップを持ってアストリアに向かう。
クィーンズの地図なんて持ってないのだが、クィーンズのバスマップを見ながら歩く。我がアパートがある58thの前にQ18のバスが走ってて、このバスをたどればアストリアにいけるはずだ。ものすごくわかりやすい地図だし、クィーンズ自体簡単な作りになってるので迷うこともなく、ひたすら歩き1時間ほどで無事アストリアのディトマスに着いた。もう昨日の疲れもあってか、その頃足は棒のようである。
しかし私はこれから働かねばならない。
しかも本職になるであろう今日からウェイトレスだ。ウェイトレスといえば実は子供の頃からの夢だった。
4時から5時までは店の開店準備をした。そして10時まで仕事。初めてオーダーもうけたが、やはり電話よりも直接お客さんと会話をするほうが英語も聞き取りやすい。おすすめはあるかしら?などといわれ、はっきりいいって私はわからないのだが、「アラスカ」という名前が好きなのでそのSUSHIを薦めた。適当である。
今度はお客に実際食べ物を出したり、お酒を出したり、かたずけたり、その最中にも配達の注文をとったりとやることはたくさんある。店は全然混んでないのだが、私だけがてんてこ舞い。失敗もしました。けれど、楽しかったな。今回はまかないもらえませんでしたが、隠れて厨房でエビ天ぷらもらったり、お客さんが残したスシを食べたりけっこうそれもいい。これならチャンスがあれば毎回あまったスシが食べれるかも。。。
しかも給料はウェイトレスは日払いである。その都度来た日の帰りにもらえるのである。
しかしまだ新人の私はものすごく安い。
こちらはハウスペイとTIPに分かれてて。ハウスペイは激安。6時間はたらいて14$、、、って時給3$もない。新人の私は50%しかもらえないそうだ。半年働いてる同僚のハウスペイは33$。それでも時給に換算すると、結局6$もないの!!!ひえー、アメリカは安い安いと聞いてたけどここまでとは。しかしTIPがもらえてそっちが15,9$もらえた。全部で約30$。
これじゃ日本で稼いだほうがまだまし。しかしお客さんが来ればTIPはもっともらえるわけで客があってこそ、そしてよきサービスに対して向こうがTIPを払ってこそ!!なのですね。よくわかります。
でも私にとって初めて一日の金のでいりが+になった記念すべき日。
やったね!!明日もあるのでがんばるぞー。
ちなみに帰りはと通まで車で送ってもらいまた30分歩きました。もう足が。。。やばい。
早くストライキなくなってくれ。

ストライキ・スタート

2005-12-21 13:07:00 | のほほん日記
始まっちゃったよ、NYのストライキ。
本命は先週の金曜日と噂されてたので月曜の時点でストライキが行われなかったため、誰もがもう起こらないと思ってたのですが、、、火曜日の今日、朝起きたらいつもより静かだったのに気がつかなかった私。
今日は久々ヨガでも行こうかなぁと朝からのんきに準備をして、朝ごはんを食べながらTVをつけると、どこのテレビも「ストライキ」の文字が
嘘でしょう?と流れる映像が信じられなかった。
思わず窓を開けて家から見える地下鉄の高架線をみてみたが、たしかに走ってない。そ、そんな。。。
テレビにはたくさんの通勤者がブルックリンブリッジを渡る姿やブロンクスから行列が徒歩で通勤する姿をヘリコプターから捉えて放送してる。
確か昨日学校の先生は明日クィーンズでバスのストライキがあるって行ってたけど、地下鉄だとは誰も言ってなかったよなぁ。
先週の時点で学校側からは金・月のいずれかにストライキがあった場合は学校は休校になるけど火曜日は普通に営業するとか話してたような。。。?
とりあえずヨガはこの際どうでも良い、どうやって学校に行こうか?と思いつつ、外に出てみた。
いたって普通の景色、、、なのだが最寄の「WOODSIDE」の駅に行くと、地下鉄の入り口が黄色のテープで封鎖されてる。そしてその前にものすごい人だかりが!!
実はここは隣にRRL(ロングアイランド鉄道)の駅があるのだが、ここはストライキを行ってるMTA(メトロポリタン交通局)とは別運営のために通常運転されてるので、そっちでマンハッタンへ通勤しようと言う人達であふれかえってるのだ。
その数たるや恐ろしいもので試しに最後尾を探そうと歩いてみたのだが、歩いても歩いても見えてこない、1ブロック角を曲がり、また1ブロック歩き角を曲がり、また、、、というわけでグルグル果てしない。
RRLの従業員がいて、チケットは買うまで2時間並ぶと言ってる。嘘でしょう?チケを買うために2時間なんて、そんなら歩いて言った方がましでは?と思った。
私の住むクィーンズのウッドサイドからマンハッタンまではクィーンズボロウブリッジという橋を渡らなければならない。旅行者で有名なブルックリンブリッジなどは人間が渡れることは知ってたのだが、このクィーンズボロウに関しては確信してなかったので試しに目の前に居る人に聞いてみた。
するとみんなここからクィーンズボロウまで歩いていくの?遠すぎるよ!!と問題外の答えが。。。YUKOに電話して聞いてみると彼女はサニーサイド(ウッドサイドの手前の地域)からクィーンズボロウまで歩いたのだが30分ぐらいで着いたよって言う。ということはここからサニーサイドまで10分ぐらいだからなーんだ、そんなに時間がかからないじゃん、それに渡れるってYUKOは教えてくれた。
そこで歩いて学校に行くことに。
これはある意味で挑戦である。果たしてどのくらい時間がかかるのか、ちょっと興味があったのだ。こういう機会もそうあるものではないし(なんといっても四半世紀ぶりのストですから)、歩いてマンハッタンに出るってどんな感じよ?と思ったのである。
実際家におとなしくしてるのが普通なんだろうけど、私の性格からして家でじっとしてるのは苦痛だし、なによりクィーンズで家でこもるなんていやすぎる。家にいてもすることないしね。それにRRLも2時間待つぐらいなら歩いていったほうが絶対ましである。
かくして私のマンハッタンへの徒歩の旅(旅だろう、これは)は始まったのである。
サニーサイドまでは余裕、地下鉄の高架線にしたがってただひたすら歩く。風が冷たくて痛い。しかしどうも同じことを考えてるだろう人が歩くたび増えてくる。いつの間にか流れのようなものができており、みんなテクテクひたすらクィーンズボロウ目指して歩く。だいたい片手にコーヒーカップ(紙のね)と片手にi-podというところが地下鉄で見かけるそのまんまのニューヨーカースタイルなので、ああこの人達もみんな歩いていくのね、、、と思うと心強い。クィーンズボロウへは40分ぐらいで着いた。ちゃんと自転車と徒歩用の通路が車の通路の脇にあった。人の流れに任せて橋を渡る。
天気が良くてよかった。空はきれいな青空で朝の空気の中イーストリバーがキラキラ輝いてる。右手に見える国連ビルなどの摩天楼は朝の光を浴びて堂々としてるし、こういう通勤も悪くないのでは。。。?と思わずにはいられない。ただ川の上というのは風が吹いてるもので、これがものすんごく寒いのである。まさにフリージング!!
橋を渡るのも向かい風のおかげで30分ぐらいはかかった。しかし、無事マンハッタンへ入ると出口では赤十字が無料のコーヒーとココアを配ってた。すっかり喉がカラカラだった私はココアをもらった。これがおいしい。こんなサービスがあるところがうれしい。赤十字の職員さんたちもがんばってるのね。こんなストの最悪の日なのに、笑顔で「Have a nice day」と言うところがなんだかNYだなぁと思ってしまう。
やはり地下鉄の影響もあってマンハッタンはいつもより人通りが少ない。もちろん観光客もいてたぶん歩いてるのはほとんど観光客だろう。バスもない今(MTAは地下鉄とバスすべてを運営してる)、交通量もタクシーがいつもより多いだけで所々渋滞緩和のためか道路も封鎖されてて、はっきりいいって歩きやすい。
それでも店は営業してるし、街は機能してるらしい。
結局11:30頃無事学校に着いた。ウッドサイドの駅を出発したのがだいたい9時50分ぐらいだったのでまぁ2時間はかからないということがわかった。
学校はあまりに休んでる生徒が多いために、いつもの通常クラスの授業ではなく他のレベルの生徒と混ぜたスペシャルなクラスでの授業をしてた。なのでいつもの先生ではなく、今まで私が受けたことがなかったような先生のクラスで授業を受けた。しかもその先生がかなり私的に良かった。ああ、次のクラス替えではこの先生のクラスになりたいなーと思った。こういう機会でもなければ他の先生の授業も受けれないし、なによりレベルの違うクラスの友達と一緒に勉強できたのは良かった。
お昼はその友達とカレーを食べに行きついつい夕方までおしゃべりしてしまった。
その彼女がRRLで帰るというので、私も帰りはRRLで帰ろうと思い、彼女に着いていった。夕方4時30分頃ペンステーションに着くと入り口には大きな黒い塊のような人の群れが見える。
私の友達はルームメイトがすでに帰りの切符を買ってくれてたので私だけ切符を買いに行くことに。ところがペンステーションでは駅を半分封鎖してて、片方をきっぷ売り場、片方を乗り口に分けてた。
そのきっぷ売り場に行くと、もうすごい状態。列なんてないし、ただ単に人がおしくら饅頭状態でおしあいへしあいしながら、必死に我先にと窓口や自動販売機へと群がってる。秩序もくそもなく、しかもRRLの切符を買うことになれてないらしく、この機械を扱えない人ばかりなのでかなりもたついてる。その度にみんな文句をいったり、嘆いたり、まさに地獄だ。
私も30分以上様子を見てねばったのだが、にっちもさっちも行かないくらい動きがない。このまま待って30分後ぐらいにきっと切符を手に入れても、更にこれからホームまでも並ぶことは目に見えてるし、ぎゅうぎゅう詰めの車両を思い出しただけで気持ちが萎えてきた。
そのくらいなら歩いて帰ったほうがましでは。。。と思えてきてついに諦めて歩いた。はっきり言ってペンステーションから59stの2Aveまで歩くのは気がめいる思いだったが、とにかくひたすら歩いた。
またクィーンズボロウが見えてきたときはほっとした。ありがたいことに橋の上は朝ほど寒くなく快適であった。しかも眼下に広がるマンハッタンの夜景がものすごくきれいだ。クライスラーにクリスマスカラーのエンパイア。。。たくさんの歩行者がしばし橋の上から景色に見入っている。私もしばしばその景色を堪能させてもらった。
と、けっこう思った以上に帰りはあっという間であった。7時半には無事家に着いたし。ただ足はさすがにくたくたでもんでも痛いくらいだ。
このストライキいつまで続くことか、明日もストライキだったらどうしよう。。。?休もうか、どうしようか、、、?

ちなみにロイター通信の報告では以下の通りです。
<ニューヨークの地下鉄やバスを運営する都市交通局(MTA)と職員組合(約三万三千人)との労使交渉が二十日未明に決裂、労組側は一九八〇年以来の全面ストライキに突入した。両公共交通機関は一日に約七百万人が利用する大動脈。市当局は、かき入れ時のクリスマス・シーズンさ中の今回のストによる経済的損失を一日約四億ドルと試算、四半世紀ぶりのストは世界経済の中心地を直撃した形だ。
 公共交通機関の職員のストはニューヨーク州法で禁じられており、ブルームバーグ市長は「違法で非難されるべき行為だ」と厳しく批判した。州当局はストの中止を求めて提訴する方針だ。
 市当局はスト入りを受けて、日中の一般車両の主要道路への乗り入れを禁止し、午前中は四人以上乗っている車以外はマンハッタン中心部に入れないようにするといった交通規制を敷いた。同市長は二十日午前七時、マンハッタンとブルックリンを結ぶブルックリン橋を歩いて登庁し、交通規制への理解を求めた。
 交渉では、組合側が向こう三年間、8%の賃上げを要求したのに対し、MTA側は3-4%の段階的賃上げを提案、組合側がこれを拒否した。
 八〇年四月の全面ストは十一日間続き、市民は自転車やローラースケートで通勤した。今回のストは三-七日間は続くものとみられている。>



引越し再び・AKOとの別れ

2005-12-20 14:05:00 | のほほん日記
日曜日新しいアパートへ引越しました。
おかげで今日は筋肉痛です。
新しいアパートは私が今住んでるウッドサイドの52thから6ブロックほど離れた58thにあります。
朝10時新しいアパートへ行き鍵をもらいました。
12時30分にクラスメイトのジウンとゆうこが手伝いに来てくれました。
実は先週拾ったソファを運ぶために二人に手伝いをお願いしたのです。
二人が来る前に私は3往復して少し荷物を運びました。
ソファは3人がかりで運んだのですがやっぱ辛かったです。1ブロックごとに休憩していかないと持ちません。
ジウンがホントは男友達に声をかけようか迷ってたのだけど、やっぱりそうすればよかったねぇ、、、なんて言いました。やっぱ女の子3人より一人でも男がいたほうがこういうときは違います。
もう寒いはずなのに私達は汗ぐっしょりです。
やっとのことで家の玄関までソファを運ぶと、私のアパートは3階なのですが、同じアパートの2階もその日はちょうどヒスパニック系の家族が引っ越してきたらしく、私達がえっちらおっちらソファを運ぼうと玄関先で奮闘してるのを見て助けてくれました。
そのラテン家族の屈強そうな男の人二人が、ひょいとソファを持ちあげてすいすい階段を登ってきます。
さすがです!!いや、今日はラッキーだ。もし向こうが今日引越しでなくて、こんな風に会わなかったらどうやってうちらだけであの急な階段をソファを運ぶことができたのか考えるだけでも難しい。
おかげでその後2回の往復でで無事夕方に私の引越しを終えることができた。
しかし3回目を終える頃にはすっかり真っ暗に。
二人の大事な日曜日の時間を奪ってしまったので、ご飯をちかくのダイナーでおごりました。アイリッシュメニューがおおくて、なるほどこの辺はアイリッシュコミュニティーが多いとみた。
新しい部屋はまだまだ散らかってるけど、
部屋は12畳もあってフローリングですごく広々してて居心地が良いです。
ルームメイトは他に3人日本人の女の子がいて、けっこう話しやすくていい感じでした。
驚いたことに、その中にレナート時代に同じクラスで少しの間勉強した同級生が一人いいたのはびっくりしました。知ってる人がいて逆にやりやすいなぁと思ったりして。

今日はAKOとお別れをしました
彼女は来週帰るのですが、明日からお母さんが日本から遊びに来て一緒に日本へ帰るので、もう一緒に会えるのは今日しかなかったのです。夕方ブルックリンのダンボへ行き、マンハッタンブリッジの下から見るダウンタウンの夜景を見ました。冬の澄んだ空気の中の夜景はものすごくきれいでした。やはり夏よりも秋よりもこの突き刺すような寒い空気ののなかでこそ得られるぐらいの美しさでした。
公園には余り人がいなかったのでイーストリバーの波打ち際の階段に腰掛けてしばしば夜景を堪能しました。AKOはずっとここにきたかったそうで(ここでタバコがすいたかったらしい)もう思い残すことはないと言いました。
彼女とはレナートで6月に知り合って以来の付き合いで、特にレナートで同じクラスだったときよりも、8月に一度日本へ戻り9月にAKOがまたNYに帰ってきてからのほうがお互いよく遊んだりしてました。映画を見たり、ハロウィンパレード出たり、最近では毎週一緒に遊んでたので、なんだか離れるのがすごく寂しい。。。
彼女は21歳と若いのに、すごく考え方もしっかりしてて私も彼女から学ぶことがすごく多かった。ファッションセンスもクールでかっこよくて大好きでしたし。
次に日本で会うのはいつになるのか二人とも想像つきません。でも、彼女とはできればずっと付き合っていければいいなぁと思いますね。彼女おすすめの大阪のだんじり。。。見に行きたいです。日本でがんばれAKO!

人間クリスマスツリー

2005-12-18 14:45:00 | のほほん日記
今日はお天気が良かったのでダウンタウンを散歩しました
WFC(ワールド・ファイナンシャル・センター)からハドソン川沿いをくるりとバッテリーパークまで、そしてサウスストリート・シーポートまで歩きました。
青空でぽかぽか暖かい。こういうのって小春日和というのでしたっけ。。。とにかく気持ちがいいです。
ところで、サウスストリート・シーポートで面白いものを見かけました。
「The Big Apple Chorus」の人間クリスマスツリーです。
入り口に大きなクリスマスツリーがあるのですが、この前に立体三角形上のステージがあり、この前にコーラス部隊が歌うのです。
おそろいの赤と緑の服で登場したコーラス舞台は全員が男の人。中年以降の人が多いのだけどアメリカ人って年とっても味が合ってかっこよく見えちゃう。。。!
歌はほんとにすばらしかった。あまりに良かったので感動して思わず涙ぐんでしまった。なんというか、歌もすごくいいのだけど、歌ってる一人ひとりの歌い方がまたどの人も表情が豊かでパフォーマンスもすばらしくて、さすがNYのコーラスだなぁと感動したのです。思わずCD買っちゃいましたね。クリスマスソングは大好きなのですよ。収録されてる歌の中には「ジングルベル」や「赤鼻のトナカイ」など定番から私の大好きな「サンタが街にやってきた」
や、アメリカで同じみな「We Wish You A Merry Christmas」(こちらのCMでよく聞く)や「ジングルベル・ロック」(これを聞くと買い物しに行きたくなる)などなど。他にもユダヤ教のお祭りハヌカー祭りと一緒歌われるクリスマスソングも入ってたりなかなかすばらしい。。。
今日から毎日このCD聞かねば。。。ああ、クリスマスに浸れちゃうなぁ。
このコーラス一見の価値あり。無料だし、こういうのが身近にあるのってほんとにすばらしい!!
The Big Apple chorus のHP
http://www.bigapplechorus.org/

サウスストリート・シーポートのHP
http://www.southstreetseaport.com/EventsEntertainment/EventCal/



MTAストライキ回避

2005-12-17 15:21:00 | のほほん日記
今日はバイト初仕事でした!!

しかし目下気になってたのがこの1週間、新聞テレビで毎日のように騒がれてたストライキ
メトロポリタン交通局MTAが金曜日にストライキに突入すると宣言したものだから、月曜日から学校では大騒ぎ。
もしMTAがストに突入すれば地下鉄はおろか、バスもフェリーもすべてがストップ。
マンハッタンはまさに陸の孤島と化す。
数年前のストには前日にホテルに泊まる市民やら徒歩で橋を渡る市民やらいたそうですが、さすがにマンハッタン以外の区(ブルックリン・クィーンズ)から徒歩で登校するのは大変。
もしストライキが起これば学校は休み。。。と先生は話してました。
私はこの日曜日に引越しを控えてるので、日曜日までストが続くと困るなぁ、、、と思ってました。
なによりいくら学校が休みでもクィーンズに閉じこもってるなんて絶対いやだーと思ってたのです。
それが朝起きてテレビをつけると「TRANDIT runnning」の文字が。。。ほっとしましたね。

しかも昨日面接を受けた「GO WASABI」のマネージャーから電話があり、急遽私を今日キャッシャーのトレーニングしたいとのことで、来てほしいそうだ。
とりあえずバイトとして雇ってもらえることになったのだ。やったー。
と喜ぶのはまだ早そうで、実際このトレーニングの間に私が使えるかどうか様子を見るらしい。むむむむ。
実際まだトレーニングの身の上なので時給7$で、今日はキャッシャーなんでTIP無しです。
が、それでも昔やってたマックに比べればぜんぜんましまし、、、。

店の同僚は韓国人のSUSHI職人が2名に、厨房にはラテン系の男に、ウェイターとして日本人の男の子が二人にマネージャーしかいません。
私が店に入った6時ぐらいはすごく空いててこの分だと暇そうだなぁ。。。なんて思ってたのですが、それも嘘嘘、、、7時を過ぎると急に店が混みだし、次から次へとお客が来だし、狭い店内の座席は満杯に!!
そしてそれだけではなく電話もなりっぱなし。
そうここでは配達にお持ち帰りもやってて、キャッシャーはその電話の応対もせねばならないのだ。
これには私もてんてこ舞い
なにしろメニューも覚えてないうちから電話に出てオーダーを受けねばならない。
まず電話にでて店の名前を言うのも一苦労。
うちの店はアストリアに2店舗あって、ディトマスと30thの2件。うちはディトマスなんで電話に出るとき「ディトマス・GO WASABI」と言わねばならない。そこがまたぎこちなく、その次に配達か店での引きとりかを聞かねばならない、配達なら住所を聞かねばならぬのだがこれがまたアストリアの地名を知らない私からしたら、23thなどのような数字以外の英語明記のst名は聞き取りにくい。
そしてオーダー。
「ビーフ・ネギマキ」をなんと「ビック・マゲマゲ」と聞き間違えたり、とにかくメニューも知らないので、うまく聞き取れず悲惨である。学校ではリスニングをなめてかかってた私だが、学校の何倍もの集中力で必死に電話で聞き取りに向かってる自分に驚いた。
しかしこんな役立たずな私でさえも電話の応対をせねばならぬほど店はてんてこ舞いに忙しい。8時ぐらいまでは地獄のごとく忙しい。
こうなると少し英語が聞き取れなくても、相手にしつこいくらい迷惑なくらい繰り返し聞き、オーダーを取るしかない。
うちの店は日本&韓国料理の店だが、場所柄か地元人が圧倒的に多い。
これがマンハッタンの店だったら客の半分以上は日本人なんだろうが、ここは圧倒的にアメリカ人である。日本人のお客なんて一人も見なかった。
みんなこの付近の地域の人なのか、特に電話の人はいつも頼んでいるメニューっぽい口調だし、店に食べに来たお客さんも気軽におしゃべりしていく。なるほどけっこう地元に根付いてるのだなぁと感心した。それだけおいしくいい店でなければNYではありえないことだ。
なのでほとんど会話は英語である。従業員は日本人同士やマネージャーは日本語が話せるので(他の韓国系の従業員も少し日本語がわかる)その場合は日本語で話すが、お客と話すときは100%英語だ。
だから私は電話にしろ何にしろ学校で習った英語のグラマーと会話力を、学校では発揮できないくらいの集中力をフル回転して使ってる。自分にも驚くが、これが実践と言うか生きた英語、働くとは英語を使うとはこういうことなのだなぁと感じずにはいられない。それだけでもアルバイトをして良かったと言うのものかもしれない。
他にも伝票の書き方やクレジットカードのやりかた、レジの扱い方など覚えることは腐るほどあるし、メニューにしろこの店はSUSHIとSASHIMIとROLL(巻きもの)で同じサーモンなどの名前がありややこしいことこの上ない。
これは覚えるのも一苦労だ。
しかしどこかで面白い、やりがいがあるという自分の興味も感じた。
いやだとは思わなかった。今までののほほんとした生活はすこし遠くなったけどでもどこかで興奮してる自分がいる。
とにかくやってみよう、がんばろうと思った。
幸い店の同僚はみんな面白くて、マネージャーもよい人だし、店の雰囲気が何よりいい。今日もJAZZピアノの演奏が行われてた。忙しくて聞く余裕がなかったけど(むしろ電話が聞き取りにくくて邪魔だと思ってしまったが、、、泣)。
何よりいいとこは賄が付いてることだ!!9時前にマネージャーがお腹空いてるよねぇ?と聞いてきた。ご飯あるからいらっしゃい。。。と奥の厨房に連れて行かれ、ミソスープとなんとホヤホヤのビビンバをくれた。これがまた量も多くてうまいのである!!まるで貧乏の腹ペコの学生のようにがっついてしまった私。
だってほんとにうまいのさ、これが。
これを食べれただけでも(夕飯が浮いただけでも)働いたかいがあるというものだ。マックじゃこんなことなかったし。
ということで初日はなかなか楽しかった。同僚がチップから1$私にくれた。ほんとはこれは彼のもらったチップなのに。。。うう優しい人ばかりでよかった。次は月曜日にマネージャーからシフトの連絡が来るとのことで楽しみだ。ああ、つかれた。