BAMBOO-JET  ~うみの部屋~

タケノコジェットでどこへでも!
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ペルー旅行記⑤ 太陽の門でコンドル発見

2008-03-26 16:29:00 | 旅行
一晩空けて、この日はクスコへ3時発の列車で戻るまで自由行動です。
皆さん集合時間まで、思い思いにすごしてるみたいです。
またもやマチュピチュでたそがれる人もいるだろうし、
朝早くおきてマチュピチュ山へ登ってる人もいるらしい。
このマチュピチュ山登山はガイドのMさんもお勧めしてたので、一部の元気のある人たちはチャレンジしてるらしい。
マチュピチュとは本来遺跡の後ろにある山のことで、マチュ=老いた、ピチュ=山(峰)という意味なんだって。それが山の名前がそのまんま遺跡の名前になちゃったらしい。だからその山こそマチュピチュと呼ばれる場所なんです。
よく写真で遺跡の後ろにセットでそびえている山、あれはワイナピチュ(ワイナピチュ=若い山)と言って、ガイドブックでもよく紹介されてる。しかしここはかなり急で危険な山である。しかもガイドさん曰く上っても景色はそんなによくはないらしい。毎年おちて亡くなる人もかなりいるのでツアー会社もあまり進めない。しかしマチュピチュにきたらあそこに登りたいと考えるのは万国共通のようで一日400人の入場制限があるので朝方が一番混むらしい。
それよりガイドさんが薦めたマチュピチュ山はワイナピチュと遺跡を挟んで向かいにあり、よくマチュピチュの写真を撮る場所の後ろにそびえる山である。こっちのほうがワイナピチュより高いし、眺めがいいとのこと。向こうにそびえるアンデスの由紀を抱いた山々まで見渡せるらしい。しかしあまり知ってる人がいないらしい。私も元気があったら登山したかったが、クスコに戻って高山病を復活させるのもいやだし、やめておいた。

希望者にはガイドのMさんと一緒にインティプンク(太陽の門)へ連れて行ってもらえるということで、そっちに参加しました。予定の9時にホテルで集合。参加者は10人ほど。みなで乗り合いバスに乗りまたマチュピチュに向かった。
インティプンクはマチュピチュ山の中間辺りにある遺跡です。遺跡からインカ道を通っていきます。途中でインティプンクとマチュピチュ山と道が分かれるらしいのですが、これがわかりにくいらしく、ツアー客のSさんなど間違ってインティプンクまで一度登り間違いに気がつき、ほとんど下まで降りてまたマチュピチュ山へ登ったそうです。すごいなぁ。。。。
インティプンクのインカ道は前の日のインカ橋のインカ道よりはかなり整備されていました。ところどころ儀式をする遺跡のようなものが現れます。そして色とりどりの花が咲いていてガイドさんがその都度色々説明してくれるので、ちっとも飽きませんでした。所要時間は1時間ほどでやっと太陽の門が見えてきました。途中リャマが道を占領してて通れない・・・なんてこともありましたが。マチュピチュにはいたるところにリャマがおります。太陽の門付近のこんな高い場所まで登ってくるんなんてさすがです。糞がよく落ちてるので気をつけなければつい踏んでしまうなんてこともあります。
行く途中途中振り返って景色を楽しみました。段々遺跡が遠くなり、ホテルから遺跡の入り口までバスが登る「つづら折の道」もきれいに見えてます。高いと思ってたワイナピチュも目の高さになり、最後太陽の門へ着いたときにはちょっと下になってましたね。

太陽の門から見る景色はまたすばらしいです。遺跡から見たときはあんなとこへ。。。などと思ってましたが、実際こちら側から見ると遺跡が小さい。
私達が登ってきたインカ道はこの先インティプンクを突き抜けて、さらに先へ下っております。これはクスコまで続いてるそうです。歩いて約1週間かかるらしい。
頭を真っ白にしてその道を歩いてきて、マチュピチュの景色を見ると遥かな古代インカ人の気持ちになれます。たしかに険しい山道を越えて長い旅をしてきた人人々が、ここに来てマチュピチュを見たときはすごい感動だったでしょう。

私達は遺跡にて30分間ぐらい休憩しました。
とガイドのMさんが何かに気がついたようです。
なんだろうと思ってたら、しばらくして「やっぱり、、、そうだ。」と言い、「コンドルがいる!」と。
私達にはどこにコンドルがいるのがさっぱりわかりません。
太陽の門の左側には高い山があって絶壁になってます。太陽の門の遺跡に昇ると目の前にその絶壁と谷底が見渡せるのですが、一瞬ですが私の位置から絶壁を旋回する鳥が見えました。翼を広げて大きな円を描いてました。この距離からするとかなりの大きさです。あれがコンドルかっ!!
しかし他の人にはちょうど見えにくかったみたいです。私は遺跡の上に登ってたので遺跡の向こうにある絶壁がよく見えたのですが、みんなは登っていなかったので、下からだと絶壁の向こうが見えにくくて見れなかったみたいで。その後もまた見れるかなぁと思ってたのですが絶壁の向こう側へ消えてしまったみたいで、一度だけのチャンスでした。非常にラッキーです。まさかこの地でコンドルに会えるとは。
Mさん曰くこの辺にもコンドルは住んでるそうです。メガネグマというツキノワグマの仲間のクマも住んでるそうで、さすが自然が豊かなだけあります。

ところで太陽の門の由来ですが、マチュピチュの遺跡の中に太陽の神殿というのがあります。古代インカの人々は太陽信仰があって、太陽が無くなると作物が取れなくなる=人々が死ぬということで、太陽の力が一番弱くなる夏至の日(6月22日、南米では冬至に当たる)に東の山に太陽の門を作り、太陽の光がそこを一直線に通過し神殿へ差し込むようになってます。そこで太陽の光をつなぎ止めていて、太陽が永遠に無くならないようにするための場所だったらしいです。
ですから夏至の日にマチュピチュに来ると私達がいた太陽の門から一直線に太陽の光が神殿に差し込むらしいです。なんというか壮大なドラマを感じますね。

帰りは行きの半分の時間で下まで戻って来れました。いよいよマチュピチュともお別れです。名残惜しいですね。この日のマチュピチュはすっきり全体が見渡せてすばらしくきれいでした。アデュー・・・

お昼はホテル(ハッチャイタワー)の裏にある村の食堂「AIKO」でガイドさんお勧めの醤油チャーハンを頂きました。うまかったです!!ここは息子さんが2年ほど日本へ勉強にいかれたということで、日本語を話せるみたいです。メニューも日本語があるのでうれしいです。他に焼きそばとかもあるみたいですよ。

3時発のペルー鉄道でまたオリャンタイタンボ駅へ戻りました。帰りの列車の中で、客室乗務員によりペルーの民族舞踊とアルパカ製品のファッションショーがありました。電車の揺れでうつらうつらしてた時にいきなりすごい音量で音楽が鳴るのでびっくりしました。こんなとこでファッションショーやるとこが笑えますよね。

オリャンタイタンボ駅からクスコまで2時間のバスの旅で、クスコへは8時に戻りました。マチュピチュより高度が高い。やはりバスを降りると空気が薄いのがわかります。ちょっと息苦しい。幾度か高度には順応してきたものの、意識して深呼吸するように努めました。
夕ご飯はクスコのフォルクローレショ-のレストランです。幾分気分が悪く辞退する人も何人かいました。私もちょっと辛かったけど、せっかくのショーは見たいので無理しないようにゆっくり動いてました。食事はバイキングで、アルパカやクイ(モルモット)の肉までありました。ペルーの人々はモルモットを食べます。家で食用のために飼育してるのも普通らしいです。私はなんかいやで食べませんでした。ショーは踊りのショーと歌のショーで90分。
踊りは色々な部族のものがあって、衣装を見るのも楽しかったです。
歌のほうはクラシックもバッハやベートーベンなど知ってる歌をアレンジしてて、なかなか素敵でした。フォルクローレオンリーだと飽きてしまったかもしれないですが、これなら飽きません。帰りに思わずそのグループのCD買いました。けっこう買ってた人は多かったかと思います。お客もやっぱり多国籍でしたね。おそらくこの店はツアー客に人気なのでしょう。各テーブルにその国の旗が刺していて、うちらのお隣はフランスでした。他にも中国人のグループとか、よくわかりますねぇ。いずれにしろ一番多いのは圧倒的に日本人でしたけど。

泊まったホテルはリベルタドール・クスコ。
5★ホテルでただ寝るためだけに泊まるのがもったいないほどのすばらしさでした。昔の支庁をホテルにしたらしいです。

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