いや〜ん、コマーシャルもいっちゃって!笑
♪いすゞ〜のトラック〜
♪どーこーまーでも
♪どこーまーでもー
♪走ーれ走れ
♪いすゞのトラック〜
いすゞ繋がりで吉井和哉の♪母いすゞも!
この岩城滉一様かっこよかったッス!!(過去形で語ってるわけではないです)
日産スカイライン。
そのとき、精悍。
for エリーゼ、マイラブ、スカイライン。
このコマーシャルの♪エリーゼのためとか♪フーガにを編曲したのが、ロックバンドをプロデュースしたので有名な佐久間さん。
私が大好きだったプラスチックスのメンバーだった方。
好きなものはなんだか紐付けされるよね、意識せず、自然に。
オープン仕立ての横浜東口の横浜そごうの10階の日産ギャラリーは新車が出るたびに仕事の昼休みに行ってたなぁ。時間潰しにクルマ好きな同僚♀と。(彼女はホンダの鈴鹿のレースは必ず観戦に行くようなクルマ好き)
発売すぐコレ乗ってましたっけ。
ホンダ・トゥデイ。(マツダファミリアではなく。笑)
館長していたオジサンと顔見知りになるくらい。ポスター貰ったりしたな。笑
このクルマのポスターや〜、懐かしい。
会社の仕事場の壁に貼ってたな。
会社はホンダの4輪と2輪の取説やらショップマニュアルやらサービスマニュアルやらHRCのパーツリストとかもやっていたのに、日産のポスターとは不届き者!笑
ちょうどDTPへの切り替え時期で、SONYの取説のDTP(アルダスページメーカー)によるひな型(スタイルシート)を考えたり(SONY公認になったんよなぁ、あのひな型がたたき台。)、DTP版取説(海外向けビデオデッキ(型名忘れた))第一段が出来たりした時だったなー。
ホンダのマニュアルはまだ当時はDTP化からは外れていたのですや。
SONYはもうこの時期に「完全ペーパーレス」を目標にしちゃったもんだから、取説やっていたメーカーはほんと目まぐるしい時代のスタートでした。
SGMLとか勉強し出したりしたのも当時。1990年くらいか。
最初はIBM✖️Windows3.0英語版✖️ページメーカー英語版でスタート。
このIBMマシンのキーボード、思い返すだけでも一番使いやすかった。
跳ね返りと音がいいからタイピングが抜群にしやすいったらなかった。
平行してマッキントッシュもガンガン導入してる時期(Mac輸入商社の外人さんがよく来てたっけ。ブラッカーさん。今頃何しているんだろ。)、業務移管に毎日苦労していた頃。
版下や刷版やってきた長年のベテランさん達と意見合わせるのが大変で!(DTPで何ができる!?こんな版下だされてもやり難いだけ!とご立腹だったよ、当初は。)
フォント作成(DOS用とMacOS用)はマジで死んだわ。笑
イラストレーターとフォントグラファー、フォトショップとの格闘もさることながら、プリンターやらセッター側で起こる文字化けの不具合の問題追求が一番難儀したっけ。
前例なくてメーカーさんも情報少なく、それはそれは大変でした。
岩城滉一さんのこの動画をたまたま見て、ここまでリアルな実体験の想い出が引き出される。
あの当時は時代切り替え突入に舵を切る側に戦闘部隊の如く突っこまされて、本気で大変だったけど、世の中は確かに動いていたなぁ、躍動感!みたいな。